第三十二話 エアリス
ミケールは痛みに耐えながら、自分をまっすぐに見つめる少女に微笑みを向ける。
凝縮した痛みを受けているミケールを少女は流れ出る涙を拭わないで見続ける。
『ユウキ様。ありがとうございます』
少女は、まっすぐにミケールを見ながら、斜め後ろにいるユウキに感謝を向ける。
「いえ」
ユウキは短く言葉を発するだけだ。
治療の前段階は、終焉に近づいている。
ミケールは声が出せない。肩で息をしている。支えられなければ立っていられない。
『ミケール』
少女の呟きが室内に木霊する。
それだけ、室内には音が存在しない。
「レイヤ!頼む」
ユウキが、レイヤに声を掛ける。
次の段階に移行するために、ミケールには座ってもらう必要がある。レイヤは、準備していた椅子にミケールを座らせる。
『ユウキ様。続けてください』
ミケールの言葉を受けて、レイヤ以外の男性が部屋から出ていく、変わりに武器を取り出したユウキが部屋に入る。
ユウキの後ろに杖を取り出したヒナが続く。
もう少女は、ユウキたちを止めない。
今、止めてもミケールの献身が無駄になると理解している。それに、これから行われる事がどんなに残酷なことでも、自分が望んだことだ。誰かに責任を押し付けるわけにはいかない。自分の身体よりも、ここで止めてしまってはミケールが戻るチャンスが無くなってしまう。
わかっている。理解している。少女は、ユウキではなく、ミケールの状態を見逃したくない。すべてを目に、心に、焼き付ける。
「ミケール殿。手順は説明した通りに行います」
片目で、自分を見つめている少女をしっかりと捉える。そして、微笑を浮かべる。ミケールの心は誰にも解らない。微笑はミケールだけの感情表現だ。少女は、ミケールの微笑を受けて、泣きはらした顔のままミケールが好きだと言っている笑い顔を作る。
『お嬢様。ありがとうございます。ユウキ様。お願いします』
ミケールは、少女が自分に笑顔を向けてくれたのがわかった。
「わかった。レイヤ!ヒナ!」
「おぉ!」「はい!」
ユウキが、薄刃の剣でミケールの脚の付け根から切り落とす。
同時に、先ほどとは違う絶叫が室内に響き渡る。ユウキが剣を引いた瞬間に、ヒナが準備していたスキルを解き放つ。持っていた杖の先端が光る。
レイヤが、焼け爛れた腕を切り落とす。
脚を切り落としたユウキが剣を放り投げる。そのまま、両手でミケールの腕にスキルをあてる。
ユウキが放り投げた剣が落ちて来る前に、スキルの発動が終わった。
落ちてきた剣をユウキが受け取る。
ユウキが剣を杖に持ち替えて、スキルを発動する。
治癒の最上位スキルだ。準備に必要な時間は、ユウキのスキルレベルでも3秒。
脚を修復したヒナが、杖の先端でミケールの潰れた目をえぐるように突きさす。
腕を切り落としたレイヤがミケールの顔を炎のスキルで焼く。そのままレイヤは、炎でミケールの背中から腕にかけて焼いていく。
絶叫にもならない無言の叫び声をミケールがあげる。
肉が焼ける臭いが部屋に充満する。着ていた服が燃え落ちる。露出した肌は、炎で焼けている。
長い、永遠と思える3秒が過ぎた。
「ヒール!」
スキルの効果にしては、余りにも短い言葉をユウキが発する。
ユウキから放たれた光が、ミケールを包む。
動かなかった腕や脚が動き出す。
焼け爛れた皮膚が修復される。
ヒナが貫頭衣を取り出して、ミケールに着させる。皮膚の修復が貫頭衣の下で行われているのは光からもわかる。
見えている腕や脚も修復が完了する。
ミケールが閉じていた目を開ける。
抉られた目が復活している。
「ふぅ・・・。髪型だけは無理だな。それは、ご容赦願おう」
ミケールが椅子から立ち上がった。
椅子は炎で焼けた服の焼け残りや、炎の威力で焦げた部分もある。しかし、自分の脚で立ち上がったミケールには火傷の後は見られない。
少女の目の前で行われた治療ではあるが、やっていることは拷問を、少女は目を逸らさずに見ていた。
