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集結

 「見て!あれヤドカリじゃない?」
 「え、ほんとじゃん!湘南にもいるんだ。」彼が答える。
 鎌倉で食べ歩きをしてから訪れた鵠沼海岸は、橙に染まり始めていた。
 「なんか、でかくね?」
 近くで見てみるとそのヤドカリは、彼女の足くらいのサイズがあった。彼はそれを手に取り、一通り観察してから彼女の顔に突き付けた。彼女は驚き、彼のことを強くはたいた。ヤドカリは何とか彼の手のひらに足場を見つけようと必死である。
 「ねぇ、水族館行かない?まだ開いてるよね。」
 江の島水族館は午後四時まで入館可能だ。
 「ギリギリだ。急ごう!」
 二人は潮風の吹く道を、手を繋いで走った。



 都内某所。二十三区からはぶられた多摩地区の中において、ほとんど唯一の希望ともいえるこの街。駅前の居酒屋で、一人の女子大学生が酒を嗜んでいる。他の客の目には異様に映る光景であろう。しかし彼女にとっては珍しいことではない。大衆居酒屋こそ初めてであったが、一人で飲みに出かけること自体は彼女にとって自然な習慣の一つだった。人混みが苦手なのでこのような店を今まで避けていたのだが、幸いこの居酒屋はかなり空いている。平日のまだ午後五時とはいえ空きすぎではないだろうか。これで希望とは、多摩地区は自分の思っている以上にオワコンのようだ、と彼女は思った。
 一週間前にシルバーに染めたショートヘアは色落ちが激しく、ほとんど金髪になっていた。色白な顔には大きな二重の目が目立っており、低い身長分成長した胸は、ぴったりとした緑のニットによってさらに強調されている。少し潰れた鼻と比較的多いほくろがコンプレックスではあるが、些細な問題だった。毎朝鏡を見るたびに自殺の選択肢が浮かぶような、全国の女性を敵に回してしまう。左の目元と、口元に二つあるほくろに関しては、むしろ彼女の魅力をさらに際だたせてすらいた。彼女は紛れもなく美人である。その淡麗な容姿と、子役の経験を活かして今は芸能事務所に所属している。
 そんな美貌の持ち主を、先ほどからチラチラ見ている学生バイトがいる。彼はこう思っていた。「あんなにかわいい人がこんなところで一人飲みなんて、もったいないもんだな。なんなら俺がナンパしちゃうか。」同じようなことを考えている男がもう一名。彼の向かいに座る恋人は、彼の視線がこちらを向いていないことに不満げである。
 彼らの心配と欲望は的外れであった。彼女はこの店で人を待っているのだ。あと二時間もすればこの卓は六人の女子大学生でいっぱいになり、広いお座敷へと移動せざるを得なくなるだろう。集合時間は午後六時であったが、彼女、華は一時間ほど早く店に入っていた。引きこもり気質なのに外出の予定がある日はじっとしていられない、という華の性格が起因している。
 他の五人と華は初対面であり、どうやら六人全員が全く互いに互いのことを知らないようだった。しかし、彼女達にはある共通点がある。

 一人で飲み始めてから三十分が過ぎたころ、「駅着きました!誰かいる?」とグループにメッセージがきたので、華は「私もう店で飲み始めちゃってます笑」と返信した。すぐに何人かからの「はや!笑笑」「ひとりで⁉」といったレスポンスが届く。
 三十分前行動の女性は「おぉ!じゃ向かうね!」と返事をし、マップアプリを開いて華の待つ居酒屋へと向かった。他のメンツは時間ちょうどくらいが二名、「ごめんなさい!私ちょっと遅れます」というメッセージに加えて汗マークと土下座した男のマークが一名、事前に一時間ほど遅れるという連絡を入れておいた者一名だ。
 沖田日和は、大学の授業を受け終えてそのまま集合場所の駅に向かったため、三十分ほど早く着くことになった。彼女は現在大学四年生で、春学期中に就活も終わり卒業要件も卒論以外は既に満たしているため、最後の学生生活を優雅に過ごしている。今日も特に取る必要のない授業を、面白そうだからという理由で受講しにキャンパスまで来ていたのだった。
 沖田と白井未央奈を除く四名は全員同じ大学に通っており、「彼」もまた、その大学の二年生である。大学以前の彼のことを知っているのは沖田だけだった。そんなこともあり、彼女は今回の飲み会に一抹の不安を覚えている。
 そもそも今日の集まりに関して全面的に乗り気な人間はほとんどいない。多く見積もってせいぜい六人中二人くらいのものだ。「少し面白そうだから。」ほんの少しの好奇心と日々の退屈さが、ギリギリ彼女たちをこの居酒屋へと向かわせていた。
 沖田は別れてからの彼の情報をほとんど持っていないため、五人からの情報に淡い期待を寄せてもいた。連絡も取らず、インスタグラムのフォローも外されてしまった。サブアカウントの相互フォローを外したのは沖田の方からだったが、なにもメインアカウントまでお互い見れなくする必要はないではないか。沖田の誕生日にも、彼からの連絡はなかった。
 指定された居酒屋に入ると、沖田はすぐに中を見回した。店は空いていたので一人で飲んでいる女の子を見つけるのは難しくなかった。
 沖田はその女性が座っている席へと歩きながら、その美貌に驚いた。「とっても綺麗。」彼女は素直にそう思いながら、心臓を抉られるような痛みを感じた。そこに空いてしまった穴はとっくに埋めたはずだったのに、古傷がまた疼き出している。この場所に来てしまったからには覚悟していたことだったが、これほどの美人がこれからさらに集まるのかと考えると、後悔しないわけにはいかなかった。
 華は二杯目のハイボールを片手に、考えごとに耽っていた。瞼が重くなり、瞳が光を失う。こうしてシャットダウンしてしまうことは日に何度かある。悩みが多く、余裕がない。近くで女性の声がしたので、彼女はその真っ暗な思考から頭を引っこ抜いた。目の前にはいつのまにか綺麗な女性が立っている。
 「華さん?」遠慮がちな笑みでそう尋ねる女性に肯定の返事をすると、笑顔はすぐに親しみのあるものに変わった。「よかった。違ったらどうしようかと思った。初めまして、沖田日和です。」
 この人が。まだ微かに残る黒い思考の残滓を瞬きで振り払いながら、華は沖田の全身を見回した。まず際立つのは一対の目だ。華と同様二重で、右目の方は三重にも四重にも見える。華よりもさらに顔が小さいため、目の大きさがより印象的である。鼻が高くしっかりとした眉毛が前髪から見え隠れしており、西洋風の顔立ちとも言える。茶色がかった髪は後ろに束ねられ、白いブラウスに花柄のスカートを履いている。爪には色がなく、右の薬指にリングを一つ、左の手首に小さな時計をつけている。控えめではあるが清潔にまとまった服装だ。まさに初恋の女といったところか。既に好印象を抱いている華は、心の中でニヤリと笑った。あいつめ、確かに逃した魚は大きいな。
 沖田日和は、軽い会話を交わしている間も華の美しさに驚き続けていた。カラコンまでつけたばっちり化粧に金髪。艶のあるネイルにパンツスタイル。傍にはピカピカの黒いバッグ。耳には三つもイヤーカフが付いている。なにより、ニットからはち切れそうなほど豊満な胸が、彼女のコンプレックスを刺激し続けていた。外見だけを見ると沖田とは真逆のタイプだ。こんな美人を捕まえて…。行き場のない、抱く資格のない感情を抱え、脳内の彼女は下唇を突き出していた。
 お互いにその容姿を讃え合う時間が数分続いた。女子同士、加えて初対面なら建前として恒例の雪解けタイムである。が、今回に限っては二人とも本心だった。
 「華さんは、〇〇大学だよね?」店員への注文を終えた沖田が尋ねる。
 「華、でいいですよ。はい、二年生です。沖田さんはどこ大なんですか?」
 「△△大学。私も下の名前で呼んでほしい、華ちゃん。」沖田が首を傾け華に微笑みかける。
 「でも歳上だし学年も上なんで…。」グラスに口をつけて照れをごまかす。
 「今日はそういうの関係なし。あと敬語もなしにしよ、ね?」沖田の慣れた優しさに、華は気圧されてしまう。
 「じゃあ…。わかった日和、ありがとう。」
 満足そうににっこり笑う沖田のその顔はとても可愛らしかった。まだ数分しか話していないのに、彼がこの子を好きになった理由が大体わかった気がした。


 この居酒屋には監視カメラが死角なく配置されている。当然のことだ。そんなカメラの映像をリアルタイムで監視している者が二人いる。おかしなことに、両名共に男子大学生だ。
 「もう俺、心臓痛いんだけど。」
 そう言って目を閉じ深くため息をつくこの男こそ、今回集まる六名を結ぶ唯一のピースである。
彼女たちはみな、彼と多少なりとも面識があるという点で一致している。
 「まあまあ。こうやってさ、久しぶりに二人で飲めてるわけだしいいじゃない。お前だって結構乗り気だっただろ?」
 無理やり彼と肩を組もうとするこの男は、彼の友人の松本である。大学こそ違うものの、高校時代から仲の良い彼の無二の親友だ。前に二人で飲んでから一週間も経っていない。
 彼らがいるのは六人と全く別の居酒屋であり、二人の座るテーブルに設置されたタブレットには華と沖田のぎこちない会話が映し出されている。どうやら盗聴器まで仕掛けられているようで、声も筒抜けだ(すべてのテーブルに設置されているらしく、聞こうと思えば他の卓の聞くに絶えない中身など皆無の会話も盗聴することができた)。映像の方も監視カメラのほかに、いくつか視点の切り替えが可能になっている。随分と手の込んだ犯罪だ。
 『沖田日和、白井未央奈、暮田華菜子、秋川リサ、新島凛、伊波明璃、以上六名の飲み会の様子をお見せしたくご連絡させていただきました。十日後、××駅前の□□という居酒屋までいらしてください。』という内容の郵便をもらった時、彼は一体誰のいたずらかと初めは怒りを覚えたのだが、同じ内容の手紙を松本も受け取っていたと知り、その感情は恐怖一色となった。
 それでも彼がここまで足を運んで来てしまった理由は、最終的に好奇心が恐怖心を塗りつぶしてしまったからだ。今では連絡のつかない人達も含まれている。彼女たちが今どんな様子なのか、気になってしまったのだ。
 自分と同じ店で六人が飲んでいるのだとしたらすぐに帰ろうと考えていたが、杞憂であった。
 「にしても日和さん相変わらずかわいいなぁ。もう一人の方もめっちゃ美人やん。あれがあれだろ?うつ病の人。そりゃ好きになるわ。」
 フライドポテトをほおばりながらへらへらする松本に、笑い事じゃねえよと一瞥をくれる。六人の中で彼が最も気になっていた二人が早々に現れたのだ。最も気になっていたとは、最も好きだったと同義である。
 全く別の場所で全く別の愛し方をした二人が話している様子を眺めるのは、不思議な気持ちであるのと同時に想像以上の痛みを彼に与えた。一度好きになった女のことは別れてからも好きというタイプの男である。
 特に彼を何とも言えないノスタルジーの世界へと引き込んでいったのは、沖田日和であった。


 華は既に三杯目のハイボールに口をつけ始めており、酔いも程よく回りだしていた。今日はおそらく飲まなければやっていられないだろう、と覚悟を決めてきていた。
 「日和さんがあれだよね?あいつと高校の頃から付き合ってたって人だよね?」
 沖田はレモンサワーを吹き出しかけた。
 「っ…、もうその話する?」
 もう少し場が温まってからようやく話し出せると考えていた彼の名が、突然耳に入ってきたことに沖田は動揺した。華は沖田の質問に苦笑いを浮かべることで回答し、沖田はそこから「だってそれくらいしか話すことないじゃん。」という気まずさを感じ取った。一気にレモンサワーを飲み干す。観念して私も早いとこ酔いを回すしかなさそうだ。


 「ぶっこむねえ華さん。あんな感じなんだ。いいじゃんいいじゃん。」
 松本は二皿目のフライドポテトをつまみに三杯目のビールを煽っている。とりあえずビール、次もその次もビール。だからそんなに太ってしまうのだ。顔はいいのに。
 「あんなんじゃないよほんとは。無理してんだよ、多分ね。」
 彼もまた観念して酔っ払うことに決めたようだった。ハイボールを空け、梅酒のロックへと手を伸ばす。
 華は完璧なペルソナを持っている。彼女とバンドサークルの新歓に行ったとき、確信したことだ。
 彼女の容姿に魅せられた男たちはもちろん、女性陣ともかなり打ち解けているように見えた。飲みゲーや卑猥な会話が飛び交う○○大のサークルという魔境は、間違いなく彼女に合わないだろうと危惧していたのだが、そう感じていたのは彼だけのようだった。
 しかし帰りの電車で「楽しそうだったね」と声をかけると、彼女はキレ気味にそれを否定した。全然楽しくない。しんどい。みんないい人なんだろうけど、うちはきつい。その言葉に面食らってしまった彼の顔を見て彼女は笑った。「うち一応俳優だから。ずっと演技してんのよ。」
 確か「生き辛そうだね。」と返しただろうか。「お前にもわからないのは意外だったな。」と言われて、焦った記憶が彼の脳裏に焼き付いていた。
 「おー、彼氏面やん。付き合ってもないのに。」
 横目で松本を睨みつける。こいつもうキマリ始めてるじゃないか。優しくて気のいいやつなのだが、酒が入ると一気に空気も読めず口も悪くなってしまうところが松本の欠点だ。一方で罵倒や痛みにすら鈍くなり記憶も飛ばしてくれるので、素面の時よりもさらに気を使う必要がなくなる。友達に対しても顔色を窺う癖のある彼にとっては、最も重要視すべき親友の条件だ。流石に顔に出しすぎたようで、自分の口が制御できていないことに松本が気づく。とはいえ謝ることはない。
 「だって付き合ってないんだろ?ほんとのことじゃん。」
 酔った松本は絶対に自分の非を認めない。内に秘めた高すぎるプライドが表に出てきてしまうのだ。これはただの欠点なのだが、目を瞑るしかない。それに、ほんとのことだ。松本はただ事実を言っている。
 華には社会人の彼氏がいて、それは知り合ってすぐにわかったことだった。それが判明した時点で恋愛対象からきっぱりと外してしまうべきだったのだが、彼にはそれができなかった。親しくなればなるほど好きになっていった。彼らはよき友人として出会い、一線を越えて疎遠となった。


