第3話 プリンセス
「俺は……何を?」
啓史は気が付くとふかふかのベッドに横たわっていた。周りには白い壁しか見えない。化粧台には可愛らしいピンクや青のおもちゃがたくさん置いてあった。
「ここは……どこだ?」
啓史が覚えていたのは、決意を口にした後アイナに似た少女が太陽よりもまぶしく微笑んだ光景だけだった。彼は持てる力全てでもってアイナを助ける決意をしたが、本当に可能なのか全く見当がつかないでいた。
(考えてはいるけど、ライトノベルの主人公みたいな決意は固まってはいない。ただ流れに身を任せただけだ。夢の中にいるって思ってたし。ほら、夢の中なら何でもできるだろ?)
啓史が決意を述べた後、アイナが大きく腕を広げると、ブラックホールのような何かが現れた。
(俺の身長ぐらいの大きさで、なんかすげえ恐ろしかったな……)
冷たい風がその紫がかった黒い穴の中に吹き込んでいた。嵐が近づいてきたときの、暴風が吠えているようなあの音にそっくりな音だった。しかし、アイナは全くおびえた様子ではなかった。彼女はただその華奢な両腕をその穴の前に突き出し、歓迎するように、
「さあ、ポータルをおくぐりください!」
と言った。
「ポータル?これは異世界につながるポータルなのか?」
啓史はアイナにこんな質問をしたことを覚えていた。まだ夢を見ていると思い込んでおり、そんなに深くは考えなかった。彼は、「異世界モノ」を見すぎてこれからどうなるか分かるなあ、などと思っていた。
「その通りです!我が勇者様!」
アイナの感じがよく、可愛らしい歓迎の声を聞き、啓史はポータルの中に歩を進めた。
そこから先は何も覚えていない。
しかし、今、注意を払うべきはるかに重要な事態が起こっている。
手の下に何かやわらかくてふわふわしたものがある。いや、下ではなく、手に巻き付いている。
そのなんだか暖かいものに啓史は目を向けた。
「ぐえぇぇぇえ!?」
啓史は隣で寝息を立てているアイナを視界にとらえ、驚いて叫んだ。
その動物のようなうなり声でアイナは目を覚ましたようだ。ゆっくりと目を開け、愛らしい仕草で目をこすり、新鮮なトマトのように真っ赤な顔で隣に座っている啓史に目線を移した。
「勇者……様?」
啓史はしばらく混乱していたが、その後小さな声で
「おは……よう?」
とささやいた。
さらに悪いことに、アイナは猫のように啓史の恥ずかしがった顔に這い寄り、まじまじと目を見つめた。
「勇者様、ご気分が優れませんか?」
「もしかして2世界間の移動で体調を害してしまわれたでしょうか」
啓史はかなり気まずかったが、何とか
「いや、大丈夫、全然大丈夫だよ」
と口にした。
それを聞いてアイナは後ろにもたれかかり、脚を内股に曲げてベッドに座った。
啓史は安堵のため息を漏らし、
「それより、今2世界間の移動って言った?」
と尋ねた。
「はい、ポータルをくぐる合意を頂き、あなた様、勇者宮村様は世界の次元を渡り我々の国に到着されました」
(じゃあ俺は本当に異世界に来たのか……これは現実か?いや、まだ夢を見ているのかも……でも、それにしてはリアルすぎる……)
啓史はそう思った。そして、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「えっと、ちょっと気になってたんだけど、そこの床にある円いやつは何?俺をこの世界に召喚する魔法陣とか?」
啓史は少し前から気がついていたその不思議なものを指さした。
「ああ、そちらですか。おっしゃる通りそちらは魔法陣ですが、私が異世界に渡るためのものです」
「てことは……君は自分自身で異世界に行けるのか!それってすごくないか?もしかして、君はとても強かったりするのか?」
「そんなに強くありませんよ。ただ魔方陣を描いて、世界の線をイメージすればいいだけですから……かなり消耗はしちゃうんですけどね」
「描くって?何で描くんだ?」
