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プロローグ


 この国に何人の人が住んでいるのかなんて知らない。
 でも魔法を使えるのはそのうち僅かな人だけ。
 魔力の量の、使える魔法の種類も人それぞれ。
 
 大きな炎を出したり、辺り一帯を凍らせることができる人もいれば、
 手が触れたものだけにささやかな変化をもたらすことができる人もいる。

 そんな中で、私が使える魔法は果たしてどれだけの価値があるのだろうか。

 悪用すれば大金持ちになれるかも。
 でも、そんな生活より私はのんびり美味しものを食べれればそれでいい。

「ココット、何をぼーっとしているんだ?」

 コンスタイン公爵邸のダイニングでフルオリーニ様が私の名前を呼ぶ。

「あっ、もうお出かけの時間ですか?」
「それを俺に伝えるように頼んでいたと思うのだが。まぁいい、クラバットがうまく結べないんだ」
「いい加減できるようになりましょうよ」

 仕方ないな、と皺になった部分を直してあげる。
 ついでに壁際にある大きな柱時計をみれば、確かにお城に出勤する時間。
 それなのにフルオリーニ様は私の銀色の髪を一束掬い上げると、離れがたそうに唇を落とす。

「そうだ、また重版されたらしいぞ」

 そう言うとフルオリーニ様はテーブルの端に置いてあった青い表紙の本を手渡してくる。

「また買ったのですか? 内容は以前を同じですよ?」

 王都内で大流行している本で、皆が名前を知るほど有名になってしまっている。
 嬉しいけれど、まずい。こんなはずではなかったのに。

「また、何かしているのか?」
「いえ、何も」
「本当か?」
「本当です」

 フルオリーニ様が顔を近づけ私からライラックの香がしないか確認しようとするので、慌てて身を引く。

「怪しいな」
「遅刻しちゃいますよ」

 渡された本も、置くタイミングを逃し胸に抱えたまま玄関へと向かう。
 フルオリーニ様はその本に目線をやって微かに眉を顰める。

「もう危険なことはするのよ? ココットを失いたくないんだ」
「分かっています。ご主人様の命に従うのが……」
「おい! またご主人様と言った。何度言えば分かるんだ、ココットはもう俺の侍女じゃなくて……」
「あぁ、そうでした。分かっています!! 分かっていますがそんな急に慣れませんよ」

 不貞腐れる私を見てフルオリーニ様は足を止める。
 
 そして心底やれやれと言った顔をしながら嬉しそうに私の頬の口づけをした。

 ご主人様と呼んだらキスされる。いったいどういう罰なんだろう。
 銀色の瞳を軽く睨むと、蜂蜜のような甘い微笑みが返ってきた。

 玄関扉を開けるとすぐ前に馬車が横付けされている。

 御者が扉を開けて、フルオリーニ様が乗り込もうとするも、ステップに脚を掛けたところで振り返る。

「行ってくる」

 そう言って私の頭にポンと手を置くのは、私が侍女の時から変わらない。

「はい、いってらっしゃい。ご主人様(・・・・)

 わざと呼んだその名に、一瞬目を見開いたあと、嬉しそうな顔をして。
 今度は朝には不似合いなキスが落とされた。
 胸に抱えた本が私達の間に挟まってちょっと邪魔だ。

 その本のタイトルは『裏路地の魔法使い』

 ーーこれは、私が侍女だった頃。

 私が運命を変えた人と、私自身の物語。

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