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美味そうな少女

「肉を入れるなよ」

 山盛りの野菜にカリッカリで旨そうなベーコン、そいつがたっぷりと混ざったサラダの器、そいつをテーブルに放り投げて言った。

「は?」
「肉を入れるなよ。俺はサラダを頼んだんだ、ワインもまだか?」
「別にいいだろそのくらいさ」

 ウェイトレスは……と呼ぶのもムカつく小太りで実に不味そうなババアだが……そいつはそう言い返しやがった。
「今は肉を食べたくないんだ。だから肉を入れるな、入れるならベーコンサラダって名前に変えろ。ワインもまだか?」
「わたしゃ気にしないよ。入れて欲しくないならベーコン抜きサラダってちゃんといいな。ワインは運ばれるのを待ってるよ、あんたが邪魔するから遅れてる」

 ムカつくババアだ。俺は客だぞ?
「ムカつくババアだな、俺は客だ。いいか、か・え・ろ……な?」
 思った事をそのまま口に出しながらそう言ってやったが、ババアは小皿をテーブルに放り投げてきた。そいつが山盛りのベーコンサラダの器にぶつかってガチャリと音を立てる。

「なんだ? この皿はなんだ? おいコラどこに行くっ」
「わたしゃいそがしいんだ、肉が嫌いならそいつに避けて食べな」
ババアはコチラに振り向きもせず立ち去りながらそう言った。

「おい!」
「そんな生意気はツケを払ってからいいなっ」
「俺はツケてなんてねぇぞ! おいっ!」

 この酒場崩れの小汚ねぇレストランの店員はいつもコレだ。店の質も悪けりゃ客の質も当然そうだから、何か揉め事があればツケを払えと脅してやがる。
 それで客が引き下がると思ってやがるんだ。
 金も払わず飲み食いするそんな奴らと俺を一緒にするな、腹が立つ。

 今日は月に一度の特別な日だ、日が落ちて月が昇る頃には両手一杯の肉料理にありつく予定なんだ。
 だから今は前菜の時間でサラダなんだよ、ワインは食前酒って訳だ。
 そんな俺の気もしらずに肉を入れやがって……ただ味に関しては悪くない、俺は山盛りのサラダを半ば平らげてそう思った。

「ねぇルシアン。このサラダしょっぱくありませんこと?」

 隣のテーブルから若い女の声がした、張りがあって可愛げのある実に旨そうな声だ。

「声が大きいよっ。あっちょっと。僕の取り替えても同じだよ……」

 振り返って見て見るとそのテーブルには大人と呼ぶには少々若い男女二人がいた。
 特に女の方は少女といった方が良いだろう、少し地味なのが気になるが5年後には良い女になりそうな整った顔立ちをしている。男の方はそれよりも少し上といった年齢か? まぁ普通の顔だな。
 服の裾から伸びる腕は引き締まっているし所々に傷の様なものが見える、何処の誰だ?
 このちんけな街に住んで長いが見かけない顔だ、この街の匂いも染み付いてないから余所者だな。
 少々若いが夫婦か? いやそうは見えないな……。
 女の方は貴族とまではいかないものの、育ちの良さそうな気がするし、男の方はその逆で体全体から小間使い感を丸出しだ。
 旅行者か? こんな所にゃ何もないぞ。
 まぁ、そんな事はどうでも良いし旅行者なら俺にとって都合が良い……。

 ……さて、どうするかな?

「はいよ、お待たせ」

 ドン。と、テーブルにワインが置かれた。
 余所見をしていた俺は少々驚いたが、驚きを隠すように口を開いた。

「ワイン一つ運ぶのにどんだけかかるんだ。腹に余計な荷物を抱えてるからか? あっ? なんだ?」
「……はぁ、呆れたねぇ……」
 ババアは俺のテーブルを見ながら言った。
「はぁ? 何がだ?」
 ババアは一瞥をくれるとスタスタと去っていった。

「あ、おい?なんなんだよ?!」
 何なんだあのババアは? ババアが過ぎて更年期障害を拗らせたか?