 「まず華ちゃんから話してよ。」
 「え~。日和さんの話から聞きたいです。先輩ですし、二つの意味で。」
 華はニヤニヤしている。沖田は華より歳も学年も上で、彼と知りあったのも沖田の方が随分早かった。それもあってか華の敬語はなかなか抜けなかったが、二人は少しずつ打ち解け始めているように見える。実際本人たちもそう感じているのだが、華の方は帰宅してからどっと疲れを感じることになる。完璧に演じ切ることで自分が本来の自分でないという自覚すら今はなくなっているのだ。
 「うーん…、わかった。でも華ちゃん少し知ってるみたいだね。彼から聞いたの?」
 「うん。めちゃくちゃ引きずってましたよ。なにかといえば日和さんの話してた。」
 沖田は少し笑って目の下をぽりぽりかいた。その仕草から照れ以外の感情は読み取れない。


 やめてくれえ…。彼は重たい前髪を持ち上げるように頭を抱えた。まさかこんな形で自分のメンヘラっぷりが日和に露呈することになるとは。
 これから来る四人にも日和の話はしているし、病みまくっている様を包み隠さずお見せしてしまっている。日和と会っているときはそこまでひどくなかったのに。バレる。なんなら六人それぞれになにかしら恥ずかしいムーブをしてしまっているはずだ。それがバレる。
 そうか、今日は俺の処刑の日なんだ。どうにかして止めるべきだった。彼は首の後ろで手を組み、大きく息を吐いた。


 「なんて言ってた?私のこと悪く言ってた?」
 「全く。まじでいい人だった的な話ばっかりですよ。」
 華は、彼と飲むたびに聞かされた沖田との歴史を本人に語り始めた。彼が話す内容はその時々によって様々で断片的だったが、パズルとしてはほとんどすべてのピースが揃っていたので、全体像をつかみ時系列順にすることは容易かった。
 沖田はその話を黙って聞いていた。透けて見えるほど白い歯を見せて笑ったり、照れ隠しでグラスに口をつけたり、どこか遠くを見つめたりしていた。目はしっかりと哀しみを抱え込んでいる。それは沖田の話をする彼の様子にそっくりだった。
 沖田も彼と同じように、二人の記憶をよき思い出として大切に保管しているようだ。彼がその大きさと重みに耐えきれず他の人の手も借りようとしているのに対して、沖田は思い出を綺麗に折りたたみ胸の中で静かに温め続けている。日和さんの方が百倍強いな、と華は思った。

 沖田と彼は高校の同級生で、同じ運動部にも所属していた。二年生の時にクラスが同じになったところから仲良くなり、その学年の終わりごろに彼の方から告白して付き合い始めた。
仲良くなり始めたと言ってもほとんどラインでしか会話していなかったし、勇気を振り絞って直接話しかけてみても一言が限界でラリーにならなかった。
 そんな彼が玉砕覚悟の告白に挑んだのは、「高校のうちに童貞を卒業する割合が一番高い」というなんのエビデンスもない記事に焦りを募らせたからである。一度も彼女ができたことがない彼による、起死回生の一手だった。
 もう少し待とうと思っても気持ちが抑えられず、いざ告白したときもまさかオーケーされるとは思っていなかった。
 後日理由を聞いたところ、「夢の中にあなたが出てきたから」とのことだった。沖田の脳内に住む自分を抱きしめてやりたいという衝動に駆られつつ、彼女のロマンチストっぷりに驚いたものだった。お互い恋愛に夢を見ていたというところが、三年も交際が続いた理由の一つだったのかもしれない。

 華は「こんなことも知っているぞ」というような笑みで言った。「校舎の最上階で告白されたんでしょ?」
 沖田の口角がぐっと下がる。しかし目は笑っている。「そんなことも自分で喋ったの?」「自慢げでしたよ。」
 まあ確かに青春の一ページとしては良い思い出になったかもしれないけど…。「明日の朝一に校舎の最上階まで来てくれ」なんて連絡を前日の夜に受け取った方の気持ちも考えてほしいものだ。
 そんなことを思いながらグラスについた水滴を指でふき取る沖田の様子を、じっと華は眺めていた。二人の間に流れる沈黙の時間は、先ほどまでの気まずさを孕んでおらず、それはアルコールと二人の人柄(ペルソナ)がもたらした成果と言えた。
 華の冷えた部分はそれでも、気まずさのフェーズが第二段階へ移行しただけのことだと変換してしまうのだった。


 日はいよいよ本日の営業を終了しようとしている。地平線に押し付けられ空を真っ赤に染める太陽からは、じゅ~っと焼ける音が聞こえてくるようだ。時刻は午後六時ちょうどになっていた。
 五分ほど前に駅に着いていた新島凛は、改札前で秋川リサを待っていた。新島が五人の中で一番親しみを持っている人物である。もっとも、ラインのグループ内で最低限交わした自己紹介をもとにした直観なのでほとんどあてにならないが。
 まず、同じ学校に通う同い年であった。華もそうなのだが、学年が一つ下の二年生である。それに、自己紹介でもラインのプロフィール画面でも、フルネームでなく「華」という下の名前しか教えてくれなかったところに違和感を覚えた。サークルの幹部とバイトリーダーを経験している身としては、フルネームでないプロフィールは覚えにくくて嫌いなのだ。
 プロフィール画面にはもう一つ新島を刺激する要素があった。画像が設定されていないのだ。これは初対面の相手がメンヘラかどうかを嗅ぎ分ける際の重要なシグナルである。加えて、プロフィールの背景として設定できる方の画像には、モノクロの風景写真が選択されている。ガラガラの公園から見た観覧車。これは確定といっていいだろう。華さんは多かれ少なかれ、間違いなく病んでいる。新島自身病んでいる自覚があるため、そのような人種に抵抗はあまりないのだが、初対面となると少し気が引けてしまう部分はあった。
 その点秋川リサは健康なプロフィールである。成人の際に撮影したのであろう振袖の後ろ姿に、青空に二本のアイスが掲げられた背景写真である。ステータスメッセージには学年と学部、所属するサークル名が記載されている。健やかでありふれた大学生活を連想させる、模範的なプロフィールと言える。初対面の相手を少しも威圧していない。
 そんな秋川は集合時間ぴったりにやってきた。あいさつを交わす。平均的な身長と体型で、高身長でスタイルのいい新島の横に並ぶと少し見劣りする。薄い橙色のワンピースに白く艶のあるヒール。「Brand new day」とプリントされた大きめのトートバッグからはファイルがはみ出ており、大学からの帰りであることが想像できる。肩のあたりまで伸びた髪は明るめのブラウンで、笑うとぷっくりと膨らむ頬がチャーミングだ。新島の想像通り、人のよさそうな雰囲気をまとった女の子である。
 秋川は、今回の飲み会に大きな不安を抱えず参加できる人物の一人だった。秋川にとって彼は単なる友人の一人であり、二人の間に恥ずかしい過去など存在しない。それでいて彼の恋愛遍歴に関してはかなりの情報を得ていたので、今回そんな彼女たちが一堂に会すと聞き、参加しない手はなかった。プリキュアオールスターズを見に行くような、そんなワクワクが秋川にはあった。
 秋川は既に、誰が誰であるかのおおよその見当がついていた。名前こそ一人も知らなかったが、華の顔は一度見せてもらったことがあるし、沖田が彼の元同級生で今は違う大学に通っていることも知っている。今日の回に来る残りの人物として思い当たるのは、バイト先で知り合った年下のメンヘラと、夏の始まりに告白されて夏真っ盛りにフったばかりのメンヘラの二人だ。メンヘラばかり。
 彼は基本的に不幸な人が好きなのだと言っていた。そんな彼の発言がおもしろくて打ち解け始めたのは事実だが、彼が恋愛対象としてはキツすぎることもまた確かである。
 あと一人の参加者がどんな人物であるのかは秋川にもわからなかった。秋川と同じで友人代表の子だろうか。それとも彼が口にしたことのない恋愛がまだあるのだろうか。
 ともかく、目の前にいるこの女性が「夏の女」であることは間違いない。秋川は新島の写真も目にしたことがあった。インスタグラムに載せられた写真はどれも加工が施されており実物を見るまでは判断がつけられなかったが、実際に見る新島は加工の必要がないほど整った顔をしていた。
 大きな目。彼が外見で最も重視するポイントである。アイプチはつけていない。人工的に二重にする必要がないことを本人も承知しているのだろう。投稿にあったプリクラ写真の彼女は、爆大化した目のせいでエイリアンのようになっていた。全体的に薄化粧なのも、はっきりとした顔立ちが理由なのだろう。ゆったりとしたシルエットのジーンズにティーシャツの裾をしまっている。無地の白ティーは生地がしっかりとしており、なんとなく安物ではないように見えた。砂浜がよく似合いそうなサンダルからはピンクのネイルが顔を出しており、手元からはサボンの香水が秋川の鼻腔に向かって勢いよく突撃を繰り返していた。おそらくまだ付けたてなのだろう。
 二人はすぐに打ち解けた。同い年の女子同士であったし、サークルやインターンを通じてこのような場面にはお互い慣れていた。
 「リサもあいつと付き合ってたの?」新島が尋ねる。
 「ううん。私は普通に友達。凛ちゃんは?」
 「付き合ってたよ、たぶん。ちょっとだけどね。」眉の端を親指でかく。
 「この前別れた?」
 「え、あ、知ってるの?」
 「ちょっと知ってると思う。」
 秋川は申し訳なさそうに笑った。「ちょっと早く言ってよ!恥ずかしい。」新島も笑う。少し歯が出ているな、と秋川は思った。新島がそれを気にしていて、歯の後ろには銀色の矯正器具がびっしりと装着されていることまでは思い至らない。
 新島は彼が自分についてどのように話していたのかを知りたがったが、秋川は言葉を濁した。彼は新島のことを何とも思っておらず、ただ寂しさを紛らわせるために彼女と付き合い始めてしまったことを後悔していた。彼の感情ではなく、いつ告白したのか、交際中に何をしていたのかを彼の話をもとに新島から聞き出すことで、秋川は追及をかわした。

 新島は彼と付き合うつい一か月ほど前に別の男と別れたばかりだった。同じバイト内で浮気をされたらしい。随分と大胆な男だ。
 怒りと悲しみに暮れる中彼のインスタを久々に開いたところ、付き合っていたはずの彼女(沖田である。新島が気づく一年以上前に破局を迎えていた)との投稿が根こそぎ削除されていることに気が付く。二年ほど前にサークルで知り合った時からタイプだと思っていたこともあり(テニスサークル。彼は入会費を支払うタイミングで幽霊に変身を遂げたらしい)、ある時酒の勢いでDMを送った。
 彼の方はというと、ちょうど華との関係が歪みきっていた頃であり、気を紛らわせるためにその誘いを受けたのだった。
 かなり前に行方をくらませたサークルの飲み会に来ないかという無理のある誘いであったが、「笑い話の一つくらいできそうだ」という軽い気持ちで彼はカラオケに向かった。
 彼から聞く話にカラオケの四文字が出てくると、必ずそこでなにかしら事が起こる。そのせいで秋川は彼とカラオケに行くことができなかった。私も歌うことは好きなのに…。
 一年半ぶりに新島と彼が再会したその日も、秋川がため息をついてしまうようなことが起こった。酔った男女が入り乱れながらマイクを奪い合う中、新島が彼をコンビニへと誘う。
 「タバコ吸う?」
 「うん。まぁ。」
 華が吸うので吸うようになっていた。少しでも長く一緒にいれるように。
 コンビニで淡い青のメビウスと酒を二缶買い、店先の灰皿の前で話をした。彼がポケットからウィンストンのキャスターホワイトを一本取り出すと、新島はそれを欲しがった。最後の一本だったので、新島のメビウスと交換する。そこで二人はお互いの恋愛事情を語り合った。浮気されたことを新島がへらへら笑いながら話し、彼も華との不健全な関係を打ち明けた。
 「それ浮気じゃん。」新島が言う。
間違いない。彼は浮気の加害者であり、それは当時の新島が最も憎むべき存在であった。しかし彼女は彼の失恋の部分に共感し同情した。彼を狙っていたからである。わざわざ非難するような真似はしない。
 近場の公園に移動する頃には二人は手を繋いでいた。それも新島が要求したことであり、さすがに彼も彼女の好意に気づき始めていた。悪い気はしない。彼も十分酔っていた。
 彼がする華の話に耳を傾けながら、「私ならそんなことはしない」と新島はひたすら口にしていた。彼は困った。女性に純粋な好意を向けられるのは男として喜ばしいことではあったが、酒があまりに入りすぎている。このままホテルに連れ込める勢いだが、それは彼の望むところではない。展開の早さに彼自身なにがなんだがよくわかっていなかったし、華の件もありそういうのはもうこりごりだった。
 店に戻ってもサークルの皆が待つ部屋には帰らなかった。喫煙所で新島は決定的な二択を突き付ける。「付き合うか、二度と会わないか。」全く。最近の自分はメンヘラを吸い寄せすぎている。類は友を呼ぶ。ほとんど目の空いていない新島の苦しそうな息遣いを肩で感じながら、彼は思った。
 ぴったりとくっついて離れない新島に、酔いすぎていることを指摘する。それまでにも再三冷静になるよう伝えているのだが、「言うほど酔っていない」の一点張りであった。
 彼はさらに困った。新島への恋愛感情は全く湧いてこない。そもそも彼女のことをほとんど知らないのだ。少なくとも一目惚れはしていない。しかし仲良くはしたかった。寂しさの真っただ中にいるのだ。自分のことを好いてくれる、そこそこ容姿のいい女の子を手放したくはない。
 新島のことをもっと知ってからではだめなのか。友達になろうよとりあえず。新島はそんなこと全く聞き入れなかった。付き合い始めたとして、もし浮気したら殺す。そんなことまで口走っている。酔っていたとはいえ、彼の頭の中が華でいっぱいになっていることに新島は気づいていた。
 彼は新島のメンヘラっぷりに半ば感動していた。華が生粋の精神病患者であるなら、こちらはモノホンのメンヘラヤンデレである。極端な例を実際に目にすることで二つの違いがはっきりと分かったことに、彼は妙な感慨を覚えていた。
 十数回試みた交渉もむなしく、結局彼は新島と交際を始めることにした。
 秋川は「致し方なし、自分は被害者である」といった様子でこの話をする彼にドン引きであった。強要されたとはいえ、好意を抱いていない相手に「好きだ」と伝えたのである。普通にダメでしょ。
 こうして始まった二人の交際は、冷静になった彼の一言によってあっさりと終わった。
 彼はこの件に関して申し訳なさ以外の感情は抱いていないようだったが、新島はしっかりと傷つき、様々な感情を身体の中で巡らせているようだった。
 なんにせよ、酒に頼ることなくここまで自分の恋愛について赤裸々に語ってしまうという点においては、二人は気の合うカップルだったのかもしれないなと秋川は思った。

