第141話 終演
かつーんと何かが落ちる音がした。
その音をする方に視線を向けてみると、そこにはいつの日か見たことがあるような仮面が落ちていた。
あれ? なんでこの仮面がここに……いや、この模様の仮面は初めて見るな。
前にワルド王国で買った仮面は、ここまで奇妙な感じの物ではなかったよな?
昔買った仮面の模様を思い出そうとして、少しだけその仮面から視線を外すと、そこにあったはずの仮面がなくなっていた。
「あれ? 消えーーうおっと」
そして、俺は急にガクッと脚の力がなくなって、その場に尻餅をついてしまった。
尻を地面に叩きつけた鈍い音が響いて、その痛みに顔を歪ませていると、視線の先には数人倒れている人たちがいた。
何事かと思って近づこうとしたところで、こちらに向けられている顔を見て思い出した。
今がイリスの警護中であること、イリスを狙った裏傭兵団を相手にしていたこと。
そして、【クラウン】のスキルを使用したこと。
【クラウン】。体を一時的にクラウンに差し出して、道化師らしく敵を抹殺するスキル。
スキルの内容が内容だけに、ずっと使うことを躊躇っていた能力だった。
いや、そもそもそのクラウンって何者だよ、とかツッコミどころはあるんだけどな。
いつも道化師のスキルの使い方に困ったとき、俺に適切なスキルを教えてくれる脳内にいるもう一人の人格のようなもの。
もしかしたら、それがクラウンというものなのかもしれない。そんなことを少し考えてみたりもした。
……いや、ただの推測でしかないのだけれどな。
騎士団たちを避難させた理由も、このスキルを使ったら敵味方の判断ができるか怪しいと思ったからだった。
足手まといとか以前に、俺が殺してしまう可能性があったから避難をしてもらった。
さすがに、面と向かって、そんなことを口にはできなかったけど。
だって、『なんか殺しちゃうかもしれないから、避難してください』なんて言われたら、なんか怖いだろ。
不安だった素の巣きりだったが、目の前の光景を見る限り、どうやらスキルを使って敵を倒すことはできたらしい。
どうやって倒したのかも覚えてないし、体力と魔力を使い切ったように体に力は入らないのが気がかりではあるけど。
「あの、も、もう平気でしょうか?」
俺がしばらくその場に腰を下ろしていると、遠慮気味に別荘の扉が開けられた。
顔だけそちらに向けて見ると、そこには俺の指示で引っ込んでくれていた騎士団の姿があった。
微かに不安そうな顔をしていたが、視線の先を俺から倒れている傭兵団たちの方に向けると、その顔の色を変えた。
驚いているというよりは、何が起きているのか理解が追い付かないと言った様子の表情。
まぁ、そんな顔にもなるか。
さっきまで明らかに劣勢で戦っていたというのに、その相手がなぎ倒されている訳だしな。
「大丈夫ですよ。裏傭兵団はやっつけましたから」
俺のその声を聞いて勝利を確信したのか、徐々にざわつきが大きくなっていき、歓声のような声が屋敷の外に響き渡った。
俺を称賛するような声に包まれているのに、ろくに一人で立つこともできなくなった不甲斐なさに、俺は少しの失笑を浮かべていた。
「あれ? 隊長は?」
ふと何かに気づいたように騎士団の誰かがそんな言葉を漏らしていた。
俺はその声を受けて、そっと視線の先をイリスがいる部屋の方へと向けたのだった。
「バケモノがっ!」
何なんだあいつは! ただの冒険者って話じゃなかったのかよ! なんで裏傭兵団を一蹴してんだよ! 聞いていた話と違うぞ!
そもそも、あいつの連れだっておかしいだろ! 結界魔法って何なんだよ! ふざけてんのか!
俺は屋敷の庭に倒れている裏傭兵団の連中を見るなり、屋敷の中に走って戻っていた。
任務の失敗は許されない。
寄せ集めた盗賊たちは別にいいが、裏傭兵団まで捕まってしまっては、これ以上作戦を続けることはできない。
それなら、俺が何とかするしかない。
「レノン、どうしたのですか?」
「はぁ、はぁ、ハンスさん」
そう思って急いで階段を駆け上がり、エリスの部屋の前まで向かっていくと、そこにはハンスの姿があった。
無理やり押し切ってもいいが、ハンスは執事のくせに以上に腕が立つ。どんな経緯で執事になったのかは不明だが、下手に刺激をするとこちらが返り討ちに遭うだろう。
「アイクさんが意識を失っています! リリさんに知らせなければと思い、急いでここまで来ました!」
「アイクさんがですか? 分かりました、リリさんにお知らせいたします」
「ハンスさん、通してください! 急ぎです!」
「レノン!」
何とか押し切る形でエリスの部屋の扉を開けると、そこには寝間着姿のエリスと、その隣に座っているあいつの仲間たちの姿があった。
俺が急に入ってきたことに驚いているようだが、警戒している様子はない。
今なら、俺がエリスを攫うこともできるはずだ。
「リリさん! アイクさんが意識を失っています! すぐに一緒に来てください!」
俺はそのまま勢いに任せるようにエリスの部屋に足を踏み入れた。
俺の言葉を受けて、エリスの隣にいるあいつの仲間がぽろっと言葉を漏らしていた。
「アイクさんがですか?」
「はい! なので、今すぐリリさんに来てもらいたくーー」
順調に距離を縮めることができている。あと一歩踏み出した瞬間、エリスの腕を掴んでこちらに引き寄せてしまえば問題ない。
そして、そのままエリスに剣を突きつけて脅しながら、この場を去ってしまえばいいんだ。
そう思って一歩踏み込んだ瞬間、俺は可能な限りのスキルを全て発動させて、一気にエリスに手を伸ばした。
「痛ぁっ!」
しかし、手を伸ばしたところで、何かに衝突してその腕が弾かれた。
何もないと思って全力で突っ込んでしまっただけあって、全ての指が突き指にでもなったかのように変な方向に曲げられてしまった。
「くっ、このっ!」
やり場のない怒りをそのままぶつけてしまおうと、俺は腰に下げている刀に手をかけた。そして、柄の部分を握りしめて、それを引き抜こうとーー
「ぬ、抜けない?!」
引き抜こうとしたところで、その刀が抜けなくなっていた。
いくら力を入れても、腰に下げている刀を鞘から引き抜くことができないでいた。
刀が錆びついたように鞘から引き抜くことができず、いつまで経ってもガチャガチャ音がするだけだった。
見えない何かに塞き止められているようで、まるでびくともしない。
「そんな物騒な物、ここで抜かないでください」
その声の主に顔を向けると、そいつはまるで何事も起きていないかのような変わらない顔つきで俺のことを見ていた。
ベッドから立ち上がりもせずに、エリスの隣に腰かけた状態で。
何かをされているのは分かっているのに、それが何なのかがまるで分からない。
圧倒的な力の差。どうすることもできなくなった俺は、その感情をただ目の前のそいつにぶつけた。
「このっ! バケモノどもがっ!」
「いえ……私達以上の結構なバケモノさんが、すぐそこに」
「は?」
そいつが俺の後方を指さしていたので、それに釣られるように振り向くと、そこには鬼の形相をしているハンスの姿があった。
高い位置で握られた拳は俺がハンスを視線で捉えた瞬間、俺の顔面を潰すようにして振り下ろされた。
……本当に、なんでこの人執事なんかやってんだよ。
遠のいていく意識の中で、追撃をしてこようとしているハンスの握り拳の映像を最後に、俺の意識は途切れたのだった。