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【第五話】魔王、王都の散策をする。


 帰宅すると、マリアーナが俺の前に立った。手には一通の手紙を持っている。

「メルゼウスからのお返事です」
「ああ」

 相変わらず処理が早いなと思いながら、俺は片手でそれを受け取り、リビングへと向かった。そして制服の首元を緩めてから、深々と背を預ける。封蝋(シーリングスタンプ)がおされた手紙を開封し、中を確認した。要約すると、『仕事が落ち着いたら顔を出します』と書かれていた。なんでも最近は王太子の婚約破棄騒動で、宰相府が大忙しであるという愚痴が添えられていた。俺も巻き込まれているので、なんとも複雑な気分である。

 その日はゆっくりと休んでから、俺は翌日の朝を迎えた。
 本日はお休みだから、ゆっくりと『現代』をまわってみようかと思う。
 そもそものこの肉体において、俺はそこまで外出した方ではない。インドアというわけではなく、『いつでもいけるから行かなくていいや』という感覚で、あまり出かけなかったかたちだが、今はぜひとも見てまわりたい。

 そんな気分で私服の袖に腕を通し、俺は早速王都を見てまわる事に決めた。じっくり見物したいので、徒歩でまわる事に決める。

 ベルツルード伯爵邸を出ると、まず左右に広がっているのは貴族の王都邸宅が並ぶ、エドワード英雄王通りだ。通称、貴族区画である。この通りを直進した先に、王宮が存在している。区画内で王宮に近ければ近いほど、坂の上に位置し、高位貴族の邸宅が多くなっていく。俺の家は、可もなく不可もない位置で、伯爵家の中で見るならば、子爵家や男爵家の方向に近いので、どちらかといえば下位かもしれない。

 その坂を下っていき、俺は王都の大通りに通じる道に出た。そこを右折し、さらに坂を下りていく。すると飲食店や様々な店舗が並ぶ大通りに出た。こちらを右に進むと、平民街に続く。この国において、大多数の国民は、平民だ。貴族と貧民は、ごく少数である。俺の周囲にはどうしても貴族が多いので、貴族ばかりに目が行くが、王立魔術学院でも一番多い生徒は、平民だ。ただこれまでに俺は、使用人以外の平民とはあまり関わった事が無いらしい。昔はそもそも、人間にこうした階級制度は無かった。王族と騎士や王宮に仕える人間とその他くらいのくくりだった記憶がある。

 俺はぶらぶらと、色々な店などを見て過ごした。武器店にも立ち寄ったが、俺には壁にかけておくのには丁度良さそうな玩具ばかりが置いてあるように見えた。食べ物は魔導具と同じくらい進化していて、美味しそうな品を、貴族だけでなく平民も味わっているのが分かる。昼食を買い食いした俺は、それを実感した。

 暫くそうして歩いていき、俺は大通りのはずれで、細い路地を見つけた。知識としては、そこを曲がると――貧民街に続いていくと分かっていた。この体でも当然魔王としても、一度も立ち入った事が無い。

「一応行ってみるか」

 そう呟いて、俺は路地を曲がる事にした。細い坂を下っていくと、どんどん道も悪くなり、王都と比べるとあばら家とでも評するしかない簡素な家々が見えてくる。そうして突き当りに、左右に伸びる道を見つけた。左に行くと、貧民街の居住区画になるようで、右手には小さな教会が見えた。教会ならば貴族が訪れてもそこまで不自然では無いだろうと判断して、俺はそちらに向かう。

 古めかしい教会の扉は開いていた。中から笑い声が響いてくるので、俺はひっそりと中を覗き込んだ。すると幼い少女が笑顔を浮かべていて、その正面には司祭とシスター、また隣には――ルゼラが立っていた。痩身の彼女は、本日は学院で見た時とは異なり柔らかな表情で、口元には小さな笑みが浮かんでいる。そういえば孤児のようだったなと思い出し、教会は孤児院を運営している事が多いのだったと俺は思い出した。この肉体の記憶だ。ぼんやりと眺めていた時、不意にルゼラがこちらを見た。そして目を丸くし、驚いたように息を呑んでいる。気づかれた俺は、曖昧に笑って見せた。

 歩み寄ってきたルゼラが、俺の前に立つ。リザリアよりは少し背が低い。

「な、なにかご用ですか……?」
「あ、いや。ちょっと散策をしていて、たまたまこの教会が目に入ったから来ただけだよ」

 俺が答えると、何度かルゼラが頷いた。それから僅かに不思議そうな顔をした。

「貴族の方が貧民街に来るのは珍しいです。治安も悪いし、スリの被害にあったりしませんでしたか?」
「今のところは大丈夫」

 答えた俺は、やはり勇者パーティの魔術師と魔力色がよく似ているなと思いながら、一応ステータスを確認しておこうと決めた。脳裏で魔術を起動するための魔法陣を思い浮かべると、目の前に透明な板のようなステータスが現れる。ざっと見てみようと重いっていた俺は、一番下のステータスの『好感度』が、前回しようした時のまま『個人間』になっていたため、最初にそこに目をとめてしまった。理由は、好感度が思いのほか高かったからです。

 ――45%。

 これは友人関係としてたとえるならば、親友の一歩手前くらいの好感度だ。リザリアが俺に抱いている好意よりもずっと高い……。それだけ、食堂で一緒に昼食をとった事は、ルゼラにとって大きな事だったのだろうなと考える。助けたのはリザリアだが、貴族であるのに俺は拒否せず同席した――と、ルゼラは考えているのかもしれない。それだけ、貴族や平民と、貧民の間の溝は深いと言える。

「どうかしましたか?」

 ルゼラがその時首を傾げたので、沈黙した状態だった俺は、慌ててステータスを消失させた。そして軽く首を振る。

「ううん。荘厳な教会だなと思っていただけだよ」

 実際それは本音であり、ステンドグラスが美しい。それは魔王であっても変わらぬ美的感覚だ。ちなみに聖ヴェルガルド教は、よく言えばばかなりおおらか、悪く言えば大雑把な宗教だと俺は認識している。当時から魔族と人間という種族を超えた恋愛にも寛容的だったし、人間同士でいうならば、男女だけでなく同性間の恋愛であっても、そこに愛があるならば問題はないという姿勢を貫いていた。その緩やかさが民衆に受け入れられたようで、この国で一番普及した様子だ。他の宗教は小規模にしか広がらなかったが、だからといってそれらを弾圧した様子もない。ミサも行われるが、三ヶ月に一度くらい行けば問題無いという緩さだ。貴族も葬儀や結婚式などは、基本的に聖ヴェルガルド教の形式で行う。

「とても歴史が長い教会だから……古い聖典なども残っているんです」
「そうなんだ」

 それを機に、俺はルゼラから、この教会について色々教えてもらいつつ、雑談をした。すると俺に対しても、ルゼラは時折笑顔を浮かべるようになった。学院ではやはり緊張もあったのだろうと思う。今日は、普通に会話が成立している。

 そのまま俺は、夕方までルゼラと言葉を交わしていた。
 そして教会が五時を告げる鐘を鳴らしたところで、帰る事にした。

「またね」
「は、はい! またよかったらお話させて下さい。今日は……楽しかったから」
「うん、俺も。じゃあね」

 こうして俺は、教会を後にした。



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