 早口でまくし立てる新島の話と彼の話とを照らし合わせているうちに、いつの間にか目的の居酒屋の前までたどり着いていた。新島は「まだ話足りない」といった様子だったが、「続きはこの後たっぷりと」といった微笑みで秋川はごまかした。
 まだ彼のことを新鮮に引きずっている新島には、この目でどんな人物なのか見てみたい女性が何人かいた。付き合っている当時は目の上のたん瘤であり、憎しみすら抱いていた女たちである。彼の口から彼女らの話を何度も聞いた。
 結果的にこの日はその内の三人が現れ、新島の激情を揺らすことになるのだが、新島がついた時には既に、最も煩わしく彼女の瞼に張り付いた二つの瘤が楽しく飲み交わしている最中だった。
 ぱっと見の直感は少しの会話で確信に変わる。ブラウスのよく似合うこちらの女性が彼の初恋の相手であり、直接の自己紹介でも華としか名乗らないこの女が、彼を浮気相手に選んだ奴である。
 どちらの子もひっくり返ってしまうくらいにかわいくて、新島は今すぐに煙草が吸いたくなった。そうでもしなければ叫びだしてしまいそうだ。自分の顔をビリビリに破いてしまいたい。ギャーー。心の中で叫び、深く深呼吸した。煙草の煙を想像しながら。
 秋川はというと、今すぐ彼に会いたくなっていた。そして拍手を送ってやりたい。よくもまあここまでの美人たちとお近づきになることができたものだ。写真で見ていた以上である。そして三人の顔を順番に眺めているうちに、ある共通点に気づいた。さらに彼に会いたくなる。からかってやりたい。三人とも見事に大きな目をしているのだ。好みがまるわかりである。表情に出てしまっていたのか、沖田が笑いながら指摘する。「リサちゃん、なんでそんなににやついてるの?」
 「いや、みんなすっごい綺麗だなあって思って。」
 嘘はついていない。それにさっきからものすごくいい匂いがする。三人の香水が喧嘩することなく絶妙に混ざり合っているようだ。
 皆もそれに同調し、お互いの容姿を絶賛しあう。沖田と華はこれが二度目であったが、賛辞の言葉はまだまだストックがあった。
 新島は過剰に自分を卑下していた。他の三人にはそれがマジなのか、否定待ちの面倒くさいアレなのかがわからなかったが、どちらにしても新島が面倒くさいタイプであることは秋川以外も知るところとなった。
 秋川もたくさんの誉め言葉を受け取ったのだが(大半が「お肌もちもち羨ましい」系であった)、それがお世辞であることは自分が一番よくわかっていた。しかし新島の様子を見てあまり否定するのもまずいと感じ、ありがたそうに拝んでおくことにした。それを見て可笑しそうに、両手を口に当てて笑う日和さんがすごくかわいかった。


 日和が口に手を当ててくすくすと笑っている。かわいい。
 彼にとって新島と秋川の姿を目にすること自体は、さしてダメージのあることではなかった。それよりも、二人から自分についてどんな話があの場でされてしまうのか、それを大いに危惧していた。特に秋川には自分の恥ずかしいエピソードをほとんど喋ってしまっている。身震いする彼に、松本が語りかける。
 「全然かわいいじゃん、新島さん。フる必要なかっただろ。」
 それについては散々こいつにも話したはずだ。好きになれなかった。仕方がない。そもそも酒の勢いで告白を受けるべきではなかったのだ。凛にはただただ酷いことをしたと流石に反省している。焼け死んだ自尊心を少しだけ回復させてくれたので、あまり後悔はしていないけれど。


 テーブル席ではこれ以上人が座れそうになかったので、四人はお座敷に移動した。華は最初からお座敷をとっていなかったことを詫びたが、誰もそんなこと気にしていなかった。新島以外は。
 秋川は沖田を除いた三人が同じ大学に通っていることを話題に出した。どんなことを学んでいるのか、どんな授業に頭を悩ませているのかなど、沖田も含めて談話に花が咲き始めた頃に、華が自分は現在休学中なのだと打ち明けた。花は一瞬のうちに黒く萎れた。
 諦めて四人は彼の話題に手を付けることにした。
 「二人は彼とどんな関係なの?」
 沖田が尋ねる。それ自体彼女にとって苦痛であったが、気になることもまた確かだった。秋川が先に口を開く。
 「私は普通に友達。たまに飲みに行くくらいの。」
 「いつ知り合ったの?」華が身を乗り出す。
 「一年くらい前かな。」
 そんなに長いこと彼と飲み友達のままでいられることが華には不思議であった。同時に、彼が本当に自分のことを好いていてくれたのだと感じ、喉が渇く。私もできることなら友人として、彼にはそばにいてほしかった。
 「元カノです…。」
 新島も答える。苦笑して肩をすくめるその仕草は、なぜか申し訳なさそうだ。前髪に隠れた目は、少しも笑うことなく沖田と華を見据えている。
 「私と一緒だね。」沖田が目を細めて笑う。
 いよいよ面白くなってきたな。華は溢れ出そうなにやつきを、ハイボールで流し込んだ。
 秋川はその笑みをしっかりとその目で捉えていた。天気のいい日の満月のように白く丸い顔が、猫目と端正なスタイルによく合っている。
 「華ちゃんは?」
 秋川の問いに、沖田の表情がぐっと強張る。彼女がなかなか切り出せないでいた質問だ。華が彼と親しくしていたのは間違いないのだが、もし友達以上の関係であったときに、自分がどんな感情になってしまうのかが怖かった。華が答える。
 「うち?うちはねえ…。なんだろう。なんかちょっとそういう雰囲気にはなったんだけど、結局付き合わなかったって感じ。」
 沖田は自然と浮いていた身体を静かに落ち着かせた。新島も握りしめていたグラスからそっと手を放す。奇妙な緊張感が漂っていた。店内に流れるBGMの音量が、急に大きくなったように感じる。
 女性アイドルが思春期男子のぎこちない恋愛感情を、ラップ調にして歌っている。あまりにダサい。ラップの下手さはどんなに機械をいじくったところでごまかしが効かないようだ。実力勝負は避けて、おとなしく恋愛禁止という付加価値に縋っておけばいいのだと、華は思った。
 「華ちゃんは私のことを彼から聞いていたみたいなんだけど、二人もそうなのかな。」
 店員が注文を受け取り引き返すのを見送りながら、沖田が切り出した。新島は梅酒のロックを、秋川はカルーアミルクをそれぞれ注文した。どちらもアルコール度数が高い。酒の力に頼りきる飲み会になるということを、二人も理解しているようだった。
 「うん。三人の顔、会う前から知ってた。」
 秋川が素直に答える。秋川と沖田は、互いに相手が自分と似たような人種であると感じており、この場にそのような存在がいることに安心感を覚えていた。二人は目を合わせて、どちらからともなく小さく笑った。
 新島も、沖田と華の話を彼からよく聞いていたことを告白する。
 「彼、その手の話を結構簡単に喋っちゃうタイプだったのね。」
 沖田が呆れたように笑い、三人もそれに応える。別の居酒屋からそれを見た彼が、顔を覆って唸っていることは言うまでもない。
 「あいつと連絡を取らなくなるちょっと前に、彼女ができたって話を聞かされたんだけど、それが凛のことなのかな。」華がそう尋ねて瞬きをすると、長いまつげがばさばさと動いた。その瞬きで起きた風が、どこか遠くの国で台風になる様子を秋川は想像した。
 「そうだと思う。『彼氏がいる子を好きになっちゃって死にそうだ』って言ってたから。華のことでしょ?」
 バレてる。華は「うっす…」といった仕草で答える。先ほどの新島同様、なぜか申し訳なさそうだ。
 もしかしてうちが一番まずい状況にあるのかもしれない。華は思いあたる。彼が自分とのすべてを彼女たちに話してしまっているのだとしたら…。華の背中に冷たい汗が滴り始める。
 「なにそれ?面白そうな話。」
 沖田が身を乗り出す。今度は動揺よりも興味が勝っていた。
 照明の光を受けてキラキラ輝く沖田の視線と、なんとか目を合わせないよう努める華の顔とを交互に眺めながら秋川は、沖田に心の中で忠告する。やめておいた方がいい。彼はあなたと付き合っていた頃よりも随分汚れてしまっているのよ。


 彼はこの飲み会が想像通り望んでいない方向にしっかりと舵を切ったのだと確信する。松本を煙草に誘う。もちろん、といった様子で松本が大きな体を起こした。
 アルコールと同じかそれ以上に松本は煙草を好んでいる。今まで一本も吸っていなかったことが不思議なくらいだ。
 熊のように見事な体格とそこそこ優れた運動神経で、高校までは充実した学生生活を送っていたのだが、松本には決定的に学が足りなかった。私立高校時代も松本は一番学力の低いクラスだった。その中でも赤点を取り続け、進級及び卒業が危ぶまれていたほどだ。
 もっとも、頭のいいクラスに所属すると無駄に意識が高くてそれはそれで気持ちが悪い。勉強は得意だが嫌いだった彼は、ほとんどのクラスメイトと馬が合わなかった。
 そんな松本も大学までは(奇跡的に)進学できたものの、そこから次の学年へと進むことができなかった。酒癖が悪くなったのも、吸っている煙草のタール数が次のステージへと移行したのもその時期だった。
 彼らがいる居酒屋にも喫煙所はあったのだが、外で吸った方が気持ちいいということで一度店を出ることにした。
 日が落ちた空にはいくつかの星が輝いており、オリオン座の姿も見える。彼は昔からこの星座の位置だけはよく記憶していた。昼間に比べるとかなり冷え込んでいるものの、九月末の夜は秋の過ごしやすさをまだ充分に保っている。
 駅前の喫煙所は予想に反してかなり空いていた。彼はウィンストンをポケットから取り出し、松本がマルボロに火をつけるのを待ってからライターを借りた。
 「しんどそうだな。」そう言う松本の口角は、人類の限界を超えて上がりきっている。
 「きつい。」とだけ返す。しかし、この状況を少し楽しんでいることもまた事実であった。
 俺って実はドⅯなのかもな。持久走とかも好きだし。
 彼が意図せずにやけてしまっていることに気づいた松本は、口角をさらに引き上げた。しかしあえて指摘はしない。
 こいつにはⅯっ気がある。部活でも自分を追い込む系の練習が誰より得意だったし。
 「どんな気持ちよ。」
 今日の松本はよく喋る。彼はうんざりした。しかしそれが、彼にとってありがたい行動なのだとわかり始めてもいた。
 彼の中で自分の過去は沖田以前、沖田以後に分けられる。ちょうど紀元前を英語でBC(Before Christ)と表すように。
 沖田以前、無垢そのものの少年であった彼は、沖田と付き合い始めることで女というものを知ることになる。そこで彼は、自分が好きな女性によって性格そのものを変化させてしまう典型的な恋愛体質であることを自覚する。沖田と別れてからも様々な女性と出会い、そのたびに自分を根幹ごと変化させ続けてきた。
 そのように新鮮な『沖田以後』の過去を半ば強制的に、そしていっぺんに振り返させられているのだ。全く整理が追い付いていない。
 そんな彼にとって、逐一(どうでもいいことも含めて)質問を投げかけてくる松本という存在は、強烈すぎる走馬灯と自分自身の感情との良い緩衝材の役割を果たしていた。
 考えを改める。少し真剣に答えてやるか。彼は松本に感じていた鬱陶しさを一度完全に咀嚼してから、口を開いた。
 「本音を言うと結構面白いよ。こんな経験普通出来ないだろ?元カノが一堂に会す様子をモニタリングできるなんてさ。」実際元カノと呼べるのは二人だけなわけだけど。
 「ああ。普通じゃないね。」松本が白い煙を吐く。
 「煙草が美味いよ。」彼はそう言って、松本と目を合わせることなく笑い合った。
 彼は喫煙所が好きだ。ここにいる人間は全員俯いている。
 令和の時代に喫煙をするメリットなどほとんどない。健康に悪すぎることが科学的に証明されているし、なにより魔女狩りにあってしまうからだ。
 非喫煙者は喫煙者を忌み嫌っている。逆は全くそんなことないのに。彼らはあらゆる商業施設から喫煙所を排除し、喫煙者をまるで犯罪者でも見るかのような目つきで軽蔑する。
 そんな十字架を背負ってでもニコチンに頼らざるを得なかった人間たちが集まっているのだ。何かを諦めたかのような顔つきになってしまうのも無理はない。そんな人々に、勝手にシンパシーを感じられるこの場所が彼は好きだった。


