第24話『秘密』
満天の星空には、ちりばめた光のつぶがまるで粒子かと思うほど繊細で遠くに輝く。
その空の下、老齢の黒いスーツ姿の紳士と白い燕尾服を着た女が小高い丘の上でゆっくりと空を見上げながら話をしていた。
黒いスーツ姿の世界樹は、ため息まじりにつぶやいた。
「やはり、まだ早いかもしれないのう」
燕尾服の女も呼応するようにして答えた。
「私がついていないと危ないわ」
他の神々が介在しない場所で二つの存在は会話を続けていた。
世界樹は感傷めいたようにして告げる。
「しかしな、汝は力を使った……。ゆえに、誓約通り力と存在を失うぞ」
そこで女はなんてことが無いようにいう。
「ええ。力は使ったわ。たしかに、|死《・》|神《・》|と《・》|し《・》|て《・》の存在と力は失われるわね」
「そうであるな……。死神としての存在と力だな」
「おっしゃる通りでだから人として、下界に向かえるはずですよ?」
世界樹は、どこか困ったような表情を女に向けていた。
「たしかに……。そうだ。間違いではない……。そこまでわかっていて誓約し、千年近くも行動していたのか?」
世界樹はいい、気がついたことに初めて笑う。女も穏やかに微笑んでいた。
それもそうだろう、本来桐花は天使になれるはずが一樹を救うためだけに、異なる時間軸で死神となったのだ。
一樹と遭遇するまでに千年の歳月を費やしても、最後は自らの存在消失を条件に一樹を救う。
救われるのは一人だけという、悲しみしか残らない。
それでも救うためだけに、これまで活動してきたのだ。世界樹にしてみたら千年は短いと思うだろう。ただし元人にしてみたら相当長いのは世界樹も理解していた。
だからこそ長い時を使って、結末を理解していながら行動していた桐花の覚悟に、感嘆していたのであった。
桐花は世界樹のといにいう、それは秘密だと。
「それは乙女の秘密ですよ? それに、秘密に深いれして人の振る舞いをするようなやぼさは、世界樹にはないでしょ?」
世界樹は、してやられたと言わんばかりの態度でいう。
「おもしろいことを言う……。一度だけ……。一度だけであるぞ」
これで互いに伝え終えたのか、桐花の体は徐々に黄金色の粒子に包まれていく。
もうこの場所に来ることもないゆえ、別れ際に桐花はいう。
「ありがとう。世界樹様」
桐花はゆっくり深々とお辞儀をする。
世界樹は、まるで出来損ないの卒業生を見送るかのような、穏やかな眼差しで桐花を見つめ、これまでの活躍を労う。
「うむ。千年もご苦労であった。汝に幸あれ」
こうして、桐花は眩い黄金色の光の粒子に包まれると、世界樹との直接的な接点は消えて普通の人に転生する。
そこには世界樹だけかと思うと、もう一人妖艶な美女が現れる。
「彼女、行ったのね?」
「ああ。そうだな。わずかな間でも相応の活躍には、希望を叶える形で労いたいものじゃ」
「随分とお優しいこと」
「あの者が与えるこれからの影響は、期待したくなるものじゃよ」
二柱は、どこというわけでもなく桐花の去った場所を見つめていた。
桐花はイルダリア界へ今のままの姿で人として転生し、一樹がいる町へ白いローブ姿のまま降り立つ。そして、一人嬉しそうに髪をなびかせながら、地下ギルドへ向かっていった。
――その頃、一樹は……。
一樹は、ようやく日常を取り戻していた。
救出した日は教皇も交えて、感謝されまくったのは記憶に新しい。
それよか、早く取り下げてほしいことを伝えると、すぐに手配をしてくれた。
後日あらためてささやかな食事会が開かれて、モグーもここぞとばかりに食事にありつく。
一樹は嬉しさ半分、桐花のことを思うとどこか胸に穴が空いた気さえしていた。
本物の教皇から賞金の件は取り下げられ、認知されるまで時間はかかるものの、安泰と言える日常が蘇ってきた。
ようやく一樹はポショ作りとダンジョン巡りに注力できる。
まだ見ぬ製作の種類とまだ作成していない製作物に興味が高くやる気も倍増中だ。
モグーは変わらず、魔法のテント内にあるベッドの上で幸せそうに寝ている。もはやベッドの虜と言える。
今日も一樹は、いつものように地下ギルドへ来ていた。
変わらず大量に製作した『ポショ』の納品で慌ただしそうだ。セバスと笑い合いながら新たな『ポショ』を納品していた。
魔法袋からまた魔法袋を取り出し、忙しなく作業をしていると、一樹の背後から声をかける者がいた。
「手伝いましょうか?」
その声とふんわりとフローラルの香りに気がついた一樹は、思わず表情を緩めて|あ《・》|の《・》|時《・》と同じくいう。
「俺、何も出せないよ? この『ポショ』ぐらいしか」
そのままの姿勢で、懐から取り出した『ポショ』を見せる。
「いいわ、ぜひお願いね。ただ……。今度は、少し違うわ」
一樹は振り返り、あらためて名前を呼び見つめる。
「桐花……」
すると白いローブ姿で、照れくさそうにいう。
「一樹、よろしくね。私……。力、無くなっちゃった」
恐らくは、一樹の蘇生で力を失い人になったのだろうと察していう。
