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 木製の筒型聴診器を手にした詐欺師ペル・ドゥ・ロオーロはラッパ型に開いた先端を美形王の胸に当て厳かに咳払いをしてから、その反対側の端に自らの耳を押し当てて美形王の心臓が奏でるこの世のものとは思われぬほど華麗で繊細しかし力強く拍動する心音に耳を傾けた……いや、聞いている振りをした。聴診器の筒を通って鼓膜に届く美形王の心音が聞こえていないわけではない。ただ、その音色やリズムが正常か異常か、判断できないだけである。
「大賢者ペル・ドゥ・ロオーロよ。どうだ、俺の心臓は正常に動いているか?」
 正常かどうかは分からないけれど、動いているのは確かだったので、ペル・ドゥ・ロオーロは聴診器を外し再びの咳払い後に答えた。
「正常に動いております」
 美形王は満足気に頷いた。
「そうだろう、そうだろうとも。俺の心臓は正常だ。それなのに、侍医団の馬鹿どもめ! とんでもない誤診をやらかしおって!」
 服の胸元のボタンを召使たちに留めさせながら、美形王は自らの胸をバチッと叩く。
「あいつらは俺の心臓に不吉な影があると言いおった。おそらく心臓の神経に悪魔が憑りついていると。そんなことがあるものか! 現に俺の心臓は何事もなく普通に動いている。俺はまだ若いし、狩りに水泳その他諸々の激しいスポーツをやっても苦しくも何ともない。俺は正常、健康そのものなのだ」
 ペル・ドゥ・ロオーロは深々と首を垂れた。
「仰せの通りの存じます」
「この健康状態なら、いかなる試練にも耐えられるだろう。それではペル・ドゥ・ロオーロよ、女身女体スーパーダーリン降臨の魔術を始めようぞ」
 そう言って美形王は玉座から立ち上がりかけた。ペル・ドゥ・ロオーロが制止する。
「国王陛下、お待ちくださいませ」
 美形王はたちまち不機嫌になった。
「俺を押しとどめるとは、ペル・ドゥ・ロオーロ。お前は、いい度胸をしているな」
 腰に下げた鞘から国王の証しである神聖なサーベルを引き抜き、ペル・ドゥ・ロオーロの鼻先に切っ先を突きつきて、美形王は言った。
「我が意のままにならぬものは斬り捨てる」
 顔の前で鋭い刃がギラリと光る。美形王がその気になれば、彼のサーベルはペル・ドゥ・ロオーロの顔を簡単に貫くことができただろう、チーズあるいは豆腐でも切り分けるように。それでも詐欺師は動じない。国王をペテンにかけようという男だけに、体は瘦せているが肝は太いのだ。
「お待ちくださいと畏れ多くも国王陛下に申し上げましたのには理由がございます。これをご覧ください」
 ペル・ドゥ・ロオーロは手のひらに載せたクリスタルの薄い板を見せた。
「この水晶に浮かび上がってくる画像を、よくご覧あれ。この画像は天空の星々をあらわしておりまする。注目すべきは、この赤い天体でございます。赤い天体は現在、この地球の近傍を飛行しておりますが、これが女身女体スーパーダーリン降臨の秘術を実施する邪魔となっているのでございます」
 美形王はクリスタルの中の映像を凝視した。
「それはいかなる理由か?」
 険しい顔のペル・ドゥ・ロオーロが答える。
「脳内スキャナー及び理想立体化ソフト統括機構アプリケーションシステムの運用を、赤い天体から放出される強力な電磁波が妨げているためです」
「この赤い天体をどうにかすることはできないのか?」
「畏れながら不可能に存じ上げます。もしもここで無理をすれば、女身女体スーパーダーリン降臨の儀を執り行うことは永遠に不可能となるでしょう」
 悔しさを噛み殺して美形王は言った。
