第1話 イケメンパティシエ駿也とプリンと美女ふたり〈前編〉
世界には、摩訶不思議な現象が溢れている。
夜七時半――。
オフィス街の一角の手入れの行き届いた美しい公園に、キャーキャーと女性が群がり溢れていた。
仕事帰りのOLや女子高校生や女子大生やら、彼女たちの華やいだ雰囲気に囲まれているのは一台のキッチンカーである。
「「きゃあっ、駿也《しゅんや》さ〜ん♡」」
「見た見た? 駿也《しゅんや》様の貴公子スマイル!」
「キュン死する〜♡」
「写真、一緒に撮って下さい」
根津梨音《ねづりおん》は、会社の二つ年上の先輩の鹿園寺星羅《ろくおんじせいら》に無理矢理引っ張られて、ここにやって来た。
「梨音、最近おかしいよ。体調悪いんじゃない? 悩みごと? ここのイケメンのスイーツを食べたら、悩みも吹っ飛ぶって」
「そんな良いですよ〜。私、こんなバーゲンセール会場みたいに女性の熱気でクソ熱い場所、苦手なんですから」
「もう、そんな事言わずにさ。行こう行こう。さあさっ、梨音。並ぼ〜、並ぼう」
星羅にぐいぐい背中を押されて仕方なく、梨音はキッチンカーの行列に並ぶ。
キッチンカーの前には、白い椅子が10数脚とパラソル付きのテーブルも幾つか配置されている。
テイクアウトも出来るけど、ここで食べることも可能なんだね。
「だいたい、私は晩御飯食べたいんですぅ。今はスイーツよりも」
「あ〜、わぁ〜った。分かったからね。駿也さんの絶品和三盆プリンを食べるのを付き合ってくれたら、美人でデキる先輩、この鹿園寺星羅《ろくおんじせいら》が駅前に出来た小洒落た串焼きのお店に連れて行ってやろうではないか。もちろんプリンも串焼きもおごりだぞ〜」
「和三盆プリン、串焼き……」
実は梨音はプリンが大、大、大好物である。
子供の時からとにかく大好きで。
熱を出した日にお母さんがプッチンと出来るプリンをあーんして食べさせてくれてからは、心や体が弱った時には必ず食べたくなる。
かためのプリン、とろけちゃうほど柔らかいプリン。
いちごプリン、かぼちゃプリン、抹茶味や焼きプリン……、どんなプリンも大好き。
梨音は思わずにこにこ、ワクワクとした気持ちになる。
「それにしても星羅センパイ。ここのプリンって、すごい人気ですねぇ」
「もっちろん、プリンもめちゃうまだよ? だけど、ここに並んでいる女子の皆さんの目当ては、それだけじゃあないのよ」
「人気の一つは味ともう一つ、あの、イケメンなオーラをば放ちまくっているパティシエさんですね?」
「そうそう、分かっとるではないか。パティシエの駿也さんの天使級で気高き貴公子スマイルにハートをぶち抜かれた女子は多い。それにね、恋占いもやってくれるのよ。あとね……」
「――はい?」
星羅センパイが急に小声になるので、耳をそばだてて梨音は続く言葉を待った。
「あの駿也さんね、イケメンパティシエでありながら、本業は悪魔退治や悪魔祓いをしてくれる、退魔師ってやつなのよ」
「……はっ?」
「だから、退魔師」
「星羅センパイ、私をからかってますぅ? プププッ。悪魔なんているわけないじゃないですか〜」
笑う私の両頬を、星羅センパイはぎゅむっと両手でつまんで引っ張った。
「梨音、アンタね〜。悪魔ってほんとにいるんだから。そんな馬鹿にしてると後悔するわよ? まっその実《じつ》、アタシも本物を見るまでは信じてなんかなかったけどね」
「えぇっ、どうゆうことですか?」
星羅センパイとじゃれるようにお喋りしているうちに行列の先頭になっていて、私たちの順番になった。
「いらっしゃいませ。あぁ、お元気でしたか? 鹿園寺《ろくおんじ》さん。今日も麗しく、ひときわお綺麗ですね」
「こんばんは、駿也さん。やだ、綺麗だなんて。重々自分の美しさは分かってます。先日はお世話になりました」
セ、センパイ。さすがです。
綺麗ってとこは否定しない。
「もう、変わりはないですか? あれから何もありませんか?」
「はい、平和です。普通な日常、毎日ハッピーに過ごせてますわ。それもあの時助けてくれた駿也さんのおかげです」
あ・れ?
星羅センパイと駿也さんってイケメンなパティシエさん、ちょっと親しいっぽいよね。
なんかあったのかな。
「いえいえ、俺は大したことはしていませんよ。何事もない平和な日常が一番です。楽しくお過ごしなら何よりです。それでは、今日のご注文はプリンだけですか? ……あぁ、もしかして本日今夜は鹿園寺さんのお悩みではなく、そちらにお連れの可愛らしい方《かた》の方《ほう》ですか」
「えぇ、そうです。見てもらえますか? 可愛い後輩の梨音の身に何が起こっているかを」
「かしこまりました。プリンを召し上がられながら、少々そちらでお待ちいただけますか。スイーツ《《だけ》》のお客様が帰られるまで」
ちょ、ちょっと待って!
勝手に話が進んでるけど、『梨音の身に』ってどうゆうこと〜!?
第2話 イケメンパティシエ駿也とプリン
駿也さんのキッチンカーに集まったたくさんの女性のお客さん達は、お目当ての和三盆プリンを手に入れ、駿也さんとキャッキャウフフと写真撮影をしたりして満足な面持ちで帰って行く。
私と星羅センパイも、お皿に綺麗に盛り付けられた和三盆プリンを食べる。
お皿の上ではプリンを囲むように、ベリーなどのフルーツとクリームとソースが飾られている。
一緒に出された飲み物は温かいほうじ茶。
「星羅センパイ、プリンなのにまるで絵画みたいですね。食べるのがもったいない」
「ほんと、ほんと。駿也さんプリンは美しいし、とっても美味しそうだよね。しかしいつ来ても女性客が絶えずいっぱいおしかけてるのに、駿也さん一人でこなすって凄いわ。しかも、ずっと笑顔」
「微笑みだけでもお金が取れそうですねぇ。モデルとか俳優にもなれそうなのに、なんだってそんな胡散臭そうな……退魔師でしたっけ? 怪しげな職業に就いてるんでしょう」
私はひと口パクっと和三盆プリンを食べてみると、口中に上品な甘さ、幸せが広がる。
「う〜〜ん、美味しい」
「これは、うまうまだね〜」
私と星羅センパイは絶品プリンに舌鼓をうっていた。プリンとお喋りに夢中になる。
気づけば、お客さんは私と星羅センパイだけ。周りには歩く人も居ない。
「大変お待たせしました。当店のプリンの味はお二人のお口に合いますでしょうか?」
隣りに立った駿也さんの気配に、ドッキーンっと胸が鼓動を打った。
心地よい少し渋みのある声は、落ち着きある振る舞いの姿によく似合う。耳に届く穏やかで優しげなトーン。
うーん、かっこいい。
オトナな雰囲気なのに威圧感はまるでなし。
纏ったパティシエの制服が駿也さんを引き立たせている。その姿は清潔感と魅力が溢れ素敵。上品な紳士感が醸し出されている。
「こんなプリン初めて食べました。とっても美味しいです!」
「私は何回か和三盆プリンを頂いているけれど、いつも美味しい。それに毎回なんだか新鮮なの。舌が味の違いを感じて驚きがある気がする」
「ありがとうございます。実はプリンそのものは味は変えていません。日によってトッピングを変えたり、添えるクリームの配合や甘さは天候によって変えています。さて……」
駿也さんはそう言ってテーブルにぽんとぬいぐるみを載せてきた。看板にも描かれた犬のぬいぐるみだ。
ふわふわとした白い毛並みにクリクリとした瞳がかわいい。よく見ると小さな翼がついている。
「――羽根を広げ、気配をさぐれ、我が契約主よ。天使ジェンジェン、退魔師の元に憑依したらん」
ええっ? なになにっ?
急に駿也さんが呪文のようなものを唱えると、駿也さんの体から光が発せられ犬のぬいぐるみも淡く光る。
「汝に悪魔の気配あり」
ぬ、ぬいぐるみが喋ったあぁぁー!
