マタギ
ドラゴンスレイヤーの朝は早い。
「この辺はもう狩り尽くしちまったからアレだども、オラが村の辺りにはまだ結構残っててな」
オランド爺。65歳。12から
「竜がいなげりゃ竜殺しも居なくなるし、倒し方もわがんなぐなっちまう。すっとオラみたいなジジイでも伝説の勇者扱いされんだね」
匠は確かに引き締まった身体とよく焼けた銅色の肌をしているが、石工職人と言われればそう見えてしまう程度の小柄な体躯。但し時折見せる白い眉の下の眼光は、鋭い。
「やり方覚えたら熊とかわんね。頭いいちゅーてもケモノだかんね」
北方豪雪の国、ア=キタ。ここに南方チーバでは絶滅した竜種とそれを狩るアニの猟師が生息している。その年の大寒波の訪れと共に北の地から竜種がチーバに飛来した。
チーバで最後の竜種が死に絶えて100年以上経つ。その長き平和な年月は竜狩りのノウハウを散逸させた。
「偶にイワーまでワタリで狩りするもんもおるけどな、チーバは流石に初めてだ」
目撃証言によれば竜の体長は2mほど。オランド爺によればまだ若い個体だろうということだが……
「牛や熊なら狩られてしまうね。竜といえばみんな炎を思い浮かべっけど、危ねぇのはダイブと尾の一撃なんだわ。時に竜は7尺のヒグマもダイブで押し潰すし、尾の一撃はアオ(カモシカのこと、彼らはこの様に呼ぶ)の首へし折る」
恐らく巣穴だろうという滝壺近くに到着すると、オランド爺は預けていた荷物を受け取り剛力を下山させる。狙うのは雪の降る夜半だ。
竜が何故南下したか……若い個体はまだ体温調節が出来ず、冬には冬眠するものもいる。しかし適切な穴蔵を見つけることが出来なかった個体は冬越しの為に南へ、南へと移動するのだ。チーバまで来たという事は、この竜が弱く、更に弱っている事を意味する。
「2〜3日ってとごだべか」
オランドはその時を待っていた。
話は約200年前に飛ぶ。
帝国となった我が国は北の大地ペーハイへの入植を開始した。語り部である我が父祖もこの時にペーハイへと入植したア=キタの猟師である。もう30年も前になるが、祖母の葬式で伯父は「あの時期ペーハイに来る奴は、何か行状もっているか、それに準ずる鼻つまみものよ。くれぐれもお前たちは品行方正にな」
恐らくは専業ではなく、腕がどうであったか知らない。しかし我が父祖も目の前の老爺の様に冬の峰々を巡り、猟をしていたらしい。思えば我が家の主神も彼らと同じではなかったか。そんな微かな憧憬があったからか、あの日竜がチーバの空を舞った日、私はすぐ様役所の上役にア=キタへの救援要請をすること、私がその任に赴く事を申し出た。ギルドの討伐隊が屍を晒す前の事だ。そして認可はギルドの討伐隊が
「まぁ、そら飛んでる竜に挑むのがいけんでしょ」
転移魔法陣でニーガの港に到着し、幌馬車で5日。ア=キタ北部のアーニは山々に囲まれた田舎であった。迎えてくれた狩猟団の
「あれは、狩れるものなのでしょうか?」
「冬で、山ならな。我らが狩るのではなく山が狩らせてくれる。雪が、寒さが。そして山の神々が」
既に竜種の生息域はかなり減少している。かつてはグンマー南部にも生息域があり、ドラゴンダンス(竜舞)の名が往時を物語っている。
シカリであるオランド爺は討伐を快諾してくれた。自宅の古びた祭壇からスクロールを2本、土間から握り手が筒状になった大型のダガー(フクロナガサ)を持ってきて準備は終わり。
「それだけですか」
「それだけだ」
拍子抜けするほどの軽装であった。チーバの低山とはいえ冬山だ。しかも今年は何度か雪が降っている。
「何尺も何十尺も積もってりゃ準備するがね、あんたらでも巣穴の近く行けるなら散歩みたいなもんだ」
「しかし、相手は竜……」
「言ったべ。オラではなく山や神々や寒さが狩らせてくれる。用意は皆がしてくれるだ」
翌朝、我々はチーバへと旅立った。
「早速ですが領主様の館に向かってまず狩猟許可を……」
この非常時に何を……と思う方もいらっしゃると思うが、行政というのは手続きを踏んで行うものである。臨時の狩猟許可を入手して更にハンター登録をし、ナガエ町の正式な駆除依頼を……
「許可は、あるぞ?」
オランド爺が懐から出したスクロールにはハイ・エンシェント(上位古代語)で何事かを記してあった。山立……確か古語で山での狩りの事だったか?