啓史はアイナの言った「世界の線」という言葉に少し興味がわいていた。この種の「パラレルワールド」のようなものはSF映画で描かれているのを聞いたことは有ったが、よく理解してはいなかった。彼は物理科学には弱いのだ。しかし彼はどんな素材で魔法陣が描かれているのかと言う方により興味が湧いていた。
「……」
アイナが彼の質問に答えないのは初めてだった。そのため、アイナの言葉は少し自分のものとは違うのかもしれないなと思い、彼はもう一度質問を繰り返した。
「なあアイナ、何を使って魔方陣を描いたんだ?」
「だえ……」
アイナが口ごもりながら言ったため、啓史にははっきりと聞こえなかった。そのため、もう一度聞き返した。
「だえ……?」
「唾液です!私の唾液はポータルを開くための魔方陣を描くのに必要な秘密の要素なんです!なんでそんなことを知る必要があるんですか?もう!ばか!」
啓史は地雷を踏んだことを悟った。
「ああいや、知らなかったんだ!ごめん、ほんとにごめん!」
「……気にしませんよ。勇者様が私にお尋ねになったんですから。本当に」
「……」
気まずい時間が数秒流れた。
「ええっと……ここは君の部屋なのか、アイナ?」
甘く女の子らしい香りが部屋に漂っていることに加え、こんなに可愛らしいおもちゃや人形は男の子の部屋にしては可愛すぎると啓史は感じた。それに、アイナに他の男の部屋であんなに気持ちよさそうに眠っていてほしくはなかった。
「ええ、私の部屋ですよ、勇者様。自分の部屋で男の子と話すのはそんなに変でしょうか?」
「あ、いや変ってわけじゃないんだ。どのみち君とは何回も話してるし……」
(ゲームの中で、ね)啓史は心の中でつぶやいた。
「勇者様、何とおっしゃいましたか?ごめんなさい、よく聞こえませんでしたので……」
「いや……何でもない、気にしないで。ところでその、君の国の女の子はみんなそんなに……大胆なのかい?」
アイナは首を傾げ、可愛らしい小さな指を唇に当てた。
「大胆……ってどういう意味でしょうか?」
「その……知らない男の子と寝るというか……」
啓史は変な含みを持たせてしまったことに気づき、すぐに言ったことを後悔した。幸運にも、アイナはそういったことは何も読み取ってはいなかった。
「ああ、そのことですか。本当にびっくりしたんですよ。勇者宮村様がこの世界に来られてから、すぐに丸太のように倒れてしまわれたんですから。本当に心配したんですよ!もしあなた様が死んでしまわれたら、誰が我々の国を守っていただけるというのですか?」
(ああ、彼女は彼女の国をただ守りたいだけで、俺のことは何も気にしてないのか……ちょっとでも俺のことを心配してくれてると思ってたんだけどな……)
啓史は少しがっかりした。
(俺は本当にそんな感じで女の子の前でぶっ倒れたのか?なんて恥ずかしい……それで、彼女は彼女の国を救うために俺をこの世界に呼んだのか?)
「そして何より、あなた様は我々の大事なお客様なのですから。本当に、本当に丁重におもてなししないと!私が見ている限り、伝説の勇者様を死なせるなんてさせません!」
「お客様……」
啓史はアイナの言葉で少し落ち込んでいたが、もう回復した。今はもう上機嫌である。
(お客様、か……悪くないな)
「そうです、あなた様はとっても大事なお客様です!ここでの新しい生活をどうかお楽しみくださいね!」
アイナはまた太陽のようなまぶしい微笑みを見せた。
(ああ、本っ当に好きだ。君が好きだって今すぐ言いたいよ!でも、できない!)
啓史は自身の湧き上がる欲望と葛藤していた。
「それでその、あなた様がお眠りになっていた間にお手を握っていたのは、恥ずかしがってたというわけじゃないんですからね……?ただあなた様が消えてしまってはどうしようかと思ってただけで……この世界に来られたのは私のせいですし……異世界からこの世界にお連れしたのはあなた様が初めてでしたので、ちょっと不安になっていただけなんですからね……?」
アイナは少し頬を赤らめ、可愛い兎のように頭をぐるぐると回した。
(ああ、可愛すぎる!ここは天国か?アイナはこの世で一番だ!死ぬほど待ち望んでいた瞬間だよ!)