第3話 イケメンパティシエ駿也とプリンと美女ふたり〈後編〉
翼を生やした犬のぬいぐるみは後ろの二本足で立つ。
私はびっくりして椅子から半分転げ落ちそうになってしまい、サッと反応した駿也さんが私のずり落ちかけた身体を支えてくれた。
ドキドキドキ……。
駿也さんの美しく整った精悍な顔が近くて、カアッと顔からも身体からも内側の奥から熱が湧いてくる。ぽぉっと熱くなる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫? 梨音」
「だ、大丈夫です。駿也さん、ありがとうございます。あっ、あのー! ぬいぐるみが喋りました。喋りましたよね? 星羅センパイも駿也さんも、なんで二人とも驚かないんですか。あっ! あ〜、分かった。そのぬいぐるみはさてはロボットですね。私を驚かそうと……。まさかテレビか何かのドッキリですか?」
「残念、ハズレです。ボクはロボットではないんですよぉ。ボク、駆け出しの天使ジェンジェン。まだ生まれたばっかりで修行が足らないの。だから経験を積んで高みをめざさないと。でね、上級天使のセルフィ様からの業務命令で駿也たちを見守って、悪魔退治のお手伝いしているの。よろしくね、梨音ちゃん」
「私の名前をなんで知っているの?」
天使のジェンジェンと名乗った犬のぬいぐるみは、駿也さんの肩に乗る。
「ボクはちゃんと大人しくぬいぐるみに化けていて、話は聞いていたから。さあ、さっそく始めようか。駿也」
「えぇ、さっさと退治してしまいましょうか。梨音さんの体調不良は悪魔の仕業。心の美しい女性を狙う不届きな悪魔は、天使に加護を受けた退魔師が世界の調和とバランスの法則にのっとって、見事退治をしてみせましょう。ジェンジェン、剣を」
駿也さんの足元から風が起こりまばゆい光が発せられる。
「梨音さん、まずは貴女のショルダーバッグから手鏡を出して下さい」
「て……てかがみ?」
「そうです。貴女が最近拾った手鏡です。後でどこで拾ったかも教えて下さいね。あるはずですよ? 宝石が埋められた悪魔の手鏡が。梨音さん、貴女はその手鏡を拾ってから悪夢ばかり見て、寝不足なのでは?」
ガサゴソとバッグを探ると、古めかしい豪華な装飾であしらわれた手鏡が出てきた。これはまるで映画の小道具、マリー・アントワネットがもってそうな立派なやつ。
「ああっ! ありました。変だな。私、今の今まで拾った鏡のことなんて忘れていました。……確かに私、ここのところ見る怖い夢ばかりで。目覚めの悪い夢をずっと見ています」
「『悪夢を見せる鏡の中の悪魔』が貴女の心と身体を乗っ取って、人間になりすまそうとしているんです。手鏡を地面に置いて下さい」
私がバッグから出した手鏡を地面に置くと、犬のぬいぐるみのジェンジェンが口でくわえて、駿也さんの足元にそっと置く。
「……悪魔に取り憑かれると記憶が時々飛ぶんだよね」
「星羅センパイも似たような目にあったんですか?」
「うん、身体を乗っ取られそうになったのよ。その時、駿也さんが助けてくれたの」
「そうだったんですね」
駿也さんがいつの間にか細身の剣を握っている。手鏡に近づけると、ブワッと黒い煙が上がった――!
『【ぐううううおぉぉっ!】』
地面を震わす獣のような咆哮がして、暴風が起こる。
「「きゃああっ」」
私と星羅センパイは両腕を顔を守るように前に出す。凄まじい風と砂塵に目が開けてらんない!
「さあ、悪魔よ。天の使いの力を受けよ」
駿也さんの怒気を孕んだ声がした。
さっきまでのイケメンパティシエの駿也さんの声とは別人のように荒々しかった。
チラッと見えた。
手鏡から出ようとしている悪魔の姿が――。
干からびたミイラ、もしくはアニメにでてくる宇宙生物のようだった。
キーキーギーギーと耳を塞ぎたくなる悪魔の声に、悪寒が襲い鳥肌が立つ。
「――滅せよ、召さられん―」
駿也さんが剣を悪魔ごと手鏡に刺し込むと、悪魔の断末魔の叫び声が響いた。
駿也さんの剣と犬のぬいぐるみのジェンジェンから、強烈な光が放たれる。
……まぶしい、視界がくらむ。
私はあまりの怖ろしさとショックに気を失ってしまった。
🌹
「大丈夫ですか?」
「良かったあ、目が覚めた? 梨音、一時間も意識が戻らないから心配しちゃったよぉ」
目を開けると、イメケン!
わあっ、びっくり。
……イケメンパティシエの駿也さんの秀麗な顔と星羅センパイの心配そうな顔が、私の目の前にあった。
「悪魔は無事に退治しました。もう遅いのでお二人のご自宅までお送りします」
素直に甘えて送ってもらうことにした。私は助手席に座る。
「あの〜、駿也さん。助けてくれてありがとうございます。悪魔退治代っておいくらですか? 私に払える値段かな……」
「ふふっ、要りませんよ。お代は先ほどいただきましたプリンの分だけで結構です」
私は駿也さんの柔和で素敵な微笑みに見惚れていた。
後ろの席の星羅センパイの「私も助手席が良かったー。駿也さんの横顔を見つめていた〜い」と、ミーハーな声を聞き流しながら。
この世の中は、不思議な事が起こるもんですね。
貴方が悪魔や怨霊や怖い存在に困ったら、ちょっと変わったキッチンカーを探してみて。
美味しい料理を振る舞うイケメン店員さんが、颯爽と格好良く悪魔退治をしてくれる頼りになる退魔師かも知れません。
第一章 駿也編おわり
第4話 女子大生と考古学教授とキッチンカーフェス〈前編〉 考古学を専攻している輝夜千登勢《かぐやちとせ》は、奇妙な噂を聞いた。
学園祭でもないのに、星霧大学《ほしきりだいがく》の芝生広場にキッチンカーが何台も集まってオープンしているという。
この星霧大学は日本の財閥グループのトップが考古学が大好きで、考古学や歴史に特化した大学を作りたいと、趣味でぱぱっと投資をして作ったのだ。
すごいお金持ち。
家が貧乏で奨学金とアルバイトを掛け持ちしてやっとこさ通学している私にはとって羨ましい話だ。
って、自分の専攻している考古学の星霧教授がそのトップオブトップだとは知らなくて、サークルの先輩たちに教えてもらった時は驚いた。
私の印象は、星霧教授はおっとりとしたおじいちゃん先生です。
星霧教授は四六時中、エジプトのミイラやピラミッド、中国の歴史に日本の神話など、古代や神秘的なことが大好きで没頭している。
たくさんの珍しくて歴史的に高い価値のある物を収集しています。星霧教授はコレクターとしても有名らしいです。
学園長って呼ばれるより、星霧教授って呼ばれることを好みます。
私が芝生広場に出向いてみると、10台ほどのキッチンカーがお店を開いていた。
そのうち4台に明らかに女子学生が集中して並んでいて、わいわいとちょっとした騒ぎになっている。
「千登勢、おいでおいで」
「先輩方も来てたんですね」
同じサークルの先輩たちに手招きされて、私はテーブルと椅子が並べられたイートインスペースに行く。
「今日はここでランチですか?」
「もっちろん。だって推しがいるから」
「推し?」
推しって、アイドルとかの推しだよね。
「千登勢も来てたんだ〜。見てみて、私たちのおすすめを紹介するよ」
「私たちのおすすめ、ですか?」
みんな、推しが一緒なの?
「左のキッチンカーから、貴公子スマイルが尊いイケメンパティシエの駿也さん。ワイルドで明るいイケメン中華シェフの真宙《まひろ》さん。番犬系わんこ男子の奏斗《かなと》くんとおうち系わんこ男子の愛斗《まなと》くんの星霧兄弟が作る絶品和食お弁当。それからミステリアスなフェミニン王子のレオンが作る洋食お弁当が、まじで美味しいから」
すごい勢いで語られて頭がクラクラしてくる。
そんなにまくし立てられて、いっぺんになんて覚えられません。
途中からキッチンカーのシェフの紹介なんだか料理の紹介なんだか、ごっちゃになったが、私はともかく先輩たちの推しへの愛を感じた。
「私の推しのイケメンたちのキッチンカー以外は、大学と有名店とのコラボで来てるらしいよ。明日からランチに出店しに来るみたい。駿也さんたちは今日だけ」
「それか星霧学園長が気が向いたら呼んで。そしたら来てくれるの」
星霧、星霧。
あれ、星霧兄弟っていたよね。
星霧教授の親戚かな。
「千登勢は何食べる? 私はレオンの洋食お弁当にしようかな〜。私、レオンに王子ウインクしてもらおう。それにね、煮込みハンバーグって大好き」
王子ウインク……。シェフやパティシエが忙しいだろうに、女子大生の要求にいちいち応えているんだろうか。
商売も大変ですね。
――あっ、ノリノリで応えてる!
