第9話『ゾンビアタック』2/3
――心臓の鼓動が響き、耳元まで届く気がした。
先から緊張が高まり、心音の激しさは変わらない。
息遣いもいつの間にか浅く早くなっていたことに、今更ながら自身で気が付く。
当然なのかも知れない。命のやりとりを、しようという時の張り詰めた空気は、今にも破裂しそうなほどだ。
賞金首として、襲われた時のようにはいかない。なぜなら、何も無防備な時とは明らかに違う。今は警戒して対峙しているのと、一樹も隙を見て飛びかかるのを互いに警戒している。
――刺すのか、それとも切り付けるのか……。どっちが正解なんだ!
やり方は、暗殺術のスキルでわかっていた。
ただし、どれを選択することがベストなのかまではわからない。これがいわゆる経験の差なのだろう。知識として選択肢を持っていても、実体験としては初めてな物だから、どれを選ぶか迷いが出てしまう。その迷いは時として、致命傷になるやも知れない。
――やはり、頭か……。
背格好からして、側頭部が狙いやすい。
それより下になると、腰をさらに落として挑む必要がある。
お互い慎重に様子を伺うようにしていると、突如ゴブリンは胸を張ると雄叫びをあげる。
「グギャッ!」
急展開だ! ゴブリンは一直線に一樹へ向けて駆け出す。
何かの気合いなのか、ゴブリンの一言叫ぶ声は、ダンジョン内でこだました。
視界に捉えるのは、ゴブリン本体よりどうしたって片手剣と次に盾が目につき、動きを追ってしまう。
よく目を凝らして見ているうちに、気がつくと足が止まっていた。
ゴブリンの真っすぐ上段からの振り下ろす剣を、咄嗟に左手側へ避ける。同時に短剣を右手から左手へ持ち替えて、側頭部を突き刺すように弧を描くようにして腕を伸ばす。
「チッ!」
俺は思わず舌打ちをしてしまう。
切っ先が触れようとした時に、振り向いたゴブリンの左目を眼球ごと抉る。
やわらかさと、奥に何かゴツゴツした硬い物が当たる初めて味わう感触に、一瞬慄いてしまう。
「グジャッ!」
痛みのあまりかゴブリンはのけぞろうとし、片手剣と盾を落としてしまう。
刺さった短剣は手から離れるはずもなく、そのまま必死に維持しようとしていた。
一樹はこのまま意を決して、右手を短剣の柄に添えて、一気に勢いよく押し込む。
すると、そのままゴブリン風の魔獣は、仰向けに倒れ一樹もそのまま押し倒す形で倒れこむ。地面に触れたと同時に体重が一気にのったせいか、切先に当たる固い何かが砕けたような感覚が手に伝わる。
このままゴブリンは目から血を流し痙攣して、体を何度か跳ねるようにびくつかせると、途端にぐったりとして動かなくなってしまう。
「生き残れた……」
起き上がると同時に短剣を引き抜き、そのまま警戒して様子を見る。
先ので脳に到達したのか、もう数度痙攣してからは動かない。
モグーは元魔獣ゆえ、忌避感はないのか初の勝利に飛び跳ねていた。
「一樹! やったね!」
モグーは非常に嬉しそうにして駆け寄る。ところが一樹は、なんとも言えない物を内心味わっていた。
短剣で肉を貫くときに、骨に当たる手応えがこれほどまでリアルに恐れを抱くものなのかと思わず慄く。
頭で理解しても体験として味わうと、また違った感覚を持ってしまう。そうした気持ちでぼんやりしていたのは、どれぐらいの時間だろうか。モグーに指先で肩を突かれると、ようやく声をしぼり出した。
「ああ。なんとかな……」
いつの間にか、汗を尋常でないほどかいていた。
これが生きるための、命の取り合いなんだとあらためて一樹は思い知る。
しかもまだ短剣を握りしめる手は、柄から指が剥がれない。
何がゴブリンは最弱だなんて言えるものだ。
弱いだなんてとんでもない話しで、相手も生き残るために必死だ。
たまたま勝てたにすぎなく、少しでも油断すれば立場は逆転してしまう。
明日の我が身でもある。
モグーは身動きしない亡骸を見て、何を思うのか口を開く。
「やっぱり、緊張するね」
モグーの見た目と行動からはまるで見えない。とはいえ内心少しは、緊張していたのだろう。それについて一樹は心底同意できた。
「ああ、そうだよな……」
一樹は肝心なことを二つ忘れていた。
一つは、負傷したら『ポショ』をぶっかければいいし、仮に死んだとしても『蘇生薬』を飲んでいるから、二十四時間以内なら何度でも蘇られる。
今の必死さだと慣れない限り、なかなか『ポショ』まで気が回らない。ましてや自動的に蘇生など、念頭に置けるわけがなかった。ただ、『蘇生薬』を飲んでいるから、効果が切れない限りは死なないと言える。何に頼ろうと、死なずに生き残ることが最優先だ。
とはいえ、怪我して死んでと、当たり前にはしたくないと今の一樹は考えていた。一樹の葛藤をよそに、モグーはしゃがみこむとゴブリンの死体を不思議そうに眺めている。
モグーは素朴な疑問を口にした。
「死体はダンジョンが喰らうって、ほんとかな?」
「そういえばそうだよな……。時間もあることだし、少し様子を見るか」
一樹たちはただ近くにしゃがみ込み、黙ってどうなるか見つめていると、およそ三十分ほどで変化が起きた。ゆっくり地面に沈んでいく有様は、底なし沼の底からまるで誰かに引っ張られるかのように、地面へ吸い込まれ埋もれていく。
足元の岩肌がこんなにも硬いのに、不思議な現象だ。これぞ科学を超越した魔法世界の姿だ。
完全に飲み込まれると、やわらかそうに見えた地面は当然のように固くなっていた。
そういえば手から離れたボロボロの錆びついた片手剣と木製の盾は、地面に転がったままだ。ところが、ゴブリンが身につけていた腰巻は飲み込まれている。
――この違いは、なんだろうか。
単に、体から一定の距離が離れたら、認識せずにそのままなのだろうか。
気にしすぎかもしれないけど、今後様子を見ていくしかなさそうだ。
一樹とモグーは観察を終えると、今度はモグーから切り出してきた。
「一樹、行こう!」
「いくか!」
一樹たちは気を取り直して、さらに奥へと進む。
モグーは目ざとく何かを発見したのか、すぐに一樹へいう。
「一樹、何か変なのがいるよ?」
「ん? なんだ? あれは……」
一樹たちは壁づたいに進むこと三十分ほど。慎重に歩いたせいか、さほど距離は移動できていない。
モグーが見つけ、まだ遠くで小指の先ほどにしか見えないところに、奇妙な生き物はゆらゆらと揺れ動いてみえた。まるで真夏の路面で見る陽炎のようでもある。
遠くに見えたのは、人型だけどもどこかおかしい。
超高速に動けば残像は発生するだろう。ところがゆっくりとでも移動しながらなど、そのような動きが可能なのかと疑ってしまう。
はっきりとは見えないものの、青白いような肌が見え隠れする。距離が近づくにつれて、どこか頭の奥で警戒音が鳴り響いていた。
――あれはヤバイ。