横になると……
困ったことになっている。
何が困ったことかと言うと、このアパートがペット禁止であると言うこと。
そんな事はよくあることだし、普通だろと言われそうだが、俺の場合とてもじゃないが普通の事ではなくなっている。
まな板の上で眠るドラゴンと、起きてる間はひたすら走り続けるサバ。こんなふざけたペットを、欲しくもないのに飼うことになってしまったからだ。正直、部屋が若干生臭い。
こんな状況を何とかすべく、俺は玄関に勇者募集の張り紙を出している。が、もちろん誰一人としてドアを叩く人物は現れない。セールスの人間も新聞の勧誘も来ないのは、副産物ではあるものの、助かってはいる。
「どーしたもんか……」
すでに口癖になっている言葉を吐き出す。
ドラゴンはほとんど寝ているだけで問題がないから後回しでもいいが、問題は生臭さをまき散らすサバだ。
走り回る音も迷惑だが、匂いをまき散らすと言う立派なハラスメント行為は、俺の神経を全力で逆撫でする。もちろん、何度も捕獲を試みた。だが、見た目以上の俊敏性でいつも逃げられてしまう。魚の体に適当な手足があるだけなのに、どうしてこんないも素早いんだ……。
捕獲できれば、騒音も悪臭も解決できるうえに、食糧にもなるといいことづくめなのに……。
まぁ、調理するにも食べるにも、かなりの勇気が必要だろうけど。
そいう訳で、俺は奇妙な同居人と暮らすことを余儀なくされている。
「仕方ない、買い物に行くか……」
ため息とともに、俺はドアを開ける。
春の暖かな日差しと心地よい風が俺を包み、部屋に流れ込んでいく。
「みゃー」
みゃー?
なんだ、幻聴か?
「みゃー」
今度はしっかり聞こえた。この声は猫……にしては、やけに弱々しい気がするが。
そんな事を考えながら、ゆっくり足もとに視線を向けると、妙に弱った感じの真っ白い子猫がこちらを見ていた。
「みゃー……」
ばっちり俺と目があった瞬間、子猫は悲劇のヒロインのような表情をし、ガクッとうなだれるようにひっくり返る。
妙に演技派な猫だな……。
だが、このアパートはペット禁止。いくら弱ってるかも知れないとはいえ、勝手に部屋に入れたら大家さんになんて言われるかわかったもんじゃない。
いや、むしろ、今の部屋の中の現状の方が厄介だが……。
「仕方ないなぁ……」
俺はポケットから携帯を取り出し、大家さんに電話をする。
見捨てるのもあれだし、とりあえず大家さんに相談してみて、できれば引き取ってもらって……と、そんなことを考えてたら、大家さんが電話に出た。
「あ、大家さん。申し訳ないんですけど、部屋の前に子猫がいて」
「拾ってきたのかい?」
「いやいや、開けたらいたんです。で、だいぶ弱ってるみたいなんですが、引き取ってもらうことは可能ですか?」
「無理。私、猫アレルギーだし、犬もおるし」
「マジですか」
「マジです」
困ったことが、さらに困ったことになった。
大家さんがダメとなると、本格的に頼む人がいない。
実家に頼もうにもマンションだし、知り合いのほとんどは、俺と同じアパート住まい。実家暮らしの奴も多少はいるけど、両親が動物嫌いとかばっかりだし……。
「里親募集してあげるから、それまで面倒見てやってよ」
「でも、ペット禁止じゃ……」
「どうせアンタしか住んでないから、今回は特別って事でいいよ」
「え? あ、いや……」
すでに厄介なのが二匹いるんですが……。
なんてことは言えるわけもなく、だからと言って断ることもできず、俺はこの演技派の子猫を預かる事となった。
買い物に行く予定だったが、とりあえずそれは後回しにして部屋に戻る。
部屋に戻った時、俺の抱いている子猫を見て、サバが青ざめていたように見えたのは気のせいだろうか?
まぁ、元から青魚だから青いんだけど。
「とりあえず、牛乳でもあげればいいんかな?」
子猫の定番はミルク。
本当かどうかは知らないけど、漫画でもドラマでもそうだから、きっと大丈夫だろ。幸い、牛乳は昨日買ったばかりだし。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、少しだけ温めてから皿に移して子猫の前にだす。子猫はそれを嬉しそうになめていた。
「普通の動物って、癒されるなぁ……」
自然に顔がほころぶ。
ただ牛乳を飲んでいるだけなのに、その一生懸命さが妙に愛らしく感じる。動物に情が移るってのは、これを見てると本当によくわかる。
笑顔の俺の背後で、柱の影からこちらを窺うサバの姿が面白かった。が、お前みたいな得体のしれないものを食わせたら、腹壊すからエサにはせん。安心しろ。
やがて、牛乳を飲み終えた子猫は、日当たりのいい場所に移動してそのまま寝てしまった。こじんまりとした白い毛玉姿、それすらも最高に愛らしかった。
「寝たのか……じゃあ、今のうちに買い物行くか」
そう言いながら、俺は財布と携帯をポケットに突っ込み立ち上がる。
何やらサバが不安そうに俺を見つめているが、魚類の顔なんぞ癒しにもならん。
「おい、変なことしたら姿煮にするからな」
睨みながら少し脅すような感じで言うと、サバは震えながら何度も頷いていた。本能的に、調理されることと捕食する存在は怖いようだ。
静かにドアを閉め、麗らかな春の日差しを受けながら自転車に跨る。春の風は、なんとなしに俺の心をうき立たせる感じだった。
もしかしたら、まともなペットができたことがそうさせるのかもしれないけど。
しばらくして、買い物を終えた俺は家のドアを静かにあける。
「ただいま~」
もちろん返事が返せる同居人はいない。
まな板の上では相変わらずドラゴンが寝てるし、サバは震えて……あれ、震えてない。なんか、いつもどおりの感じだ。
「お前、慣れたのか?」
そう言って、靴を脱いだ時だった。
『モ~~~~~』
そんな鳴き声が聞こえた。
まてまて、今のはどう考えても牛だろ。なんで、牛の鳴き声が……。
「まさか!」
慌てて部屋に飛び上がり、居間に走る。
いや、走るほどの距離もないけど。
「あぁ……やっぱり……」
猫がいた場所には、そのままの大きさの動物がいた。
ただし、白かった身体は白と黒のぶちになっていたし、小さな角も生えてる。そして、鳴き声も変わってしまった……。
「モ~~~~」
それでも、顔だけは子猫の時の面影が残っていた。
「食べてすぐ寝たら牛なる……そういうことか……」
両手両膝を床について、俺はがっくりと俯いた。
これも、ペットロスっていうのかな……?