遠くからでも、洋食シェフのレオンが前の方の女子大生のお客さんに、微笑みながらウインクをしているのが見えた。
盛り上がって楽しそう。
どう見てもレオンの顔立ちは日本人じゃないよね。うん。それともハーフかしら?
「ねえねえ、千登勢はどうするの?」
「私? 私ですか? うーん、和食にします。最近ぶりの照り焼きだなんて食べてないですし、バイトが忙しくてコンビニ弁当ばかりで栄養も偏ってるからなあ」
「千登勢は偉いよ。お母さん、入院しちゃったんでしょ?」
「ほんとは大学なんか来てる余裕ないんですけどね。ギリギリまで頑張ってみようかと。お母さんも私が大学に通っているのを喜んでるんで」
そこでふと先輩が「そうだ」と小さく叫んだ。
「推しのシェフの五人なんだけどね、占いとかもやってくれるんだよ。開運効果もあるとかないとか。恋占いやってもらった友達なんかさ、その後すぐに彼氏が出来たんだよ。千登勢、お弁当買うついでに占いもやってもらったら?」
「占いですか? うーん。無理です、万年金欠なんです」
「占いはタダだよ」
「タダっ? じゃあ怪しげな壺とか売りつけてくるんでは?」
「ないない。そんなんないよ。千登勢も疑り深い性格ね〜」
そう、私は疑り深いかもしれない。騙されてる暇もお金もないのである。だから、彼氏はいない。胸を張って言える。
男はオオカミ、デートにはお金がかかる。お洒落な服にも交通費にも食事をしたり映画に行ったりとか、何かとかかる。
「私、いいです。お弁当だけにします!」
「そ、そう。じゃあ後で、ここで合流ね」
私は和食のお弁当のキッチンカーの大行列に並ぶ。
男子学生より圧倒的に女子学生が多い。
並んでる女子学生は殊のほか華やかで、「きゃっきゃっ、うふふ」と色めき立っているよ。
私の順番がやって来て、時間つぶしに乙女ゲームをしていたスマホから目を離し顔をあげる。あっ! うそ、星霧教授もキッチンカーに入って、接客してる。
「じいちゃん、また変なのをコレクションに加えたんだろう?」
「『海賊になった航海士の望遠鏡』じゃ」
番犬系わんこ男子と先輩が呼んでいた奏斗くんと星霧教授が何やら隙間隙間に話しながら、横でおうち系わんこ男子の愛斗くんがテキパキと和食お弁当を売りさばいていく。
「じいちゃん。遊んでばっかいると、女子大生に鼻を伸ばしてるってばあちゃんに告げ口すっぞ」
「アホなこと抜かすな。ワシが鼻の下を伸ばしているんは、不可思議な怪異やミステリーな代物《しろもん》じゃ。大学経営はあくまでも趣味道楽じゃぞ。あっ、でも手は抜かん。本気の趣味じゃからな。早く逃げ出した悪魔のミイラを捕まえんか」
「おじいちゃん、とにかく、心当たりはないの?」
「この大学の学生の誰かに取り憑いてるはずじゃが……」
「まったく、骨が折れんな」
な、なんの話をしてるのかしら?
「いらっしゃいませ。どのお弁当になさいますか?」
「ああっ! あんたっ! ……見つけた、あんたの背後。じいちゃん、逃げたミイラだ。見ーっけ」
番犬系わんこ男子の奏斗くんが私を見るなり、指をさして「ミイラだ」と叫んでる。
えっ? 何っ!?
ミイラって、何よ。
ずいぶん、失礼じゃない?
そんなに痩せてないわよ。
第5話 女子大生と考古学教授とキッチンカーフェス〈中編〉「あんた、後で話があるから。どこで弁当食べてる?」
「えっ? えっと、あそこでサークルの先輩たちとランチします」
私がおずおずとイートインスペースの席を指差すと、奏斗くんはニカッと笑った。
――ドキッ。
な、なんだ。この破壊力満点の可愛い笑顔は!
このなんとも母性本能をくすぐられるやんちゃな笑顔が、先輩たちのハートをがっちりと掴んでいるに違いない。
まじまじと見つめると、奏斗くんはウインクした。
「待ってろよ。あんたは俺が守ってやっから」
な、何なの? 奏斗くん、私のことを守るって言ったよね?
初対面なのに守るとか、どうして。
「ちゃちゃちゃ〜っと弁当をお客さんに売ったら、さっそく取り掛かるからな」
「お兄ちゃん、あとは僕とおじいちゃんとで引き受けるから、退治してきちゃってよ」
おうち系わんこ男子の愛斗くんの笑顔にはきゅうーんとする。
甘いマスクは子犬を想像させる。
だから、愛斗くんはおうち系わんこ男子なんだ。ポメラニアンの子犬?
それにどこかシュークリームみたいなんて、思っちゃった。
「よしっ! じゃ、じいちゃんに愛斗、あとは頼んだぞ。あんた、ちょっと良いか? 付き合ってもらうぞ」
奏斗くんはキッチンカーから出て来ると、腰に巻いていたカフェエプロンを手早く外して愛斗くんに投げた。
愛斗くんはエプロンをキャッチして、「行ってらっしゃ~い」と言いながら手を小さく振る。
「行くぞ」
「えぇっ?」
奏斗くんに左手を掴まれ引っ張られて、右手に握った和食お弁当が入った紙袋がブンブン揺れる。
周りの女子学生達のこちらを見る鋭い視線が痛い。
私が手を繋いでって頼んだんではありませ〜ん。
有無を言わさず、勝手にどこかへ連れてかれようとしています。
意味が分からないし。
なんの説明もしてくれないままズンズンと奏斗くんは星霧教授のコレクション棟に入っていく。
赤茶のレンガ造りのコレクション棟は3階建てで、1階から3階まで全部星霧教授のコレクションが美術館のように展示されてる建物だ。
このコレクション棟は建てられてから数年しか経っておらず、まだ新しく歴史が浅いはずなのに、長い歴史があるように空気が漂う佇まい。
きっと星霧教授の数々の貴重な収集物《コレクション》が放つものがそう思わせるのかもしれない。
知らなかった。
1階の奥に重厚な扉がある。
「扉の向こうは普通の人間には少々刺激が強いけど、絶対に大声で叫ばないでくれよな」
奏斗くんの言った意味がよく分からなかった。
――だけど。
開かれた重そうな扉の向こう側には、広大な砂漠が広がっていた!
✧✦✧
じわじわと太陽が照りつけてきて暑いな。焼け焦げてしまいそう。容赦ない強烈な陽の光がじりじりと空から降り注ぐ。
砂漠には巨大なスフィンクスが、私達を見下ろすように建っている。
「す、すごい迫力っ……!」
造り物なのにスフィンクスの眼光は妙に鋭く見据えて来て、顔の直前まで迫るような威圧感がある。
「――羽根を広げ、気配をさぐれ、我が契約主よ。天使ジェンジェン、退魔師の元に憑依したらん」
奏斗くんが何か呪文のようなものをぶつぶつと呟いている。
「ここ、どこ?」
「『汝に悪魔の気配あり』……。千登勢さん、それはボクの方から説明させていただきます」
ぽんっと急に目の前に現れたのは、ぬいぐるみ?
白い子犬のぬいぐるみに翼が生えていて、空中に浮かんでいる。
「どうして私の名前を知ってるの?」
「ボクは天使のジェンジェンです。仮にも天使ですから、貴女の名前ぐらい容易く知り得るのです。貴女に取り憑いた悪魔のミイラを、そこの退魔師の奏斗と退治しようと思います」
「悪魔……? 私にミイラが取り憑いているなんて嘘でしょ?」
私はまだ繋いだままの奏斗くんの手をぎゅっと握った。
不安と恐怖。
……コレハナニ?
映画のセットか何かなんでしょ?