「……ちっ、おっとそんな事より」
 俺の今の興味は隣のテーブルに向いている。
 こんな時期に若い女。男の方はオマケだが、若いってんだからそれだけで十分だ。
 上手く騙せりゃ美味い飯にありつけそうだ。
 さてと……どんな手で行くか……だが……つってもまぁ……最後の流れは全部一緒だ。
 面倒くせぇのが最初の一手、小物を使ってシンプルに行くか。
 空になったサラダの器の隣に置かれたフォークを右手の横っ面で少しずつ押し出す。
 ズリズリとテーブルの端にまで滑ったフォークは、やがてグラッとバランスを崩してテーブルから落下を始める、その瞬間に隣のテーブル付近まで上手く誘導するように、右手をスッと払ってやった。

 カチャカチャカチャーン。

 俺のフォーク落としの腕は一級品だ。くるくると回転しながらフォークは少女の足元に向かっていった。
 膝丈のスカートから伸びる少女の脚は白く実に健康的である。少々細いのは気になるが質は悪く無さそうだ。

「おっーとっとっとぉ! フォーク落としちまった! 何処だ何処だ? おーっとソコにあったかぁ!」
 偶然は装うが少々わざとらしい位が丁度いい。主導権を握るのがコツだからな。
 少女の足元にあるフォークを拾うついでにクンクンと鼻をならす。
 木製の床のカビ臭さ、安物の酒の匂い、昼間っから酒を飲むこの街のアホ共の匂いが邪魔をしたが、その中に混じる良い匂い。

「……香水は使ってない。乙女の匂いだ……熟成前のワイン……いやこいつは……」
 大地に根強いて収穫を待つ新鮮で極上な果実の香り、それも大事に大事に育てられた温室育ちの未熟の果実。
 もぎ取るのはまだ早い、収穫には青すぎるっ! だが、俺にとってはそうじゃねぇ!

「いかがなさいましたの?」
「はっ……」

 我を忘れてしまっていた。そんな俺に怪訝そうに少女が話しかけてきた。

「……も、も、もーしわけないっ! いや手を滑らしちまってコイツがお嬢さんの足元にね。おや、おや? この辺りじゃ見掛けない顔ですねっ!」
 男女は四人掛けのテーブルに向かい合わせに座っている。俺は空いていた二つの椅子の、男の隣の方にドカっと座った。

「……?」
 女は明らかに戸惑った顔をしている、男の方もおそらくそんな感じだろう。少し強引だったか?
 構わん、文字通り対話のテーブルに着く。それが肝心なんだ。
 何も胡散臭い商品を売りつける訳でもない、善良な一般市民のフリをして何気ない会話、そこから自然な流れでこの街の名所などを幾つか教えるだけだ。
 ついでに俺の狩場も……な。

「何か御用ですの?」
「おっとこれは失礼っ! 私はピエールという者ですがね。お二人は観光でこの街に?」
 まぁ、偽名なんだがな……女は一寸考えて応えた。

「いいえ、私達はじ……」
「はいっ! 僕達は観光でこの街に来ました。ですよね! お穣さ……リゼットっ!」
 リゼットと呼ばれる女の言葉を遮って男が言った。
 それが不服だったのか、リゼットは半目でじとりと男を見つめていやがる。

「まぁ、そうですね。そういう事ですわ」
 どういう事だ?
 ははぁん……訳有りだなコイツら。
 ただ、そこをつつくのは野暮ってもんだ、薮蛇になっても困るしな。
 何よりこいつら駆け落ちだろうが、犯罪者だろうが、そんな事ぁ、俺にとってはどっちでも良い。
 気づかぬフリをしておいて話を続ける事にした。