 彼が一旦視聴をリタイアした飲み会では、華がいよいよ自分と彼との話から逃れられなくなっていた。目の前に座る新島と秋川に一杯目の酒が配膳されるタイミングで、追加のハイボールを注文する。二人が小さく乾杯し、グイっと喉に流し込むのを眺めているうちに華はあることに気づいた。「え、待って。じゃあ出来立ての彼女に向かって私の話をしてたってこと?」
 新島がおしぼりで口元を軽く拭う。「付き合う前だけどね。…いや、付き合ってからもよく話してたかも。」そう言って梅酒のロックを空にした。すぐに追加の注文をする。ラムネサワーと、三人の了承を得てつまみにポテトを注文した。今までお通しの枝豆だけでやりくりしていたケチ臭さに、四人は笑った。
 華は彼が新島に、自分との話をしていたことに一度は驚いたが、自分も沖田との話を聞かされているのだからそこまで意外なことでもないか、と思い直した。それでもドン引きなことに変わりはないが。
「で、華ちゃんは年上の彼氏さんがいるわけね?」
 沖田の目は依然輝いている。彼女の興味が華と彼とのいざこざではなく、華の現在の彼氏の方に向いていることがわかり、秋川は一人肩の荷が下りたような気分になった。この人があんな話を聞く必要はない。
 「うん。」華が答える。彼女も、沖田の関心のベクトルがまずい方向に向かっていないことに安堵していた。
 「えー、いいなあ。ラブラブ?」
 華の表情が一層強張る。沖田も悪意があって詰め寄っているわけではない。そこが余計に、たちの悪いところであった。
 「ラブラブだったら浮気なんてしないでしょ。」新島が小さく声を上げる。華は俯いていた顔をあげて弁解した。
 「浮気ってわけじゃ…。」そこまで言って口籠ってしまう。華はここで一気に新島のことが嫌いになる。華の本能が、目の前の出目金面を敵だと認識する。腐っても俳優だ。顔には全く出さないけれど、心の中では冷めきった表情を浮かべていた。
 しかし相手は同性の女である。華の美しさにのぼせるような男たちとは違う。彼女の表情に浮かんだ僅かなピキりを、新島は敏感に感じ取っていた。
 まずい。とは思わない。新島にとってそれはむしろ望むところであった。もとより華には良い感情を持っていなかったのだから。
 暖まり始めていた飲みの場は、過剰なヒートアップを避けるため氷河期へ逆戻りしようとしていた。そんな氷を溶かす通知が四人の元に届く。
 それぞれのスマートフォンから通知音が鳴り、真っ暗の液晶が待ち受け画面へと切り替わる。沖田はリーゼントヘアをした謎の豆のオブジェ、華は姉の飼っている猫の写真、新島はサークルのメンツでバーベキューをした時の一コマ、秋川はラインの背景と同じ青空の写真という待ち受け画面であった。全員が通知の内容を確認する。
 「もうすぐ駅着くので、そのまま居酒屋向かいます!!ごめんなさい」
 『miona』からの連絡だ。文末には青いトップスを着た男の土下座が二つ連なっている。遅れたことへの謝罪であろう。
 謝罪なんて必要ないよ!秋川は思った。むしろベストタイミング!
 「あ!未央奈さん来るって!白井未央奈さんだよね、たしか。」スマホに生まれた微熱を頼りに、秋川が場の温暖化を推し進めに図る。結局今日もこんな立ち位置か、と思いつつ。
 飲み会における彼女の役割は、だいたいが「まあまあ…」役である。酔っ払いたちの暴走をなだめ、最終的には介抱する。「お水を人数分ください」と言うのも役目の一つだ。特段アルコールに強い体質というわけでもない。自ら進んで会話の主導権を握ろうとはしない性格が影響しているのだと、彼女は理解している。
 まだ誰かが潰れたというわけでもない序盤ではあるが、秋川はこの時点で了解した。彼女は今日も第三者であると。この飲み会を少しでもにこやかに終わらせるために粉骨砕身、努力してやろうではないか。
 「うん、白井未央奈さん。すごく綺麗な人だよね。」沖田が明るく答える。彼女も秋川と似たようなキャラクターであり、自分から前に出ようとはしない。そのためこのように、秋川の温暖化活動に手を貸すことができる。
 しかし今回沖田は第三者ではなかった。彼と深く関わったメインキャストの一人であり、事実新島から発せられた「浮気」という言葉に面食らってしまっていた。そのため秋川よりも場の雪解け運動への参加が遅れてしまったのだ。
 秋川と沖田のわざとらしく明るい会話に、他の二人もあまり時間を置くことなく混ざっていった。華も新島も、別にすすんで場の空気を悪くしたがるようなサイコパスではない。ただお互いの心に、しっかりとした質量のもやもやは残ってしまっていた。
 話題に上がった白井未央奈の容姿であるが、興味のなかった華以外の三人はラインの背景画像から情報を得ており、遅れて確認した華の目から見ても間違いなく美人であった。「うわ、めっちゃ美人…。」華がそう言うのを聞いて、新島は再びむっとする。どの口が言っとんじゃ。『miona』が夜の街をバックに、ドヤ顔で露出度の高い服を着こなす写真を一瞥して、さらにむむっとする。かわいい人ばっかり…。メンタル削れるわ。
 新島は白井の自己紹介を思い出す。新島たちとも沖田とも違う、中央線沿いの、田舎にも都会にも見える駅にキャンパスを置く大学の二年生で、今年で二十歳の代である。新島と秋川、華たちの一個下で今日来るメンバーの中では最年少だ。ラインのプロフィールからは、華とは少し違うタイプの嫌悪感が漂っている。華が完全に精神を患っている系のプロフィールであるのに対して、白井のそれからはパパ活女子の香りが匂うのである。
 胸元の大きく開いた黒いワンピース。肩から下げたバッグはブランドものである。新島は画像を拡大してしっかりと確認していた。本物なら自分で買えるような値段ではないはずだ。
 華の人柄が思っていたよりも良かったため憎しみのぶつけ先を見失いかけていた新島は、白井の性格が想像以上に酷いものであることを期待していた。
 「ちょっと煙草吸ってこようかな。」
 我慢の限界を迎えた新島が切り出す。沖田と華の顔を拝んでからというもの、ニコチンによるドーパミンの必要性を感じ続けていた。酒も入ってさらに、である。
 白井からの連絡によって会話も区切りがついていたし(そもそも盛り上がっていなかった)、何より今の自分に落ち着きが足りていないことが自分でよくわかっていた。一息つく必要がある。
 「あ、じゃあ私も行こうかな。」華が立ち上がった。
 他の二人は「待ってるよ。」とのことだ。それはそうだろう。沖田と秋川はもちろん煙草など吸わないはずだ。
 大学四年生で就活も経験した沖田と、偏差値と見かけが良いだけで内面はろくでもないような人間たちが跋扈する大学の三年生である秋川の二人は、喫煙のために友人が離席する状況によくも悪くもいい加減慣れていた。
 沖田は煙草に対してかなり強い抵抗があるものの、「喫煙者というだけで縁を切る」という信念が何も良い結果を生まないということはわかっていた。
 明らかに生産性のない行為であるにもかかわらず、同世代にも喫煙者は大勢いる。その全てと関係を持たないように努めるというのは、こちらがただ損をするだけである。煙草の匂いや煙には未だに慣れないけれど、マナーを守った喫煙者にはある程度のリスペクトを送れるようになってきていた。恋愛対象になることは絶対にないけど。
 秋川はその点、喫煙者や煙草そのものに対して特に抵抗というものはない。自分が吸うことは万に一つもない(吸うメリットがない)が、吸う人に対して何か意見があるということでもない。その人の勝手だろうという考えだ。
 どうせなら外で吸わないか。手持ちの煙草がないので買いたいし、という華の提案を新島は快諾しつつも、同時に少し動揺していた。
 華が喫煙者であるのは意外というほどのことでもなかったが、自分と二人きりになることに抵抗はないのだろうか。彼女もヘビースモーカーで(私がヘビースモーカーというわけではない。決して。)、ずっと我慢していたのだろうか。
 華は確かに、酒を飲み始めたときからずっと「吸いたいなあ」とぼんやり思っていたが、自分から言い出すほどでもなかった。煙草は好きだが医者に吸うことを止められている。処方されているピルとの相性が悪いらしい。しかし誰かが吸いに行くのだとしたら話は別だ。
 それに、新島に不信感を持っているとはいえ、日々孤独に苛まれている華にしてみればそう簡単に友達を得る機会は捨てられない。しかも女友達である。華は同性の友達が極端に少なかった。
重度の依存者に付いて行って一本拝借、といういつもの戦法は使わないでおくことにした。変にケチって気まずくなるくらいなら新しく買ってしまおう。外で吸う口実にもなるし。
 屋内の喫煙所というものが、華はどうしても好きになれなかった。煙いし狭いし(彼女は軽度の閉所恐怖症だ)、追いやられている感が惨めすぎる。
 
 
 白井の連絡には秋川が返信していた。「了解!待ってます!!」
 他の三人もスタンプを送っている。キャラクターはそれぞれ違うが、どれも親指を立てて笑っていた。
 焦っているような雰囲気のメッセージを送った白井であったが、実際は別にそんなこともなかった。そもそもなぜ誘いを受けてしまったのか、自分でもよくわからずにいた。
 彼の名前を聞いてもはじめはピンとこなかった。それくらいの関係なのだ。今となっては関係ないと言ってしまっていいレベルである。それではなぜここまで来てしまったのか。
 日々慢性的に感じている退屈を少しでも紛らわせるためだし、新しい同性の友達を作る機会に最近恵まれていなかったからである。たぶん。すっきりとしないまま改札を抜けて、マップアプリを開き店の場所を検索する。
 道順が表示されるのとほぼ同時に、一件の通知が画面上部に映し出される。『伊波明璃「うちも今着いたんだけど、もう駅いない?」』グループではなく、個人チャットだ。
 伊波明璃。第六の女。今日集まる六人を彼と出会う時期の早い順に並び替えたとき、最後に名前が挙がるのがこの女性である。
 偶然にも駅への到着も最後になっているのだが、他の五人もそういう順番で集まってきたのかと問われればそういうわけではない。あくまでも偶然である。
 沖田、新島、白井、秋川、華、伊波という順で彼に出会っている。とはいえ、新島の存在が彼の生活に大きく関与し始めたのは華と出会った後であり、彼にとって新島はナンバー5、白井こそが第二の女ということになる。あくまで彼の視点での話であり、白井からすれば彼はノーナンバー、印象なしという認識になっているが。
 「私も今着いたとこです!一緒に行きましょ、どこいます?」白井が返信する。伊波明璃は彼と同じ大学に通う三年生で白井の三つ上、今年で二十三になる代らしい。今日のメンツの中では最年長だ。
 自分と沖田以外の四人が同じ大学に通っているということと、同い年が一人もおらず全員が年上という二つの事実が白井を不安にさせていたが、そんな懸念を少し和らげてくれていたのがこの伊波明璃の人柄であった。
 ラインのグループ内で少し会話をしただけで、底抜けの明るさが感じられた。「実際に会ってみたらチャットと真逆の陰キャじゃねえか!」という出会い系にありがちなパターンも考えられたが、二十三という年齢と、女性でそのケースは珍しいという経験則からその可能性は排除した。
 おそらく彼女は生粋の根明であり、その推測は白井を「彼女がいればまあなんとかなるだろう」という気持ちにさせてくれていた。
伊波の容姿を事前に知ることはできなかったが、彼女が改札から出てきたとき、白井は「なんとなくこの人なのではないか」という見当をつけることができた。
 服装もそれなりに個性的だったが、それ以上になにか目に留まる雰囲気を彼女は纏っていた。オーラと言えば仰々しすぎるし、親しみやすさが滲み出ているのかと問われればそういうわけでもない。あとになって本人の口からきいた自己紹介によると、沖縄出身の彼女は高校時代をニューヨークで過ごしたらしい。彼女がなぜ目立つのか、それはいい意味でこの場所に馴染んでいないからなのだと白井は理解した。
 実際に会ってみても、伊波はチャットの印象通り話しやすい人柄をしていた。袖が肘まで捲られたグレーのスウェットの背中側には、髭をたっぷりと蓄えたご陽気なコックがプリントされている。紺色のナイロン生地に赤と白のラインが入ったウインドブレーカーを履いており、それとブランドを揃えたスニーカーはハイカット且つ厚底で、あまり知識のない白井の目から見てもかなり値が張る代物に見えた。少し厚着すぎる気もしたが、服装の正解がないのがこの時期である。実際日の落ちた今は少し肌寒い。衣替えするにはまだ早いけど。伊波が持つ荷物といえば肩からさげたスマートフォンくらいのもので、首にかけたヘッドホンが収納できるような場所はどこにも見当たらなかった。
 「おまたせ~、ごめんね!」そう言って伊波は白井に向かってぱっちりと目を見開いた。目そのものは大きくないが、長い睫毛とそれに合わせて引かれたアイラインが独特の美しさを演出している。小さな唇には真っ赤なリップが塗られていて、口元が緩むと顔を出す白い前歯がかわいい。健康的に焼けた肌と、ところどころでくるくると自由にカールした黒のウルフカットが沖縄の血を感じさせる。量産型のものではなく、彼女の容姿にはなにかサブカルチャー的な魅力があった。新進気鋭、若者を中心に支持を得ている歌手のMVに出てきそうな人だな、と白井は思った。
 
 名前まで彼から聞いたことはなかったし、どんな見た目をしているのかも自分から尋ねたことはなかったので、白井未央奈が彼の恋愛史におけるどの登場人物なのかが伊波にはわかっていなかった。
 黒のロンTに黒の革パン、こげ茶色のレザージャケットを上から羽織っている。パンツに付いたウォレットチェーンも黒いブーツも(ジャケットとアクセサリー以外すべてが黒かった)、ブランドロゴがでかでかと入った黒いショルダーバッグも右の人差し指にはめたシルバーの指輪もどれもこれもが高そうで、彼女が例の「パパ活女」であることは実際に会ってみると明らかだった。
 なるほど、確かにかわいい。そして彼が好みそうな女である。男を沼らせそうな女。
 真っ白な肌によく通った鼻筋。目の大きくないところが彼の好みに反するが、決して小さいわけではなかった。他のパーツと合わせて見事に美しく完成されているため、全く問題にならなかったのだろう。自然ではあるが濃い化粧が、黒の姫カットとよく似合っている。
 髪型を本心のままに褒めてから、「前撮り終わったから切ったんでしょ。」と伊波は言った。
 「なんでわかったんですか?」白井が驚く。
 「成人を迎える女子あるあるだから。」 
 声がやけに高いし敬語だったので、「ため口でいいよ、緊張してる?」と聞くと、白井は少し表情を崩して頷いた。なるほど。かわいい。
 「緊張しないでよ~!仲良くなろ!」