「太古の時代、我らの祖先は、火を吐いて飛ぶ矢で宇宙の流れ星を狙い撃ちしていたと聞く。その技が失われて久しい。しかし大賢者ならば、その魔術に詳しいと思っておったのに」
 悪賢いのは確かだが賢いとは言いがたいペル・ドゥ・ロオーロは再び頭を下げた。
「手前の力及ばず、申し訳ございません」
「ああ、異世界にまで名を轟かせる偉大な魔術師ペル・ドゥ・ロオーロの力をもってしても、できかねるのか!」
 そう叫んで美形王は深い溜め息を吐いた。ペル・ドゥ・ロオーロも沈痛な表情で溜め息を吐いたが、これは安堵の溜め息である。美形王が今どうしても理想の女を手に入れたいと駄々をこねたらどうしようかと不安だったのだ。今すぐ絶対にやれと命じられても、できない。赤い天体も何も関係ない。女身女体スーパーダーリン降臨と称する呪術について、ペル・ドゥ・ロオーロは全くの素人なのだ。
 話の発端は美形王が新国王に即位した数か月前にさかのぼる。戴冠式が終わると次の仕事が新国王を待ち受けていた。次期国王となる皇太子を作るため婚姻を急がねばならない、と重臣たちが言い出したのである。年少の頃から美形で有名だった新国王は女性関係は派手だったが、お妃様となるような相手は不在だった。生まれてくる子が世継ぎとなるからには、結婚相手の家柄は名門中の名門でなければならない。重臣たちは、それぞれが自分の娘を新国王の妃にしようと画策したが、美形王はその手に乗らなかった。どの令嬢も家柄に不足はない。しかし義父となった重臣が自らの権力拡大を図るのは目に見えていたからだ。それなら他国の姫君を貰った方が、同じ政略結婚でも自分にとっては利益となる……と思い、美形王は各国に駐在する外交官に、それぞれが赴任している国の王室にいるプリンセスで適当な娘を見繕ってこいと命じてみたが、お眼鏡にかなう美姫はいなかった。
 花嫁候補に関する最終的な調査報告書を読み終え、該当者なしの結論を下したとき、美形王は自分が大層気落ちしていることに驚いた。彼は結婚に夢を見るほど愚かなロマンチストではなく、むしろ徹底的な現実主義者で、この政略結婚で自分と自国の権益を増大させることしか考えていない……つもりだったのが、どういうわけか知らんけど、いつの間にやら「自分と釣り合いが取れる美女だったらいいなあ」とナルシストっぽいキモな幻想を抱くようになっていたのだ……と書いたけど理由は知らん、分からん。知らんけどね、でも、男でも結婚を前にして、なんか悩むってことはある。現実から逃げ出したくなることもある。責任から目を背けたくなる、と言ってもいいだろう。テレビアニメ『未来少年コナン』でダイス船長が結婚式の直前に、花嫁の美女モンスリーから逃げようとしてコナンとジムシィに取り押さえられていたから、ダイスなら分かると思う。いや、やっぱりダイスでも分からないかもしれんわ(←どっちだ)。
 さて「物凄い美人を探せ!」と暇ではない役人に命じるほど美形王は暗君ではないし、自国はおろか世界中に「自分こそ王妃に相応しいと思う女は名乗り出よ」と告知して物凄い皆様を終結させるほど愚かでない。彼は政務の合間を縫って図書館へ向かった。古代からの保管されている文献資料を漁るためだ。そこに何らかのヒントを求めたのである。召使の中に古代の文字を読める者がいなかったので、自分で資料を調べる。女性司書が有能だったおかげで調査は予想していたより早く済んだ。
「陛下、お探しの資料は、これでよろしいでしょうか?」
 地底深くまで建設された図書館の古書保管庫から戻ってきた瓶底眼鏡の女性司書は埃と煤で黒く汚れた金髪もそのままに、彼女から献上された『三次元プリンターを用いた好みのパートナー作成術』という表題の古雑誌を読み終えて難しい表情をしている美形王へ質問した。