「千年以上前からオラたちは神様からこの国全土で好きに狩りしていいと許可貰っとる。これその原本。シカリはこれ持ってるからシカリなんよ」
え、いや、その……とまごついていると、オランド爺は舌を出して胸元から狩猟鑑札を取り出した。
「いやいや、ちゃんと今のもあるだべな。ワシが直々に来たっちゅーのも最近は旅マタギする様な若いのがおらんからなんじゃ」
こちらは現在も有効な鑑札だった。地方単位での許可ではなく国レベルでの許可なので確かに新規申請は不要だ。
「若い頃はこれ持ってないと他の地域に行けんかったから。今も偶に更新で街に遊びに行くさ」
まぁ、神様の許しが無ければ意味ないんじゃがね……と囁きつつオランド爺は鑑札やスクロールをしまい込む。一応正式な町からの依頼という事で契約書へのサインは必要になるのだが、それは快諾して貰えた。
「2〜3日逗留して準備する。藁を4〜5掴み、炭とコメか大麦、塩、干し魚……」
端的に言えば糧食と燃料だ。その準備を依頼された。人員や武器は頼まれなかった。
「え……その……お一人で?」
「穴猟だから、人手は要らん」
「武器は……」
「ナガサがあるわい」
「猟犬は……」
「何狩るつもりじゃ? 若い竜1匹だべ?」
「いや、竜ですよ?」
「竜だからだよ。知恵付ける前、人の味を覚える前に駆除する。サクッとな」
「ア=キタではイノシシ辺りを竜と言ったりしないですよね?」
帰り道、興味本位で付いてきた庶務の若者が疑問を遂に口にした。無理もない、我々にとっては竜というのは伝説の魔物であり、つい先頃8人の死者と4人の重傷者を積み上げた恐るべき敵である。
しかし、私は見た。老爺の家の奥にある古びた祭壇に飾られていた長さ30センチにもなる牙は、恐らく竜の牙だろう。あれだけ大きければどれだけ強力な竜牙兵を作り出せるだろう? 玄関に置かれていた玉は、歳を経た竜が持つという玉ではなかったか。
我々はまだ知らなかった。オランド爺の真の姿を。
「普段ならオラたち自身で夏の内に上げとくんだども、今回は急な話じゃけんな」
竜の住み着いた場所を案内するべく、私と山林管理担当者は登山用具に身を包んでいた。荷物は3人で分けて運ぶが、1番の大荷物をオランド爺が担いでいる。
「慣れとるからえーよ。あ、山ン中では口聞いちゃなんねぇぞ。里の言葉はつかっちゃなんね」
驚くべき健脚だった。オランド爺は荷物を意にも介せず山道を黙々と歩く。決して足早にという訳ではないのだが、僅かな間に山の木立の中に消えていく。それでいて山に不慣れな我々が休憩を取りたいと思って辺りで待ち構えており、そこで小休止を取ると再び歩き出す。それでもかなりこちらに気を遣っているらしいことはその直後に分かった。
斜面を、野ウサギが歩いていた。それを発見したオランド爺はハンドサインで止まる様に指示し、雑嚢の脇に止めてある藁で作った円盤の様なものをウザギに向かって投げた。そして斜面を駆け出す……我々が歩いて来た緩やかな斜面ではなく、30度近い急坂を平地の様に駆けた。
後にオランド爺はこう語る。
「アオシシ(カモシカの事)狩るなら山ン中アオシシ並みに走れないとダメじゃ。当たり前だろ。逃げられちまうじゃ」
大変失礼な例えだが、その様はまるで山猿の様であった。人とは思えぬ動きであった。
数分後、オランド爺はウサギを手掴みして帰ってきた。弓で射るのでもなく、槍で突くのでも、罠を用いるでもなく。素手で。
「ワラダっちゅーよ。これ投げるとウサギはタカに襲われたおもて身を竦めるんじゃ。慣れりゃ素手で取れる」
山を知り、獲物を知り、我が身を知る。
「オラたちがすることはあんまねぇだな。大体山の神さんや山がやってくれる。ありがてぇこった」
匠の言葉は、山への崇敬に満ちたものだった。
「明日から山はいっがら」
オランド爺はまるで湯治にでも出かけるかの如く宣言した。
「レッチュウの決まりでな、セタギとは一緒に山立せんのよ」
