181 長老の家にて②
帰還した日の夜、大衆酒場で一緒に飲んで以来だった。
まっすぐな黒茶色の瞳が、マナトを見ていた。
「よう、マナト」
いつからか、ムハドが、居間の入り口すぐ横の壁にもたれながら立っていた。
村イチのキャラバンと名高く、彼の商隊は、クルール地方を飛び出して他の地方へと、長期遠征交易を行っている。
そして、大量の交易品により、村に発展と活気をもたらしていた。
ただ、ウームー地方での交易から帰還以来、村内でムハドを見ることはほとんどなく、日頃よく長老の家に出入りしているリートによると、ラクダをたくさん連れ帰ってきた罰として、長老にいろいろとこき使われているとのことだった。
「久しぶりだな」
ムハドがマナトに言った。
「お久しぶりです、ムハドさん」
「交易で、忙しくやってるみたいだな」
「はい。今度は、岩石の村に行くことになりまして」
「そうかそうか、よし、んじゃ俺もそろそろ……」
「何言っとんじゃ、バカ者」
長老が言った。
「えぇ……じいちゃん、まだダメなの?」
ムハドは口を尖らせ、不満混じりな顔をした。
「当たり前じゃ。少なくてもラクダの交易が終わるまでは、お主は交易には行かせん」
「ずっと書庫で書簡の書き写し作業、それが終わったら木片書簡の処分の毎日……さすがにつまんね~よ……」
「我慢せい。というか、反省せい」
「あっ、そんでだ。俺も、マナトの口述筆記したもの、読んだぜ」
ムハドの手には、複数の紙が持たれていた。
「マナト、お前のいた世界にも、空飛ぶ箱船みたいなの、あったんだなぁ」
「あぁ、飛行機のことですか。そうですね」
「いやぁ、面白かった、というか……かなり、複雑だな。読んでて、なんかよく分からなくなった」
言いながら、ムハドは持っていた紙に、目線を落とした。
「俺も、じいちゃんと同じで、日本という国は、口述筆記を見る限り、かなり裕福な印象を受けた。科学技術の進歩で、キャラバンの村はおろか、アクス王国すらも、いや、このヤスリブ全体が古代と思えてしまうくらい、国として先を行っている。それなのに、マナト、お前みたいなヤツがいた。これは、事実なんだろ?」
「……はい」
「まあ、実際にそこに住んでみないと、俺たちには理解できないんだろうが……」
ムハドは紙から目線を外した。そして、マナトを見つめ、言った。
「たぶん、物質的な豊かさは、人間の心を、根本的に満たしはしないんだろうな。その豊かさの上に立ってしまって、そこから、いろんなものを失って、不幸を感じるから」
「あぁ……」
「俺はそう、思った」
「そうかも……しれないです」
「……んっ?てゆうか」
ムハドはマナトの顔を見たまま、首をかしげた。
「どうした?誰か、探してるのか?」
「あっ!そうだった」
マナトはムハドに言われて思い出した。
「長老、ステラさんて、今日って来るんでしたっけ?」
「ステラか?……どうであったかのう~」
長老は腕を組むと、記憶を辿るようにう~んと唸った。
「コスナの世話を、ステラさんにお願いしたくて」
「おぉ、あの、人懐こい子猫か」
「はい」
「では、わしが言っておいてやるから、大丈夫じゃ。心配せんでええぞ」
「すみません、ありがとうございます」