「うむ、これだ、これでよい。その方、よくやってくれた」
 美形王は優しい笑顔で女性司書に礼を言った。彼女は感極まって嗚咽を漏らした。怪物が跳梁跋扈していると噂される図書館の地底部分へ向かう前、シングルマザーの彼女は最愛の我が子に二度と会えなくなるかもしれないと考え絶望のあまり涙したが、生還を果たした今この瞬間に頬を伝い流れるものは歓喜のそれである。
「だが、これだけでは足りない。これだけでは、理想の完全再現には至らないのだ。もっと情報が必要なのは間違いない。さて、もう一回行ってくれるか?」
 保育園の迎えがあると言って女性司書は美形王の命令を拒否した。美形王は激怒し、王の命令に従わない者は反逆罪で処刑すると脅した。彼女は泣く泣く地下へ行き、しばらく経って銀色の円盤を持って戻ってきた。
「これは?」
「その雑誌の付録の記録媒体です。こちらの読み取り機械で中身をご覧いただけます」
 女性司書は銀色の円盤を読み取り機械に入れボタンを押した。黒いガラスに映像が映る。美形王が画面に集中している間に、彼女は姿を消した。仕事が終わったら王宮の保育園へ急いで行って、子供を連れ帰らなくてはいけないのだ。それから夕食の支度である。ここにいたら次の仕事を言いつけられないとも限らない。子供は今頃「ママお仕事まだかな~」と言って泣いていることだろう。忠誠心より我が子への愛の方が自分には重いと、彼女は心の天秤が命じるまま図書館を後にした。
 残された美形王は読み取り機械に表示された映像を見た後、しばらく図書館の机で放心していた。それから古雑誌と銀色の円盤から得た情報を紙にまとめ、召使に渡す。
「侍従長に渡せ。これを基に布告文の作成に取り掛かれと伝えろ。下書きを明朝一番で持ってこい、明日の朝議前に決定稿としたいのだ」
 タイムリミットまで時間は少なかったが、侍従長は完璧な仕事をした。草稿を読んだ美形王は頷き、これを公式書類として国民に告知せよと命じた。
 その内容を簡単に記す。理想のパートナーを合成する方法を知る者は王宮へ参れ、である。大半の国民は首を傾げた。意味不明だったからだ。美形王がお妃様探しをしていると知っているが、それにしても「理想のパートナーを合成」とは何なのか? かつて人類が持っていた優れた科学技術に関する知識がある少数の賢人は、それが既に失われた秘密の恋人作りの方法であると分かった。ただし、その手法を知っているわけではない。彼らにしてみても、恋人を合成する術というものは噂とか伝説の類だった。
 詐欺とかコソ泥で食いつないでる……というか、食いつなげなくなって瘦せ衰えたペル・ドゥ・ロオーロが美形王の国へたどり着いたのは、数週間前。布告に応じて王宮へ来る者がロクでもない輩ばかりであることに美形王が苛立ち始めた頃である。
 布告文が貼られた立て札の前でペル・ドゥ・ロオーロは思った。俺にチャンスが巡ってきたんじゃね? と。
 垢じみた旅装そのままで王宮へ向かったならば誰からも信用されないと思ったペル・ドゥ・ロオーロは金や衣装がいっぱいありそうな豪壮な邸宅で着替えをしようと忍び込んだところを捕まった。彼が生まれ育った家より大きな人食い蜘蛛が出した糸でがんじがらめにされた格好のまま警察に突き出される。そのまま処刑場へ転がされる途中で彼は「自分は理想のパートナーを合成する術を知っている」と言い出した。刑場の処刑人は阿呆な罪人の泣き言を無視して首をはねようとしたが「王宮に伝えろ、王の命令を無視するのか!」と斧の下でやかましいので上司と相談し王宮へお伺いを立ててもらった。すると処刑は一時中止し、王宮へ連れてこいとの指示が下った。またすぐに処刑場へ戻ってきて死刑再開だろうと処刑人たちは思ったが、あにはからんや、人食い蜘蛛の糸でできた白い玉から貧相な顔だけ出した男は戻ってこなかった。対応した侍従長が死刑を免除したのだ。