 そう言って下からにっこり笑いかけてくる伊波はとてもかわいらしかった。白井は彼の恋愛遍歴をほとんど知らないため(高校の頃から付き合っていた子と別れたという話はかろうじて覚えている)、伊波が彼の「何」なのかが全く想像できていなかった。もし彼女なら、ちょっと羨ましいな。
「私初めてこの駅降りたんだよね~。なんかいいとこっぽいね。」全くそんなこと思っていなさそうなトーンで伊波が言う。
 六人の住まいの中間地点がだいたいこの駅だったのだが、都心にある伊波の家からは少し遠かった。そもそも六人のほとんどが大学から直接向かってきていたので、この駅を集合場所とするのは結果的に誰にとってもマイナスになっていた。
 「いいところですよ。都心まで行かなくても大体ここでなんとかなっちゃいます。」
 ここよりもさらに西側の、もはや東京とも呼べないような場所に住まいを置く白井はよくこの街で遊んでいた。都心寄りのキャンパスに通う今では頻度がだいぶ減ったものの、高校時代は映画を観るにも買い物をするにも、放課後のほとんどの時間をこの街で過ごしていた。
 白井がまだ幼い頃はこの街よりももう少し西側にある市が多摩地区の中で栄華を誇っていたのだが(白井や彼が通っていた高校はそこにある)、駅ビルやら映画館やらが悉くこの街に吸収されていき、新たな巨大商業施設建設の権利すらもついに譲ってしまった。そしていつの間にか、「多摩地区の盟主」の座を明け渡してしまったのである。
 そんな話をほとんど一息に話し終えると、「へえ~。」という相槌だけが返ってきた。
 過去の栄光に縋る我が地元の話に、熱が入りすぎてしまったようだ。こんな話が面白いはずもない。すぐに謝罪する。

 またやってしまった。人に気を遣えないのがたまに傷、である。正直この欠点はあまり気にしていないのだが、初対面の相手にくらいは、いい加減ある程度の礼儀を持って接していかなければならないと思う。もう二十三なんだから。慌ててフォローする。
 「未央奈ちゃんの地元が田舎になっちゃったって話だよね、聞いてたよ!確かにあんまりおもしろくはなかったけど。」あああまた口走っている。
 もういいや。正直なのがセールスポイント、である。長所と短所は表裏一体。就活を通して嫌というほど学んだことだ。
 伊波が自分の言動に一人で焦っている様子を見て、白井は笑った。
 多感な時期を海外で過ごした影響で、伊波にはたしかに気を遣えなかったり常識が欠落していたりする節があった。しかし、それを補って余りあるユニークな親しみやすさを持ち合わせており、彼女自身それを自覚していた。自分の容姿に自覚的な点が白井の行動に目立つように。二人は自らの長所をよく理解し、それを愛していた。
 白井の敬語は抜けなかったが、伊波はもうそれについて指摘しなかった。年上と話すことには慣れているようだし、無理に敬語を抜かないタイプなのだろう。
 丁寧な敬語からいつの間にか「っす」くらいのものになり、気づけば完全な友達になっている。典型的な後輩タイプだ。相手を自然に気持ちよくさせる方法を身に着けている。
 声の高さもあまり直らなかった。おそらくこちらも元からそういう話し方なのだろう。少し鼻にかかっているけれど、それでいて透き通った声。白井の喉からではなく空から、脳に直接語りかけられているような感覚になる。聞いていてなんだか気持ちがいい。
 「パパ活」。その三文字が頭をよぎり、彼もまたこの子に気持ちよくさせられた男の一人なのだろう、と笑みをこぼした。
 伊波が何かほくそ笑んでいる。「どうしたんですか?」と聞くと、「あ、いや…、未央奈ちゃん兄妹いる?」と質問返しされた。
 「いないです。一人っ子ですよ。」と答えると、「あぁ~。」と、またにやりと笑った。
 絶対にお姉ちゃんかお兄ちゃんがいると思ったのだがなるほど、一人っ子か。たしかに言われてみればそんな気もするなあ…。
 いとこの年齢まで聞かれたので、「なんで急に家族構成のことばかり聞くんですか。」と笑うと、年上と話すことに慣れているのはなぜなのかが気になったから、とのことだった。
 伊波の中ではきっと突拍子のない質問などではないのだろう。脳内で彼女は休まずひとり言を吐き続けていて、必要な時にだけ相手に質問をするのだ。
 もしくは、この質問が相手の意表を突くものなのかどうかなど、はなから考えていないのかもしれない。なんとなく伊波のことがわかってきた白井は、その事実が嬉しかった。
 こんなに綺麗で面白い人と仲良くなれたことに、純粋に興奮する。彼がどんな形であれ伊波に魅力を感じたことに、共感せざるを得なかった。
 ほら、さっきからまたじーっと私の顔を覗き込んでいる。
 「なんですか。変ですよ、明璃さん。」また笑われた。何かしてしまっただろうか。顔がかわいいので、いやな気はしない。とりあえず、今思っていたことを伝える。
 「かわいいね、ほんと。」目を見つめて本心として伝えたのだが、軽いお礼であしらわれてしまった。やはりこの子、褒められ慣れている。
 目を見てはっきりと容姿を褒められ、さすがに照れる。すかさずこちらも言葉にした。
 「私明璃さんみたいな顔めっちゃ好きです。おしゃれだし。かわいいです。」お世辞ではなく本心だ。私には珍しく。伊波が申し訳なさそうに頭を下げる。
 向こうに住んでいた頃の友達はみんな胸を張って正面から誉め言葉を受け取っていたものだが、私はいつも困ってしまう。根っこは日本人なようだ。
 動揺をごまかすためにまた質問をする。ずっと気になっていたことだ。「で、未央奈ちゃんはあいつの彼女だったわけ?」
 白井はふふっと笑って答えた。「違いますよ。一瞬仲が良かっただけです。しかもほとんどインスタのDMでしかやり取りしてませんし。なんで今日呼ばれたのか、自分でもわかりませんもん。」
 そう言って白井は自分と彼との関係の紹介、今日に限っては最も重要な自己紹介を終えた。
 ふんふん。あいつの言っていた通り、この子はあいつに対して既に何の感情も残していないようだ。伊波は腕を組んだ。
 駅からすぐのはずだったのだが、真逆の出口から出てしまったためかなり歩く羽目になった。道案内役は伊波から白井に代わっている。
 「高校の後輩で同じバイトをしていた。」不意に伊波が言う。顔も白井の方を向いていないし、歩みも止めていない。白井は反応が遅れて無視しかけたが、すぐに自分と彼との話をしていることに気づいた。
 「へ?」咄嗟に口をついた言葉の情けなさに、頬を赤らめる。「っつ、ななんで知ってるんですか?」自分が動揺しすぎていることに、さらに動揺する。
 「うちのおばあちゃん、占い師なんだよね~。あたしもちょっとだけならわかるのよ。」そう言いながら、伊波は両の掌を白井に向けてぐるぐると回した。顔もだいぶ作っている。眉を顰めて目を細め、唇はキッと一文字に結んでいる。
 「えぇ!すごい。他にもわかりますか?」ほわほわ~っとした声で白井が驚く。目と一緒に口も少し開いてしまっている。多分信じてるなこれ。
 「ちょ~っと待ってねぇ…。」そう言って伊波は目を閉じながら白井の全身を掌から出る念力で撫でまわした。勿論実際には出ていない。しばらくそれを繰り返してから目を開くと、真剣な面持ちでこちらを見る白井と目が合った。思わず吹き出してしまう。
 「あはは。うそうそ、そんな超能力ないよ。おばあちゃんが占い師だったってのはほんとだけどね。あいつから未央奈ちゃんの話を聞いたことがあっただけ。」そう言っていたずらっぽく笑う伊波を見て、白井はさらに顔を赤らめた。
 よく考えたら嘘に決まっているのに、不思議な雰囲気の人だからつい信じ込んでしまった。実際占い師のおばあちゃんを持っているわけだし。それだけでも十分謎めいている。
 最近は年上の人と付き合うことも増えたし、ファッションもメイクも、お酒も煙草もいろんなことを経験して随分大人っぽく、理想の自分に近づけたように白井は思っていた。しかし、伊波といるとどうも調子が狂う。
 年上の男を相手にしているときにはどんなに笑っていてもメス顔をしていても、裸でいるときでもどこかで客観視している自分がいる。それが伊波相手だと、自分がどっぷりと会話に浸かってしまっているのがわかる。純粋に楽しんでいた。だから声をあげて笑ってしまうし、簡単な嘘でも馬鹿みたいに信じてしまう。
 それが不快なはずなのに、不快じゃなかった。そういう自分が嫌で変わったはずなのに。簡単には落とされない、ミステリアスな高嶺の花的存在に憧れている白井は、嘘をついた伊波に対して子供みたいに拗ねていた。
 「明璃さんは?彼の彼女なんですか?」頬を膨らませ、唸り声をあげていた白井が悔し紛れに尋ねる。
 「いや、友達。結構仲良し。」
 「元カノとかでもないんですか?」白井が詰め寄る。
 「そうだね。」
 「どっちかが片思い、とかは?」
 「ないってー。」伊波が「急にぐいぐい来るね。」と笑う。
 「とっても素敵な人なのに、なんで彼が好きにならないのかが不思議だから。」と白井が伝えると、「身に余る評価をいただけて光栄ですけども…。友達としてうまくやってるんだから不思議ではないでしょ。」と伊波はごにょごにょと返した。褒めるとしっかり照れてくるのがかわいい。
 それにしてもそうか。白井の記憶によると彼は親しくなるとだれかれ構わずすぐに好きになってしまう、友人と恋愛対象の区別が曖昧なタイプだったのだが、どうもそういうわけではなかったらしい。
 白井が彼への評価を改めかけたその時、「あたし彼氏いるし。」と伊波が小さく口にした。全く。この人は大事なことほどなんでもなさそうに話す癖があるようだ。
 彼氏がいるから彼は友達に甘んじているのではないだろうか。それを言ってしまうと伊波と彼との関係が崩れてしまうかもしれない。彼も何とか我慢しているのだろう。その努力を勝手に無に帰すような真似はできない。元DM相手のよしみで、白井はその発言をそっと胸のうちにしまった。


