青春を傍目でのぞけば
一週間前くらいまではとても寒かったが、すこしづつ春に差し掛かっているようで、昨日も今日もあたたかかった。
私はここ数年間、かなりの頻度であるカフェに通っていた。名前は「喫茶house」で、横浜市のほんの片隅に位置するカフェだった。
中学校時代の仲がよかった同級生が経営しており、私は同窓会の時に招待された。
今日も仕事が終わり、つかれたまま青葉台駅についた。むかい側を見ると、そこに茶色い塗装がされた、温かみがある木製の家があった。ここが「喫茶house」だ。
カランコロンカランというかわいらしい音が、ドアに着いたベルからなった。
「いらっしゃい。」
あいさつをしたのはマスターの岩井だった。
「お、神田か。」
「ごくろうさん。」
私だと分かったとたん、岩井は慣れ親しんだような口調に変わった。
「今日はやけに遅い時間だな。」
「残業があってね。」
外は既に真っ暗だった。腕時計は夜8時を示していた。
「いつものでいいか?」
「今日はLサイズで頼むよ。」
カフェには、コーヒーの香ばしい香りが充満していた。室内は暖色系のライトがついており、とてもリラックスできる空間だ。
私はカウンター席に腰かけた。他にカウンターに座っていた客はいなかった。
だが、テーブル席には何人か客がいた。
「岩井、彼らは?」
「ああ。慶応川宮の子たち。」
「慶応川宮って、慶応付属の?」
「おう。」
「というか、よく知っているな。」
「常連だからな。お前がいつも来る時間とは重ならないけど。」
そういうと、岩井は「はい、いつものLサイズ。」といって、カップを私の前に置いた。
「マスター!ミルクティーおかわり頂戴!」
「はいはい。」
岩井は、見たところかなり高校生となかよくなっているようだった。高校生は、男子二人、女子三人という組み合わせだった。
たしかにhouseはおてごろ価格で雰囲気もいいが、アクセスが悪いため学生の客はあまり見ない。岩井も「学生はあまり来ないな。」と言っていた。
なるほど、彼らは周りの人が行っていないような店に行ってみたいのだ。特別感を求めるというのは、若者がやりがちなことだ。私も一年前までは学生だったため、そのような気持ちはまあわかる。
そうだ、抹茶ラテが届いていたのだった。私の「いつもの」はホットの抹茶ラテだ。単純に好きだから、いつも飲んでいるのだ。
抹茶ラテは、少し白みがかかった、やわらかい緑色だった。いつも頼んでいる通りのものだった。
岩井は高校生たちにミルクティーの追加分を届けていた。
「いつもありがとうございます!」
「いえいえ」
店内には、高校生たちと私、そして岩井しかいなかった。高校生たちにとっては、あの好青年な岩井を実質的に独占できて、さぞ嬉しかろう。
「いやぁー。」
5人のうち、女子1人が言った。
「もう卒業かぁ。」
そういえば既に3月だった。
「卒業したくないなぁ。」
「うん。したくない。」
クラスメートと繋がっていることができても、学生としての日々には二度と絶対に戻れない。これはばかりは絶対に避けられないことだ。
私は特に何も感じなかった。私も高校を卒業するころは、たいそうさみしい気持ちになったものだったが、今はもう、あの感覚を忘れてしまった。
「岩井、あとでお代わりくれ。」
私はカウンターに戻ってきた岩井にそう言った。
「はいはい。」
岩井は準備をしながら、しずかに高校生たちを見まもっていた。
いつにもまして、彼らの表情は真剣だった。
「何言ってんだよ。」
一人の男子が言った。ひときわ大きく、元気いっぱいな声で言った。
「じゃあ卒業してからも、毎日ここで集まろうぜ。」
「え?」
「だからさ、またみんなでミルクティーでも飲みながら話そうぜ。」
男子は笑顔のまま、大きく、全く曇りのない声色でそう言った。
「その時は、大学生になっても、大人になっていても、ここだけでは高校生のままで。」
――ここだけでは高校生のままで……――
私はつい、彼らの方に振り返ってしまった。
私は心がじんわりと熱くなるような気がした。
私は高校生には二度と戻れないといった。だが彼にとっては、そうではないらしい。
「うん!」
「大人になっちゃっても、ここでは高校生のまま、また会おう!」
青春そのものだった。「大学生になっても、大人になっていても、ここでは高校生のままで」か……。
私は、特別感を感じるために、あの高校生たちはこのマイナーなカフェに来たのだと勝手に思っていた。
確かに、特別感と言うことだけなら間違っていないのかもしれない。このカフェは、彼らがいつまでも子供のままでいるための「特別な場所」なのだから。ここだけでは、いつまでも子供のままで……。
慶応ボーイ・慶応ガールも、このような幼さを感じさせる青春を送っているのか。私は少し驚いてしまった。
「だからって、川宮の制服で来るなよ。それと毎日は開いてねえ。」
岩井はこの話を聞いていたのか、作業をしながら言った。
そして岩井は、何個かのドーナツを彼らのテーブルに置いた。見たところサービスだ。
「いつでも来い。」
岩井は、学生にちょっかいをかけるような、すこしだけ上から目線な声でそういった。
「ありがとうございます!」
「マスター優しい!」
さっきまで少し大人びて見えた高校生たちも、今はとても幼い感じがした。みんなで笑い合い、笑顔で過ごす。その姿は、高校生そのままだった。
私までいつの間にか笑顔になった。こいつらには、いつまでも、このhouseの中では子供のままでいてほしいものだ。
「はい、お代わりね。」
岩井がカウンターに戻ってきて、抹茶ラテが入ったカップを私に手渡した。
「ありがとう。」
カップに入った抹茶ラテは、さきほど飲んだものより緑が鮮やかで、草木のようにみずみずしい色だった。私の心が朗らかになったから、そう見えたのであろうか。
横を見ると、高校生たちはドーナツを食べながら思い出話にふけっていた。スマホに移った写真を見ながら、延々と、思い出話をした。過ぎ去ってしまった文化祭の事でも話しているのだろうか。
……ああ。なぜ私が泣きそうになるのだろう。
私は天井についた、あたたかなライトを見た。
ここがいつまでも、あの子供たちのhouseであってほしい。