占術士のカード(2)
ロズウェルは今まで占いで何人もみてきて、一見不吉に見える並びなどいくらでも経験した。不吉に見える並びが不穏な意味ばかりを持つとは限らない。
そもそもカードを見た客の表情を観察し、ロズウェルの経験からもっとも客が望むであろう結果を告げるのだから、重要なのはカードよりも観察と話術である。
もっというと客はそもそもロズウェルに現在の境遇や未来を的中させることを求めてはいない。自己肯定ができるきっかけや、頭の整理、境遇へ納得や共感、果ては愚痴を吐くことですっきりしたいのだ。
この場合、ポジティブにとろうと思えば、定められた運命、絶対的な存在などを意味する「神」への反旗ととれる。だがその結果を当人は望んでいるのか。
いや、何かがおかしい。身体中がざわつくような感じだ。
ロズウェルは自身に特殊な力はないと自覚しているが、たまにこういう「予感」めいた感覚に襲われることがある。
長く同じことをしているとそういう感覚はどんな仕事でもあるだろう。膨大な経験に基づく明文化できない「何か」だ。
猟師がなんとなく山に入るのを躊躇った日に天候が急変して嵐が来たり、医者が妙に落ち着かなくて起きていたところに急患が運びこまれたり、例はいくらでもある。
その種の「予感」がロズウェルの内側から「もうやめておけ」と訴えかけてくる。それどころか本当に手が動かない。
しかしカードをあけるだけのことで、なんの不都合があろうか。カードが最悪の並びとなっても懸命にフォローする必要はないのに。相手は正式な客ですらないのだから。
ロズウェルは内側からわきあがる拒絶に抗い次のカードをあけようと手を伸ばす。
しかしその手を相手がスッとつかんだ。
「なんだ? 怖くなったのか」
ロズウェルは感情を抑え、あえて軽い調子でそう口にする。
「いいえ。これ」
隅の方にあったカードを勝手にあけている。
「いつの間に。それはルール違反だ」
ロズウェルは深くため息をつくが、どこかで緊張の糸がふっとゆるんだのを感じる。占いを中断され、安堵している。これで全部無効だ。
手にしているのは「花嫁」のカード。単体ではあまり意味をなさない。隷属、新地、家族、幸福、転身など周りのカードにより意味は大きく動き良くも悪くもなる。結局こじつけがしやすい、占い師にとっても都合のいいカードだ。
「どういうつもりだ?」
まだ花嫁のカードを熱心に見ている。動きが読めないところは本当に子供のようだ。
「きれいなカードですね」
「言っておくが、それで婚約者を見つけたという冗談はなしだぞ。この占いはお前の占いだったんだ。俺じゃない。そのカードはお前の運勢の一部だ。ルール違反でもう無効だがな」
カードを手にしたまま、驚いたように目を見開く。
「私の、ですか」
そうつぶやいて、またもとのようにほほ笑みを浮かべる。妙にうれしそうだ。
「カードがきれいだからといって、いい意味だったとは限らないからな」
そもそも殺し屋が二枚出たのを忘れている。都合の悪いことは無視する主義なのか。
だがカードを見ながらニコニコしている姿を見るとどうも憎めず、ロズウェルはこの場所から追い出すことを諦めた。
「いいか。いつまでこの町にいるつもりなのかは知らないが、失せもの探しは朝だけにしてくれ。俺もこの商売でメシを食ってるんでな。ほら、そのカードを返せ」
名残惜しそうにカードを差し出し、ロズウェルの言葉に従うつもりなのか素直に立ち上がる。だがそれを周りの客たちは許さなかった。「お願い、私だけ」「いや、俺の方が先に待ってただろ」と、もみ合いになっている。
ロズウェルはこう言わざるを得なかった。
「明日からでいい」
あまり直感のようなものを信じる方ではないが、この人物とはあまりかかわらない方がよさそうだ。
「あの――」
さっさと立ち去ろうとしていたロズウェルはひそめられたような小声で呼び止められる。
「この町の神様はどこにいらっしゃいますか」
ふり返って見ると、その顔は冗談を言っている様子ではない。ただあまり大きな声で言えないことのように声を落している。
「神様? 町の真ん中にある祠のことか?」
「あの祠にはいませんでした。どこに行ったんでしょうか」
そんなことロズウェルは知らない。
祠は観光地化している。観光客が旅の無事を祈ったり、この町の成り立ちが書かれた石碑を見たり、わき出したばかりの泉水を飲んだりしている場所としか認識していない。
