第六話 祝賀会
先ほど唐突に消えたマリルはいつの間にかシェイルの部屋で笑いをかみ殺しながらクローゼットをあさっていた。
「あの……」
エリッツが封書のことを黙っていたからこんなことになってしまったのだ。もうしわけなくてなんといっていいのかわからない。
「話は後で聞くので。マリル、招待客のリストがあればください」
何がそんなに楽しいのかマリルはいよいよしのび笑いを漏らしつつクローゼットから服を見繕っている。
「はーい、早く着替えて」
マリルは濃紺の服の塊をどさっとエリッツの腕に押し付ける。
「気にしない気にしない。あれはね、招待を断ってもしれっと迎えに来るような連中だから」
「あんな暇そうなところを見られたら追い返せませんね」
「まぁ、差し当たっての問題はラヴォート殿下に叱られることくらいじゃないの。折檻されるよ、折檻」
マリルは「折檻」のところに変なアクセントをつけていう。妙に楽しそうだ。
軽口を叩きながらもマリルは招待客のリストらしき書類をシェイルに手渡し、いつもの帆布のバッグからさらに数束の書類を選んで机の上に積み上げている。
シェイルはリストにだけ軽く視線を走らせてから手早く正装とおぼしき濃紺の服に着替えはじめた。下着まで脱ぐわけではないからなんということはないのだが、女性の前なのに躊躇がない。
「ラヴォート殿下って次期国王って言われている方でしょう」
エリッツとてそれくらいのことは知っていた。現国王陛下にはたくさんのお子があるそうだが、次期国王と目されているのは次男のラヴォート様だという。なぜご長男のルーヴィック様ではないのだろうか。
「はいはい、早く手を動かす。耳だけこっち」
マリルが手を叩いて急かすのでそこでようやくエリッツは師にならって着替えをはじめる。
「まず、あなたのお師匠さんのやっている仕事、簡単にいえば国王陛下とラヴォート殿下に害をなそうという計画を未然に防ぐために国内外をところかまわず嗅ぎまわるという狗のような仕事です」
「ものすごく毒がある言い方しますね」
シェイルはレジス国家の紋章が染め抜かれた仕立てのいい薄手のコートに腕を通す。
薄々感づいていたが、二人はレジス国のかなりの要職についているのではないか。なぜこんな森の中にこもっているのかよくわからないが、シェイルは人目を引く容姿と仕事のせいでこの国ではかなり目立つ存在なのだろう。弟子だとかいう会話をしたときにも周りに多くの軍人がいた。もしかして他は私服姿の役人たちだったのかもしれない。もしそうならデルゴヴァ卿どころか多くの人の噂にのぼっていてもおかしくなかった。
「そんなわけで、この狗が何を嗅ぎつけて、どこまでつかんでいるか。それが自分に有利なのか不利なのか、高官たちの最大の関心事となっています。だから今夜はみんな我先にと様子をうかがいにきます。ほんのちょっとしたことでも相手にとっては耳よりな情報、こっちは秘密漏洩という可能性もあります。エリッツ、わかった? 弟子なんだから、これからガンガン働いてもらうからね」
「それはいいけど。マリル、服が小さいよ」
「わぁ、ほんとだ。意外と背、高いね」
腕も足も全体的に丈が足らない。
「なんでそんな小さな服まで持ってきたんですか。よくそんな昔のものを見つけましたね」
先に着替え終わったシェイルは長い脚を組んで椅子に腰かけ書類に目を通していた。正装した姿を改めて見ると偉い人以外の何者にも見えない。頭をなでてもらったりして大丈夫だっただろうか。いやでも可能であればまたなでてもらいたい。
「なんかちっちゃいイメージだったから。大丈夫、もうちょっと大きいのもあるし」
新しく出してもらった服を羽織ると胸のところにいくつも略綬が付いていた。シェイルとマリルは一瞬顔を見合わせる。シェイルがうなずいたのでマリルはそれを全部外してしまった。
「それ、外しちゃっていいの?」と、聞いてもマリルは「いいのいいの」と手をひらひらさせるだけだ。シェイルは無言で書類に向き合っている。
「でも穴だらけになっちゃったね。これつけとこ」と帆布の肩掛け鞄から結構大きなうさぎのアップリケを出して穴のあいた胸の位置に三針くらいで雑に縫い付けた。
「なんでそんなもの持ち歩いてるの。これ、ダサくない?」
「かわいいよ、すごいかわいい」
明らかに適当にあしらいつつ、マリルはエリッツに深い緑色の外套を羽織らせ、ぽんと背中を叩いた。
