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【十七】熱の解消



「ン……っ……?」

 目を開けた時、亘理は自分が何処にいるのか分からなかった。白く高い天井には見覚えがなく、自分が沈むようにして横になっている灰色のソファも記憶にない。いつの間に眠ってしまったのか――そう考えた直後、すぐに大きく吐息した。体が熱く、喉が異常に乾いていた。

「目が覚めた?」
「森永少佐……?」

 ぼんやりとした思考を振り払うように、亘理は何度か瞬きをした。何故ここに森永がいるのかと亘理は思案し、そして車に乗ったところまでを思い出した。視線を動かし、そこがリビングであると確認し、恐らく森永の家なのだろうと理解する。

「どうぞ」

 森永が、ミネラルウォーターのペットボトルを亘理に差し出した。受け取ろうとして、亘理は体に力が入らない事に気がついた。眠気のようなものは大分楽になっていたが、体の熱と目眩が、酷くなっていた。いいや――目眩ではない。そう気づいた時、ゾクゾクと背筋を走り抜けた熱、その正体に亘理は気づいた。

「ァ……」

 熱かった。熱を逃そうと大きく息をするが、その呼吸だけでも体がより辛くなる。ペットボトルを亘理が取り落とした。

 すると森永がそれを拾い、キャップを開けた。
 亘理の口元にそれを運び、静かに森永が飲ませる。

「どういう経緯かは知らないけれど、大貫中佐達に、亘理大尉は、おかしな薬を盛られたようだね。覚えている?」
「薬……っ……」
「君の家まで送ろうと思っていたんだけど、鍵がどこにあるか分からないのと、亘理大尉の具合がよろしくなさそうだったため、私の家に連れてきたんだよ」
「……お手数を……ッ」

 必死で答えながら、亘理は悩んだ。薬が何かは分からないが、毒薬の方向だろうと判断した。これまでに大貫中佐にそのような事をされた記憶は無い。そして、遇津雪野が、利用価値のある自分を毒殺するようにも亘理には思えなかった。だとすれば、森永少佐との昨日のやりとりを、何らかの手段で大貫中佐が知って、制裁をしようとしたという事なのか。それにしては、あっさりと帰宅させてくれた理由が分からない。

「どんな……毒物……なのでしょうか? 解毒薬は……」
「毒――というか、まぁ、わかりやすく言うならば、媚薬の類みたいだね」
「媚薬……?」

 どういう意味なのか、一瞬分からなかったが、先程自身の体が反応している事には、亘理も気がついていた。

「何故そんなものを……」
「私に聞かれても」
「やはり……森永少佐と話した事が露見して……くっ」
「その気配は無いけれど、妥当な推測ではあるよね」
「ぁ……」
「色っぽくて困るね――まぁそういうわけだから、解毒薬は、強いて言うならば、体を重さねる事となるのかな」
「……」
「私で良ければ、お相手するけど」

 そう口にしながら、森永が亘理のネクタイを緩めた。虚ろな瞳で亘理はそれを見ていた。
 そして返事をする前に、唇を塞がれた。

「ン」

 森永は亘理を見ながら、大貫中佐の意図を考える。
 十中八九、単純に亘理を喰らおうとしただけだと、森永は判断していた。

 森永にとって体を重ねる事は、特別な事象では無い。そこに愛があるか否かが重要である。たとえ一夜限りであってもだ。尤も、今回に関しては、薬を抜くという善意がある。あくまでも善意だった。据え膳を食べる理由を、森永は用意するたちである。女性ながらに、森永は男を食べるのが好きだった。だから煽るように深く口づけをする。

「っ……」

 声を押し殺そうと、亘理は努力していた。必死で唇を引き結ぶのだが、吐息と共に声が漏れるのが止まらない。亘理とて、過去には恋人がいた事もある。だが、いずれの彼女とも、このように濃厚にキスをした事は無かった。

 ――そうでなくとも、森永とは経験値が違いすぎる。

「大丈夫?」

 車に乗る時も、同じ言葉をかけられたと、亘理は思い出した。だが今回は、森永の声は少し掠れていて、彼女もまた吐息が荒い。森永を見上げると、その瞳がギラついていた。亘理は、この視線に覚えがあった。大貫中佐が朝見せた瞳の色と同じだ。だが、不思議と森永少佐には、嫌悪感が無い。異性だからだろうか?

「大丈夫だ……っ」

 敬語も忘れて、必死に亘理が答える。それを眺めていた森永は、熱い息を吐くと、そのまま亘理を押し倒した。すると目を閉じた亘理が、その時、震える手を森永の首に回した。

「!」

 予想外の反応に、森永はゾクリとしてしまった。
 二人の荒い吐息が、無音の室内に谺する。
 そして亘理の上に森永が跨る形で、二人は体を重ねた。

 ――事後。
 急速に体が楽になった亘理は――そのまま意識を手放すように眠ってしまった。

「困ったな、ハマりそうだ」

 ポツリと森永は呟く。そして空調を操作してから、分厚い毛布を亘理にかける。

「弱ったな、惚れそうだ」

 森永のそんな声を聞いている者は、誰もいなかった。

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