 ペル・ドゥ・ロオーロを取り調べた侍従長は、その内容を美形王に説明した。自分を賢者とか魔法使いとか言っているが胡散臭い人物であるのは間違いない。ただし、その持ち物は太古の遺産と思われる価値のある物で、その使用法は注意深く調べるべきであり、それが済むまで王宮の一角に留めておくのが妥当、というのが侍従長の考えだった。
 こんな盗人を宝物が詰まった王宮に招き入れるのは狂気の沙汰としか言いようがない。しかし、そうせざるを得ない事情があった。理想の恋人を妻にして溺愛したいという妄執が美形王の心に黒い影となって宿りつつあった。まだ見ぬ理想の女……いや、この世界に存在するのか誰にも分からない幻の女に執着しすぎて政務がおろそかになり、国政が滞る事態がしばしば起きていたのである。
 お触れを出したが王宮へ来るのはホラ吹きばかりという状況に業を煮やした美形王は、見つかっていない資料はないかと図書館に入り浸り、女性司書を怪物が徘徊するという地下空間へ向かわせていたが、自分が行く方が早いと自ら地階へ行き、埃やネズミの大群に悩まされながらも――幸いにも怪物はいなかった――新たな発見をしていた。
 それがペル・ドゥ・ロオーロの持っていたクリスタルの薄い板に関する情報だった。古代人は機械の板を常に持ち歩き、そこから様々な情報を得ていたという伝承はあったけれども、その実物を見た者はいない。美形王は地下の書庫で水晶製の透明な板について書かれた粘土板を見出した。女性司書の力を借りて読解する。そこにはクリスタルの板を用いた理想のパートナーを合成する方法に関する、少し詳しい話も載っていた。脳内スキャナー及び理想立体化ソフト統括機構アプリケーションシステムの運用術のダウンロード&インストール・マニュアルと書かれた写本の内容と合わせ、クリスタルの薄い板があれば、頭の中で思い描く理想の彼女を実際に生合成できる可能性が示唆された。
 ペル・ドゥ・ロオーロの持っていたクリスタルの薄い板があれば、問題が解決するかもしれない。そう考えた侍従長は、大賢者を自称する異国人に対し何の信頼もしていなかったが、王宮での滞在を許可するよう美形王に上申した。見たことのない恋人への恋の炎に脳を焼かれた美形王は、侍従長よりも素直な心で異邦から来た客人に接した。食事と寝る場所を手に入れた罪人は、自分の幸運を喜んだ。美形王に認められたことで、王宮を訪れる貴族や富裕な階層の者たちと親しく会話する機会ができた。身分差のある女性とも幾つかの出会いと別れがあった。
 そんな具合に、この王宮にいる限り衣食住が安定するので、ずっとここに居たいと思うペル・ドゥ・ロオーロだが、早く理想のパートナーを出せ! と美形王がうるさい。女身女体スーパーダーリン降臨の術式は簡単ではないのです! と釈明してはいるものの、長引かせてペテンがバレたら元も子もない。さっさと逃げだすべきか? しかし、これはチャンスでもある、と彼は思っている。古代の豊富な資料が未整理のまま眠っているという王宮の巨大図書館に、クリスタルの薄い板の使用説明書が隠されているのでは? と期待しているのだ。
 実をいうとペル・ドゥ・ロオーロは、このクリスタルの薄い板を使いこなせていない。使い方が分からないのだ。元の持ち主は、闇夜の都会の袋小路で行き倒れになっていた。その死体を漁っていて見つけたのだが、使い方が書かれた紙のようなものは見つからず、本体だけを持ち去ったのである。だから、どこかに触れると宇宙の天体が画面に表示される、程度の使い方しかできない。これを使って占星術などをやってみたことがあったけれど、まったく当たらず、それでいて縄張りを荒らされた本職の占星術師の一団に殺されかかったので、それもあまりやっていない。実質的には、何にも役立っていない、単なる宝の持ち腐れ状態なのである。