「さあ、折檻されに行きますか」
部屋を出るとクリフはすでにとろけるような甘い赤ちゃん言葉で猫との会話を楽しんでいた。
「行きますか」と言ったくせにマリルは部屋から出てこない。何らかの事情でクリフに存在を気づかれたくないようだ。もう四つん這いになってシェイルに頭をなでられているのを見られているので今さら誤魔化しても仕方ない。当のクリフはそんなことには関心がないようで、ただただ猫との別れを惜しんでいる様子だ。
デルゴヴァ卿という人は国王陛下の側近の一人である。実質的な「権力」という意味では国で五本の指に入るだろう。本家はコルトニエスというレジスの北東、国境付近にあるが、もともとはレジス城下にいた高官の一族である。オグデリス・デルゴヴァ卿の父にあたる人物がささいなミスでコルトニエスへと左遷になったもののそこで鉱山の運営や絹織物の生産などでレジスの経済に多大な貢献をし、オグデリス氏は再度国王陛下に取り立てられたということになる。
さて五十代にもなって自分のお誕生日会というのはいかがなものかと思われそうなものだが、このような立場ある方々にとって名目は別になんでもいいのである。子息の誕生日でも、愛犬の快気祝いでも、庭の薔薇が咲いたでも、珍しい調度品を入手したでも、最終的には「何となく」でも通るだろう。
王族や高官を集められるという権力の誇示、情報交換、誰が自分の敵、もしくは味方となりうるのか見極めるという目的を持つ、いわゆる面倒くさい集まりである。
エリッツはこういった面倒くさい集まりが心底苦手だった。しかし自分の失敗に起因することもあってだだをこねるわけにはいかない。
父たちはこういった集まりを嬉々としてひらき、参加し、時に意図的に欠席するなどして政治的やりとりを行っていた。そして時折その集まりにエリッツを利用した。
クリフが「もうすぐ着きますよ」と言ったのでエリッツの足は途端に重くなる。
デルゴヴァ卿の邸宅はレジスの城に近い一等地にあった。
会場となっている広いホールにはすでに多くの人々が集まり談笑している。ほとんどが城の高官とその家族なのだろう。女性は華美に着飾っているが男性はほとんど軍人や役人が着る制服姿である。やはりこれは仕事の一環なのだ。
ホールは庭に張り出した広いテラスに出ることもできる開放的な造りになっていた。夜ということもありよく見ることはできないが、庭も立派なのだろう。残念ながら夜はまだ肌寒いためテラスに出ている人は多くない。
そしていたるところに飲み物やフルーツ、軽食がのったテーブルが置かれているが、人々はロビー活動に夢中になっているのかあまり手がつけられている様子はない。
マリルの事前のレクチャーもあったのである程度予想はしていたが、クリフに案内されながらホールに入ると露骨に嫌な視線が集まってくる。こちらを見ながらひそひそと話す人々もいる。軍人らしき老年の男が「狗めが」と小声で吐き捨てて横を通り過ぎる。
それなのに面と向かって挨拶に来る人々はやけに愛想がいい。にこやかにシェイルに握手をもとめ、この頃の天候の話をし、家族を紹介し、森での生活や最近のできごとなどをそれとなく聞いてくる。
気持ち悪いな。
そう思いながらもエリッツは若者らしいはつらつとした笑顔を絶やさず、紹介されればはにかんだように握手に応じ、「面白い話」には声をあげて笑い、相手の飲み物に気を配り、流行のドレスの色を話題にする。そして人の気に障らないよう心を砕きながらも余計なことはけっして口にしないよう最善の注意を払った。
我ながらよく調教されたサーカスの動物のようだ。合図があれば何も考えずに玉にのり、最後は本能に逆らって火の輪もくぐる。
「エリッツ、ちょっとさがりなさい」
だからシェイルが顔をしかめて壁際に用意されていた椅子を指さしたとき、エリッツはとっさに「すみません」と口にしていた。さがれとは失敗をしたということだ。
「なぜ謝るんですか。休憩ですよ」
シェイルがエリッツの髪を軽くなでる。すっと気がゆるんでエリッツは倒れそうになってしまった。極限まで疲労していたことに今さら気づく。父や兄たちの望むままに動かねばならない。今どこにいるのか、そんなこともわからなくなってきた。
シェイルが耳元で何か言っていたが、エリッツは黙ったままのろのろと壁際にむかい糸が切れた人形のように椅子に倒れこんだ。