「あり得ない。現実にこんなことが起こるなんて」
「まっ、普通は信じられないよな。ハナから信じてもらえないと思っていたから、あんたを直接ここに連れて来たんだ。あんたの目は人を信用していない。疑り深い性格かなと感じたから。でもこれは現実で、あんたの運と生気を吸って悲劇の砂漠の王女は現代に蘇ろうとしてんだよ。最近じいちゃんがうっかり落とした『悲劇の王女の香水小瓶』を拾ったんじゃないか?」
香水の小瓶……?
そんな物拾ったかしら。
私は繋いでいた奏斗くんの手を振り払った。
『良いのよ。その香水小瓶は貴女の物よ。ふふふ、あげるわ。その代わり、アタクシに貴女の身体をくださるかしら?』
「マズい! 乗っ取る気だ。ジェンジェン、剣を」
「分かった! 奏斗、さあ受け取って」
白い子犬のぬいぐるみが体をぶるぶるっと震わすと、空中からまばゆく光る剣が現れて、奏斗くんが手に取りぐっと力を込め握る。
私のスカートのポケットからするりと香水小瓶が飛び出し、空中に浮いた。
こんなの拾った覚えがないのに、どうして私のポケットの中に……!
『アタクシなら、もっと人生を謳歌して楽しんで生きられるわ。もったいないわよ。ウフフッ。貴女は生きる素晴らしさを知らない、不幸を嘆くばかりの愚かな娘。さあ千登勢、アタクシに貴女の身体を捧げなさい。寄越すのです!』
頭の中で声がした。
そうだ、私。
ちっとも楽しくなんかないや。
こんな私が生きるより、生きたいと願う輝く王女様に残りの人生をあげた方が良いんじゃないな。
有効的に使ってくれる方が私の身体だって喜ぶ。
ソウダヨネ?
砂漠の暑さは遠のいて、私の目の前に暗闇が落ちてきた。
第5話 女子大生と考古学教授とキッチンカーフェス〈後編〉
私の身体の中に、ずるりとナニかが入り込んでくる。内側を這いずり回る不快さが、滅茶苦茶気持ち悪い。
「あっ、うああっ……」
私の身体中に得体が知らないものが這っている感触は今まで経験したことがないおぞましい。私の味わったことのない類の恐怖が広がる。
「いやあぁぁ――っ!!」
私が思わず叫んでしまうと、スフィンクスが呼応するようにゆっくりと立ち上がろうとしている。
「まずいぞ。大声出すもんだから、スフィンクスが起きちまった。とりあえず、王女のミイラからやっつけねえとな」
「……た、助けて」
「しっかりしろっ! 千登勢さん、意識を保て。俺があんたを絶対に助けてやるから!」
ガンガンと叩かれるような耐え難い頭痛もしてきて、私は砂漠の地に膝を着く。
私の身体の中を蠢く得体の知れないもの。
……彼女の声が聴こえる。
『……早く出て行くのです。アタクシはこの世界を支配するために甦るのよ。身体がなくては力が半減する』
「や、やだ。やっぱりやだ」
身体が支配されようとしている。
自分が自分じゃなくなる。
「剣よ、応えよ――。さあっ、俺と悪魔退治しようぜっ!」
奏斗くんが剣を振り上げていて、彼の全身が淡く光り始める。
転がっている『悲劇の王女の香水小瓶』から、豪華な装飾品を身につけたしわしわのミイラが飛び出そうとしている。
奏斗くんが剣を香水小瓶に素早く突き刺して、天使のジェンジェンと名乗った子犬のぬいぐるみが彼の肩に乗る。
すると彼らから、目を開けていられないぐらいの光が放出される。
『やめろ、やめろぉー! 気高い王女であるアタクシに歯向かうのか? うぐっ……。ギャーッ!!』
私はあまりにも壮絶な断末魔の声に耳を塞ぐ。
すると、私の身体に入り込んだモノが出て行った。入り込んだ時と同じようにずるりとした感触を一度させて。
王女のミイラの叫び声が収まって静かになったので、私が恐る恐る目を開けると、奏斗くんがじっとこちらを見ている。
「千登勢さん、頑張ったな。ミイラ化した砂漠の王女は倒した。もう一体の悪魔は千登勢さんから出て行って、スフィンクスに戻った」
「悪魔は二体いたんですか?」
「そうですネ。いたんですネ。ボク、ジェンジェンの天使の感が告げています。魔力が高いのは逃げた方の悪魔です」
「そうだな、ジェンジェン。あっちの方が厄介な悪魔なんだよな。千登勢さん、俺の後ろに隠れててくれ」
「は、はいっ!」
奏斗くんはぬいぐるみ天使のジェンジェンを肩に載せたまま、巨大なスフィンクスを見上げ剣を構えている。
私は彼の背後に隠れる。
「ねぇ、私なんかのために、なんで守って戦ってくれるの?」
「そりゃ決まってるさ。俺が必死になる理由は二つほどあるぜ。一つは俺の丹精込めて作ったお弁当を買ってくれる大事なお客様だから。もう一つは困ってる可愛い女の子は放っておけないよなあっ!」
奏斗くんが剣を振り上げスフィンクスに向かって斬る動作をすると、持っている剣から光の刃《やいば》がいくつも飛び出して向っていく。
当たった!
でも、スフィンクスにはあまりダメージになっていないみたい?
ゆっくりとスフィンクスはこちらに向かって、ドシンドシンと地響きをさせ4本足で歩いて来る。
その動作でまとまった量の砂埃が舞う。
「効いてねぇ……?」
「ほぉ……。今回の事件はスフィンクスに身を隠していた蛇の邪神が、彷徨っていた王女の魂をそそのかしたというところですかね。奏斗、1人では分《ぶ》が悪いかも知れませんよ」
「駿也っ! みんなっ」
気づけば、先輩たちの推してたシェフがどこからか駆けつけて来てた。
「奏斗くん、みんな退魔師なの?」
「そうだ。俺を含めてここにいる5人みんながな。……俺1人で倒したいとこだけど、千登勢さんを怪我させちゃ大変だし。素直に力を借りるか」
「そうそう、素直が一番。奏斗、待たせたな。あとは皆で力を合わせて総力戦だな」
「お兄ちゃん、お待たせ」
「悪魔になった王女の方は倒したんだね。偉いよ、カナト」
「手早く一気にキメるぜ?」
スフィンクスを、5人が囲む。
いつの間にか5人とも手に剣を持って、身体が淡く光っている。
一斉に跳躍すると、スフィンクスに剣を突き刺していった。
スフィンクスの獣みたいにうなる大きな咆哮が徐々に小さくなっていく。
――私はそこで、意識が途絶えた。
✧✦✧
目を開けると白い壁に白い天井、白いカーテンが目に入る。
「夢だったの?」
「夢じゃねえよ、千登勢さん」
横に気配を感じて顔を動かすと、そこには椅子に腰掛けた奏斗くんがいた。
「ここは医務室だかんな。千登勢さんのお友達もさっきまでいたけど、なかなか目を覚まさないから帰ってもらった。もう、悪魔は退治したから、安心しなよ」
奏斗くんがベッドに横たわる私の頭を撫でてくる。
胸がとくんと跳ねる。
ドキドキ……。
――ぐう〜っ!
「やっ、やだっ! お腹が鳴っちゃったよ〜」
「ぷっ……。はははは」
奏斗くんが笑う。やんちゃな笑顔。
恥ずかしいよ、こんなタイミングでお腹が鳴るとか私。
「弁当、無事だから。後で食べてよ」
「……えへへ。なんかお腹減っちゃった。恥ずかしいね私ったら」
「良いじゃん。そんな千登勢さん、可愛いよ。全然恥ずかしくないぜ? いつだってどんな時だって、人間ってのは腹は減るもんな。健康な証拠だぞ」
「そう言ってもらえると、気持ちが楽になります」
私はそれでも恥ずかしさが消えずに、掛け布団を顔の半分まで引き上げて上気した顔を隠す。
「なあ? 千登勢さん。あのさ、あんたが掛け持ちしてるバイトのことなんだけどな」
「へっ? バイト?」
「掛け持ちの方は辞めて、じいちゃんの監視役のバイトをやってくんないかな。じいちゃん、おっちょこちょいだからさ、危険なコレクションをうっかり落としたりするだろ? またやるだろうから、目を光らせておいて欲しいんだよな。バイト代は弾むよ、うちのばあちゃんが喜んで。そしたらあんたは、勉強にもお母さんの看病にも専念できるだろ? あと特典に病院代もうちで持つ」
「そんな良いバイト……。好条件すぎじゃないですか」
「受けてくれっか?」
「は、はい」
私に取り憑いていた悪魔化した王女のミイラは、退魔師の皆さんが退治してくれた。
だから、運が向いてきたのかな?
