予想外の召喚
俺は今、とんでもない窮地に立たされている。
別に浮気がばれそうとか、隣に知らない女の子が寝ていると言うわけではない。もちろん、女の子二人に挟まれているような修羅場にもなっていない。
それすらも凌駕する出来事が、俺の目の前に横たわっている。
「どうしてこうなった……」
窮地の元凶を見ながら呟く。
俺の右手には、ちょっと濁ったコップ。そして目の前には、手のひらサイズのドラゴンがまな板の上に鎮座している。ふてぶてしく睨みを利かせたそいつは、何やら全身が赤い鱗で覆われ、時折ライターの火ぐらいの大きさの炎を吐く。
まぁ、今は寝てるんだけど。
勘違いしないでほしいが、ここは異世界でもファンタジーの世界でもない。都内某所にある、風呂付アパートの一室だ。駅からも遠く、コンビニもスーパーも自転車で二十分もかかると言うふざけた立地だが、まぎれもなく現実世界だ。
確かに信じられない光景だ。わかる、痛いほどわかる。なんといっても、俺もそれを痛感しているからだ。
「どうしてこうなった……」
俺しかいない台所でもう一度呟く。
事の初めは、本当になんでもない事だった。
バイトが休みで暇を持て余していた俺は、なんとなしにテレビを眺めていた。そこで流れていた子供向け料理番組、それが全ての始まりだった。
料理自体はトーストに何かを乗せると言う、非常にシンプルなもの。その乗中に、バターを作して載せると言うものがあり、番組自体はバター作りが中心で進んだ。
その方法は、カップに生クリームを入れて、しばらく振ればバターになると言うすごくシンプルなもの。
「へぇ~おもしろいな」
料理に何の興味もないのに、その時はなぜかそれが面白いと感じた。今となっては、その理由はまったくの謎だが。
特にやることもない休日、俺は自転車で生クリームとパンを買いに走った。特にどんなものが向いているかとかは気にせず、目に留まった生クリームと激安の食パン五枚切りを買って、再び自宅へ戻る。
ここまでは普通だ、何の問題もない。多分。
そうして暇人の俺は、計量カップで生クリームを測り、それをコップに移しラップで蓋をする。破れたら怖いから、五枚重ねにしたうえで念入りに輪ゴムで封をする。そこから、お気に入りのヘビーメタルの曲をかけ、ソウルフルにコップを振った。それはもう、魂を込めて、全身を使って。
初めはバシャバシャ音を立てていた生クリームも、次第に音がしなくなる。何曲か聞き終え、コップからの音が完全に聞こえなくなったので、振るのをやめて中身を確認する。
「お、なんかできてるんじゃね?」
コップの中には、白い塊があった。大きさは、ウズラの卵よりちょっと大きいくらい。ただ、この時は気にしていなかったんだが、コップの中にはその塊以外は、何もなかった……。
思いのほかよくできたと思った俺は、意気揚々とその塊を取り出す。思っていた以上に白く、楕円に近い形をした塊をまな板の上において、主役のトーストを焼くためにその場を離れた。
そうして、俺が目を離した隙に、このドラゴンは誕生していた。
「これからどうするか……」
このアパートはペット禁止だが、問題はそこじゃない。こんな物騒な生き物を自分が飼育するわけにはいかない。第一、飼育方法が分らない。だからと言って、その辺に捨てるわけにもいかない。
迷いに迷った挙句、俺は部屋の前に一枚の張り紙を出すことにした。
『求む、ドラゴンを退治できる勇者殿』
我ながらアホだと思うが、生クリームからドラゴンが出てくるんだ、きっとこの世界に迷い込んだ勇者だっているに違いない。
それが、俺の最後の希望だった……。