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閑話 道中(9)

「お前、におうぞ」
 シハルは少し驚いたように後ろを振り返る。
「しゃべりました?」
 しかし小型の犬ほどの大きさの土人形は顔に暗闇をはらんだ空洞を持つ不気味な顔のまま無言である。短い足を荒れた道につっぱらせて微動だにしない。
「魂のこえ……」
 シハルは両手を広げて伸びをするように空へと伸ばす。
 体をひらけば、普段は意識的に聞かないようにしている何らかの声が聞こえるのだ。それは精霊のようなものなのか、はたまた死人なのか、それとももっと別のものなのか。村にいた頃は神に仕えるものとして神の声だけを聞いていればよかったが、外では聞いたことがない声がいくらでも勝手に流れこんでくる。それは村で過ごしたことしかない世間知らずのシハルにいろいろなことを教えてくれた。
 土埃を含んだ乾いた風がシハルの両脇をゆるゆるとすり抜けてゆく。同時に無数のささやき声のようなものが聞こえるが、これは先ほどの声とは違う。
「魂じゃねぇよ。俺だ」
 シハルは腕をおろしてゆっくりと振り返る。そこにあるのは例の土人形だけである。
「ヴァルダ?」
 荷を背負ったまま土人形のかたわらにしゃがみこみ、そっとのぞきこんだ。
「ようやく喋るようになりましたか」
 土人形に核となるジ・ダァを仕込み、術者の血を混ぜた特殊な土で作ったものだ。村では似た方法で祭事に使う道具類を作っていたが、それには聖水や神職者が祈りを込めた札などを使用する。術者の血液を混ぜたりジ・ダァを仕込むなどもちろん邪法だ。
 ジ・ダァというのはシハルのいた村に古くからある死人の魂のいれものとされているが、人間の魂しか入らぬことはないようで、実にいろいろなものが入って便利な箱である。
 すでに道を踏み外しているシハルに怖いものはない。
「においもするんですか」
 土人形に鼻はない。目と口に見える三つの穴があいているだけのぺったりとした顔だ。もともとは狼をかたどって作ったものだが、中身が悪いのか無残な姿になってしまった。その顔の鼻の辺りにすっと指を伸ばすと、土人形はピンと横に跳ねた。動物というよりは虫のような動きだ。やはり何かがおかしい。失敗か。
「触るんじゃねぇよ」
「触るのもわかりますか」
 シハルは土人形を興味深そうに見つめる。
 自立、歩行までは比較的すぐにできたが、やはりジ・ダァの中のものが土に体のような感覚を持つのは難しいのかもしれない。ここまでくるのに思っていたより時間がかかっている。
「本調子にもどりつつあります」
 シハルは額をそっとなでる。
 土人形の出来具合は術者の力次第だ。土人形の能力や動いたりするためのエネルギーは当然術者から供給されている。邪法にもことわりはあるのだ。
「本調子? こんなもんじゃねぇだろ」
「そうですね。ひどい目に遭いましたから」
 シハルは眉をさげてまだ額を触っている。神馬に蹴り出されてからというもの、力は抜けるしやたらと空腹である。これが神の加護を失ったということなのだろう。
 以前は食事などほとんど必要なかった。朝、蒸した穀物と塩を少し頂くくらいだ。それも朝の儀式の中の流れのようなもので、ないと活動できないという危機感はない。それが最近は土人形が動くだけでも腹が減る。
「『神』とタイマン張って生きてるなら上等だろ」
 シハルは不満そうにまた眉をさげる。
「無傷でなんとかするつもりでした」
 土人形は無言である。シハルは少しだけ反応を待っていたが、やがてあきらめ、それを荷物のように背中の荷の上にのせる。これの歩行速度に合わせていては日が暮れてしまうし、二倍腹が減る。
「しゃべるようにはなりましたが、以前ほど軽口は叩きませんね」
 それからふと思い出したように、袖のにおいを嗅ぐ。土埃のような乾いたにおいの中にわずかな死臭を感じる。
「くさい」
 両手を広げて着た切りの式服も確認する。
「汚い」
 シハルはしばらくその場で固まった。少し後ようやく「どうしたらいいんでしょう」と、首をかしげる。
 村では山に入って禊を行っていた。これも儀式の流れのひとつであり、やらないとこんなことになるとはシハルは知らなかった。
「まさか体が汚れるとは」
 これも神の加護を失ったためだろう。汗やほこりで体が汚れてくるなど思いも及ばなかった。
「行水だ」
 荷の上から短い回答がある。喋れるようになったといってもそんなに複雑なことは言えないのだろうか。
「力がどうめぐるのか、まだよくわかりませんね」
 今度はまた額を抑えて目をつぶった。シハルに元のような力があれば、もう少し具合がいいものになるはずなのだが。これではおもちゃである。
「行水と洗濯」
 まるでシハルの心中を読んだように土人形が付け加える。
「行水と洗濯……。あと、ごはんがいりますね」
 道があるのだから、このまま進めばどこかに町があるはず。
 シハルは荒れた道のずっと先を見つめ目を細める。それからまた両手を広げた。小さなささやき声が染み入るように流れ込んでくる。ほとんどが雑音といっても差し支えない。意味をなさない声がほとんどだが、その中にはシハルにとって有益なささやきも混じっている。
「『神』がいる、らしいですね。それに、水音? 洗濯もできそうです」
 両手を広げ目を閉じたまま、シハルはつぶやく。その間にも様々な声がわきをすり抜けてゆく。
「盗み聞きばかり上達してるじゃないか」
「もうしゃべらないでください。お腹が空きます」
 町はそんなに遠くはなさそうである。シハルは歩き出そうとしたところで、ふと動きを止めた。
「なんでしょうか。変な感じがしますね。――あれも『神』ではないのでしょうか」
 またシハルは目を閉じて、額に触れながら考えこんだ。
「でもやはりお腹がすきましたし」
 逡巡のはてに今度こそシハルは町があるらしい方角へ歩き出す。
「早くしろ。臭ぇよ、お前」

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