啓史のオタク魂は最高潮になっていた。まるで天にも昇るような気持ちである。可愛い「嫁」が現実に存在して、目の前で可愛い仕草をしている。誰が抗えるっていうんだ?
「何故笑っておられるんですか、勇者宮村様?」
「いや、何でもないよ!本当に何でもない!それはそうと、『勇者宮村様』は長いし、何か変な感じがしない?シンプルに啓史って呼んでくれると嬉しいんだけど、ダメかな?」
ゲームでは、啓史は自分の名前をそのまま「ケイシ」と設定しており、ゲームの中のアイナはいつも彼のことを「ケイシ」と呼んでいた。アイナと仲良くなってきたこともあり、啓史は「ケイシ」と呼ばれる感覚をもう一度味わいたいと思ったのだ。
「そんな、本当によろしいんですか?」
「もちろん!」
「そうおっしゃるなら……啓史くん」
アイナはそう口にしたとき少し戸惑いを見せた。それが啓史にはたまらなく可愛らしく思えた。
気まずい沈黙が数秒流れたが、
「アイナちゃん」
ずっと言いたかった言葉でその沈黙を破ったのは啓史だった。
「はい……?」
「待ってください、何故私の名前をご存じなのですか、宮村様?」
「何故って、君がアイナだから?あれ、名前まだ聞いてなかったっけ?とにかく、啓史って呼んでってば!」
「あ、ごめんなさい、啓史くん!でもまだお伝えしていない気がするんですが……」
アイナは指で可愛らしく髪をいじって見せた。
「ああ!そうだ、知り合いに似ている人がいるんだよ、偶然だなあ。ははは……」
啓史はまたまごついた。
(こういう状況の時なんて言えばいいんだ?やばい、もう言っちまったよ!もう後戻りできないぞ……)
「お知り合い、ですか?」
アイナは再び指を唇に当てる仕草をした。
「いや、忘れて!何でもないんだ!」
啓史はすぐに言ったことを後悔した。アイナは鼻がくっつくほど顔を近づけ、
「それはどなたですか、啓史くん?」
と問い詰めた。
「……」
啓史は何も言えなかった。
「誰なんですか、啓史くん?何か私に隠してませんか?」
またまた「大胆な」アイナの登場である。
(こんなアイナゲームで見たことないよ……やばい!)
啓史は、目の前のアイナが自分の知らない意地っ張りな一面を持っていることを身に染みて感じていた。
啓史の負けである。啓史はすべてアイナに話すことにした。
ゲームのこと、それから、彼の知っている「アイナ」のこと。
「なるほど……そうすると、啓史くんの世界の中に、げえむ?という世界があって、その中で『アイナ』と好きなように色々できる……ということですか?」
「誤解を生むような発言はやめろぉ!エロゲじゃないんだから!」
「えろげ、って何ですか?」
啓史は自分の口を再び呪った。はぐらかそうとするとどうせまた「大胆な」アイナが出現するであろうことは分かりきっていたので、もう一度すべて正直に話すことにした。
「つまり……えろげの中では……女の子と……その……破廉恥なことができる……ということですね。そして『アイナ姫を救え』はそのえろげではない、と。分かり……ました」
アイナは平静を装ってはいたが、明らかに赤面していた。
「……」
「でも、私は『アイナ』じゃありませんよ!!」
啓史はアイナからそんなきっぱりとした言葉を聞いて面食らった。
アイナは立ち上がり、手を後ろに組み少し前かがみの姿勢を取と言った った。
「私はあなたの『アイナ』ではありません!ラスタリア王国の姫です!」
アイナは眩い笑みを浮かべてそう言った。
啓史は感嘆した。それと同時に、その言葉が彼の心にグサリと突き刺さった。
(ここは、俺の世界じゃない。本当に異世界に来たんだ。そして、俺の知っているアイナとこの子は別人だ。この子はもっと強くて、もっと眩しい。そして、俺のアイナよりも素敵じゃないなんてこと、そんなこと全くない)