「ありがとう、奏斗くん。私、考古学を選考してるし、発掘品とか歴史の遺産とか興味があるんだよね。それに不思議な出来事も」
「よっしゃ決まり! なんか異変があったら、俺か他の退魔師でも良いから連絡してくれよな。そうだ、弁当食べたら、退魔師の誰かに家まで送らせるよ。一番安全運転な駿也あたりに頼もうか。千登勢さんはバイクと車のどっちが良い?」
「そ、そんな良いよ、良いです。一人で帰れるから」
「一度な、悪魔に出会うとアンテナが敏感になるからまた会うかもしれねえぞ。そういう人間は悪魔にとっちゃ大好物の甘い香りをさせてるらしいんだ。千登勢さん、あんたは狙われやすいって自覚を持ってな」
「怖いんですけど」
「大丈夫。ぜったい、俺があんたを守ってやっから」
「あ、ありがとう」
やだ、勘違いしちゃいそう。
きゃあっ。胸がドキドキしてきちゃったよ〜。
か、顔が熱い。
「他の退魔師もあんたの味方だかんな」
んー。そうだよね。
退魔師の責任から、心配してくれてるだけなんだ。
「あっ、お弁当食べようかな。どんな味かなあ。楽しみ」
「おっ? 食べる? 千登勢さん、俺が食べさせてやろうか」
「良いですぅ。お断りします」
「なんでだよ。みんな俺にあーんしてとか言って頼んでくるぞ。やってやると喜ぶのに」
みんなって誰よ?
あー、無駄にドキドキしてときめいちゃった。
やっぱり男なんて、彼氏なんか当分いらないや。
第2章おわり
第7話 星羅と真宙と悪魔の花嫁の髪飾り〈前編〉 この世界の光と影、陰と陽は背中合わせである。
人間が見えている世の中は、たった一部分に過ぎないのだ。
今日はお昼どきと夕方の2度ほど、オフィス街の一角の手入れの行き届いた美しい公園に、キャーキャーと女性が群がり溢れていた。
ランチタイムに響いていた女性たちの騒ぐ声は、今は聴こえずひっそりとしている。
騒ぎの原因は一台のキッチンカーで、ノボリには『真宙のファイヤー中華弁当』と描かれている。
助手席には白い子犬のぬいぐるみがちょこんと座ってる。ちょっと珍しいのは犬のぬいぐるみだが、背中に白い小さな翼がついていること。
キッチンカーには女子高校生やOLや女子大生やらがたくさん買いに来ていて、彼女たちの華やいだ雰囲気に囲まれていた。
今はもう、キッチンカーの店主で中華のシェフの真宙《まひろ》が店じまいの片付けをしている。
「今日は真宙さんですか〜。こんばんは」
「よお、久しぶり。こんばんは。今日も素敵な瞳だね、輝いてるよ星羅さん」
「ありがとう。なんか疲れちゃった」
「どしたどした? 元気印の星羅さんらしくないな」
私は真宙さんに歩み寄ると、見上げる。じっと見つめると、照れたように笑う真宙さんが可愛い。
「悪いな。駿也たちみたいに俺はあんまり女性の扱いが上手くないんだ。いつまで経っても慣れないっていうかさ。時間あるの? 座る?」
真宙さんは片付けたピクニックテーブルと白いキャンプチェアを、一組わざわざ出してくれる。
アタシのために。真宙さん、優しいな。
「さっ、座って星羅さん。ジャスミン茶を淹れようか」
「ありがとう。……真宙さんも駿也さんたちも、アイドルみたいな人気ですもんね。みんなかっこいいもん。得意なこともあってキラキラしてる。それに退魔師だから、……最強よね」
「最強か。そうでもないけどな。コンプレックスや苦手なこともあるよ? 星羅さん。俺ね、元々陰陽師の家系なんだ。ちっちゃな頃から修行してるからなあ。まあ、得意というか……。陰陽師の武術は習慣みたいなもんかな。退魔師になるまでは、家に縛られてるって思ってた。君みたいにね。星羅さん、君もだろ? 家のしきたりやあれこれに左右され、縛られてるのは」
「……そうですわね」
アタシ、鹿園寺星羅《ろくおんじせいら》は、以前悪魔の取り憑いたウエディングドレスを試着しちゃったことがあって、キッチンカーでスイーツや料理を振る舞う一風変わった退魔師の方々に助けてもらったことがあるの。
そこに、今目の前にいる真宙さんも居た。
次には後輩の梨音が悪魔に狙われてて、あの時は退魔師の一人の駿也さんがやっつけてくれた。
梨音はあれから、すっかり駿也さんのプリンの虜だわ。
アタシだって、彼らの……虜なんだと思う。料理の味も、風貌も紳士な態度も好き。
……かと言ってですわね、私は恋人になりたいとか、好きになってもらいたいとか、そこまでは思わないの。
だって、恋心を寄せるのは愚かなことだからよ。アイドルや人気俳優に恋をしたって叶いっこない、それと一緒。アタシだって大勢に埋もれている。
憧れを抱く女子は、たっくさんいるんですもの。
それから、アタシは自分の思い通りには恋ができない運命だから。
第7話 星羅と真宙と悪魔の花嫁の髪飾り〈中編〉
アタシ、鹿園寺星羅《ろくおんじせいら》は二面性がある。
二重人格ぐらい、違うかもしれない。
しつけの厳しい家で生まれたアタシは、外では別人みたいになりたかった。
自分で選んだ会社で仕事をするのは、結婚するまでの社会勉強。期間限定でしかいられない。
両親や祖母をやっと説得して、普通のOLとして働いている。
会社に居る時は、アタシは喋り方も服装も変えてるの。
職場を離れれば《《わたくし》》は、華道家元の跡取りなんです。小さい頃からずっと、お稽古お稽古! 毎日毎日、お稽古ばっかりに着付けに所作や作法を叩き込まれてきました。
跡取りを継ぐ修行三昧な日々にうんざりですわ。ほとほと心が疲れ嫌気がさしていたのです。
最近では気持ちの切り替えも早くなりました。
窮屈な家のお嬢様バージョンと、職場で後輩や同僚に慕ってもらえてる姐御バージョンの自分を使い分けています。
二人の自分を行ったり来たりと、成り代わり演じ分けてるの。
どっちが自分?
どちらも自分だわ。
口癖や仕草はすぐには抜けない。
不意に出てしまう、お嬢様として生きてきて身についている習性。
「アタシ、どの自分も自分じゃない気がするの。こんな人生……、いっそ誰かにあげちゃいたい」
「星羅さん、そんな風に思わない方が良い。ネガティブに追い込むと、自分から悪魔を引き寄せかねないから止めなよな。星羅さんの好きなように気が楽な方にしたら良いよ。本当にやりたいことやワクワクしたりな道を、好きなことを選び取ったら良い」
「あ〜あ。アタシも真宙さんみたいに家のシガラミから逃れたい。代々続く家だからって絶えないよう家督を相続しなくちゃならないんだもんなあ。この令和の時代に。伝統というだけで、自由に恋愛も結婚も出来ないだなんてね」
「……選択すれば? 家を棄てて、星羅さんのおばあさんからの期待も裏切ってやれば良いよ。星羅さんのしたいように生きるのが幸せなんだって、思い知らせたらいい。おばあさんにとって何が大切なのか、星羅さんにとって何が大切なのか。おばあさんが大切なのは家か? 星羅さんか? はっきりしてくるよ。それにはまずは自分で選び取らなきゃ、一生後悔しながら生きることになる」
「真宙さん……」
「そうだ! 試しに俺と付き合ってみる?」
「――えぇっ!?」
ぐっと私に近寄る真宙さんからは、色気が匂い立つ。
真宙さんの男らしいがっしりとした体格。服の上からでも分かる鍛えていると思われる厚い胸板に、腕まくりが似合う筋肉が目立つ硬そうな腕は力強い。肌はほどよくお日様に焼けていて、白すぎず黒すぎず健康的だ。
安心感のある優しい笑顔と落ち着いたハリのある声。ほんのり渋みと深みのある声は耳に心地よい。
どきどきどき……。
そんなに近寄って来られると、真宙さんの魅力にあてられて、くら〜っとポ〜ッとしてきちゃう。
「俺が恋人を演じれば、おばあさんの選んだ結婚相手と結婚しないですむだろ?」
「えっ」
おばあさまが決めたこの前の婚約者は、花嫁衣装に取り憑いていた悪魔を見て腰を抜かして逃げるように婚約解消して破談になった。
悪魔は怖かったけど、ラッキーって思っちゃった。ウフッ。
「あ、あ〜、そうね。真宙さんが恋人のフリをしてくれるんだ」
「それとも……」
「それとも?」
「本気でほんとに俺と付き合う?」
「えぇっ」
「退屈はさせない。俺といれば、……星羅さん。危険で刺激的な毎日になるよ」
どっきーん!
