【第二十二話】魔王、優しさについて考える。
夏休みも中盤にさしかかった本日、俺はリザリアと共に馬車に乗っている。というのも、俺が久しぶりに医療院において治癒魔術の行使を頼まれたというのを、リザリアが聞きつけて、見学したいと言ってきたからだ。そろそろ婚約の円満解消を切り出してもいいくらいには気軽に話せる仲になってきたかなと思うけど、俺はまだ様子を見ている。迂闊に動いて好感度を下げるのは、望ましくない……。
こうして馬車が医療院に到着したので、俺は馬車から降り、リザリアに振り返った。久しぶりに手を差し出して、エスコートをする。そうして医療院の中に入ると、子供達の視線がこちらに集中してきた。ここは、魔力関連疾患を抱える小児が中心に暮らしている医療院だ。その多くは平民だ。
「グレイル様ー!」
子供が何人も俺に群がるように集まってきた。魔王の記憶が戻ってからここに来るのは初めてだが、肉体の記憶もあるから、子供達の顔はきちんと覚えている。
「この絵かいたんだよ!」
「さっきお菓子を作っておいたの!」
「これ、庭のクローバーで作った栞!」
口々に集まってきた子供がそう言い、皆笑顔を浮かべている。そこへ穏やかな笑みを浮かべて、医療院の管理者であるシスターが顔を出した。
「ようこそお越しくださいました、グレイル様。そしてリザリア様」
「お初にお目にかかります、シスター・レーゼ。ナイトレル公爵令嬢リザリアと申します。本日は見学させて頂きますが、邪魔をしないよう気を付けますわ」
「どうぞゆっくり見て回って下さいね」
二人のやりとりを聞きつつ、俺は本日依頼されている子がいる部屋を視線で見た。過去にも何度か見た事のある少年で、ルゼラと同じく魔力過剰症を患っている。今回も吐血がひどいと聞いていた。そのままシスターに案内され、俺はリザリアと共に、病室へと向かった。するとベッドの上で上半身を起こしていた少年が、窓の外を見ていた。外に見える枝には、黄緑色の小鳥が停まっている。
「ノア。グレイル様がお越しですよ」
「! あ、グレイル様!」
振り返った少年が、嬉しそうに両頬を持ち上げた。俺も笑顔を返してから、寝台へと歩み寄る。そして脳裏に魔法陣を描き、治癒魔術を発動させた。すると少年の体の周囲を覆う魔力膜が修繕されたのが分かった。
「わぁ、体がポカポカする。軽くなったよ!」
ノアが明るい声を上げた。子供が喜ぶと、良い事をした気分になるから、俺も嬉しい。
その後は他の病室も見てまわってから、俺達はシスターにお茶を振る舞ってもらった後、医療院を後にした。馬車は返してしまったので、徒歩で王都の路地を歩く。そうしていたら、ポツリとリザリアが言った。
「元々、貴方を婚約者にと思ったのは、医療院での活動を耳にしていたからなんです」
「へぇ」
「一番それが大きかったので、実際に拝見できて嬉しかったですわ」
「ああ、そう」
「子供達に慕われているのも分かります。話を聞いた段階で、治癒という強い力を持つのに、驕るでもなく無償で子供達に手を差し伸べているというのだから、心優しい方なのだろうとは思っていたのですが……一緒にいてみていると、すごくそれを感じますわ」
「え?」
「表情も話しぶりも淡々としているし、いつも興味がなさそうだったり、やる気がなさそうに見えるのに、いつだってやる時はやる上に――何より、優しいですわね、グレイルは」
「……そうかな?」
こんな風に言われるとは思ってもいなかったから、俺は驚いた。だからゆっくりと瞬きをしてから俺は口を開いた。
「俺は、君の方がずっと優しいと思うけどね。貧民街に目をかけたり」
「私の慈善事業は、きっと偽善的なものですわ」
「だとしても、それが誰かの役に立っているんだから、俺はいいと思うけど」
「グレイルにそう言ってもらえると、勇気が出ますわね」
そう言うとリザリアがはにかむように微笑んだ。その横顔を見たら、何故なのか俺の胸がトクンとしたのだが、理由は分からない。気のせいかなと、俺は思うことにした。
それから少し歩いていくと、路地の陰から鳴き声が聞こえてきた。
「ニャア」
見るとそこには、薄汚れた元は白いのだろう仔猫がいた。親猫の姿は無い。本当に小さくて、二ヶ月から三ヶ月の間くらいに見える。目は開いているが、棒のように手足が細くて、倒れているごみ箱から出ているハムの包装の袋をぺろぺろと舐めていた。
「まぁ」
目を丸くしたリザリアが、それからそちらに歩み寄る。俺もゆったりとした足取りでついていくと、『拾って下さい』と書かれた木箱がそばに置いてあった。どうやら捨て猫らしい。
「こんなに小さいのに……」
リザリアも箱に気づいたようだった。仔猫を抱き上げた彼女は、それから片腕で抱いて、もう一方の手で猫を撫でる。
「……私が、守ってあげますからね」
リザリアは猫にそう話しかけてから、俺へと振り返った。
「今日はこの仔を連れて帰るので、このまま公爵家へと戻ります。綺麗にして、餌をあげないと」
「拾うの?」
「ええ。放っておけませんので」
「そっか」
頷きつつ、やはり優しいのは、俺ではなくリザリアだろうと、静かに内心で考えたのだった。そして俺は、彼女のそんな優しさが、嫌いじゃない。