「へぇ、そうですかいっ! ソイツは有りがてぇ。なに、私はね、この街の生まれなんですが。ほら何もない所でしょ?
 観光に来てくださるなんてぇ、感激だ」
「ええ、確かに何もない辺ぴな……」
「そんな事ないですよ~、のどかで良い所じゃないですか! あはははは!」
 またも男がリゼットの言葉を遮り応えた。
 それでこの二人の主従関係がハッキリと見えてくる。
 身なりの差からも想像できるが、女が主人、男は尻に引かれる使用人? 下僕? まぁそんな所だろう。
 なにせリゼットに気を使っているのが丸解りだし、善良な街の人間である俺をガッカリさせない様に配慮してもいる。
 悪い奴ではなさそうだが……。
 俺は女と同じくここはつまらん街だと思っているし、住民はアホしかいないクソみたいな街だとすら思う。
 まぁ、そのおかげで俺は不自由なく飯にありつける訳だから、ここを捨てて出て行こうなどとは考えないが。

 さて……この二人の主導権がリゼットにあるというのなら、ソチラに取り入るのが肝心だ。世辞の一つでも言ってやろうとリゼットの顔を見つめる。
 この場所を辺ぴだと言う割には、地味な顔立ちでいかにもな田舎娘に見えるが……何故だろう……な。
 むしゃぶりつきたくなる様な魅力に満ちている。
 女は若ければ若い程良いとは言え、リゼットは若い女というより……まるっきり少女だ。
 俺に少女趣味は無いし、むしゃぶりつくならムチムチの太股が良いに決まっている、コイツの身体はガリガリとは言わないが細身だし、背丈も歳相応から更に低く小柄だ。
 胸なんて、申し訳程度にしかなさげで……将来性も無かろう。
 だが、なんなんだ? この身体の内から湧き上がる衝動は……。
 今夜は満月だ……だが、夜にはまだ早い……。

「なんですの? 何か気になる事でも御座いまして?」
 俺は……ハッと我に帰った。

「……リゼット……」
「お黙りルシアン」
 何かを言おうとした男……ルシアンという名前らしい。そいつのセリフを今度はリゼットが遮った。

「気分が優れませんの? 身体が震えてますわよ? それに……すごい汗」
 確かに俺の身体は震えて、額には汗が浮かぶ。
 ……なんというか……酷く興奮している。

「いやいや、そんな事ありませんよマドモワゼル。こんなにお美しい方を見るのは久しぶりなんで緊張しちまって」
「まぁまぁそんな美しいだなんて!」
 咄嗟の事で捻りも何もない世辞を言ってしまったが、リゼットは大げさに喜んだ。
 動作は大きいが表情が笑っていないのが少し気になる。
 が……まぁ気のせいだろう。
 年頃の娘なんて花よ蝶よと言ってれば喜ぶもんだろ? ……チョロいもんだ。

「ピエールさんと仰ったかしら?」
 少女が俺の偽名を呼ぶ。
「ええ。私の様な者にさんは必要ありませんよ。どうぞピエールと呼んでくだされば」
「ではピエール。ワタクシ達は観光なのですが、人も探しておりまして……」
 リゼットは肩から腰にぶら下げている小物入れをごそごそと物色した。
「人探しですかい?」
「そうですの、この方なんですが……」
 そういうと一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に差し出した。
 それには一人の男の似顔絵が書かれていた。
 達者な絵とはいえないが均整の取れた綺麗な顔だちは伝わってくる、歳の頃は……そうだな二十代って所か。
 ただ、見覚えのある顔ではない。

「グリフという名前ですの」
「グリフ……ああ、確かこの街にはその名前の男が二人程いますぜ」
「まぁ、本当ですの⁉」
「一人はダニエルの所に最近生まれた男の子でね。コイツがまぁ豚みたいな顔しててね、俺は言ってやったんですよ。お前は嫁さんとじゃなくて、豚とシタのか? それとも嫁さんが豚とシタのか? ってね、はっはっはっは」
 リゼットはルシアンにしたような、ジトリとした目つきで俺を見た。
 おっと……お気に召さなかったようだ、俺は面白いジョークだと思ったんだが……。

「それでもう一人の方は……?」
「もう一人は……五十を過ぎた男で死んで土の中です。知り合いだったんでね、俺が骨を埋めてやりました」
「そうですの……」
 リゼットはションボリとした表情で、羊皮紙を小物入れにしまった。
 その表情を見て俺の興奮が更に増し、心臓がドクンドクンと波打つのが解る。
 限界が近いのを感じた。
 このままではまずい、速めに本題に入るべきだ。

