【十三】
聞いてしまってから、率直すぎたなと焦った俺は、手を振って誤魔化そうとして止めた。代わりに、菩薩を召還した。本当に自分でも自覚できるほどニコリと微笑み、小首を傾げることにしたのだ。困った時は、これが一番良い。勝手に相手が、深読みしてくれるのだから。
「――座ろう」
そして話が変わるにしろそうでないにしろ、相手が何か言いやすいように、近くに腰を下ろした。すると三葉君がついてきて隣に座った。緑の木陰で、俺は三葉くんの横顔を伺う。
「知らない人だよ」
その時ポツリと三葉君が言った。目を瞠る。確かに俺は知り合いが多い方ではないが、三葉くんの友達だったら、ほぼ十割がた、俺も知っている気がしたからだ。
「それは、僕が知らない相手って事だよね」
中等部に行った先輩だろうか、それとも下級生か、嫌ここはやはり同級生で一緒のクラスになったことがないとかだろうか。あ。俺はそこで一つの可能性を思い出した。あのペンダントトップから宝石をとったからと言って、必ずしも学園内というわけじゃないだろう。近隣の女子校の子などに渡したのかもしれない。だから、お返しの宝石は無かったのではないのか?
「ううん。僕も知らない人」
「――え?」
ま、まさか設定ヒロインじゃないだろうな。三葉君なら、高屋敷家をつぶせるぞ……どうしよう。
「あんまりよく見てなかったんだ。その日『グランギニョル・マンデー』が起きたから」
呆然とした俺の前で、三葉くんの瞳が輝きはじめた。まずい。このままだと自分の世界に逃避される。引き留めなければ……!
「知らない人ってどういう事?」
「頂戴って言われたんだ。代わりに良い物をくれるからって」
「何を貰ったの?」
「……」
反射的に聞くと、三葉くんが無表情に戻って、不意に俺を見た。そのまま暫しの間、俺達の間には沈黙が横たわった。気まずいというわけではなかったが、三葉くんの、話す気がないという意志は伝わってきたように思う。だから俺も深く追求するのは止めた。追求したくて仕方がなかったが、これで心証を悪くしても困る。今後二度と三葉君の機嫌を損ねないようにしなければ。だけど三葉くん相手だとどうしても、つっこんでしまう時があるんだよな。存沼や和泉にもだけど。本当みんな、馬鹿と何とかは紙一重というか……。特に三葉くんはそれが著しいのだ。
「――あげちゃった後、今度は『グランギョニル・マンデーⅡ』があったんだ」
「そっか」
だから漸く返ってきた言葉に、微笑んで俺は二度頷いた。そもそも、株の話しをする気もないしな。しかしながら、三葉くんはやはりそちらに興味が移ったようだった。誤魔化しているのではなく、本気で表情が、変わった。透き通るような瞳で遠くを見て、満面の笑みを浮かべたのだ。だがそれからすぐ、無表情に戻り、三葉君が視線を地におろした。
「……僕はもっと株に集中したいんだ」
これ以上集中する気なのか。止めた方が良いと思うな、俺は。
「だけど周囲が煩くて」
それはそうだろう。ミツバ事件など無くても、誰だってあのはまりっぷりには危機感を抱くはずだ。周囲が確実に正しい。
「何か良い方法無いかな?」
「……一人暮らしをするとか、どうかな?」
俺は無理矢理言葉をひねり出した。勿論笑顔で。
「それだ!」
しかし、ハッとしたように目を見開き、三葉君が俺を凝視した。まぁ、現在だって一人暮らしをしているようなものだし、この回答なら、これ以上悪化することもないだろう。そもそも完全な一人暮らしなんて無理なはずだ。和泉とは言わず、どうせ一人となればお手伝いさんや護衛などが大抵はついてくるだろうからな。
それにしても……知らない人にあげたって……――帰りの飛行機に乗りながら、俺はそちらの方が気になっていた。知らない人? 学内か学外かも分からないが、ペンダントの風習を知っているのであれば、学内の人物である可能性も高い。だが、三葉君にお返しに渡していないと言うことは、ペンダントを所持していないと言うことだ。
まさか、教職員か……隠れ攻略キャラが、中等部の数学教師だ。それは即ち、俺達の進学に会わせて中等部に移動した、枕投げの阻止を放棄した俺達の担任――……梁田昭典先生だ。梁田先生は、現在二十代半ば。年の差……? 嫌だな、嫌な考えだな、同性の教え
