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晩稲

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。なんて言うが、現代の日本人にとっては春眠暁を覚えずの方がなじみ深い。

つまりは、春の朝起きれるやつなんていないのだ。正月が過ぎ、だんだんと休みモードから経済活動をしなければならない日々が近づいてくる。しかし、そんな現実はできるだけ見ないようにしたい。そうなれば、物理的に目を開けなければいい。それすなわち、朝はなるべく起きないようにするのが人の常なのである。

 「いつまで寝てるの、起きなさい」

 そんな言い訳などつゆしらず、母親は全力で起こしに来る。体がゆすられ、布団がはがされ、どうなってそうなったのか分からない寝相が露わになる。

 くそう、眠いのに。学校行かなきゃ。

 高校生になったことで、学校に行く準備をするのももう10年目になる。

 「え、10年も経ってんの」

 一人で気づいて、一人で驚き、一人言をつぶやいた。

 不意な衝撃の事実に完全に目が覚めた。とはいえ、目が覚めていなくても、こちとら十年選手の大ベテランだ。自然に手が制服をとり、袖を通し、机の上にだしっぱなしのノートやらなんやらを鞄に突っ込む。それを持って、一階のリビングへと降りる。ここまで約五分。自己記録タイだ。おそらく。

 「もうご飯よそってあるから、早く食べて」

 気づいた母親が、これまた10年選手の言葉を使う。いや、母はもう16年目か。

 今日のメニューは、白米、目玉焼き、みそ汁、という教科書にでも載ってそうなメニューだ。しかし、メニューの内容は一緒でも、この味は唯一無二。長年使っているこの茶碗と箸、そしてこの生まれ育った家のリビング。その他もろもろが相まって初めてウチの朝食になりえる。

 さて、食べるか。とはいうものの、実はあまり朝食が得意ではない。よく考えてみてほしい、寝起き5分で食事なんてできるであろうか。

否、無理である。ただまぁ、母親が自分を思って作ってくれたのだから、残すのも申し訳ないので無理やり詰め込む。

 もごもご、と口の中で米と卵が混ざる。それをみそ汁で流す。一気に息苦しさがなくなり、代わりに食欲をそそる味噌の香りが鼻を抜ける。

 「ごちそうさまでした」

 まだ喉も起きていないみたいで、ほとんど声にならなかったが、そんなこと気にせず、食器を流しに入れて、洗面台へ向かう。

 鏡を見れば、それはもう悲惨な髪型である。この髪型を納得するものにするためにはシャワーを浴びなければならない。しかし、そんな時間はない。妥協して、頭だけを濡らし、ドライヤーと櫛でなんとかで整える。少しだけ、制服が濡れたが、そんなこと気にしていられない。

他人はあまり、人のことを見ていないのだ。自分自身が気にしなければ、もう誰も気にする者はいない。

 なんとか、人の前に立てるぐらいの髪型にはなった。さて、スマホで時刻を確認する。

まずい。

頭の中にその三文字が浮かぶより早く、体が動いた。リビングに全力で戻り、鞄をとって、靴を履いて、玄関を開けて、自転車に乗る。

こういう時にスカートは不便である。急げば急ぐほどにヒラヒラと腰回りを布が動き回る。まるで、そんなにバタバタ動くのは上品じゃないよとでも言うように。そんなスカートに頭の中で、うるさい、そんなこと気にしてられないんだよ、と反論しながら、全力で自転車を漕いだ。

 

はあはあはあはあ

 学校の駐輪場に着くころには、それはまあ息も絶え絶えで、自分の体力のなさを痛感していた。なんとか間に合ったのが救いだった。

 自転車から降りて昇降口に向かう。

 いや、その前に自販機行こう。何か飲み物買わないと、さすがにきつい。

 うーん、今日は如何にしようか。いや、ここはポカリ一択だ。なにせ、朝から全力で運動したのだ。普段、運動不足なのもあって、体中の水分がない。これは、水よりもカラダに近い水とかいう触れ込みを信じて、ポカリイッキが体に一番いいはずだ。

 小銭を入れて、ボタンを押す。

 ガコン

 よしよし、待ってろ体。今、助けてやるからな。

「何、にやにやしてんの。てか、髪ボサボサ過ぎ」

 急に後ろから話しかけられた。どう考えてもあいつだ。

「うるさい、こっちは遅刻しかけたの。髪なんか気にしてられないよ」

「お前、ほんとに女子高生かよ」

 あきれた顔で私を見るこいつは、同級生、というか、クラスメイト、というか幼馴染、いわゆる腐れ縁ってやつだ。

 「私より身長低い男子に言われても困るんですが。ほんとに男子高校生かよ」

 「は、うるせえ。まだまだ成長中だわ。お前とは違ってな」

 この人、ほんとにむかつくな。なんて言い返してやろうか。

 「おい、晴也、何してんだ、練習するぞ」

 残念、私のフルカウンターは発動することなくこの場は収まりそうだ。

 「へいへい、今行く。・・じゃ、練習戻るから。あ、あと髪直しとけよ、さすがにボサボサすぎるから」

 「うるさいなあ、早く行けチビ」

 「覚えとけよ」

 そんなに髪型おかしくなってたのか。どれどれ、直しに行きますか。でもなあ、別に誰も気にしてないと思うんだけどなあ。正直、めんどい。

 とはいえ、なんとなく一応直した。教室に向かう。挨拶もそこそこに自分の席に着く。さて、とりあえず寝よう。朝は二度寝に限る。

 その後、授業を受けては、あいつにからかわれ、教室移動のときもからかわれ、なにかとあいつが絡んできた。

 

昼休み、昼食中に、友達から思いもよらない質問を受けた。

「ねえ、晴也くんと付き合ってるの」

なにを言っているんだ、この恋愛脳女子高生は。そう思ったとき、そう口に出ていた。

「たまに口悪いよね」

「別にいつも悪いよ。私とあいつはそんなんじゃない、ただの友達」

この手の質問は中学時代から多かった。そんなわけがない。そもそも自分が恋愛とかそういうのをするような未来が見えない。なんとなく物語の中だけのような気がしてしまう。だから好きな人とかできるのがすこし羨ましいなんても考える。

それに、好きな人が出来ると、女は急に可愛くなるとかも言うし、そこまでするものなのかととても気になる。ただまあ、気になるだけで、そこまで必死ではない。恋愛は私にとって、知れたらいいなぐらいの、雑学みたいな扱いだ。

 

 学校が終わって、帰り道。自転車であぜ道を通る。これも最初はてこずったが、もう四年目だ。たぶんもう、落ちることはない。

 ガシャーン

とかいう慢心が人を誤らせる。前輪がすこし道から外れ、田んぼの中に落ちた。幸い、この辺の田んぼは確かウチのだ。見ると、田植えが終わって、小さな苗が規則正しく並んでいる。

今年も収穫、手伝わされるのかなあ。なんか受験勉強あるとか言ってサボれないかな。無理か。あ、でも時期によってはできるかもしれない。今年の苗は、なんだろう。家に帰ったら、さりげなく聞いてみよう。

 私は自転車を起こして、土を払って、家に向かった。

 今度は落ちないように慎重にあぜ道を漕いで。

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