「嫁」と会うという夢が終わり、啓史は少し凹んだ。いや、そもそもそんな夢は始まってすらいなかったのである。
しかし、彼は嬉しさも感じていた。現実の、本当に実在する、ラスタリア王国のアイナ姫に出逢うことができたのだ。
(もしかすると、代わりにこの子と恋に落ちるかもしれないな)
啓史はそう思った。もしかするとゲームのアイナを忘れることができるかもしれないと、そう思った。
「アイナ」は彼女ではないのだから。
(俺の目の前にいるアイナは……現実のアイナだ)
啓史はそういう結論に至った。
今日をもって、啓史の異世界での旅が華々しく幕を開けるのである。
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青く澄んだ空のもと、青色や銀色に鱗を輝かせながら堂々たる竜影が這うように悠々と遊泳していた。水竜である。伝説上の竜種の一角であり、水中の世界で繁栄している。
この世界では竜種は強く賢き獣として知られており、国家を転覆しかねない脅威であるとされている。しかし、この竜に関してはそれほど大層なことは何もしていない。
この雌竜は、道に迷っていた。
このあたりにあると噂される貴重なブルーサファイアを探しているのだが、棲家から離れて彷徨いすぎた故にすでに方向感覚を失っていた。水竜はどこでも泳ぐことは出来るが、通常は自らの棲家の近くをそれほど離れることはない。彼らは水を浄化する能力を持ち、その中にはその能力を用いて水を薬に変え、あらゆる疾病を治癒させることが出来るものも存在する。そのため、この万能薬の恩恵を永劫受けることを望み水竜種を崇拝する者も見られる。この水竜は自身の姿を10歳ほどの見た目の可愛らしい少女の姿に変えることが出来るのだが、それ故、崇拝者たちはある特別な方法で彼女を崇めている。
「どうやって家に帰ればいいの……」
例の水竜はため息をついた。遠くへ、より遠くへと進むあまり彼女の棲家はもう見えなくなってしまっていた。
彼女は見たことのない異様な大地に向かって泳いでいた。そこは黒い土と火山で覆われていた。
「ここはどこだろ……」
水竜は少し不安になっていた。棲家に帰れないことは笑い事ではない。上位の竜に捕食されるかもしれないし、人魚に捕まってしまう危険だってある。もしくは、もう家に帰れなくなってしまうかもしれない。
その時、突然、甚く甲高い音が響いた。
水が沸騰するような音にも聞こえたが、何かもっと耳障りで恐ろしい音である。
彼女が音の源に目を向けると……
彼女の目には自身によく似ている生物が映った。昂然たる鱗と長く、巨大な尾を携えている。
自身との違いは、尾の先に炎が灯っていることである。
彼女は自分の目を疑った。
あれは伝説上の炎竜だ。世界を破壊してしまうほどの力を持つと言われる神話上の怪物である。
彼女は水竜の友人から炎竜に関しての話をいくつか聞いたことがあった。全くいい話ではない。この炎竜というものはいつでも好きな時に万物の存在を消し去ることができるという話で、水竜たちは震撼していた。
その炎竜は火山の上空を飛行しており、その首筋には何か赤く光るものが流れていた。
いや、「流れている」のではない。
水竜は、炎竜がその何かを「飲み込んでいる」のだということに気が付いた。
「何を飲んでるんだろ……マグマ、?」
一飲みごとに、一塊となったマグマがはっきりと喉に隆起して現れている。その隆起は次第に腹部へ雷のような沸騰音を立てて流れこんでゆき、大地を揺るがす嵐のような衝撃波を巻き起こした。
数回飲み込んだ後、耳を聾するような声が一面に響き渡る。その声は女性の声のような響きで、自身の友人の雌竜の声を彷彿とさせた。
「美味い!!」