「お二人の今夜の宿はここなんですかい?」
 トントンとテーブルを叩いて言った。このレストランは元々は酒場で二階部分には簡素な宿泊部屋も備えてあった。
 汚ねぇ鼠が這い回る陰気な宿だが、この小さな街では上等な部類に入る方だった。

「……え~っと……それは」
 ルシアンが一瞬口を開いたが、答える気はなさげだった。
 しかし、すぐさまリゼットが口を開いた。

「そうですの。二階の一番奥の部屋を取ってありますわ」
「……ちょ、おじょ……ア、痛い!」

 ゴン。

 テーブルの下から鈍い音が聞こえて来た。何かあったのか?
 どうでもいいか……俺には今そんな事に構っている暇がないので続けた。

「へぇ……! お二人は夫婦なんですかいっ?」
 男女が一つの部屋だけを取る、という事はそうなんだろう。
 まぁ違う事は予想できるが万が一って事もありえる、それにそうであってもそうでなくても若い男女だしな…。
 一応、必要な情報として聞いて置きたかった。 

「違いますわよっ!」
 ばぁん!とリゼットはテーブルを両手で叩いて立ち上がった。顔が赤みがかっているのは気のせいか。

「……ち、違います……。僕らは……姉弟……そう姉弟です」
 ルシアンがそう言ったが、そのセリフは俺にではなく、リゼットをなだめる様に言っている様に感じられた。

「ですわ……! そうそう兄妹ですの~」
 立ち上がったままのリゼットもそう言うが動揺している様だ。
「座りなよ、リゼット姉さん。はははは」
「そうしますわっ、ルシアン兄さん。うふふふ」
 俺は思わず言った。
「……えっ、兄? 姉?」
 ガツン。今度はテーブル下ではなく目の前でルシアンが肩を殴られた。
 彼は声もでない程痛いのか肩を抑えて体を屈めた。

「お兄様の方が二つも上ですわよ、お忘れですの。ワタクシ嫌になりますわ。忘れっぽくてっ、ふふふ」
 ルシアンは肩を抑えたままコクコクと頷いた。

 ……。
 …………。
 ……………………なんだこの茶番は。

 この二人が兄妹でない他人同士なのは明らかだが、初めから訳ありだと解ってはいたし。まぁ、気にする事はないのだが……。
 それよりも、もう限界だ……!
 この女を目の前にしていると理性の鎖が断ち切られそうなんだ……。
 いつもの様に、俺の都合良い場所に誘い出してから……そう考えていたが、この二人の今夜の所在は解ったのだから。
 それで、構わない。
「お二人さん、すみません。この街の案内してあげたかったのですがね……急用を思い出しちゃってっ」
 そう言って立ち上がり足早に去ろうとしたが、驚いた事にリゼットが俺の腕を掴んだ。

「えっ⁉」
 咄嗟の事に驚き振り替えってリゼットの顔を確かめると……笑っている。
 その笑顔の意味は解らなかったが、掴まれた腕の辺りから熱いものが込み上げてきた。
 心臓から腕に送られる血流が逆流して、胸を破裂させるかの様に、得体の知れない衝動が駆け上がってくる。
 まるで導火線だ、炸薬に達すれば俺の理性は破裂する!

「すまない! 急ぐんだっ!」
 俺はリゼットの手を乱暴に振りほどくと駆け出していた。
 そして、今宵は忘れられない一日になる、そんな気がして、顔がひしゃげるような笑いを堪える事が出来なかった。
 俺は走った、街の隅に在る粗末な我が家に向かって。
 興奮は歓喜に変わり、その喜びを言葉に表せずにはいられなかった。

「ああ待ち遠しいっ! リゼットっ! オマエは何者だっ? 俺はもうそれを聞く事ができなくなるぞっ! 残念だっ! 実に残念だっ!」
 心が踊り周りの景色すら目に入らない、だから、俺は気づかなかった。

 二人の眼差しに。

 獲物を見据える狩人の眼差しに。

しおり