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それから数日後、絹を裂くようなメイドの悲鳴が王宮の廊下に響いた。
護衛騎士たちが駆けつけ、使用人たちも集まってくる。
「何事なの!」
侍女長も駆けつけた。
「こここ皇太子妃殿下が……」
震えながらシェリーのベッドを指さすメイド。
その異様な怯え方に数秒動けなかった侍女長が動いた。
真ん中あたりが膨れているブランケットを恐る恐る捲る。
見ないようにしていた絨毯に広がる汚れに繋がる黒いシミの原因が露わになった。
「きゃぁぁぁぁ!」
侍女長が後ろの転びそうになるのを助けたのは、皇太子妃付きの護衛騎士だった。
怯える侍女長を使用人に任せ、捲りかけていたブランケットを一気に引き剝がしたその騎士も、その異様な光景に息を吞んだ。
「なんだこれは……」
報告を聞きつけ宰相が駆け込んできた。
「何事か!」
騎士の持っている赤黒く汚れたブランケットを見た宰相は、側近に指示を出し近衛騎士隊長を呼びに行かせた。
「全員下がれ。持ち場に戻りなさい。侍女長とそこのメイドはこの場に残るように。憶測だけであらぬ噂が流れるようであれば、お前たちに処分が下ることを忘れるな。口を噤め」
ドアの外で中を覗き込んでいた使用人たちが、宰相の迫力に押され蜘蛛の子を散らすように離れていった。
「シュライン!」
近衛騎士隊長のサミュエルが駆け込んで来る。
シュラインは大きく息を吐いた。
「やられました」
シュラインの声に、サミュエルはシェリーのベッドに目を向けた。
サミュエルがシュッと息を吞む。
シェリーのベッドの真ん中には、明らかに鋭利な刃物で切り取られたのであろう女性の左手首が、盛り上がったシーツの真ん中に掌を下にして置かれていた。
しかもその薬指には皇太子妃が常につけていた結婚指輪が嵌っている。
アルバートの瞳の色に合わせたサファイアが、血に濡れて黒く見えた。
「噓だろ……」
サミュエルの呟きに答える者はいない。
シュラインがいち早く我に返り言葉を口にした。
「皇太子をすぐに呼び戻せ。ローズ嬢も一緒にだ。すぐに動け」
数人の騎士が駆け出してゆく。
シュラインは残っていた侍女長とメイドの側に行った。
「最初から説明してくれ」
恐怖からか何度も嚙みながらメイドが話し始めた。
黙って聞いていた侍女長がゆっくりと口を開いた。
「私は悲鳴を聞いた使用人からの報告で駆けつけました。この娘が立ち竦んでいたので、皇太子妃殿下のベッドに目を向けると、絨毯に黒いシミがあって……」
「そしてブランケットを捲ったのか」
「はい。もしもまだお休みだったとしたらとんでもない失態ですが、これだけ騒がしいのにピクリとも動かないということは考えにくいので、思い切って捲りました」
「なるほど。そしてあれを見つけたということか」
「はい……宰相閣下、あれは皇太子妃殿下の……」
自分の言葉に慄いた侍女長が胸の前でギュッと手を握った。
「わからない。お前たちはとりあえず持ち場に戻りなさい。誰に何を聞かれてもわからないで通すように。いいね? 侍女長はすぐに王宮医官を呼んでくれ」
二人は急いで部屋を出た。
扉の前に二人、窓の下に二人の近衛騎士を配置したサミュエルが、切り取られていた手首を調べている。
「シェリー妃では無さそうですね」
「ああ、剣タコがある。レモンか?」
「女性には間違いないでしょうが……それにしても惨いことをする」
「左手というのがなんともな。シェリー妃は右利きだったな」
「ええ。間違いありません」
「ということは、何かを書かせる必要があったのだろうか。だから利き手は残した?」
「偶然かもしれませんよ? もしもレモンであれば何らかの応戦はしてでしょうし」
「レモン……だと思うか?」
「どうでしょうか。それにしても切り取った奴はこの手を見れば皇太子妃ではないと判断できたでしょうね」
「ああ、それは同意見だ。しかしなぜ敢えて連れて行ったのだろうか。女生徒はいえ、人間一人を担ぎだして人目に触れないというのは些か不自然だ」
「人がいない時間だったとか?」
二人が話をしていると、王宮医官が到着した。
シュラインが無表情のまま医官に指示を出す。
「人の手首だ。調べてくれ。何かしらの情報が欲しい」
医官が持ってきていた鞄から油紙を出して手首を包んだ。
それをさらに真綿で包み、血で汚れたシーツとブランケットを床に広げ始めた。
数分遅れて二名の医官も到着し、三人で丁寧に痕跡が無いかを調べている。
「髪の毛がありました。恐らく黒髪の男性でしょう。それと……泥ですね。どこの物かは調べないと即答できませんが」
「そうか。引き続き頼む」
シュラインとサミュエルに報告した医官は、小さく頭を下げて作業に戻った。
サミュエルが小さな声で言った。
「近衛第三部隊を呼ぼう。あいつらなら何か掴むだろう」
シュラインがハッとした顔でサミュエルを見た。
「しかし第三は、国王の配下ですよ? 筒抜けになる」
「構わんさ。想定内だろうぜ? せいぜい慌てふためいて見せてやろう」
「無事なら良いのですが……レイバート家には申し訳ないが、これがシェリー妃のものではないことを祈りますよ」
サミュエルはシュラインの言葉に同意しながらも、胸が潰れそうなほどの苦々しさを感じていた。