キスされそうな距離まで近づかれて。
……どきどきどき……。
胸の鼓動が騒がしい。心臓の音が真宙さんにも聴こえてしまうんじゃないかしら?
怖いほど真剣な野性味あふれる瞳が、アタシを見つめている。
炎みたいな、人だ。
近づけば、火傷する。
でも魅惑的で惹かれてしまう。
これ以上歩み寄れば危険なのに、明るくて熱くて心が身体がボッと熱をおびる、あたたかくなる。
たくましい腕に絡み取られて抱きしめられて、どこか遠くへ連れ去ってもらいたい。
そんな甘い願望に浸ってしまう。
「どうする? 星羅さん」
「……真宙さん、アタシ」
どうしよう?
アタシ、真宙さんと……。
第7話 星羅と真宙と悪魔の花嫁の髪飾り〈後編〉
ある日、私は雑踏の中で聴こえたその声に思わず立ち止まった。
しゃがれた声は妖しげで話す文言は胡散臭かった。
――なのに、声は私を振り向かせる。
「そこの! そこのお嬢さん。お安くしとくよぉ。これを持ったら必ず幸せな結婚が出来るよぉ。フランスの王妃の物だったといわれる『天使の贈り物・花嫁の髪飾り』なのさぁ。綺麗だろおぉ?」
私に向かって、この人話しかけているんだ。
ターゲットは私だ。
買うわけないじゃない、そんな嘘が詰まった髪飾り。
それにね、今はそんなに結婚がしたいわけじゃないもの。
ただ逃げ出したかっただけよ。
生まれついての境遇から。
逃げられないから。
もう思い悩むより、さっさと結婚してしまいたい。
どうせお家のための婿取りの結婚は免れない。
おばあさまが選んだ相手しか、私には許されないのだから。
それなら……、幸せな結婚の方が良い。
そう思っただけ、だった。
私の弱い気持ちに、私の願望に、その声は届いた。響いた。
✧✦✧
アタシは真宙さんからの提案を保留している。
ア、アタシの恋人になってくれるって有り難い提案……。
真宙さんは、あの後アタシを家まで送り届けてくれて。
真宙さんはアタシの家族に友人として一言挨拶したいとか言ってくれたり、紳士なんだ。
「今夜はちょっと……! アタシはまだ心の準備が出来てないからっ」
「そっか。じゃ、正式に恋人になってからだな。星羅さん、俺はいつでもオッケーだぜ。ああ、それからメールも電話も気兼ねなくじゃんじゃんしてくれて良いからな。遠慮しないでくれよ? 俺、恋人からの電話はたくさん欲しい派なんで」
「えっ、えぇー? うん、気が向いたら。ありがとう真宙さん、送ってくれて。さようならっ、またね。気をつけて」
……調子狂うなあ。アタシなんかと恋人になりたいだなんて。
アタシって芸能人だった親譲りの美貌ではあるけど、自信なんかまるでないコンプレックスの塊なんだよ。
歴史ある家や有名だった両親や、そんな肩書き以外に、アタシがアタシだって胸が張れる何かがあるだろうか。
――そんなもん、ない。
真宙さんからのお話、丁重にお断りしようと思うけど。
だって絶対、おばあさまやお母さまがうるさくしつこく追求してきそうなんだもの。
『ただのお友達なのかしら?』
『貴女はうちの後継ぎなんですよ。あの人、ちゃんとした家の方なの?』
『やめなさい。貴女には異性の友達なんて必要ありません。はしたない』
真宙さんに送ってもらった後、家の中に入ったら案の定さんざんおばあさまに送って来たのは誰かって訊かれて、取り調べみたいにきつく問われた。
どっから監視してるのやら。
まったくもう。おばあさまは地獄耳、千里眼なんだから。
「星羅センパイ。星羅センパイ! 私の話を聞いてました? 星羅センパイったらどうしたんですか? ここ最近よく浮かない顔をしてますね。大丈夫ですか? 何か悩みがあるなら聞きますよ。そりゃああんまり私なんか頼りにならないかもですけど」
「ありがと、梨音。なんもないよ。心配事なんかアタシには似合わないでしょ? ねっ」
「まあそうですけど。似合いませんけど。いつも元気なセンパイがしょんぼりしてると気になります。」
今はランチタイムです。
アタシは同僚の梨音と商店街の裏通りのイベント広場に向かった。
梨音と二人で、広場で開かれてるフリーマーケットをのぞいてみることにしたんだ。
イケメンパティシエ駿也さんのキッチンカーのお店も出ていると梨音がどこからか聞きつけてきた。
『星羅センパ〜イ。ねっ、ねっ。お昼休みに行きましょうよ、行きましょうよ〜』
『分かった、分かったから。そんなにアタシの腕を掴んで揺らさないで〜。フフッ、梨音ったら、そんなに駿也さんに会いたいの?』
『しゅ、駿也さんに会いたいというか、えっと私は駿也さんの作るめちゃ美味《うま》プリンが好きなんです。……駿也さんにも会いたいけれど』
『梨音ってば、可愛いよ。純に恋する女は可愛い。駿也さんにそのうち梨音の気持ちが伝わると良いね』
『星羅センパイ……』
アタシは梨音に誘われて来たんだ。
梨音の目当ては、貴公子スマイルが素敵なイケメンパティシエの駿也さんの絶品プリン。
――と、駿也さん。
どちらかといえば、梨音のメインは駿也さんに会えることだと思うな。
駿也さんの笑顔にハートを撃ち抜かれ奪われる女子の多いことよ。
本日のメインは抹茶プリンとクレープみたい。
かくいう私も、駿也さんの貴公子スマイルには胸ときめいちゃう。
フリーマーケット会場は大盛況。平日というのに、盛り上がっている。
呼び込みの声や嬉しそうな笑い声があちこちで起きていた。
友達、家族連れ、夫婦や恋人同士であろうカップル……老若男女が楽しそうに買い物を楽しんでいて。商店街の食べ物屋さんや飲料店も参加していたり、似顔絵描きの屋台も出ているし、ちょっとしたお祭りみたいな騒ぎだ。
商店街の活性化一大イベントって横断幕が掛けられてる。
力、入ってるな〜。活気づいている商店街は賑やかで楽しい。
みんな、仕事に誇りを持って働いているんだね。
にこにこ愛想の良い店主の威勢の良さに、こっちまで元気になってくる。
『これを持ったら必ず幸せな結婚が出来るよぉ』
……あ、れ?
アタシ、さっき聞いた声が気になる。
『フランスの王妃の物だったといわれる「天使の贈り物・花嫁の花飾り」なのさぁ』
すごく気になる。
耳元で聞こえてるみたいに、ハッキリと思い出す。
『綺麗だろおぉ?』
欲しい。
めっちゃ胡散臭い。
効かないと思う、そんな物。
必ず幸せな結婚が出来るアイテムなんてあるわきゃない。
分かってるのに、すっごく欲しいっ!
「梨音、駿也さんのスイーツ先に食べてて。アタシちょっと買い物」
「星羅センパイ、掘り出し物が見つかったんですか?」
「ま、まあ、そんなとこ」
アタシは駆け出した。
まだあるかな?
怪しいけど欲しい。『天使の贈り物・花嫁の髪飾り』って売ってた髪飾り。
フリーマーケットの片隅のスペースに、黒いパーカーをすっぽり被った人が売り手として座っている。
「お嬢さん、特別な髪飾りが欲しいのかぁ?」
「はい。売ってくれる? おいくらですか?」
「お金はいらないよぉ。お嬢さん、あんたの魂をくれればいいさぁ」
私が髪飾りを受け取ると、黒いパーカーの人はみるみる巨大な黒い影になる。顔はない!