レッチュウは狩りの一団、セタギとはマタギではない人の意だ。オランド爺はもちろんコモン(一般共通語)を話せるが、山に入って以降は雪エルフ語に近い独特の方言……山言葉を話す。
「帰ったら全部話すっがら。ただ、掟で『ひとつだけ嘘をつく』かんな」
「なんですか、それ?」
「掟なんだ。なんでそーなんかはオラも知らん。昔からこうだとよ」
4日の後、オランド爺は帰ってきた。槍に竜の頭を突き刺して。昨日夕方からの新雪を踏みしめ、しっかりとした足取りで。
「結論からいうと、ありゃあアナモタズって奴でな。竜種が若くて冬場に冬眠する頃、弱い個体がああなるんだ」
ドラゴンは長じると体内の炎の息を吐き出す器官が十分に働き、変温動物でありながら冬山や寒さの中でも活発に活動できるようになる。しかし器官が成熟する前は寒さで動きが鈍り、時には死ぬこともあるという。
「竜とは言え山の生きもんは山神様に生かされちょる。竜や熊が増え過ぎれば餌が減りやがて強い生き物も死んでいく。そうならん様に強い生き物には縄張りがあるんじゃ。生きるのに必要なだけの広さのな」
「あの個体は縄張りを持てなかった……?」
「そう、それで南下したんだね。見たら何枚か鱗も剥がれ、痩せとった。喧嘩負けたんだな……それで南へ南へと下ったんだが、時期が悪く餌はない」
「なぜ、討伐隊を食わなかったのでしょう?」
「どうせ鎧兜着けてたんだろ。子供が小骨の多いイワシを頭から食うか? しかも人間があちこちから恨みがましく見てる。嫌だったんだろう」
「早く殺してやらなければならなかった。山に還してやらなければならなかった」
オランド爺はまるで孫の死を悼むかの様に呟いた。飢えて凍えた竜の子供。愛されず、人々から畏怖の目で見られて嫌われた子。
「……雪が降り出し凍れてきた頃にウサギの首へし折って巣穴前に投げてな。腹ぁ減ってたんだべな。のそのそ出てきたさ」
「寝起きはやっぱ寝ぼけてんのよ。警戒心も薄いし、寒さで動きも鈍る。そこを上からグサリとな。痛みを感じる間もなく逝ってくれてれば良いんだが……」
違和感を感じた竜は反射的に尻尾を振るが、篭り用の穴倉は入り口が狭く竜は縦にではなく横に尾を振る。その強打は穴倉を崩し、首だけを出して絶命した。
「しばらくはあのままにしたってくれ。冬が終わればあの子の死体も山の動物の餌になる。木々は育ち草も生える。ようやくあの子は命ある仲間に囲まれて山に還れる」
この話の中に語られなかったことが一つ、嘘が一つある。
オランド爺は、実は天啓を受けていた。可哀想な子を山にかえして欲しいと。恐らくは、山の女神から。レッチュウのシカリは様々な祭事を執り行う司祭でもある。その意味ではドルイドに近いのかもしれない。
とどめを刺す際にも「木化け」という隠形術を使って気配を絶ち、首の側面から「ムラタ
シカリ達が信仰する山ノ神は、帝国となった我が国で今こそ神々に列せられているが……ひと頃は悪魔や悪神として忌避や差別の対象とされてきた。それは決して人間に優しい神ではなく、人にもケモノにも厳しい大自然そのままの神。土蜘蛛や鬼、かつて伝説の勇者が狩殺し、征服してきた文化と宗教。
「セタギを連れない、語る時は嘘を混ぜる」或いはそれは、彼らが山ノ神と共に山で暮らすために生まれた掟なのかもしれない。もしもその様な術を行使できると知られたなら、彼らは山で暮らせただろうか。
「おめさん、出はア=キタか?」
「いえ、5〜6代前はア=キタの出と聞きましたが」
「ノースプリング辺りか?」
「ええ、あの辺りだそうです」
「昔な、あの辺り回ってた樹氷レッチュウに山刀(ナガサ)の使い手がいてな、おめさん見たとき何故かそれを思い出した」
「確かに私はナガサ家ですが……」
薄々は感じていた。家名を持たなかった我が父祖が維新の後に家名を名乗るに当たり、何故その名を選んだのか。
何故に私はア=キタへの救援を頼んだのか。何故にオランド爺は私を快く受け入れたのか。
父祖の愛した信仰は、今も私の血肉の中を流れている。
【終】