 駅前の喫煙所は予想に反してかなり空いていた。華はポケットから買ったばかりのウィンストンを取り出し、新島が自分の煙草に火をつけるのを待ってからライターを借りた。
 「同じの買うくらいなら全然私のあげたのに。」吐ききれなかった煙をわずかに口から漏らしながら新島が言う。
 華がコンビニで買った煙草は、新島が持っていたものと銘柄もタール数も全く同じであった。ウィンストンキャスターホワイトの五ミリ。彼がいつも燻らせていた煙草だ。新島は偶然かとも思ったが、華も彼のことを少しは引きずっているんだなと思い、少しの仲間意識を感じた。
 そして時を置かず、さらに気づく。華が彼のことを引きずっているのではなく、彼の方がこの子のことを忘れられずにいたのではないか、と。こちらの仮説の方がずっと信憑性がある。実際、彼は引きずりまくっていたのだから。
 華のことを思い浮かべながら火をつける彼の横顔を、ウィンストンを吸うたびに私は思い浮かべていたのか。この煙草によって私は華と以前から繋がっていた。しかし矢印は一方的なものであり、その事実は新島を酷く惨めな気持ちにさせた。
 「あいつもウィンストンばっか吸ってたよ。」新島が目を細めながら煙を吸い込む。
 「うちが煙草教えちゃったからね。」座り込んだ華が言う。やっぱりか。
 「華のこと忘れられなかったんだよ。今でも吸ってると思う、たぶん。」私もね、そう言って苦笑しながらウィンストンの箱を華の顔の前で揺らす。
 彼女も笑っていた。どちらの笑顔もなにか諦めたような、疲れた表情だ。
 煙草を一緒に吸うと距離が縮まる。それがなぜなのか、筋の通った説明は一つもできないけれど、同じ罪を一緒に背負っているような、互いの闇を少しずつ見せ合っているような、奇妙な連帯感が華は好きだった。
 「むかつくなあ。」
 新島が先ほどまで我慢していた言葉を口にする。想像力と判断力が低下していた。煙草が酔いの回りを早めているようだ。それは華も同じで、シンプルな悪口を言われているのにご機嫌だ。にやぁ~と笑っている。「なんでー?」
 「私の好きだった人が好きだった人だからだよ。」
 ぐらぐらと揺れる華の頭は、新島の言葉をすぐには理解できない。脳と一緒にシェイクして、何とか咀嚼する。私か。私にむかついてんのか、こいつ。
 「あんたにむかついたってしょうがないんだけださー。いいでしょ?許して。むかつきます!」
 新島の握りこぶしから突き出るウィンストンは、華の鼻先を指している。むちゃくちゃだ。
 「むちゃくちゃだ。」そのまま口に出す。
 「うるさい。華にもわかるでしょ?彼氏が元カノの話、しまくってんのよ。彼氏は勿論だけど、女の方にも少しはヘイト向いちゃうもんでしょ。」新島の眉間と口はへの字に曲がっている。こんなにも清々しく敵意を向けられると逆に気持ちがいい。さっきまでの陰湿なやり取りよりはずっとマシだ。
 「わかる!」華は大きな声で答えた。
 「好きなだけ恨んでくれ。ただうちはあいつの元カノではない!」ウィンストンを指し返す。
 新島は笑った。それから煙草を咥えて、思い切り息を吸い込み始めた。ジジジっと音を立てて煙草が短くなっていく。そんな新島の好戦的な目を見た華も、慌てて同じ行動に出る。わざわざ新しく煙草に火を点けてまで。
 咳き込みそうになるのを我慢しながら、互いに限界まで吸い終えたところで、同時に煙を吹きかけ合った。余裕があった分、新島の吐く煙が華のそれを押し返す。有害な煙を受けて、華は大きな目から涙を流した。
 しかし、多めに吸った分華の方が肺に多くのストックを蓄えていた。舞台経験に裏付けされた肺活量も後押しする。一気に形勢は逆転し、空っぽになった酸素を取り込もうとする新島の肺に煙が逆流してくる。先に新島が噎せ始め、華もすぐに後を追った。
 他に誰もいない、真っ白に染まった喫煙所の中で二人はしばらく泣きながら笑いあった。可笑しくてたまらなかったけれど、そのせいで涙が出てきたわけではない。言わずもがな煙のせいだ。涙を拭おうと目を擦ると、それで生まれた傷からまた新しく煙が染みてくる。笑い疲れて息を吸い込むと、煙が多量に入ってきてまた咳き込んでしまう。地獄の一種として、この状況が何かの絵本で紹介されていても驚きはしない。誰も喜ばないのに、学校の図書館に必ず所蔵されている類の絵本だ。朗読ボランティアの大人がなぜか好んで読む類の絵本。
 そんな中で、二人は吐き出した煙がほとんど姿を消してしまうまで心から、声が出なくなるほど笑っていた。途中、何人かがドン引きした表情で通り過ぎていく様子を目に捉えていたが、そんなことはまるで気にならなかった。
 「はあ。んん~…ふう。ね、ふざけんな。めっちゃ噎せたわ。」
 「こっちの台詞ね、普通に。…ねぇ、新島って呼んでもいい?」
 「なんでよ。凛って、下の名前で呼んでたじゃんか。」
 「うん。でもさあー、新島って感じがする。新島っ!」
 華が新島に飛びついて肩に腕を回す。「なにっ?ほんとになに!」そう言って身体を引く新島だが、顔は笑ってしまっている。
 「わかった。別に新島でいいけどさー。」
 華から延びる腕を甘んじて受け入れ、新島も華の肩を抱く。身長差のせいで新島は少し屈んでいるし、華は背伸びをしすぎて震えてしまっている。ほとんど新島が華を持ち上げているような格好になっていたが、二人の表情は満足げだった。
 「華のことも名字で呼ばせてよ。お前だけなんかフルネーム教えてくれんやん。なんかあんの?」
 名字を教えてくれないのには何か理由がある。この子は理由もなしにそんなことをするようなやつではない。家族とあまりうまくいっていないという話も、彼から聞いたことがあった。薄々タブーだと思っていた話題に、馬鹿なふりをして突っ込んでみる。
 組んでいた肩がふっと解かれる。まずったかな…。
 「言いたくなかったらいいよ。」あからさまに「やばっ…」という表情をした新島を見て、華は笑った。
 「いや、全然平気よ。そんな大した理由があって言ってなかったわけじゃないから。暮田。暮田華菜子。」
 「あら、かわいい名前じゃない。華菜子っ。」上目遣いで反応を伺う華のおでこを、新島は柔らかく握った拳で小突いた。
 骨と骨が当たり、思いのほか痛かったようだ。華は少しうずくまって、赤くなったおでこをさすりながら言った。「でもやっぱり本名では呼ばれたくないかも。あんまり好きじゃないから。」
 「じゃあ、あだ名考えるわ。私だけの呼び名が欲しい。」腰に手を当てて仁王立ちの格好になった新島が、目を閉じて考え始めた。
 ほとんど付いていない腰の肉を握ったり離したりしているうちに、自分たちの指が長いこと煙草を挟んでいなかったことに思い至る。口を曲げて、片眉を下げた新島は華にジャスチャー付きで提案した。「もう一本、吸う?」
 「もち。」二つ返事で答えた華の左手には、既に煙草が挟まっている。新島は鼻で笑って、ライターに火を灯した。
 首を伸ばしてくる華の表情がかわいくて、少しいたずらしたくなってしまう。新島がそーっと腕を引いていき、華の首は限界まで伸びていく。華はプルプルと震えだし、結局火に届く前に吹き出してしまった。「ちょ、ちょっと!」落ちた煙草に付いた土を指で拭い、なんとなく軽く二、三度振ってから笑顔の新島に火を点けてもらった。
 肺に煙が入っていくのを十分に感じてから、ゆっくりと外に吐き出す。
 「母親とね、あんまり仲良くないの。」
 華の話に、新島は沈黙で応える。こういう込み入った話は相手からの告白を待つしかないし、こちらからの意見も安易な共感も必要ないことを新島は経験から理解していた。
 「お姉ちゃんと一緒に家を出て、それっきり。お父さんはずっと前に死んじゃった。…らしい。ほとんど何にも覚えてない。まあだから、名字で呼ばれるのはあんまり好きじゃないんだよね。いちいち思い出したくないから。華菜子呼びも、お母さんにされてたから嫌。そもそもダサいし。今日日『はなこ』って。センスない。」灰を落とす。
 新島は華の方を見ずに煙草を吸い続けていた。出入口の方で黒い毛虫がもぞもぞしているのが見える。今はコンタクトをしているから目がいい。
 どうしてそんなに母親と仲が悪くなってしまったのかが気になったけれど、その問いは煙と一緒に吐き出してしまうことにした。
 「うちが二十歳であることに耐えられないのよ。」新島の吐き出した煙が空に消えていくのを眺めながら、華は言った。
 「うちの手足はもう、お母さんの指先から伸びる糸とは繋がっていない。その事実が理解できないし、それは間違ったことだと確信しちゃっているの。だから何度でも糸を巻き付けようとしてくる。」
 「うちはもとからそういうのが嫌いだったし、時間が経つにつれて度が超えていった。今新島が想像しているよりもずっと酷いと思う。普通じゃなかった。」
 「共依存の関係でうまくやれていたはずのお姉ちゃんが先に壊れちゃって、うちが無理やり家から引きずり出した。お姉ちゃんの世話をしているうちに私もちょっと病気になっちゃったけど。まぁ、そんな感じ。」
 言い終えて華はすぐに、喋りすぎてしまったことに気づく。病名までは口にしていなかったけれど、ほとんど話してしまっているようなものだ。こういう話は本当に数人にしかしたことがないのに。会ったその日に話してしまったのは新島が初めてだった。
 確かに喫煙所に入ってからの会話はすごく楽しかったし、距離もかなり近づいた気がする。しかし、そうだとしても気を許すには早い。アルコールもニコチンも入れたけれど、どちらも気を張ってある程度のところまででセーブしていたはずだ。…いや、それが出来ていなかったのかもしれない。
 新島たちのことを、彼と親しかった(もしくは親しい)という理由だけで最初から信頼しすぎてしまっていたのかもしれない。華はその事実を認めざるを得なかった。
 新島は肺に黒く溜まったタールが一気に重たくなったように感じた。どんなに息を吐いても軽くならない。「重すぎるよ…。」結局口に出してしまう。煙草ではなく、華の話の方が、だ。
 新島の苦虫を潰したような表情は、華の懸念を吹き飛ばして笑顔にさせた。
 「そうだよね、まじでごめん。」吹き出して、けたけた笑いながら華は謝罪をした。こういう時はもう無理にでも明るくなるしかない。華はそう思っていたし、自らのコンプレックスや暗い過去を話すと変にハイになるというのは新島にも理解できることだった。
 新島も協力体制に入り、口の中で苦虫をさらに潰していく。「なんも言えないよぉ、重たすぎるって…。なんか気持ち悪くなってきたもん。」
 「あはは、煙草吸いすぎたかもね。戻ろうよ、うちまだ飲み足りない!」新島のお腹になぜか頭突きをした華は、そのまま手を背中に回してキスをした。
 突然唇を奪われて目を見開いた新島の視界には、目を閉じた華の、綺麗に伸びたまつげが映っていた。ゆっくりと瞬きを繰り返して何度も目の前の光景を確認する新島だったが、その光景を現実として受け止めるよりも前にあることを思い出して、華の腕を振り払った。
 「ちょっと!やめてよ思い出したわ。酔ったらキス魔になるってあいつ言ってた。」
 背伸びをしていた華は新島の一撃を受けて軽くよろめき転びかけたが、そんなことよりも何かが可笑しくてたまらないといった様子だった。多分その何かは何でもないのだろう。
 新島は呆れてため息をつき、華の手をぎゅっと握った。「あんた、もう飲まないほうがいいかもよ。」
 新島の手を握り返した華は、手の温もり以上に胸が熱くなっているのを感じた。下唇をぐっと噛む。流石にこれ以上は引かれたくない。泣くな。
 「…。いや、飲むよ。もう決めた。うち今日は飲む!」
 繋いでいた方の手を華が高く挙げたので、新島も同じポーズをとる羽目になった。
 夜はまだまだ更けていない。行き交う通行人たちの暖かくも蔑みを含んだ視線を感じながら、新島は華のことを引きずっていった。毛虫はいつの間にかいなくなっていた。


 「あれ、なんか減ってるじゃん!」
 松本がタブレットをがっしりと掴んで騒ぐのも当然で、彼と松本が喫煙所から戻ってみると、画面に映ったお座敷には秋川と沖田の二人しか座っていなかった。帰ってしまったわけではないだろう。グラスやおしぼりは四人分置いてあるし、そもそも全員集合もまだなのだから。
 「煙草かな。」それが彼の導き出した結論だった。華と新島は酒が入るといつも煙草を吸いたがった。残る二人は非喫煙者だ。
 秋川に直接尋ねたことはないし、沖田は一年半ほど前までの情報しかないけれど、あの二人は絶対に吸っていないだろう。これからも吸うことはない。沖田に関しては喫煙者を憎んですらいたように思う。いついかなる時でも、正しい側に立っているような人なのだ。付き合っていた頃は勿論彼も吸っていなかったし(当時は彼も、興味はあれど間違いなく沖田側の意見を持っていた)、彼女の前では煙草を話題に出すことすら躊躇われた。確実に空気が悪くなるから。
 「なるほどね。それで、白井さんは吸うの?」どうして今白井のことを聞くのだろう。松本の質問の意図が彼にはわからない。
 「さあね、どうだろう。話した感じでは吸わなそうだったけど、だいぶイメチェンしてたからな。」インスタを見る限り。
 彼が知っている白井はいつも白かカーキの服しか着ていなかった。インスタにはカフェの投稿ばかり。今では夜の街と、黒ずくめのファッション。濃い化粧に、物憂げな表情。煙草くらい吸っていてもおかしくはない。
 「ふんふん。もし白井さんが吸っているのなら、沖田さんと別れてからのお前は喫煙者ばかりを好きになっていたということになるな。」
 「意味のわからない共通点を見出すな。」それに、新島に関しては一度も好きになったことはない。それは口にしないでおく。
 「意味なくはないだろう。お前はその子たちのことじゃなくて、煙草のことを好きになっていたのかもしれないぜ。」
 ほう。彼は松本の話に耳を傾ける。
 「病んでいる子が好きって言ってただろ。そうじゃなくて、実際は煙草のことが好きだったのかも。」
めちゃくちゃだが、松本のものにしては珍しく一考の余地がある意見だ。
 なぜ病んでいる子が好きなのか。正確には少し違う。
病んでいたり精神を患っているような子に必ずしも心惹かれるというわけではない。何か影を持っている人、目の奥が真っ黒なのだけれどそのさらに奥で蒼い炎が滾り続けている人、まだ諦めていない人が好きなのだ。魅力にあふれているのにその使い方を間違えている人。大きな挫折をもたらす小さな空回りに気づけないでいる人。努力の仕方を間違えている人を見るとどうしても放っておけない。
 それに加えて、正しすぎる人が苦手になってしまった。きっかけは沖田との関係の挫折だ。正論で身を固めていて、いつ何時も正しい側にいる人。そんな人といるとどうも落ち着かない。お互いに相いれない部分が、互いに互いのことを諦めさせてしまう。彼はまっすぐな正論が嫌いになっていた。
 その二つの要素、好きなタイプと苦手なタイプを組み合わせてから考えると、彼の好きになる人がみんな煙草を吸っているような女性になることは必然であるようにも思えた。
 「うーん。あり得る。」右の拳であご髭のわずかな剃り残しをなぞりながら、彼は言った。
 「だろ?」食い気味に松本が喜ぶ。
 こいつは大した学も持ち合わせていないくせに、自論をやたらと展開したがる。それは大抵どこかから仕入れてきたものの丸ぱくりであり(だいたいが漫画か歌詞からの引用だ)、いつも付け入る隙に溢れていた。こちらからの意見がどんなに見事なカウンターだったとしても、一度口に出してしまった自論を松本は絶対に曲げようとはしない。それを理解している彼は、松本の付け焼き刃な意見をいつも飲み込んで褒めてやるのだった。
 しかし、今回に限っては彼も素直に納得しており、松本の鼻の穴はいつにも増して膨らんでいた。


 時間は少し遡る。
 「二人、大丈夫かな。」沖田が言う。二人とは先ほど喫煙所に向かった、華と新島のことである。
 新島はおそらく華のことを会う前からよく思っておらず(彼が新島の前で華の話をしすぎたせいだろう)、それが華の方にも伝わってかなりギクシャクとした雰囲気になっていた。
 「大丈夫じゃないかな。意外に気が合うかも。」秋川がグラスを傾けながら言った一言は、あながち根拠のない気休めというわけでもなかった。
 秋川は新島と話した印象として、自分の考えを包み隠さず口から漏らしてしまうタイプなのだと感じており、それは秋川が彼に対していつも感じている印象に似ていた。どちらの話も聞いているうちに、呆れ笑いを浮かべてしまう。
 華もそんな彼の人柄に一時的にではあるが惹かれたはずであり、その論拠をもってすれば華と新島は相性がいいはずだった。事実、秋川の希望的観測通り華と新島は意気投合し、華はほとんど誰にも話したことのない自らの過去までをも新島に話すことになっていた。