「いや、あそこにいらっしゃるはずだよ。もう一度行ってごらん」
バードンの親父が横から言った。ロズウェルは商売柄ついその表情を読んでしまう。笑顔の奥にわずかな動揺、困惑。
あの祠に観光地以外の意味があっただろうか。
確かあの祠にはこの町の神ファールティが祀られていて、わき出す温かな泉を守っていると石碑には書かれているようだが、そんなことはどの町にもあるような話である。
ただこの町でわき出した温かな泉の歴史はそこまで古くない。ロズウェルもその日のことを記憶しているくらいだ。
確か農地の掘削作業をしていたところ、突如わき出したと聞いた。それを聞いてもはじめはピンと来なかったが、どうやらその湯につかることによって体にいい影響があり、観光資源として有用であると、町長はじめ多くの有識者が興奮気味に意見を発表していた。
それからというもの、たいして農作物もとれなかった貧しい町はどんどん豊かになっていく。現在では旅人がわざわざ遠回りしてでもこの町に立ち寄り、旅の疲れを癒しに来るほどになった。ここ何年かは口伝てにより、さらに訪れる旅人が増えている。
「この後、もう一度行ってみます」
神がそこにいるかいないか、わかるのだろうか。ロズウェルにはわからないし、神がいてもいなくてもどちらでもいい。それにロズウェルはすでにこの人物にはかかわらないと決めている。
「じゃあ、明日からは頼むよ」
捨て台詞のようにそう言い残して、今度こそロズウェルはその場を立ち去った。
「ああ、忘れていた」
一人きりの自宅でロズウェルは思わず声に出していた。どうせ大通りで失せもの探しをやられているので、今日の稼ぎは早々に諦めて早めの夕食をとり、ちびちびと晩酌しているときだった。
あの失せもの探しの占い師に代金を払っていない。
ロズウェルもカードを使ったのだから相殺ということになったのだろうか。去り際に請求はされなかった。そもそもロズウェルは最後まで占っていないし、あの占い師も結論が出ていない。やはり代金は発生していないということか。
しかし婚約者が見つかっても見つからなくもて払うと断言したのはロズウェルである。
このままにしておくのも何だか気持ちが悪い。
脳裏に「お金をくれるんですか」と、笑った顔が浮かんだ。もし自分に子供がいたらちょうどあれくらいの年齢だろう。
婚約者は行方不明になったといったものの、もちろんロズウェルは逃げられたのだとわかっている。まったく前兆もなく突然姿を消した。身内のいない女性だったため、誰に聞いても行方が分からなかった。
ちょうどこれくらいの季節、これくらいの刻限だ。二人の結婚のパーティについてこの部屋で相談をしていた。彼女は手作りのケーキを振舞いたいと頬を上気させて語っていたが、何かと多忙になるので職人に任せた方がいいのではないかとロズウェルは言ったのだった。
それはせっかくのパーティでケチなことはしたくないというロズウェルの見栄だった。花嫁がきれいに着飾って幸せそうに座っているところを友人たちには見せたかった。ギリギリまでキッチンでオーブンと格闘するなんてもってのほかだ。
だが彼女はがっかりした顔をしていた。そして最終的には頷いた。
その後、泊っていけばいいというロズウェルの提案に、仕上げたい仕事があるからと帰宅したのである。もちろん送ってはいったが、なんとなく気まずい雰囲気だった。
あの最後に彼女と過ごした一日のことをロズウェルは何度も反芻している。もう二十年が経っているのに、うつむいた彼女のうなじの後れ毛の様子まで克明に思い出せる。
そんなに裕福でもないのに見栄を張るようなことをせず、彼女にケーキを焼いてもらえばよかったのだ。それでもやはりロズウェルのもとから逃げ出したのかもしれないが。
チラリと窓を見ると、当然だがカーテンの隙間からは闇がのぞいている。夕食が早かったとはいえ、もう遅い刻限だ。また明日の朝にでもあの場所に行けばあの占い師がいるだろう。金さえ払ってしまえば今度こそ縁が切れる。
「あ、ダメじゃないか」
一人暮らしは本当に一人ごとが増える。
確か後で祠に行くと言っていたが、あそこは日が落ちると閉まってしまう。あの人数の客をさばけば当然日が暮れる。それこそ今くらいまでかかっても不思議ではない。
「うーん」
ロズウェルは葡萄酒の瓶を傾けながら唸る。瓶は空になっていた。
「酒もない。ちょっと買ってくるか」