子が好きな教師……自分の趣味を理由に教師になったのだろうか。
ま、まさかな。枕投げの日、三葉君と話していたのは、ただのお礼の言葉を言うために他ならないはずだ。性善説を俺は信じよう。何せ菩薩を召還できるのだから。
「ねぇ、誉様……」
その時、隣に座っていた葉月君に腕の袖を引かれた。それまで俺はずっと窓の外の雲を見ながら思考に浸っていたのだ。悪いことをしたなと思って視線を向ける。ちなみに無作為にチケットを受け取ったため、俺・葉月君・和泉・高崎君の順で座っている。ファーストクラスだから、二組ずつなのだが。
「どうかしたの?」
「本当に三葉様から宝石を贈られたんじゃないんですね?」
「うん。どうしたの、急に」
「だって……さっきあの三葉様の笑顔を引き出して……あんな表情、和泉様とご一緒でも三葉様はお見せにならないのに」
なるほど、株の話しで旅立ちそうになっていた三葉君の笑顔を勘違いしたんだな、やめろ。
「あれはね、三葉くんの興味があるお話をしていただけだよ」
「三葉様は何にも興味をお持ちにならないって聞いてます。きっと誉様にご興味が……」
「そんなことはないよ」
「じゃあ、どんなご興味が?」
株。一言できっぱりと言ってしまいたいが、俺が三葉君の趣味を暴露したりするのは気が引ける。誰にだって好きなモノは、あっても良い。それに印象を塗り替えたりしても困る。そして現実的に、宝石をあげた相手が設定ヒロインだった場合には、悪い方向にしか働かない気がするのだ。打算的でごめん!
「三葉くん本人か、和泉に聞いてみたらどうかな?」
「……じゃあ、和泉様は?」
じゃあって……本当に止めて欲しい。なんなんだよ。
「まさか」
俺達はどちらとも異性愛者だ。ありえない。
「だって、和泉様のことを呼び捨てにしているのは、学園では誉様だけですし」
「ええと……それは、小さい頃からの付き合いだからかな」
そうなんだ。知らなかったよ俺は。存沼と三葉くんは特別なのか?
「では、雅樹様の事も同じ理由ですか? マキ君って」
「そうだよ」
「本当に、本当に、本当ですね?」
まさかこの子、本当に俺一筋なんじゃないだろうな。俺は無理だぞ。
「……だったら、他には?」
「この前話した通りいないよ」
「そうですか……」
すると葉月君が、高崎君の方を一瞥してから、俺を見た。なるほど、
自分の恋愛相談をしたいのだなと、発見した。
「葉月君は?」
だから空気を読んで、俺から話しを振った。
「実は、気になってる人から告白されて……五年で同じクラスになってから仲良くなって」
お。
男同士は喜ばしいことではないが、前から気になっていたのか。そして侑君だけじゃなくて、俺にも相談してくれる気なのか。絶対さっきの二人のヒソヒソ話はそれだろうしな。あれはお土産選びなんかじゃなかった気がする。こういうのはちょっと嬉しいな。それに侑君は同じクラスじゃないから、違うはずだ。五・六年は別だ。一緒だったのは、一・二年だ。
「だけど恥ずかしくなっちゃって断っちゃって……」
いやあれ、やっぱり断り文句なのか。無理だろう。おかしかったぞ。
「誉様だったらどうしますか?」
「後で二人きりの時に、自分の気持ちを素直に伝えるよ。放課後とかにかな」
「サロンに行く時とかですか?」
「え? いや、どうだろう、とりあえず放課後は良いと思うけど」
そもそもサロンになど、存沼としか行かないのだから、あり得ない。
「なるほど……そうですね。そうしてみます!」
「うん。頑張って!」
「頑張ります! だってみんなの好意を受け流している誉様の手腕ですし! 本命には、直球。勉強になりました!」
は? 手腕? 好意? 何の話しだろうか……俺は何も受け流したつもりはないぞ。記憶にないぞ。葉月君、何か妄想してないか。俺はただの親(保護者?)心で、素直になれと言っただけだぞ。前世で全くモテなかったんだから、恋愛手腕など無いぞ。勉学と違って、こればっかりは習えないしな。俺には個人的に師事している相手もいないぞ。
そんなこんなで、俺達は帰国した。
修学旅行が終わって二週間後のことだった。
――和泉にカノジョが出来た……!