「きゃああぁぁっ!」
「「星羅さんっ」」
「真宙さん、駿也さん」
真宙さんと駿也さんが駆けつけてくれた。
二人が私の前に立ち、巨大な黒い影から守ろうとしてくれてる。
「大丈夫か、星羅さん?」
「真宙さん来てくれたんだ。でもどうしてピンチが分かったの?」
「胸騒ぎ、かな。星羅さんのこと考えていたんだ。なんとなくここに足が向かってた」
「真宙の退魔師の勘ってやつかも知れませんね」
「駿也さん、そこは恋のパワーってことで。……おい、影野郎! 俺の大事な人に危害を加えようなんて許せねえ」
辺りが暗くなって、さっきまでの喧騒はなくなった。フリーマーケットにいた大勢のお客さんもお店を出している人たちも居なくなっている。
どうなってるの?
やがてみるみると、辺りの景色が激変してく。
今さっきまでお昼だったのに、深い夜のように暗闇が広がる草原のような場所に変わる。
真宙さんと駿也さんの身体が淡く発光する。
二人はいつの間にか手にしている退魔師の剣を巨大な影に向かって振るうと、光の刃《やいば》が幾つも出て放たれる。
――が、影に当たったと思ったのに、どの光の刃も向こう側にすり抜けてしまう。
「攻撃が当たらない!」
「すり抜けてしまうようじゃ、ダメージとしては悪魔には効いていませんよね。何か手はないものか」
【愚かな人間だぁ。オレには実体は無いぃ。人間の負の感情や魂を喰らって生きているエネルギー体で存在する悪魔だからなぁ。お前たちが退魔師だろうと倒すことは不可能であるのだぁ】
巨大な影の悪魔の地面と空気を震わす絶望的な声は、人間とは異質で何層にも重なった不協和音のよう。
不快さにぞぞーっと悪寒が走る。
ぞくり、ぞわぞわ、ゾクゾク。
微風が流れひんやりと冷たい。
地面は鉄のように硬くなり、足元から熱を奪っていく。
「ジェンジェン! 何か方法はないか?」
真宙さんが叫ぶと空中からぬいぐるみ天使のジェンジェンが降りてくる。
「くんくんくん……、悪魔の匂いがする。星羅さん、汝に悪魔の気配あり。悪魔の本体は星羅さんの持っている髪飾りです」
「よっし、でかした。星羅さん。その髪飾りを俺に渡してくれるか?」
「……イヤよ」
「星羅さん?」
「……渡したくない」
王妃の花嫁の髪飾りは悪魔のアイテムだ。
そんなもので幸せになんてなれるわけがない。
分かっているのに。
どうしても手放したくない。
「真宙っ! あっちの影の相手は俺に任せて下さい。君は星羅さんを説得しなさい」
駿也さんが巨大な影に向かっていく。悪魔からダメージを与えられてしまうのに、駿也さんは悪魔にダメージをくらわすことは出来ない。
「星羅さん、分かってるな? それは人間を狂わす代物だ。決して幸せになんか……」
「分かってるの。真宙さん、私だって分かってる! そんな都合の良いものがあるわけないって。だけど囁きが聴こえるの。『我々悪魔はお前の味方だ。身を委ねよ』って」
アタシはいつしか涙を流していた。
なんだろう、こんな聞き分けのない子供みたいなことを、どうして真宙さんに言っちゃうんだろう。
「辛かったんだな……」
「――えっ」
アタシは真宙さんの腕の中にいた。
強く抱きすくめられて、私は心のなかに凝り固まった氷みたいなものが溶けていく気がした。
癒やされていく。
分かった。
アタシ、ずっと誰かにこんな風に抱きしめてもらいたかったんだ。
馬鹿だなあ。求めれば手を差し伸べ続けてくれていた人が、こんなにもそばにいたのに。
込み上げる嗚咽が苦しくて、止まらなくて。
「俺がそばにいる。それじゃ駄目か? 星羅さんの心《ハート》に俺の気持ちは伝わらないのか?」
「アタシなんか、なんの取り柄もないの。真宙さんのそばにいるのに相応しくないよ。アタシなんかのどこが良いの?」
「理屈も理由もない。気づけば星羅さんのことを好きになってた。星羅さんの素敵なところなら、いくらだってあげられる。一番は悲しんでいる人や困ってる人を放っておかないトコ! 落ち込む梨音ちゃんを励ましている姿や、道で具合が悪くなったご老人や妊婦さんを助けているの知ってる」
「えっ……。なんでそんな……。あの時周りには誰もいなかったよね?」
「天使のジェンジェンから聞いた」
――1度、悪魔と関わりあった人間は、悪魔の好物の甘い香りを発していて、また狙われやすくなる――
駿也さんがそう言ってた。
だから、天使が遠くから見守ってくれてるの?
「真宙さん、コレ。すぐに渡さなくてごめんなさい」
アタシは悪魔の花飾りをおずおずと真宙さんに渡す。
「良いんだ。星羅さん、離れてて」
「はいっ」
真宙さんが悪魔の花飾りに退魔師の剣を一気に突き刺す!
すると巨大な影の悪魔が断末魔の叫びをあげ、一瞬で粉々になって散った。
暗闇は消え、アタシたちは元のフリーマーケットのイベント会場に立っていた。
「悪魔の奴、あっけないほどあっさりやられたな」
「大丈夫でしたか? 星羅さん。お怪我とかありませんか?」
「アタシは大丈夫です。真宙さんが守ってくれましたから」
心配なのは駿也さんの方だ。
「駿也さんは大丈夫ですか?」
「ええ、なんともありません。無事ですよ。鍛えてますから大事ありません。では俺は店がありますので、これで失礼します。後は真宙、頼んだぞ」
「あぁ、了解」
駿也さんが去ってしまうと、アタシと真宙さんの間になんともいえない空気が漂う。
甘いような、照れくさいような。
「あ〜、え〜っと。……で、星羅さんは俺と正式に付き合ってくれるのか?」
「やめとくわ。今はアタシ、やっぱり真宙さんには釣り合わないと思う。家は継ぐ決心はついたの」
「いつ決心したんだ?」
「さっきよ。悪魔と戦う貴男と駿也さんを見て、アタシも本気でおばあさまと戦おうと思った。だから、保留! 真宙さんのせっかくのお申し出はまだ受けられない」
「そうか。……まっそれでこそ、俺が好きな星羅さんだな」
「真宙さん、好きよ。貴男には引力がある。本音は……、アタシは貴男に惹かれてる。真宙さんとなら楽しい結婚生活が送れそうだし、貴男の横ならきっと明るい未来だって感じる」
「でも、今じゃないんだな」
「そっ。ゴメンね。いつかその時が訪れて、真宙さんがまだアタシのことを想ってくれていたら……」
「期待せずに待ってるよ」
「ありがとう」
真宙さんのおかげだわ。
アタシは逃げないで、一歩進めた。
たった一歩。
でもアタシにとっては大きな一歩なの。
「イケメンシェフで最強の退魔師でも、振られるんですねぇ」
「梨音!」
「星羅センパイももったいないことするな。私の同期の加藤さんが真宙さんのこと狙ってましたよ」
振り返るとグラスに入った抹茶パフェを持ちながら、ニヤニヤとしている梨音がいた。
「梨音さん。からかわないでくれよな。これでも結構傷ついてんだから」
「私、傷口に塩を塗ってしまいましたか? 実はイチャイチャしてる二人が羨ましいんです。まったくずるいですよ。みんなでどこ行ってたんですか」
「イチャイチャって……。俺、星羅さんには振られてんだけど」
世の中は不思議で溢れてる。
せっかくのイケメンな彼氏をゲット出来るチャンスをふいにしたアタシ。
どうかしてる。
真宙さんは、悪魔と戦うカッコいいヒーロー退魔師の一人。
アタシはいつか、そんな正義感と勇気あふれる真宙さんの気持ちを受け取る日が来るかも知れない。
まだまだ未熟なアタシは受け取れないけれど。
「とりあえずお友達として仲良くしてくれる?」
「もちろん」
悪魔はアタシたちの身近にいて。
甘美な誘惑をばらまいている。
時には悪魔は、アタシたちの弱くて脆い部分を好み巣食っている。
だけど、助けを求めれば。
声なき声すら拾ってくれるヒーローたちがいる。
彼らは退魔師。
見た目も心意気もめっちゃイケメンなヒーローだ。
彼らなら身をていしてきっと――、いや、必ず悪魔からアタシも貴方のことも助けてくれる。