 女性司書の手を借りてペル・ドゥ・ロオーロは図書館の資料という資料に当たってみた。しかしクリスタルの薄い板に関する耳寄りな情報は出てこない。侍従長が彼に向ける疑いの目は次第に強くなってきた。美形王に対しても「赤い天体が邪魔をする」とか「青い天体が見えてこない」とか「黒い天体の重力が光を歪めている」等の言い訳がネタ切れになりつつあった。
 そろそろ潮時か? と考えたペル・ドゥ・ロオーロが王宮から姿を消す際の行き掛けの駄賃に盗む宝物を物色し始めた頃、思いもよらぬ事件が起こった。美形王が病の床に就いたのだ。
 スポーツ万能の健康体を自慢にしていた美形王は、経費削減の一環として王宮に常勤していた侍医団を解散した。まだ若い彼が医者に診てもらうことなど年に一回あるかないかで、定期検診では心臓の悪魔の影がどーたらこーたらと指摘されるが無症状なので放置していたのだ。侍従長は直ちに解雇した侍医団を招集したが、その医者たちにも治療法が分からなかった。
 よくわからんけど、これは逃げるチャンス! とほくそ笑んだペル・ドゥ・ロオーロが図書館の入り口に飾られていた両目に美しい宝石が嵌められた黄金製のフクロウの像を盗もうと誰もいない館内に忍び込んだら、いつものところにフクロウの像が見えなくて落胆、その直後にいきなり背後から殴られ気絶してしまった。目覚めると図書館地下の廊下に転がされている。手足は縄できつく縛られ、起き上がろうにも起き上がれない。
「なんじゃこりゃ!」
「図書館内では静かにしてください。また殴るわよ」
 見上げると瓶底眼鏡を外した女性司書が立っている。その手には、ペル・ドゥ・ロオーロが狙っていたフクロウの像があった。
「何だと、このクソアマ! ちょっと可愛い顔して、ちょっとスタイルが良くて、ちょっと賢いからっていい気になるなよ! お前なんか名前も与えられない脇役、モブなんだよ、モブ! 金髪だからって偉くも何ともないから。作者は書き忘れているけど、俺の髪も金髪なんだよ!」
 女性司書は相手にしなかった。ペル・ドゥ・ロオーロから奪ったクリスタルの薄い板を操作し、何者かと会話する。
「すみませんけど、荷物の回収を急いでもらえませんか? はい、時間がないもので。できれば今すぐ。この時間も惜しいくらいですので」
「あ、おいコラ! それ、俺のだろ! 返せよ! どうしてお前が持っているんだよ! しかもさ、なんで使いこなしてんのよ! ちょっと、どういうこと?」
 女性司書はクリスタルの薄い板を軽く振った。
「図書館に秘蔵されていた資料を読んで勉強したの。あなたが本体を持ってきてくれたおかげで、学習がかなり捗ったわ。実際に触ってみないと分からないことが多いからね」
 その手の中にあるクリスタルの薄い板がピカピカ光った。彼女が板に触れると、その点滅が止まった。それから彼女は板に向かって会話を始めた。
「来たのね? それじゃ空間を開けて入って来て」
 女性司書の立つ前方の空間が歪み、そこから二人の人間が現れた。だが、それが人間なのか、ペル・ドゥ・ロオーロには判断がつきかねた。腕が左右に二本ではなく、右と左に二本ずつあり、左右の合計で四本も生えている。多すぎるだろう、と彼ならずとも思わざるを得ない。
「それじゃ、運んでください。料金ですけど、これで。お釣りは要りませんから」
