第177話 囚われの王女
「くっ……あっ……はぁっ、はっ」
ようやく、全身が張り裂けそうなくらいの激痛が落ち着いてきた。
薬の投与された薬が体に吸収されて、抜け始めているのかもしれない。
重厚な扉で閉じられた地下牢なような場所で、冷たくて硬い床の上で私は静かに縮こまっていた。
外の世界と隔離されたような小さな部屋の中で、私は文字通りの実験体として扱われていた。
最低限の食事と、決まった時間にされる注射。それ以外の時間は何もすることがない。ただ実験を受けるためだけの生活。
実験を重ねる度に体が悲鳴を上げて、その悲鳴が確実に死に近づいていることを教えてくれる。
少し前まで、この国の王女として扱われていたことは夢だったのではないか? そんなことを最近は本気で思い始めていた。
「……このまま、死ぬんだろうなぁ」
肉体が先か、精神が先か、はたまた両方一気に逝くのか。
動物として死ぬのか、人間として死ぬのか……まぁ、どうせ死ぬんだし、どっちでも同じか。
助けを呼んだりはしなくなっていた。とっくの昔に諦めていたからだ。
この扉は防音がしっかりしているせいか、どれだけ叫んでも誰も助けに来ない。
うるさいと怒鳴られることすらないのだ。私の声は外の世界には届くことはない。
そんな隔離されている世界で、諦めたと思っていた。それのに、いよいよ死が迫ってくると、本能的に助けを求めてしまうらしい。
「……助けて」
喉がきゅっと締まって、頬には何かが伝っていた。
私はそれを拭うこともしないで、何かに縋るように声を漏らしていた。
「助けてよ……誰か、助けて」
堰を切ったように溢れだす言葉が、感情が止められなくなって、人に見せることができないくらいみっともない顔で、私は叫んでいた。
「助けて!! ぐすっ、だれかぁ……助けてよぉ!!!」
どれだけ言葉をぶつけても、感情をぶつけても返ってくるのは、響いた自分の声だけ。誰も私の声には返答してくれないし、気づきもしない。
隔離された部屋で、隔離された世界で私は死ぬのだ。
それを無理やり再確認させられて、心の中の何かがぼきっとーー
「お迎えに上がりましたよ、サラ王女」
「…………え?」
ぼきっと折れる寸前で、私の隔離された世界に知らない声が届けられた。
涙でぼやけている視界の先に、ボロボロになった男女の二人組と、ワンちゃんがいた。
私は鼻を啜りながら、私の世界に訪れた来訪者に視線を向けていた。
男の人の方は特にボロボロで、隣の女の人に肩を借りてなんとか歩いているという様子。
突然現れた来訪者を前に、私はしばらく言葉を失っていた。
「……あれ? もしかして、人違いか? まって。俺、結構格好つけた気がしたんだけど」
「人違いってことはないと思いますけど……えっと、サラ王女でよかったですかね?」
救世主のように登場したくせに、なんだか気が抜けるような会話をしている二人。
色々と面を食らってしまい、気がつけば流していたはずの涙は止まっていた。
「そう、ですけど」
なんとか声を絞り出すと、二人は安堵のため息をついた後に優しい笑みを向けてきた。そのあと、男の人は隣の女の人に向けて失笑を浮かべていた。
「危なかった。あれだけ恰好つけておいて、違う人だったら、さすがに恥ずかしいしな」
「アイクさん、最近格好つけすぎです。……まぁ、それも嫌じゃありませんけど」
二人は家で日常会話でもするかのようなテンションで、そんな会話をしていた。
その雰囲気に呑まれそうになりながら、私は説明を要求するように言葉を漏らした。
「えっと……」
「そうだった。それじゃあ、帰りますかサラ王女」
ずっと隔離されていた世界にいた私の元に、突然やってきた救世主。
なんでもないような口調で、当たり前みたいな顔で向けられた笑み。
「あっ……」
そんな表情と短い言葉から、私はこの人たちに助けてもらえるのだということを理解した。
突然現れた救世主によって、私の隔離されていた世界が崩れていく音が聞こえた気がした。
そして、それと同時に何かが決壊したように涙が零れだした。
助けを求めて、縋って泣いていた時とは違う涙。仄かに温かさを感じるようなそれは、さっきまでいた世界で泣いていたものとは確実に違っていた。
心の奥が温かくなる。涙を流せば流すほど心が軽くなっていくのを感じた。
私の世界が変わっていく。元にいた世界に戻るようで、別の世界に歩みを踏み出すようで。
涙を流しながら一瞬見えた世界は、前に見たことのある景色よりも微かに色付きが華やかなものになっていた気がした。
それが何でなのかは分からない。分からなくてもいいと思った。
「お名前を、お聞きしてもいいですか?」
しばらくして少しだけ落ち着いてから、私は顔を上げてそんな言葉を口にしていた。
「俺たちですか? 俺はーー」
優しい顔をしている救世主の言葉を、表情を私は胸にしっかりと刻み込んだ。
そして、私の前に現れた救世主様のことを、私は一生忘れることがないのだと確信した。
胸の鼓動がそう知らせてきた。……そんな気がした。