異性愛者確定だ。俺は我がことのように喜んだ。良かった、天は我を見捨てなかった!
「え、嘘? 本当?」
昼休みに呼び止められて、二人で階段脇の人気がない場所に移動し、そこで聞いたのだ。
「ああ。一番に話そうと思って。誉も好きな相手できたら言ってくれよ」
「有難う」
一番という言葉だけでも俺は嬉しくなった。
「絶対に言うよ。え、だけど、何処で知り合ったの、その女の子と!?」
「声が大きい。えっと、その、あれだよ、ヴァイオリンの発表会」
なるほど。最近俺は発表会はことごとくキャンセルしているからな……。勿論理由はきちんとある。中等部からは、外部入学してくる優秀な生徒が増えるから、五教科を習う時間が増加したのだ。だからヴァイオリンなどの習い事の頻度はかなり減った。
「それで、友達に会ってみたいって言われて。誉さえ良かったら、次の月曜日とか」
友達……! 友達!! 和泉に友達と言われると純粋に嬉しかった。
そして月曜日という、習い事あけで休みの俺の日程も汲んでくれている。
「分かった。楽しみにしてるね」
俺は、これぞうきうき気分って奴だなと思いながら、月曜日を待った。今回ばかりは日が流れるのが遅く思えた。
そして紹介してもらうことになったのが今日だ。
「はじめまして、花波真由梨です」
長い黒髪で色白の女の子だった。照れるように、小さく和泉の腕の服を片手で掴みながら、俺に挨拶してくれた。初々しい二人だ。真由梨ちゃんは(本人の前では花波さんと呼ぶが)、近隣の有名な女子校、それこそ女子版稑生と言われるお嬢様学校、華邑学(かおうがくいん) 院に通っているそうで、やはりヴァイオリンを習っているのだという。何度
も発表会で会ううちに意識しだして(どちらがだろうか)、相思相愛になったのだとか。そこを詳しく聞きたかったが、野暮だろうと思って今はとどめた。そのうち、和泉に聞こう。
物腰も穏やかで、本当に大和撫子と言った感じだ。
良いな、華邑!
真由梨ちゃん、友達を紹介してくれないだろうか……!
ところで存沼が最近しつこい。俺のストーカーに転職するつもりなのか?