「しゃーないな。俺の助手から頼むな」
「ええ、任せて」
嬉しさのあまりか、わざとらしい会話を続けることもできず、桐花は涙ぐみ始めた。
そのまま一樹の胸をかり、ひとしきりに涙を流したあと、桐花と一樹は互いに見つめ合いいう。
「おかえり桐花」
「ただいま一樹」
するとこの一部始終を見ていたセバスとセニアそれにエルザたちは拍手して迎える。
周りに冷やかされながらも嬉しさ半分、照れ臭さ半分で一樹は頬をかき、桐花は照れくさそうにはにかむ。
こうして、地下ギルドは再び賑やかになっていく。
一樹は話題を変えたいのか、思いだしたかのように桐花にいう。
「あっ! そういや次は中層近くまで行きたいんだよな」
「明日はどう?」
「行こうぜ!」
一樹はキリカに手伝ってもらいながら、納品を手早く済ませると、二人でさっそく宿に戻っていく。
「そういえば、モグちゃんはどうしたの?」
「ん? 魔法のテントで寝ているぞ?」
「ねね。気になっていたんだけどさ。そのテントってどんな感じなの?」
「ああ。見せたこと無かったよな。多分たまげるぜ?」
「え? 何よその勿体ぶって」
「悪い悪い。俺たちがいた時代の生活様式をそのまま再現させた空間だよ」
「え? 何それ、すごい!」
「今、魔法のテントのレベルはMAXでさでかいんだぜ?」
「どのぐらいなの?」
「百畳ぐらいのリビングに、二十畳ぐらいの部屋が四つとキッチンと風呂、それと温水洗浄トイレもあって割と豪勢な作りだぜ」
「ちょっと、ずるいじゃないそれ」
「ん? これから一緒に住むんだからずるく無いだろ?」
すると桐花はハッとしたような顔になり、途端に頬を染める。驚きのあまりなのか、一言しか声が出せない。
「え?」
一樹は少し不安になり、桐花に尋ねる。
「ん? 違うのか?」
すると満面の笑みで桐花は言葉を返す。
「うん……。すごく嬉しい」
逆に一樹は照れくさそうにいう。
「よかったよ……。これで断られたら切なすぎるぞ」
「ありがとね。一樹」
「部屋も余っているし、とりあえず風呂にゆっくり浸かるのもいいぞ」
「うん。すぐ入りたい」
話をしているうちに、一樹たちは宿屋につき部屋に入る。
「この部屋に出入り口を設置しているんだ。どこにでも持ち運べるんだなこれが」
「へえ。そうなんだ」
「見た目は黒く丸い口だけど、今登録したから認識もできるし自由に出入りできるぞ」
「あっ、現れた!」
手を引いて、中に誘う一樹は桐花に声をあらためてかける。
「さっいこうぜ」
満面の笑みで桐花は答えた。
「うん!」
潜り抜けるとそこに広がる光景に、桐花は唖然としていた。
「なっ普通にすごいだろ? これ至れり尽くせりなんだぜ?」
「うわー。これ本当にほんとなんだね」
歓喜する桐花は、まるで新居に来たような喜びと期待でいっぱいな感じの様子だ。あちらこちらを楽しそうに見て回る。
そりゃあそうだろう。現代の生活を覚えてしまっている一樹たちにとって、この生活はもう味わえないと思っていたものだ。
ところがこうして再現されると、快適の一言に尽きる。
恐らくは、この世界の王族たちが味わう以上の快適さがここにはある。
何にせよ、一樹たちの物だし気兼ねなく生活を謳歌すればいい。
そうして、一樹は桐花へ設備の説明に忙しくなくついて回った。
――その頃、神界では……。
桐花の死神に代わり、台頭した美の女神が現れる。
「ねえ、いいのかしら?」
「人に興味を示すとは珍しいな」
「とても興味があるわ、彼は純粋で可愛い子ね」
「候補者だぞ?」
「なら子を成すこともできるでしょ?」
「好きにするといい。アナスタシア」
「うふふふ。これで承諾を得たわ」
言葉とは裏腹に、険しい顔つきを向けて世界樹はアナスタシアに告げる。
「早くした方がいいかも知れぬ。状況によっては、それどころでなくなるかもしれんぞ?」
「あら、どういう意味かしら?」
世界樹はこの神界なら誰でもわかる内容を端的に伝えた。
「外界の神々と民たちだ」
それを聞いて、アナスタシアは驚きを隠せずにいた。
「え? いつの話をしているの? 撃退したのでは?」
「いや違う。あれは撃退などと呼べるものでは無い」
「では何を?」
「隠れたのだ」
この瞬間かつての大戦を思い起こし、尽力してくれたあの二柱を思い出す。
「もう二柱の世界樹は、回復したのかしら?」
「いやまだだ。今は実質わしだけじゃよ」
世界樹の発言を聞き、歯噛みしだす。
「まずいわね……」
「うむ。ゆえに何事も急いで準備した方が良い。奴らと戦うにせよ。子を成すにせよ」
「そしたら、使いを送るわ。暇そうなあの竜にでも運ばせようかしら?」
「あの髑髏仮面の女をか?」
「沙耶ちゃんよ? とっても私に忠実な武士女よ? 一樹を早く連れてきて欲しいわ」
「うむ。外界の者が現れ始めたら、危険が近づいていると思うと良い」
「わかったわ……」
世界樹は何もない空間を見つめ、アナスタシアは一樹を見つめ、一樹は桐花を見つめていた。
二章へ続く