 女性司書は両目に美しい宝石が嵌められたフクロウの黄金像を運送業者に手渡した。高価な黄金像を受け取った後、二人の運送業者は、二人合わせて八本の腕でペル・ドゥ・ロオーロを持ち上げた。
「ちょ、ちょ、ちょま、ねえ、ちょ、ちょっと待ってよ」
 運送業者二名は空間を歪め、そこに生じた穴を通ってペル・ドゥ・ロオーロを異世界へ連れ去った。女性司書は美形王の寝室へ急いだ。美形王の病状は悪化していた。既に意識はない。その顔には死相らしきものさえ浮かんでいる。実際、手の施しようのない侍医団は誰が臨終の脈を取るかで、別室でくじ引きを始めていた。
 大勢の召使たちが右往左往し騒然としている寝室に潜り込んだ女性司書は、枕元で立ち尽くす侍従長に話しかけた。
「クリスタルの薄い板を使って異世界の名医に陛下の症状をご説明しました。そうしましたら、配送業者の方が、このお薬を私の元へ運んでまいりました」
 女性司書は侍従長の手をつかむと、その手のひらに小さな丸薬を載せた。
「口の中に入れれば、水なしでもすぐに溶けて、体内に吸収されるそうです。早く陛下に」
 侍従長は目を丸くした。
「クリスタルの板を、図書館の司書のお前が、どうして……」
「説明は後でします。今は早く、お薬を陛下に!」
 女性司書の強い言葉に呑まれた侍従長が美形王の口に小さな丸薬を押し込んだ。目覚めた彼が自分を見つめる女性司書に気付くまで、一分も掛からなかった。水を飲めるようになるまで一時間、食事を摂れるようになるまで一日、政務復帰は一週間後だった。その間、彼の傍らにはクリスタルの薄い板をケースに入れてネックレスで首から吊るした女性司書の姿があった。彼女は美形王の顔色が少しでも悪くなれば異世界の名医に相談し、よく効く薬を謎の運送業者に頼んで取り寄せ、それを王に服用させていた。自覚症状が出てくる前に、女性司書の方が美形王の体調不良に気付くので、彼としては常に傍に置いておきたくなっていた。しかし彼女には子供がいるので勤務時間が終わると自宅に戻らねばならない。さらに休日の問題もある。シングルマザーで子供の面倒を見てくれる人がいないと聞くと、美形王は仕事に集中できるよう子供を王宮へ連れて来るよう命じた。それだけでは不足だと、やがて二人の意見が一致した。王宮の一角に――いつの間にか姿を消したペル・ドゥ・ロオーロが短時間住んでいた部屋だ――母と息子の暮らす部屋が用意された。そのうち、具合が悪くなるかもしれないですからご無理は禁物と女性司書が拒んでも、美形王は彼女相手に体力を消費するようになった。そうなると不思議なもので、毎晩の激しい運動にもかかわらず朝になったら疲れは残らず目覚めはすっきり、といった感じで美形王は毎日が楽しくなった。国王としての仕事も順調、万事が快調となる。
 ふと、美形王は気付いた。今では王宮図書館の仕事を辞めた元女性司書に尋ねる。
「なあ、俺たちは今、こういう間柄なのだが、こういう関係になる前に、こういうことをやったような覚えがある。一晩だけだったが」
 そのときの子供が今、私の部屋で休んでおります。元女性司書は、そう答えた。
 翌朝、美形王は侍従長に、元女性司書との婚約を伝えた。そして、彼女と自分の息子を皇太子にすると決定し、重臣たちを呼んで新皇太子への絶対の忠誠を誓わせた。
 美形王の決断は一夜の過ちの責任を感じたから、と書くのは彼と彼の妻に対する侮辱だろう。国王とお妃様の麗しい恋愛物語――お妃様にとっては逆転劇――は、今日まで続く王室の輝かしくも陰惨な歴史の中で、一服の清涼剤にならないこともない変な艶笑譚として今日まで語り継がれている。

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