 沖田も秋川も、互いに対して親しみを抱きあっていた。これまでの飲み会における立ち回りもそうだし、服装やメイクの系統もなんとなく似ている。服装でいえば今日の新島のコーディネートも、二人のクローゼットの中で再現可能であるように思えたが、少し違った。
 秋川はしっかりとした生地を見て新島の服が安物ではないはずだと推測していたし、沖田に関してはそのティーシャツの袖にさりげなく入った高級ブランドのロゴをばっちりとその目に捉えていた。
 沖田も秋川も、無地の白ティーに大金をはたくようなタイプではない。二人はよく言えば徹底した倹約家であり、悪く言えばドケチであった。もちろん新島のティーシャツが貰い物である可能性もあるのだが、二人がコーディネートにおいて最も重要視している点(コスパ)が新島とずれていることは、現時点では否定できない。


 かくいう彼も沖田と秋川には似た部分があると感じており、秋川に別れた沖田の影を見ているということもまた事実であった。そんな二人が顔を合わせて酒を飲んでいる光景というのは何度見ても新鮮に奇妙であり、不思議となんだか嬉しい気持ちにさせられていた。
 「なんか似てるな、この二人。」松本が言う。
 「そうなんだよ、似てるよね。」こいつにもわかるのか、そう思いながら彼は返事をする。
 「だから秋川さんと友達になった?」
 「別にそういうわけじゃないよ。」松本の指摘に食い気味に反論しながらも、彼は痛いところを突かれて少し動揺した。今日の松本は少し鋭いな。
 「でもあれだな。秋川さんの方は顔がー…、あんまりかわいくないな。」枝豆を次々口に放り込みながらの松本の発言に、彼は曖昧に相槌をした。対して心の中の彼は「そうなんだよ!」と松本の肩を抱いて思い切り身体を揺さぶっている。
 そうなんだよ!だからちょうどいいんだ。沖田の好きだった部分を感じられるのに、顔はそんなにだから友達のままでもいられるのだ。脳内の、歯を剥き出しにした最低男がそんな相槌を終えたところで、彼は追加の枝豆を注文する。松本のやつ、全部平らげやがった。


 秋川も沖田同様、目の前で頬を赤らめながらにこにこする女の子に対して初対面とは思えぬ親しみを感じていた。しかし、一方で目の前の美少女と自分との間に明確な違いを感じてもいた。
 秋川も沖田も、場の空気を読み、全員にとって気持ちの良い空間を作ることに努力を惜しまない性格である。誰かがピリピリしていたり雰囲気が少しでも悪かったりすると、なにより自分が一番楽しめなくなってしまうのだ。自分のために、他人に気を遣っている。
 「私、リサちゃんとは特に気が合いそうな気がする。」沖田の顔がとろん、とする。恥ずかしさを隠すため、酔いに身を任せようとしているのだろう。「特に」という部分に他の四人への配慮が感じられる。
 沖田にそんなことを言ってもらえるのは純粋に嬉しかった。それでもやはり根本が、自分と沖田とでは違う。秋川はほんの少しだけ笑顔を引き攣らせた。たった今意図的にアルコールを回した沖田は、それに気付けない。
 秋川は自分の外見を極端に卑下しているわけではないが、自分が人目を引くような美人であると思ったこともなかった。お母さんには毎日「世界で一番かわいい」と撫でまわされているし、友達からも「笑った顔がかわいい」とか「肌がきれいで羨ましい」とかで褒められることはある。しかし、親や女の子からの褒め言葉など実際にはノーカウントだ。前者は親バカで、後者は社交辞令である。男の子からの賞賛こそが、秋川(を含む全ての女性)の求めるものであった。そして彼女の記憶が正しければ、彼女が男性から容姿に関して何か嬉しい言葉をかけられた経験はほとんどゼロに近かった。もし褒められたとしても服装や、変えたばかりの髪形に対して「いいね」と声をかけられる程度であり、それは我が校のモテ男があらゆる女性に対して無意識に実行しているエチケットであった。
 それに比べて沖田はかわいすぎる。沖田自身は否定するだろうし、実際本当に自信がないのかもしれないけれど、紛れもない事実であった。百人に聞いたら百人が「美人」と回答することだろう。凛とした美しさに加えて、愛嬌まである。手で口を覆いくすくすと笑ったり、一口が信じられないくらいに小さかったりする。これらの仕草は後天的には身に着けられない才能だ。
 そんな沖田では、完璧な第三者にはなれない。天性のメインキャストであるという言い方の方が正しいかもしれない。
 秋川も沖田も、一歩引いた位置に立つことが癖づいている人種だ。しかし、秋川がみんなの背に回ったところで誰も気に留めないのに対して、沖田は持ち前の華やかさのせいでみんなに見つかってしまう。そんなつもりはなくても、光が当たる方に連れていかれてしまう。
 私はよくも(ほとんどの場面で)悪くも素朴なんだよ。いつまで経っても美しい曲線を描いたままでいる沖田の前髪を見つめながら、秋川は思った。きっと私の前髪は今頃、ヘアオイルと額の汗とが混ざり合い、不細工でのっぺりとした状態に落ち着いているのだろう。
 自分が珍しく卑屈になっていることに秋川は気づく。悪酔いの感覚は今のところない。卑屈に器を与えたような言動を続ける新島の存在と、彼女を含む自分以外の三人が一様に美人であることが起因しているのだろう。
 持ち前の笑顔まで前髪のように崩れてしまうその前に、少し落ち着く必要がある。秋川はぷるぷると口の端を震わせながら、「お手洗い行ってくるね」と沖田に告げた。沖田が付いて来ないことはわかっていた。
 二人でトイレに行ってしまうと、少しの間テーブルに誰もいない状態を作ってしまうことになる。心配の必要はほとんどないとはいえ、なにかを盗まれてしまうようなリスクを自分からは決して起こさない。秋川が逆の立場ならそうするはずなので、沖田も同じ思考を働かせているだろうと確信していたのだ。
 二人の間で生まれた信頼関係は、より限定された範囲には狭まってしまったものの、その分より強固にもなり始めていた。

 鏡の前で確認してみると、前髪の状況は思っていたほど悲惨ではなかった。やはり他の三人に当たったスポットライトの眩しさに、頭がやられてしまっているようだ。
 ささっと手櫛を入れて、前髪をほぐす。四十五点くらいの出来までには持ち直した。もともと今日は前髪があまりうまく決まっていなかったのだし、これで十分だろう。高校なら赤点は回避だ。大学だったら単位はもらえないけど。
 どうして前髪というのは気合を入れた日にはくしゃくしゃになり、どうでもいい日に限ってうまく決まるのだろう。今日集まるメンツがかわいい子だらけだということはわかっていたのだし、最大限マシな自分で初対面を迎えたかったというのに。
 『miona』さんもそうだし、伊波明璃さんだってきっと美人なのだろうな。鏡に映った自分が、深いため息をつく。顔全体が重力に負けてしまっていた。秋川は両手で頬を持ち上げ、目を瞑りそのままぐりぐりと顔を揉みこんだ。目を開けた秋川の視界に飛び込んできた自分の顔は、ちょうどこの時期の夕景のように赤く染まりあがっている。強く力を入れすぎたようだ。焼きたてのパンそっくりな自分の顔を見て、秋川は思わず吹き出してしまった。
 よし、私は大丈夫だ。ビューティーどもなんかに負けてたまるか。リップを塗ったらすぐに戻ろう。あんまり長居をして、化粧直しも大して済んでいないとなると、変な勘違いをされてしまいそうで嫌だから。


 さて、この居酒屋でまだ華が一人で飲んでいた頃、付き合っている女性が目の前にいながら華の方に目を奪われてしまっていた男のことを覚えているだろうか。もし覚えていないとしても、記憶力の衰えを感じたりする必要はない。その男性はほんの一瞬、冒頭に登場しただけなのだから。
 「餅優」と書いて「もちすぐる」と読む名前のこの男性は、先月三十路を迎えたばかりのありふれたサラリーマンである。そして餅は、自身がありふれたサラリーマンであることを誇りに思っていた。
 「同級生が全員進学を選んだから」という惰性的な動機をもって受験に挑んだ十八歳の餅は、正月の集まりで親族に大学名を言っても誰一人としてピンとこないようなレベルの大学にしか合格できなかった。浪人するような勇気も気概もなく、入学してからもろくに勉強してこなかった彼は、就職口を一つも見つけることができないまま卒業を迎えることになる。
 一年間の就活浪人を経て、高校時代のつてを頼りにある会社の営業職を務めることが決定した時の安堵と喜びは、今でも鮮明に思い出すことができる。色素が日増しに薄まっていた暗い世界に、再び鮮やかな光が差すような、暖かい高揚。その感覚を呼び起こすたびに、「自分はなんて幸運なんだ。この仕事を、生活を、しっかりと守っていかなければならない」という使命感に餅は燃え上がるのだった。
 そんな目の覚めるような感覚を味わった経験が、他にも一度だけある。今お酒を酌み交わしている女性――橘美琴と初めて顔を合わせた瞬間だ。
 今の仕事先を紹介してくれた高校の同期が(彼には本当に足を向けて寝られない)五年前に開いたお見合いで出会った二人は、ほんの少し喋っただけですぐに意気投合した。どちらも中日ドラゴンズファンで、読売巨人軍を忌み嫌っていた。
 二次会へは行かずに二人で飲みなおし、そして朝まで真剣に抱き合った。
 気づけば長い付き合いになっていた二人は、そろそろ本格的に結婚を考えてもいい時期に入っていた。今年で二十八になる橘はもう何年も、餅からのプロポーズを待ち続けていた。「女は旬が短い」というのが、彼女の母親の口癖だった。「男の方は缶詰並みの賞味期限なのにねえ…。」そう言いながらいつも、柿の種をまとめて口に放り込んでいた。テーブルの端によけられたピーナッツを食べるのが、橘の役目だった。
 大人になった今では、橘は母の教えに一つ自らの気づきを補足することができる。「男はある程度、自分の旬の時期を調節することができる。」
 彼らが恋愛に本腰を入れ始めるのは二十代でも、別に四十でも五十になってからでも一向にかまわないのだ。化粧やレーザー光線だけでは解決できない、構造としての問題が女性には立ちはだかっている。
 胸の内に秘めた橘の焦りに最近になってようやく気づいた餅は、ひざまずいて渡すための結婚指輪を毎週都心に出向いて吟味していた。
 お互いに確信を持ちあった固い絆に、餅はいつの間にか慣れてしまっていたのかもしれない。
 同棲するマンションまでの帰り道にあるので、この居酒屋は二人のちょっとした行きつけになっていた。そんな店に一人で入ってきた華から、ほろ酔いの餅が目を離せなくなってしまったことは事実である。が、それはあくまで男の本能のようなものであって、ただの生物としての反射だった。整った顔立ちで胸も大きな、二十代になりたての女性が視界に飛び込んできたときに人間のオスが示す正しい反応。
 それに関しては橘もある程度理解していたので(彼女は若さを失いつつある分成熟していた)、眼光は無意識に鋭くなっていたものの黙認で済ましていた。問題は、この時の橘の状態があくまで「黙認」であることに餅が全く気付けていなかったということであり、餅にとって三度目の「目が覚めるような高揚」がこの後現れる女子大学生によってもたらされるということであった。お分かりの通り、餅は少し(ある点においてはかなり)抜けていた。
 思考の深いところまで下りてしまっている華に向かって、何度も声をかける沖田の困り顔を目にした瞬間に、餅のピントはその一点から外れなくなってしまった。彼の心臓のど真ん中には矢が突き刺さり、周りの音が聞こえなくなる程の鼓動を彼の耳に響かせていた。
 小顔がさらに際立つポニーテールと、シャープな線を描いた顎が美しい。少し曲がった背中も、あらゆる外敵に怯える小動物のようでかわいらしかった。餅は決して面食いというわけではなかったが、沖田は彼の理想以上に理想の容姿の持ち主であった。
 彼はもはや完全に上の空だったが、橘はそれでも笑顔を保ち続けた。今日という日に、「楽しくなかった」という判をなるべくは押したくない。今自分が怒ってしまうと、この後ずっと笑い声が一つも聞こえないという事態になってしまう(餅は橘に叱られると、どんな些細なことでも必要以上に落ち込んでしまうのだった)。今日は安いお酒を楽しく飲んで、明日の朝にでもさりげなく伝えてやればいいのだ。
 新島と秋川が合流し、四人は席を移動したものの、(橘にとっては)残念ながら餅の視線の延長線上に彼女らがいるという事態には変わりがなかった。
 単純に人数が増えて華やかさも増したお座敷からは、四種の香水が混ざり合った甘すぎる匂いが橘の鼻をツンと刺していた。もっとも、餅は甘美な香りとして脳を震わせ喜んでいたが。
 初めに来た胸の大きな女性と、さっき来たガリガリでひょろながの女性が席を立ち、店に残ったのが秋川と沖田だけになったとき、橘は折れた心をぐっと持ち直した。これで餅の浮ついた心も一段落つくかもしれない。
 意識をこちらに向けさせようと、頭の中の引き出しを片っ端から開けていく。引き出しには今まで使用する機会に恵まれなかったカードたちが大量に散らばっており、橘はその中からまだ埃をそこまで被っていないものを数枚選び取った。 
 しかし、職場の近くで見つけたおいしそうなパン屋さんや、もうすぐ四歳になるお隣さんの長男の話題などでは、餅の視線は勿論耳をこちらに傾けることすら叶わなかった。「ああ、」とか「うん」とか相槌は返ってくるものの、彼女の話に対する新鮮な驚きや彼発進の意見とかは一つもない。橘は流石にだんだんとむかついてきた。それで、こちらから話しかけることをやめた。
 餅に向ける視線をさらに鋭利にして頬杖をつき、溶けた氷で薄まったウーロンハイをちびちびと飲み続けた。自分ばかりあくせくしているのがバカらしかったし、作戦を変えることにしたのだ。餅には悟らせず何事もなかったかのように楽しく飲み続けるのではなく、自分が嫌がっていることを彼に気づいてもらうことにした。一言謝罪をもらって、それから飲み直せばいい。もし彼が反省しすぎてしまったとしても、それはそれでもう仕方がない。それほど彼女は腹を立て始めていた。餅の落ち込み方があまりに酷いようなら、このあと家で優しくしてあげればいいのだ。子供が出来れば話も早いし。
 そんな橘の方向転換は、最悪の結果を見せる。橘が一言も喋らなくなってしまったことで生まれた沈黙を埋めようと、餅がなにげなく口にした言葉によって、橘の血管という血管は悉く弾け飛ぶことになる。
 「橘さん、あの席の女の人見える?あの右側に座っている人、すごく綺麗じゃない?」
 橘はテーブルに両の掌を叩きつけ、その勢いのまま立ち上がった。グラスやお皿が倒れてテーブルの上はたちまちカオスと化してしまったし、素早く立ち上がった衝撃で血の塊がどろっとナプキンに降りていった感覚があったけれど、そんなことはもう気にならなかった。
 店員もお客さんも、餅が鼻の下を伸ばし続けていた美人さんも、全員がこちらを見ている。腰を可動域の限界まで捻らせ振り返り、白目を剝き出しにして目を見開いている。見世物ではない。だが見たいのなら見ればいい。私は今からこの男にブチギレますよ。
 感情の起伏を示すメーター針は「MAX」と書かれた点を勢いよく通過し、時計回りに加速し続けている。橘はハイになっていた。指先の震えが止まらない。さっきまで身体中を巡っていた怒りが、凄まじいスピードで頭に上っていくのがわかる。
 口をぽっかりと開けて橘を見上げる餅の様子を見て、彼女は歯をガチガチ言わせながら鼻で大きく息を吐いた。
 無言のまま軽快に出口へと歩を進める橘のことを、餅はしばらくの間ぼーっと眺めていた。しかし、彼女に集まっていた視線が自分のもとに非難の目として移っていることを肌で感じ取ると(彼らの目は橘を見ていた時に比べてかなり細まっていた)、固まっていた足をようやく動かした。
 レジを過ぎたあたりで彼女の手を取る。「橘さん、どうしたの?僕まずいこと言っちゃったかな。ごめんなさい、」そこまで言ったところで、橘が餅の手を乱暴に振りほどいた。「ちょ、ちょっと待って。話そうよ。ほんとに待って。」
 手首を掴まれたまま、橘は諭すように話し始めた。「うん。餅さん、もういいから。もうほんとにいいから、とりあえず、離してくれない?」橘の目は本気だった。大マジだ。瞳孔が完全に開いているし、顔はさっき頼んだスライストマトよりも赤く染まっている。橘の腕が急に熱を帯びたかのように、餅は素早く手を離した。
 ちょうどシフトを入れ替わったばかりの若い女性店員が、事態を飲み込めないままレジに駆け寄ってきた。橘は彼女に「会計はこの人が済ますので。」とだけ短く伝える。勤務開始早々なにか面倒が起こりそうで憂鬱な女性店員だったが、橘の様子を一瞥するだけでその杞憂は振り払うことができた。そこには女性同士にしか感じ取ることの出来ない、微かな電流のようなものが通っていた。店員は「かしこまりました。」と言って静かに頷き、それを受けた橘は会釈を返して悠然と退店した。
 店のドアが完全に締まるのを確認してから、店員は餅に尋ねた。「お会計になさいますか。」
 餅はまだ橘の背中を見送っていた。高校時代まで水泳に打ち込んでいたことで逞しく成長しすぎた肩幅が、彼女のコンプレックスであった。とはいえその身体は十分女性らしさを残していたし、鋭角な逆三角形の体型と、脇の付け根から膨らむ乳房の見事に調和した姿が餅は好きだった。
 「お客様。」店員がもう一度声をかける。
 「もう少し飲みます…。」餅は答えた。彼の目は米粒ほどの大きさになった橘の背を未だに追い続けている。それがいいと思います。と店員は思わず口にしそうになったが、思いとどまった。同棲しているにせよしていないにせよ、話し合うのは女性の頭が冷えてからの方がいい。酔いすぎには注意してくださいよ。それだけは伝えておいた方がいい気もしたが、やめておいた。


