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60  脱出

「少し妬ける」

 エヴァン様の声です。

「気がつかれたのですか!痛みは?術後の経過はどうなのでしょう?」

「うん、話はジョアンから聞いたよ。気を失っていたというより、麻酔が良く効いて久々に熟睡したって感じだな。まあ私としては、なかなか渋い目にあったし、今もとても痛いけれどローゼリアが撫でてくれたら我慢できるかも?」

 ジョアンがぬるい目でエヴァン様を見ていますが、私はエヴァン様に駆け寄って抱きついてしまいました。

「会いたかった…エヴァン様。会いたかったの」

「うん、会いたかったよ。たくさん心配を掛けてしまったね。ごめんね、ローゼリア」

「ご無事なら良いのです。怪我は治りますよ。命があれば何も問題ありません」

「ああ、君はいつも私に勇気をくれる。そうだね、生きているのだから問題ないよね。それで?もうここを出る感じ?」

「ええ、お迎えに上がりました。お医者様には私から話をします。ジョン殿下が忙しい間に済ませてしまわないと」

「ああ、彼は今どこにいるのかな。きっと忙殺されているだろうね」

「そうですね。だから今のうちです」

 アンナお姉さまと騎士様が担架を用意して来ました。

「参りましょう」

 ジョアンから話は聞いているのでしょう。
 一切の迷いもなくサクサクとエヴァン様を連れ出してくれます。
 エヴァン様にはジョアンに付き添ってもらいました。
 私は副所長と一緒にエヴァン様を手術した医師のところに向かいます。

「失礼します。イーリス国から来た地質調査団のワードナー・ベックと申します」

「ああ、いろいろとお世話になっているようですね。私は医師のロイズ・ヘッジと申します。エヴァン卿のお見舞いですか?」

 中年の感じの良いお医者様です。

「ええ、少々相談もございまして。こちらはエヴァン卿の婚約者であるローゼリア嬢です。彼女は地質調査研究所の責任者でもあるので、同行しました」

「そうですか!お若いのにご立派ですね。エヴァン卿の事は心よりお見舞い申し上げます。なんせ酷い地震でしたからね。天井崩落事故に巻き込まれたと聞きましたが、傷の状況から少し調査が必要だとジョン殿下には進言しているところです。それにしてもエヴァン卿は皇太子妃殿下といろいろ噂がありましたが、ガセネタのようですね?おかしいと思っていたのですよ」

「ありがとうございます。エヴァン様が大変お世話になりました。本日お伺いしましたのは、地質調査団が借り上げている屋敷の方で療養をしたいと思いまして、そのご相談です」

「なるほど。手術は成功していますが、腱腱が切れたまま放置されていたため、歩行に障害が残るかもしれません。しかしここに居ても安静に寝ているだけですからね。母国の方々に囲まれている方が心も落ち着くでしょうし、ましてや婚約者さんが看病するなら治りも早いでしょう。良いですよ、退院してください。痛み止めと化膿止めは多めにお渡ししておきますから」

「ありがとうございます。では早速そのようにさせていただきます」

「ジョン殿下には私の方から報告しておきましょう。今は確か王城で復興支援の会議をしておられるはずですから」

「助かります。入院費用などのお支払いはどちらに行けばいいでしょうか?」

「今回の地震による被害ですから費用は国が負担する事になっています。地震以外は実費請求ですが、被災者には請求は発生しませんから」

「素晴らしい制度ですね。ありがとうございます。しかし、私どもは他国の人間ですから少しですが払わせてください。医療費が無理なら寄付金として納めてください」

「そうですか、こんな状況ですからそれはとても助かります。ありがたく寄付として頂戴いたしましょう。このこともジョン殿下には報告しておきますね」

「よろしくお願いします。それでは私たちは失礼いたします」

「お大事にしてください」

 とても良い先生で助かりました。
 私たちは急いで馬車に乗り込み、病院を後にしました。
 なぜか追われているような気持ちになって、宿舎の門をくぐるまで誰も口をききませんでした。

