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「ところで」
アルバートが一度ギュッと目を瞑ってから言う。
「もう一度確認するが、シェリーとレモンは安全なのだな?」
「ええ、辺境伯とエドワード殿の計画ではそうです」
「どういうことだ?」
「ここからは僕の予想ですよ? それを踏まえて聞いてください」
一瞬で部屋がしんと静まる。
「最初の計画では辺境伯と黒狼が何らかの理由をつけて王都に来るはずでした。そしてミスティ侯爵夫人を助け出す行動を起こすでしょう。これは治療目的ですね。彼女が罹っている風土病はバローナ国のものですから、かの国には特効薬があるのです。そしてそれを入手できる黒狼がいる」
「なるほど」
「そして一気に国王の首をとる」
誰かが息を飲む音が聞こえた。
「新国王はアルバート王太子殿下、宰相は続投ですね。最大の問題はグリーナ国です」
キースがふと俯いた。
「まさかここで国王が動座するとは読んでいなかったのではないでしょうか。多少の計画変更を余儀なくされていると思います。キース殿下が王座に就くのが妥当だと思っていることに変わりは無いでしょうが」
「僕が? グルックではなく?」
一瞬だけアルバートがキースを見たが、何も言わなかった。
戸惑いながらキースが言う。
「我が国の元凶は王妃だ。しかし彼女のカリスマ性はものすごいものがあるんだよ。国民からの支持が高い。その彼女を弑して座る王座は針の筵だろうね」
「立ち回りが上手いのでしょうね。しかしキース殿下とグルック殿下が出国してから、なんら政策を打ち出していませんよね? それでも支持率は落ちない?」
「王妃は人々の心の機微を利用するのが上手いんだ。皇太子が倒れ、国王が病床にある今、気力を振り絞って王座を守っているという役を演じているんだ。それを踏まえるなら僕たち兄弟は継母の手助けもせず、国を空けているボンクラ王子ということだね」
シュラインがため息交じりで言う。
「一番大変な時に国に居なかった王子が、いきなり帰ってきて頑張っていた王妃を廃して玉座に座る……なるほど。これは難問ですね」
アルバートが口を開く。
「キース、君ももうわかっているのだろう? グルックはダメだ。危険だよ。母が命がけで抑えてはいるがもうそろそろ限界だ。彼には消えてもらう。覚悟を決めてくれ」
キースは黙ったまま返事をしない。
アルバートは構わず続けた。
「国民に人気の高い王妃を廃するなら、それなりの理由が必要だね。そういうの得意でしょ? 兄さん」
シュラインが眉を上げて肩を竦めた。
「こちらの国王も人気だけはあるからね。人気者を引き摺り下ろすならスキャンダルが一番だ。政治家にとって一番のスキャンダルは金と下半身だよ。仕込みが必要だよね」
ずっと黙っていたオースティンが言う。
「皆さんは親族のことなので言いにくいでしょうから私が言いますね。身分の高い男性にとって女性関係のスキャンダルは屁でもないですよ。むしろ箔が付くくらいにしか思わないでしょう? 男尊女卑な発言で恐縮ですが、それが現実だ。しかし女性は違う、身分が高いほど貞操を求められる。そこがねらい目ですね」
全員神妙な顔をしている。
「そういう意味ではアルバート殿下は特殊なケースです。結婚前に別れた恋人とのスキャンダルは、既婚女性にとっては害悪という印象ですが、未婚女性達には受け入れられている」
「そうなのか? 史上最低の男というイメージしかないと思ったが?」
お道化たアルバートの言葉には、敢えて誰もリアクションしなかった。
「国王なら特に女性関係では崩せません。彼にとって致命的なもの……」
「戦争か?」
サミュエルがボソッと言った。
全員が小さく何度も頷いた。
「やっちゃいますか。八百長試合」
シュラインが意識して軽く言う。
「国王の無理強いとしてね」
「その噂だけで民心は離れるだろうな。民は何よりも戦争を嫌う」
「だとしたら辺境伯の王都進出は利用できますね」
「ああ、いかにも戦争準備に見えるだろうな」
ブルーノが立ち上がった。
「僕は大至急ヌベール辺境伯とコンタクトを取ります。こちらの準備ができる前に入城されては元も子もない」
「頼むぞ」
シュラインの声に頷いたブルーノが部屋を出た。
その姿を見送りながらアルバートがボソッと言った。
「シェリーはイーサンと一緒にいるのだろうか……」
オースティンがカラ元気な声で慰めた。
「一緒にいるかもしれませんが、きっとレモンも一緒ですよ。あいつがシェリー様から離れるなんて考えられません」
アルバートがオースティンを見て小さく言った。
「ありがとう、オースティン。でも少しだけ覚悟しておくことにしよう。シェリーが今でも彼を愛しているなら……僕は……」
アルバートが寂しそうに窓の外に目を向ける。
シュラインはアルバートの視線の先にある山並みの向こうに、シェリーの顔が浮かんだような気がした。