そして、ユウキたちが行った奇跡を・・・。ミケールが立ち上がった瞬間に、自分の感情がわからなくなり、流れ出る涙を隠さずに、ミケールに向けて動かない脚で歩き出そうとしていた。笑おうとする感情と、泣き叫びたい感情で、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
少女は、目を伏せて、顔を伏せた。
ユウキだけではなく、付き添っている者たちも、少女の感情が落ち着くまで、何も語らなかった。
少女は、泣きはらした顔を上げて、ユウキを見つめる。
横で自分を優しい目で見つめるミケールではなく、ユウキをまっすぐに見る。
『ユウキ様』
「なんでしょうか?」
『治療をお願いします』
「わかりました」
『泣きはらして、腫れてしまった目も治りますか?』
「それは難しい注文ですね。腕や脚や肌は、以前のように、美しい状態に戻りますが、その涙はあまりにも美しい。私程度のスキルでは、美しい涙を流した目を治すのは不可能です」
『それは残念です』
「はい。なので、身体を治した後で、貴女がもっとも信頼する人に治療を頼んでみるのはどうでしょうか?」
『そうですね。私には、こんなにも、私のことを考えてくれていた者が居たのですね』
『お嬢様』
ミケールは精神的にも肉体的にも限界なのは、誰の目にも明らかだ。
しかし、ミケールは少女を治療が行われる部屋に抱きかかえるように連れて来る。ユウキたちの補助を断って、自分と少女だけで数メートルを、長い時間をかけて移動した。二人の歴史を手繰るように・・・。
新しく用意された椅子に、少女を座らせる。
ミケールの時と違うのは、近くにミケールがいる事と、少女の周りにサポートするように待機していた者たちが部屋に入ってきた。
「ロレッタ。サンドラ。アリス。ヴィルマ。イスベル。頼む」
ユウキの言葉に、皆が頷く。
『ユウキ様?』
少女がユウキたちの態度に不安と疑問が籠った声で、呼びかける。
名前を呼ばれたユウキではなく、ヒナが少女の前で腰を落とした。目線を合わせて、少女に話しかける。
「エアリス。ミケールの治療を見ていてわかったと思うけど、定着してしまった火傷は、治せない」
『はい。お聞きしています』
「うん。エアリスの服の下の肌は定着してしまった火傷だよね?」
『・・・。はい』
「ミケールと同じように、もう一度、皮膚と一緒に定着した場所を炎で焼くか、切り落とすしかない」
『はい』
まっすぐにヒナを見る少女の表情には怯えは見られない。
「その時に、服も一緒に燃えちゃうよね?」
『え?あっそうです』
「ミケールは大丈夫だと思うけど、ユウキもレイヤも男だからね」
『え?』
「こんなに可愛いエアリスの、綺麗な肌を見ちゃったら理性が飛んで襲ってくるかもしれないでしょ?」
冗談めかしてヒナが言っている事が理解できて、その状況を想像して、少女は顔が赤くなるのを認識した。見えている耳まで真っ赤になる。
女性たちは、治療の為にいるのではない。
少女に羞恥を感じさせないためにいる。
ユウキとレイヤが、頭を掻いて、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
少女は、そんなユウキとレイヤの表情が面白いのか、笑ってしまった。それでも、火傷の跡があり表情が動かせない。
「よし、エアリスの笑顔を取り戻すぞ」
ユウキの照れ隠しなのか、解らない掛け声で治療が始まる。
雰囲気とは反対の拷問に近い方法だが、治せるのはミケールで実証されている。
手順は同じだ。
永遠と思える3秒が過ぎて、ユウキのスキルが発動する。
同時に、女性たちがユウキとレイヤとミケールから少女の裸体を隠す。ミケールの時と違って、スキルを発動して隠してしまう方法だ。
ユウキとレイヤから視認されないようにする為にも、5名のスキルが必要になる。ユウキとレイヤなら”見ない”とは思っているが、それでも女性たちはスキルを発動した。
スキルで姿が隠された少女は、皆から渡された服を身に着けた。
そして、自らの脚で立ち上がった。