 エヴァン様をベッドに寝かせ、副所長は食料調達状況の確認のために出掛けて行きました。
 私はお湯を沸かしてエヴァン様の体を拭くために部屋に入りました。

「エヴァン様、お体を拭きましょうね。痛みはどうですか?」

「ああローゼリア、痛みはそこそこあるけれど大丈夫だよ。体を拭いてくれるの?嬉しいな。でもそれは私を裸にひん剝くという事だよね?なかなか大胆だねぇ」

 その言葉に私は一気に赤面してしまいました。

「そ!そそそそそんなこと!裸にひん剝くなんて!」

「だって寝巻の上からじゃあ拭けないでしょ?」

「それはそうですが」

「私は全然構わないよ。むしろローゼリアなら嬉しい。でも少し瘦せちゃったから、もともと貧相な体が更に細くなっちゃっててね。それで恥ずかしいなって思っただけだから」

「そうですね…瘦せましたね。ご苦労なさったのでしょう?」

「逃亡防止に足を叩き折られたのも痛かったけど、君を手に入れると笑いながら言ったジョンにはらわたが煮えくり返ったよ。それに地震からこっち、ほとんど食事が運ばれてこなかったのも辛かった。でもマリアの部屋にはたくさんお菓子があってね、それで凌いでたんだ。お陰で甘党になったかも?」

 こんな状況でもいつもの調子で明るく振る舞うエヴァン様の強さに、私は少し泣いてしまいました。
 寝間着を寛げて体を拭いていきます。

 エヴァン様は大人しくされるままになっていました。

「ローゼリア、首の後ろをよく拭いてくれないか?ずっと枕に当たっているからなんだか気持ちが悪いんだ」

「はい」

 私は固く絞ったタオルをもって、左手でエヴァン様の頭を抱えて首を起こしました。
 持ち上げた隙間にタオルを差し込み、丁寧に拭いていきます。

「ああ、気持ちがいいよ。そのまま顔周りも頼むね」

「はい、エヴァン様?おひげが少し伸びてますよ?」

「うん、さすがにあの状況で髭を当たるのは難しかったからね。どう?似合うかい?」

 私はエヴァン様の頭を抱えたまま顔を覗き込みました。
 するとエヴァン様の腕がさっと伸びてきて私の背中に回りました。

「エヴァン様?」

「だってローゼリアがあまりにも無防備で。私は足を怪我してるだけで腕は大丈夫なのに。だから教育的指導が必要でしょ?」

 そう言ってエヴァン様は私を抱き寄せました。
 懐かしいエヴァン様の声が耳に心地よく、私はそのまま体を預けました。

「ローゼリア、愛している。帰ったらすぐに結婚しようね。でも私の足は完全復活できないかもしれないんだ。ローゼリア…でも私は君を放してやれない」

「嫌なわけありません!そんなこと言わないで!」

「だって、ジョンから聞いたけれど僕たちの婚約は白紙になっているんでしょ?」

「それは無理やり…」

「噓だよ。全部ちゃんと分かっている。ああ!ごめん泣かないで!私が悪かった!」

「エヴァン様は意地悪です!」

「ごめん!泣かないで、ローゼリア私を見てくれ」

 私は涙目のままエヴァン様の顔を見ました。
 ゆっくりとエヴァン様の掌が私の後頭部を引き寄せて近づきます。
 そうして私たちは口づけをしました。
 唇を離したエヴァン様が優しく囁くように言いました。

「心配をかけてしまったね」

「本当に心配しました。だから来ちゃいました」

「ああ、ローゼリアは強い子だ。みんなが思うほど弱い子では無いさ」

「強い女はお嫌いですか?」

「強くても弱くても関係ない。私はローゼリアが好きなんだ」

「エヴァン様」

 もう一度唇を交わし、私たちは微笑み合いました。
 その後、夕食を取りながらスケジュールの確認などをして休みました。
 明日は大脱出です!

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