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【十二】珈琲




 彼女が吐く白い吐息が空へと登っていくところだった。
 無論、上官の言葉である以上、拒否するのは難しい。
 室内へと促した亘理大尉は、森永少佐をソファに誘った。

 それから、インスタントの珈琲をカップに淹れる。

「気を遣ってくれなくて良いのに。いきなり押しかけたのは、私だしね」

 コートを脱いだ森永少佐は、それから首元のネクタイを少し緩めた。

 ソファ正面のテーブルは、巨大なモニターが場所を占めているから、その端にカップを置く事になる。また、モニターを挟んでは話しにくいからだろうと、隣に亘理は座った。二人で座っても余裕が十分ある、横に長いソファであるから特に窮屈さもない。

「いいえ、大しておかまいも出来ず申し訳ありません」

 二人で静かに珈琲を飲む。ついたばかりの空調が、温かい吐息を吐き出している。

 ソファとテーブル以外には、まったくといっていいほど家具がない。無機質で生活感を抱かせない部屋である。それとなく、そしてなにげなく視線を向けたようにみせてはいたが、森永少佐はしっかりと室内の確認を行っていた。

「煙草を吸っても構いませんか?」
「うん、どうぞ」

 森永少佐の同意に礼を返してから、亘理大尉が一本銜えた。
 オイルライターで火をつける。

「それで、お話とは何でしょうか?」
「なんだと思う?」
「監視カメラの件ですか?」

 淡々と響いた亘理大尉の声に、森永少佐は表情を変えそうになった。
 かろうじて笑みを保ったまま、小さく首を傾げてみせる。

 どうやら気づかれた上で、放置されていたらしい。しかも設置主が、森永少佐の配下だと確信している様子である。

 ――いいや、侮れない相手であると言う事は最初から分かっていたのだから、ここで動揺する必要はない。森永少佐はそう思い直して、笑みを深くしながら膝を組んだ。

「妹さん可愛いね。今年で何歳?」
「十七です」
「十三歳で死亡記録が出てるけど、君が細工をしたの?」
「いいえ」
「まぁ普通脳みそが抜き取られていたら、遺体として扱われて火葬されるよね。葬儀はしたの?」
「しておりません」
「ご両親も、現在は、脳だけなの?」
「ええ。脳と幾ばくかの神経が、水槽内の薬液の中で揺れていますよ」
「あんまりにも平然とあっさり答えてくれるから、ちょっと拍子抜けしちゃったよ。ええとね、一応仮想現実の終末医療への利用は、日本では未認可だけど、それはいい?」
「存じております」
「ここまでの現時点で、二つの問題が既に浮き彫りになっている。一つ目は、家族三人の死の偽装。二つ目は、仮想現実の終末医療行為としての使用。どちらも犯罪だ。特に一つ目は、刑事罰ですらあるよ。だけど君は細工をしていない。ならば、細工をしたのは、死亡診断書を書いた、遇津総合病院の医師だという理解でいいのかな?」

 その問いには答えずに、亘理はマグカップを傾けた。
 珈琲は、少しだけ温くなっていた。
 森永少佐が、亘理大尉の横顔を見ながら続ける。

「監視装置から割り出したかぎり、君の妹からの通話も、遇津総合病院の地下が発信元だった。総合して考えると、遇津総合病院の地下に、未認可の仮想現実接続設備があるという推論が成り立つ。はっきり言ってしまえば、君の妹は、そこで水槽に浮いているんでしょう? 脳だけの状態で」
「ええ、森永少佐殿のご推察の通りです。俺からも一つ質問をしても宜しいですか?」
「何?」
「通信記録からでは、妹の現在地しか分からなかったと思うのですが、何故仮想現実との通話だと確信なさったんですか?」
「ああ、それは、映像解析班の努力の賜物。仮想現実の中の植物が特に分かりやすいらしいんだけどね、さもありそうな見た目なのに、地球上のどの植物とも一致しない形態が多いんだって。人間の記憶力と想像力の程度で、そうなる場合が多いみたい。他にはさ、風が吹けば当然髪や服が揺れるでしょう? だけど木々の葉の一つ一つや雲の流れといった天気、陽光の加減も、現実と比較すると差違があるんだって。あくまでも仮想現実世界は、個人が脳内で作り出したまがい物だから、全ての自然摂理を模倣する事は不可能に等しいらしいよ。そういった特徴を一つ一つ解析しながら知見を集積している解析班が、全力で今回も映像解析を行ったって事だね。だからすぐに、仮想現実だというのは分かったよ」

 少しだけ自信で瞳を輝かせた森永少佐は、一気に言いきるとカップの中身を煽った。
 なるほどなぁと聞いていた亘理大尉は、一人頷いた。

「話を戻すけど、亘理大尉。要するに君は、仮想現実を利用しているご家族を守るために、遇津コーポレーションと親しくしているという認識でいいの?」
「……」
「はっきり言っちゃっていい? 脅迫されてるの? 家族の命を人質にとられて」
「――先方は、人質にして脅迫していると考えている可能性はありますが、俺個人にはそう言う認識はありません」
「何らかのうまみ、あるいは家族を助けてもらった恩義を感じて、個人的に親しくしているという意味?」
「そういうわけでもありません。時折、遇津側の指示を受け事はありますが」
「たとえばどんな指示? 大貫中佐の手足となれと言うような?」
「ええ。主として、それです」
「うーん、ちょっと分からなくなってきちゃったな。これまでの話からすると、別に亘理大尉は、遇津側に従う必要性は必ずしも無いんだよね? なのにどうして大貫中佐の悪事に手を貸してるの? 純粋に、上司だから部下として手助けしているだけとは思えないんだよねぇ」
「必ずしも指示に従う必要が無くとも、不用意に指示を無視するほどの関係でもありません。それと大貫中佐に関しては、ごく個人的な別の理由があります」
「その理由を詳しく教えてもらえるかな?」
「――珈琲が無くなってしまったので、もう一杯淹れてきます。少佐殿はいかがなさいますか?」
「ありがとう、私はまだ大丈夫」

 それに頷き、亘理大尉は立ち上がった。


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