第3章おわり
最終話 レオンと梨音と悪魔の妖怪花
この世界には、とても摩訶不思議な現象が溢れているの。
夜七時半――。
今宵は満月。
赤い大きな大きな満月が夜空にうかんでいて、圧倒される。
どこか妖しく、地上に降る月光は神秘的です。
こんな日はこの世のものでは無いものも満月に誘われ、現れちゃいそう。
オフィス街の一角の手入れの行き届いた、夜はライトアップされた噴水ショーが美しい公園がある。
今夜《《も》》、きゃあきゃあと黄色い声援をあげる女性たちが群がり溢れています。……ちなみに、ランチタイムも女性たちで盛り上がっていたんだけどね。
その騒ぎの源は、美味しい料理を出してくれるあるキッチンカーなのです。のぼりには白い犬のぬいぐるみのキャラクターが描かれています。
普通のキッチンカーではありません。この場所には五人の男性の店員が入れ替わりでやって来ます。
月に数回、時々、五人が勢揃いするけど。
魅力その1は、料理がすっごく美味しいこと。
魅力その2は、料理を作っているシェフやスイーツやを作っているパティシエが息を呑むほどのイケメン揃いだということ。
魅力その3は、シェフでありながらもう一つの顔があって、恋占いや怨霊悪魔退治をしてくれる退魔師だってこと。
仕事帰りのOLや女子高校生や女子大生やら、彼女たちの華やいだ雰囲気に囲まれているのは、一台のキッチンカーである。
私、根津梨音《ねづりおん》は、仕事帰りに駿也さんのキッチンカーに向かってた。
だけど駿也さんの姿はなく、そこにいたのは洋食のシェフのレオンだった。
駿也さんもレオンもパティシエとシェフであり、もう一面の顔は退魔師という悪魔や怨霊や怪異に立ち向かい対峙するヒーローだってことが、ずっと私の心から離れない。
ついこの前、私も悪魔に狙われちゃってね、駿也さんに助けてもらったことがあるの。
……あの時の駿也さん、もうめちゃくちゃ格好良かった〜。
悪魔と戦い、私を守ってくれた。
凛々しくて、眩しかった。
それに駿也さんの作るプリンに私は首ったけ。
で、今日も駿也さんに逢いたくて、彼の作る絶品プリンを食べたくて、ついついやって来ちゃったってわけなんだけど。
曜日から予測して駿也さんが来る日だと思ったのに。
✧✦✧
「お待たせ。梨音は僕に何か訊きたいことがあるんでしょ?」
「えっ、うん。……まあ」
あんなにたくさんいたお客さんたちも、気づけばみんな帰っちゃってました。今は私とレオンの二人きり。
「はい、どうぞ。僕のおごりだよ」
「えっ? 良いの?」
レオンはテーブルにマグカップを置き、びっくりするような早さでラテアートを施した。
流れるように鮮やかな手つき。輝く瞳は真剣で様になる横顔。
「くまのラテアートだ。かわいいっ。すごいね、レオン」
「メルシー」
レオンは、白いチェアに座る私の横に颯爽と座る。
いちいち格好良いのはなんでだろう。
「梨音が訊きたいのは駿也のこと?」
「えっ! えっ、えっ、何で分かるの?」
私が激しく動揺してしまったのを見て、レオンがクスクス笑う。
「駿也といる時の梨音の顔を見てれば分かるよ」
どっきーん!
レオンがそう言ってウインクする姿はとってもチャーミング!
微笑んだレオンってば、女子に負けないぐらいキュートです。
「ふふっ。梨音ってば顔が赤くなった。梨音の反応は可愛いね。……ねえ、梨音《りおん》とレオンって、似てると思わない? そうそう、名前の響きかな。余韻の音がさ、僕たち似てるよね。僕、梨音にとぉっても親近感が湧いちゃうんだな」
「またまたそんな。女子が勘違いしちゃいそうなセリフ。私だって、さり気なくレオンに言われちゃうとドキドキしちゃう……かもよ? ハートが撃ち抜かれた女子もきっといっばい居ると思……」
「梨音は僕に、ドキドキはしてくれてるんだね」
レオンが私を抱き寄せ、耳元で囁く。
ちょっとちょっと、こんな至近距離でのイケメンには慣れてないもん。レオン、反則だよ〜。
どきどきどき。
「レ、レオン! まっ、待った〜」
「シーッ。梨音、静かにしてて。このままじっとしてて。梨音、普通に会話して?」
「何? 何かあるの?」
「ちょっとね。何者かの気配がするんだ。誰かに見られているような。うん、ジェンジェンを呼ぼうかな。『――羽根を広げ、気配をさぐれ、我が契約主よ。天使ジェンジェン、退魔師の元に憑依したらん』」
私たちの足元にぬいぐるみ天使のジェンジェンが現れる。
「頼むよ、探って」
「了解です。行ってきます」
レオンはジェンジェンにウインクをする。
ぬいぐるみ天使のジェンジェンの姿がパッと消えた。
「私ね、今日は駿也さんのキッチンカーが来る日かと……」
「梨音、鋭い。いつもならね、ここには駿也が来る予定だったよ。駿也は出張に行ってる」
「出張? 悪魔退治の?」
「そっ。表立って退魔師の活動をしている人間は少ないからね。呼ばれれば全国どこでも行くよ。ふふっ。愛車のキッチンカーでね」
とくんっ――と胸が騒ぎ出す。
私ってなんてミーハーなんだろう。
でも、男の人に免疫が少ないんだもん。
こんなに長い時間抱きしめられたら、意識しちゃうよ。
う〜ん、レオンっていい匂いがする。それにとってもあったかいな。
でも私、駿也さんを好きなんだから。
「レオン、ねえ、駿也さんってどんな人? こ、恋人はいるのかなあ……」
「うーん、どうだろう。駿也は謎多い人だからね。仲間で一緒にいることの多い僕たちでも、駿也のことは知らないことだらけなんだよね。――あっ! やばっ、百鬼夜行が始まった」
「百鬼夜行?」
「うーん、気配は悪魔の気配のままだ。たぶん近くに……その辺に妖怪花が咲いているみたい」
「妖怪花って? 今夜は悪魔じゃなくて妖怪が出るの?」
レオンが私をギュッと抱きしめる。
あったかい。
なんだろう、このとっても安心する感じは。
ドキドキもする。
「梨音、目を閉じてて。悪魔の妖怪花は人間の恐怖の感情を具現化するんだ。夜道で誰かが暗闇に妖怪がいるんではと、そこにはいない妖怪を恐れる。すると悪魔はしめたとばかりに妖怪の幻を出す花を咲かせる。養分は人間の恐怖心だよ。今ね、幻の妖怪たちが目の前の通りを闊歩している」
「レオン。よっ、妖怪たちって……。いっぱいいるの? 私、怖い」
この間始めて出会った悪魔も十二分に怖ろしかったけど、私、妖怪にはトラウマがあって。
私が小学生の頃のことなんだけどね。友達と神社の境内でかくれんぼをしてた時に、からかっさオバケと鉢合わせしたことがあるんだよね。
向こうも驚いてたけど、ギョロギョロしてた一つ目がすっごい怖かった。あの顔が目に焼き付いてしまったの。
「妖怪達は幻だから大丈夫。僕が守るから安心して」
「レオン。……ありがと」
「僕が穢れを祓う歌を歌ってあげる。梨音が怖くなくなるように。ジェンジェンが探しに行った悪魔の本体が見つかるまでの間ね」
「穢れを祓う歌?」
「僕は剣より声を使った攻撃が得意なんだ。歌う声に退魔師の力を込めるんだよ」
レオンから聴こえる。美しく荘厳で透き通った歌声がする。
呼吸と息遣いが、レオンと密着した胸から直接伝わってくる。
「梨音、僕が君を守るから。さ、悪魔を見ないようにおやすみ」
私はレオンの不思議な歌の力で眠りに誘われてしまう。
「……梨音、可愛い君を見てると僕の妹のメロディを思い出すよ。僕は眠り続ける妹を救うために退魔師になったんだよ――」
レオンの優しくて柔らかで、静かに語る声が遠くなる。
私はとてもとても眠くて、目を開けていられないの。
レオンの妹さんはなぜ眠り続けているんだろう?
私の意識は夢の中に落ちる。
強くて素敵なイケメン退魔師たちの物語は続く。
この物語の続きはまたいつか……。
……私の目が覚めてから、必ずお話しますね……。ええ、約束で……す。
了