 橘と餅という、なんとも縁起の良い二人の一部始終の原因が自分にあることなど、沖田は知る由もない。「大変そうだね…」と、いかにも傍観者らしい感想をこぼすのみであった。
 沖田が台風の目であるのに対して、またしても秋川は第三者である。というよりも、今回はエンドロールにも名前がのらないレベルのモブキャラであった。そんな秋川は「本当に大変なのはきっとこの後だよ」と、一連の事件に関して傍観者歴の違いを見せつける発言を残した。
 橘はこの後餅と同棲するマンションの一室へと帰り、その郵便受けに彼の注文した結婚情報誌と高級ジュエリー店からのハガキが届いているのを発見する。数十分後に涙目で帰宅する餅は、それらの紙切れのおかげでなんとか難を乗り越えることになる。
 お分かりの通り餅は少し(ある点においてはかなり)抜けているのだが、それ以上に彼は(自覚している通り)いつも大事なところでツいているのだった。


 白井と伊波も、橘と餅のやりとりを店の外からガラス越しに目撃していた。野次馬根性で眺めていたというわけではない。単純に中に入れなかったのだ。そんな空気ではないことが、音の全く聞こえない外からでも十分に把握できた。
 「ここに来るまでにも変な人たちがいたし、この街は、変だな。」と伊波は思った。治安が悪いのともまた違う。ただ変だ。
 喫煙所で見たその二人組は、火事でも起こったのかと見間違えるほどの煙の中で爆笑していた。文字通り二人のうちどちらかが笑いすぎて爆発してしまったのではないかというほどの煙で、人間の影が二つあるということしか確認できず、どんな姿をしているのかまではわからなかった。喫煙所には屋根がなかったので、それはまるで大きな煙突のようにモクモクと上空に煙を吐き出していた。
 橘が颯爽と退店し、憔悴した餅が店員と何がしかのやりとりを終えるのを確認してから、伊波と白井はどことなく申し訳なさそうに入店した。
 店内には記録的ヒットを叩き出した映画の主題歌が鳴り響いていた。余命宣告をされた男が乗る車椅子を、恋人の女性が桜の木の下で押しているコマーシャルが脳内に映し出される。最終盤、まもなく永遠の眠りにつこうという主人公の男が、彼女がいないうちに彼の男友達とキスをしたシーンは白井も思わず息を呑んだ。
 伊波は、インディーズの頃から追っていたバンドが大ヒット映画の主題歌を歌うまでに成長したという事実に、心地よい寂しさを感じていた。映画は勿論観ていない。
 女の子四人と待ち合わせをしていることを伝えると、女店員が席へと案内してくれた。

 シフトを変わる時に、帰り支度をする後輩バイト君から「かわいい人だらけの卓」は興奮気味に紹介されていたので、伊波と白井がどのテーブルに行きたいのか女店員はすぐに判断できた。
 後輩バイト君は餅と同様、華が一人飲みを始めた頃から彼女たちのことを注視していた。注文を取ってグラスを置くたび、個人的に声をかけようかという考えをよぎらせていたし、そのような発言を周りの店員にもし続けていたが、結局それを行動に移すことはなかった。白井と伊波の姿を見られなかったことを、後日酷く悔しがっていた。
 今は二人しか座っていないけれど、キッチン側に座っている方の子は確かにかなりの美人さんだった(向かいに座るお客さんには失礼だけど)。そして今彼女らと合流しに来店してきたこの二人も、その子に負けず劣らず綺麗だった(断っておくが、お手洗い側に座っているお客様だって決して不細工というわけではない。肌がとても綺麗だ)。
 伊波と白井が並んで歩く姿を見ていると、女性店員は何か新しい性癖をくすぐられているような気分になった。
 黒に呪われたかのような服装の肩にバッグをかけ、ポケットに手を突っ込んだ白井が歩くと、何でもない居酒屋の通路がまるでランウェイかのように華やいだ。「安っぽい大衆居酒屋の通路など、金輪際歩くことはありませんよ。」少し顎を上げた彼女の顔は暗にそう伝えているように見えた。
 対して、スウェットの袖を手がすっぽりと隠れるまで余らせた伊波の歩みは、子供みたいに軽快だ。ほとんどスキップしているようにも見える。
 伊波が履く厚底のスニーカーよりもさらにヒールの高いブーツを身につけた白井が前を歩き、伊波が後ろから大きな歩幅で跳ねるように付いてくる。伊波が話しかけ、白井が振り返って答えるその様子を見る限り、二人はとても親しいようだった。身長差によって白井はさらに大人びて、伊波は幼く見えた。しかし話している様子をよく注視すると(この頃にはもう席に案内し終えている。女店員はその後も熱心に六人が集まるお座敷席を観察していた)、伊波の方が年上だということがわかる。時折白井が敬語を使っているし、経験による落ち着きが伊波からは感じられる。結局大人はまだ子供扱いしてほしいものだし、子供は「大人っぽいね」と褒められたいものなのだ。二人の格好から女店員はそんなことを思った。
 二人の奇妙なコントラストに、女店員はむず痒い興奮を覚えていた。二人とも漫画に出てくるキャラみたいだな。

 沖田たちのもとに近づくにつれて、先を歩く白井の歩みは遅くなっていった。それに気づいた伊波は片足で軽くジャンプして、一歩で白井の前まで出てきた。店員が案内を済ませ去っていくと、伊波は元気よく待っていた二人に挨拶をした。
 「初めまして〜!」
 伊波の営業スマイルは実際には営業スマイルではない。彼女は嘘がつけない性格なので、愛想笑いはできない。会えて嬉しいと本気で思っているからこそ、ここまで親しみやすさ満開の笑顔が生まれてくるのだ。
 白井も控えめに挨拶を済まし(彼女の場合笑顔は作り物であったが、こちらはこちらで完璧な仮面だった)、靴を脱いで白井と伊波はそれぞれ秋川と沖田の横に腰を下ろした。伊波はここがまるで久々の実家であるような勢いでどかっと座り、白井は中腰の姿勢からゆっくりと座布団のところまで降りていった。沖田と秋川の顔にも、目が細まり口角が少しだけ上がった『初対面用笑顔』が張り付いていた。この二人も、その道の権威と言ってもいいほどに愛想が良いのであった。


 新島と華は、居酒屋に戻る前に煙草を買っておくことにした。新島の煙草が切れたのだ。華は自分のをあげるからいいよと言ったのだが、「もうウィンストンは吸わない!そしてなーこからの施しは受けない!」とのことだった。華の呼び名は「なーこ」に決定していた。華菜子だから、なーこ。
 二人はさきほど煙草を買ったコンビニに再び入り、「別のレジをご利用ください」というプレートの置かれたレジ越しに、ずらりと並んだカラフルな箱とモノクロの番号を物色した。肉まんと惣菜を挟んだ隣のレジからは、男の店員が感情のない目でこちらをじっと見つめている。高校生だろうか。一切の甘えを許さない傷んだ黒い直毛が、下敷きで擦った後みたいに重力に逆らっている。
 「四十四番ください。」そう伝えると、店員は返事もせずにのそのそと新島の求める煙草の列へと歩いて行った。「こわ~い。」華がそう言ってへら~っとする。諫めるような新島と目が合うと、華は「四って数字は縁起が悪いんだぜ、知らねーのかまぬけっ。」と指を突き付けた。まぬけとまで言われる筋合いはなかったが、態度の悪い店員のことを言っているわけではないのだと安心する。連れが回りすぎていると、自分の酔いはどんどん冷めていくという典型的な現象が新島の身には起こっていた。彼女自身飲み会では介抱される側にいることがほとんどなので、新島は慣れない状況を楽しみつつも戸惑っていた。
 「こちらでよろしいですか?」店員の手に収まった四角い箱には、青い文字で「1」と書かれていた。箱の色も白い。欲しいのは薄い青だ。桜が咲いたかどうか確かめるときの蕾越しに映る、春の訪れというよりは冬の終わりを感じさせるような淡い空色。彼に出会う前までは相棒であった、メビウス・エクストラライト三ミリ。
 「あぁ、違いますすみません間違えました、えーーっと…、」顔を除いた身体中の体温がさーっと冷たくなっていく。汗が背中を伝うのがわかる。慌てすぎているし、口が回らないのに口数は増えている。唾を飲み込むと、喉から乾いた「ゴキュ」という音が大きく鳴った。私だって酔っぱらっているのだ。醜態をさらしたくない、恥ずかしい、という意識はまだ残っているのだから余計に面倒だ。新島は数秒目を瞑って落ち着きを取り戻す。
 四十四ではなく、四十五番だった。店員が今にも舌打ちしそうな様子で再度煙草の壁の一角を崩す。  「煙草ばっか買ってすみませんね~。」寄りかかっていた新島の肩から、華が身を乗り出して謝罪した。今度こそこの思春期店員に舌打ちされる。怯えた新島が片目だけ薄く開けて店員の顔を確認すると、彼は鼻を膨らませて歯を見せずに笑っていた。結局美人の笑顔かい。新島は図らずもいつもの調子を取り戻した。美人も笑顔も関係なしに、ただ女の子に話しかけられただけで嬉しいんだろうなこいつは。多分陰キャだもん。
 新島が会計を済ますと、店員が「あの、よかったら」と言って小さな紙の切れ端を煙草と一緒に渡してきた。おそらく彼の番号であろう数字が書かれてある。新島の手からそれを奪い取り、まるで難しい暗号を読み解くかのような顔つきで紙を近づけ眺めていた華だったが、「非喫煙者はお断りだよ!」と言って紙くず入れに突っ込んでしまった。
 新島に対する態度から、この店員が喫煙者でないことは明らかだった。喫煙者というのは、「我々はみんなで肩身を寄せ合い助け合わなければ生き残れない」という認識を共有し合っているものなのだ。喫煙者に冷たいやつが喫煙者のはずがない。
 とにかく、新島はその光景がとにかく痛快だった。ハハ、と声を出して笑い、自動ドアが閉まりきる前に華とハイタッチをしてしまうくらいだった。「ざまあないね、あいつ!」新島がそう言うと、「あんな奴に可能性があるわけないでしょ!」と言って華も悪い顔で笑った。今日日あんなナンパの方法を取る若者がまだ存在するとは。せめてインスタのアカウントとかにしたらどうだろうか。
 後日また別の飲み会で、行動を起こした勇気に関しては一考の価値があると再評価を受ける彼だったが、酔っていたとはいえ女子二人から腹を抱えて嘲笑われたことを咀嚼しきるのに数年を要したことは言うまでもない。

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