登校すれば玄関にいるし、休み時間になる度に会いに来るし、昼休みは当然だし、放課後は絶対だ。放課後だけは昔からそうだったが、他はいったい何の用だ。
――しかしこちらからよっていくと挙動不審になる。なんなんだよ。
存沼と言えば、以前に好きな相手がいると聞いていたな。しかし未だに、誰なのか聞いていない。そろそろ好きな相手をそろそろ教えてくれたって良いだろうが! 昔、「一番仲が良いって思ってた」ってお前が言ったんだろうが……――いや、よくそんな発言、俺も覚えているな……。そんなことを考えていたある日だった。
サロンに行く途中、存沼が自信なさそうに唇を開いた。
「……聞いて欲しいんだ」
「何? 何でも話して」
好きな相手のこととかな。それ以外、特にお前に興味はないぞ。
「片思いが辛いんだ……」
ほぅ。存沼でもそんなことを悩むのか。少し意外だったので、立ち止まり、目で空き教室を探した。すぐ側にあったので、視線で存沼を促す。
そして二人で椅子に座ると、熱っぽい顔で、存沼が俺を見た。情けないような表情をしていた。頬に朱が指している。恋する乙女(男だが)だな。
「……このまま一生片思いかもしれない」
「それで、相手は誰なの?」
「……」
「それを聞かなきゃ、相談にものれないよ」
俺は溜息をつきそうになりながら、存沼の言葉を待った。さっさと話せ。観念しろ。
「満園豊って知ってるか?」
おおぅ。知っているとも! ”五星”最後の一人である、二つ年上の先輩だ。現在中学二年生。接点はないから、設定しか知らないけどな。不良キャラだが、医学部志望。ヒロインじゃないのは確定だ。十分だ。設定ヒロインではない! もう同性でも良いとも! もしや、存沼……不良に憧れるお年頃なのか? 存沼よ。止めておけ。
しかしまぁ……一応友達だしな(相談してくれるって事はそうなんだろう)、応援してやるか。男同士だけどな。所で、存沼相手でも、勉強イベントは発生するのだろうか? 逆に存沼のイベントは起こりえるのだろうか? ただ危惧するべきなのは、二人がもめて、設定通りの極悪な仲になることだ。それだけは阻止した方が良いだろう。少なくとも満園先輩が卒業する、一緒に在学する一年間だけでも。俺の近辺で問題が起こらなければそれで良い。
それにしても。
何処に惚れたのかは、純粋に興味がある。花園先輩は、ローズ・クォーツのメンバーではないから、サロンでは会わなかった。何処で出会ったんだろう?
「どこで好きになったの?」
「運動会の時」
「何処が好きになったの?」
「運動会でリレーが早かったんだ。結局今年も、あのタイムを俺は抜けなかった……!」
存沼の頬が紅潮した。え。うん――まぁ、良いのか、運動できる奴はモテるって言うしな。小学生の恋愛なんてこんなもんか。
後に俺は思う――俺はちょっと舐めていたのかもしれない。
そうしていよいよ卒業式がやってきた。俺達の卒業式だ。
感慨深い。後輩に泣かれた。先輩まで駆けつけてくれた。何よりも、設定とは違い共学化しなかったことに安堵した。来年からも男子校だ。設定では、中一から共学化だったから、本当に安心した。脱力感を全身が襲う。そうしながらも、すぐ側の校舎に移るだけだというのに、少しだけ寂しくなった。もうこの、六年間付き合った制服を着ることはないのか。”おにいさん”とか呼ばなくて良くなるんだな。サロンの場所も変わるんだな。
花束を受け取りながら、俺はいろんな意味で泣きそうになった。
なお高屋敷家では卒業パーティがあった。存沼の想い人――満園豊も招待してやった。しかし出席してくれたものの、存沼は緊張しすぎているらしく、ずっと俺の隣にいた。意味がなかった。そして招待したが、ルイズが来なかった。骨格的に女装が難しくなったのだろう。大体、春から外部入学してくるんだし。
ちなみに卒業祝いには、アベーユ&アヘーンバッハ社製の時計を貰った。価格は、円に
すると五千万円ほどだった。全く気が遠くなる。小学六年生と中学一年生の間に、こんな時計を渡されるなんて……!
ちなみに弟は三歳になった。最近「おおきくなったらおにいさまのおよめになる」と言ってくれる。いいなぁ、弟って。兄弟かつ男同士じゃ結婚できないけどな。
そんな春だった。