第32話 彼の父の前で誓おう
フルムル国へと予定通りに到着したシェリルは緊張した面持ちでラルフの隣に立っていた。彼の服の裾を掴んで胸を何度もさすっている。今から、フルムル国現王、オーランド・エル・リンカールと会うのだ。
シェリルは王宮に到着やするやいなや、召使いたちに捕まってあれよあれよと着飾られてしまった。それはもう素早い動きで有無を言わさず連れ去られたので若干、恐怖を覚えたのは言うまでもない。
確かに王に会うのだからちゃんとした服装でないといけないのは理解できる。綺麗な緑のドレスは細身のシェリルによく似合っていた。髪型も整えられてゆるくカールされている髪を高い位置で一つに結われている。
本当は首にチョーカーをつけたかったらしいのだが、怪我をしていることから仕方なく断念された。身につける予定だったチョーカーがあまりにも豪華なものだったので、つけなくてよかったと思ったのは内緒だ。
いくら公爵令嬢とはいえ、身につけたことのある高価なものには限度がある。それを超えたものを身につけろと言われて緊張しないわけがないのだ。
ラルフが迎えに来た頃にはシェリルはげっそりとしていた。それほどまでに彼らの並々ならぬ使命感というものに気を当てられたのだ。
入浴から身体の手入れ、髪の毛のセットに衣装選びに着付け。全て召使いが気合を入れてやったのだ。自分でできると言っても頑なにやらせてはくれなかった。むしろ、私たちがやりますという気迫に気圧された。
それからラルフに連れられて王がいる部屋へと案内されて、その扉の前で緊張している。そんな状況だったものだから、心の準備などできるわけもなかった。だから、こうして立ったままラルフの服の裾を掴んで項垂れていた。
「あぁ、どうしよう……」
「大丈夫だ、シェリル」
ラルフはそう言うがシェリルは不安でいっぱいだった。それでもずっとこうしているわけにもいかないのでラルフが扉をノックする。どうぞという低く渋い声音にシェリルは姿勢を正した。
ラルフが扉を開けて室内に入っていったのでそれにゆっくりとついていく。煌びやかな装飾がなされた家具が置かれる豪奢な室内に男はいた。ダークシルバーの長い髪を流しながらソファにくつろぐように座っている。
渋面の少し歳をとったウルフス族の男は、二人を見て座りなさいと笑みを見せて前のソファを指した。
彼こそがフルムル国王、オーランド・エル・リンカールだ。オーランドはシェリルを見つめている。その視線がまた鋭いものだからシェリルはますます緊張した。
緊張しているのを察してか、オーランドは「いやすまないね」と一つ、謝罪する。
「ラルフが私に交渉するほどに選んだ女性だから気になったんだ。人間とは珍しい」
「そ、その、人間ですけど……」
「あぁ、別に気にしないさ。それこそ、君は大丈夫なのかい?」
見た目は人間と変わらぬウルフス族だが半獣人である獣耳と尻尾を持っている。獣の血を引くため、多少気性が荒くなることもある。人とは違い、人間も少ないこの国で第二王子の妻として生きていけるのか、不安がないわけではないだろうと言われてシェリルは頷いた。
不安がないわけではないのだ。人間の妻をよく思わないかもしれないとそう考えてしまう、他国の人間がこの国の王子の妻として生きていけるかなど。それでも、自身は彼のことを愛していた。不安はあるけれど自身は一人ではないのだ。
「私は、半獣人族とかは気にしてはおりません。私は彼と共にいたいとそう思っています」
その気持ちに嘘はない、彼とずっと一緒にいたいというのは本心だ。シェリルの青い瞳は真っ直ぐにオーランドを見つめていた。
少しの間だった。それは短かったような、長かったような時間だ。鋭い視線にシェリルは目を逸らさなかった。緊張と恐怖、不安、それらをものともせずに。
「なるほど。なかなかに良い性格だ」
恐れていても、不安でもなお視線を逸らさぬかと、シェリルの姿勢にうんと頷いてオーランドは微笑んだ。
「お前は確かに良い女性を選んできたな」
「俺は嘘をつかない」
「その通りだ。なかなかに良い性格をしている」
はっはっはとオーランドは大笑した。二人は納得しているようだがシェリルには状況が理解できていない。これはどういうことなのだろうかと不安げに彼らを見つめる。
それに気づいてか、オーランドが「問題ないよ」と微笑んだ。
「君がなかなかに良い性格だと聞いていたからね。それを確かめただけさ」
「はぁ……」
「確かに良い。いやー、ラルフがやっと戻ってきてくれて助かる」
「えっと……」
「うん? あぁもう固い話は抜きにしよう。君がラルフの妻になることをわたしは認める」
困惑するシェリルにオーランドは言った。ラルフが己の目で見極めて愛した女性だ。彼が己の意思で父に交渉を持ちかけるほど、愛して迎えに行きたいと言ったのだからその想いを信じずにどうするのだと。
オーランドは当然だろうと笑む。それでもシェリルはこんな簡単に決まっていいものかと思わなくはない。そんな不安に王は「問題ないよ」と答える。
「君は心配しなくていい。何、人間を妻にするぐらい大したことではないさ」
「でも……」
それでもやはり心配な様子にオーランドは「君の気持ちも分からなくもない」と理解した上で「でもね」と話しを続ける。
「確かにこの国では人間は珍しい部類だ。差別がないというわけではないし、少なからずウルフス族が贔屓されてしまう現状はある。けれど、それは人間の国でもそうではないかね? 人間の国で半獣人が暮らせば同じようになるだろう?」
「それは……確かに……」
「本質はなんら変わらんよ。どちらもよく思わない存在というのは出てくる。全ての国民に認められる存在などいないさ。だからね、わたしは息子が愛した人と結婚するべきだと思っている。わたしだってそうだったからね」
決められた婚約というのがないわけではない。けれど、そんなことをしなくとも自身で愛する人を見つけたのなら、その存在と結ばれるのが一番だ。
オーランドは言った、「後悔しないように掴み取るべきだ」と。幸せは待ってはくれないのだから、それを掴まずに後悔するぐらいならば、全力で行動して勝ち取るべきだ。
「だから、わたしはラルフが掴み取るべく行動したことに対してよくやったと思っている」
「そう、なのですね……」
「そもそも、父は田舎から出稼ぎにやってきた母に惚れていろいろとやらかしたことがある」
ラルフに言われてオーランドは「それは内緒だよ」と眉を下げる。
ラルフの母は田舎育ちの一般家庭の娘だった。彼女は出稼ぎで城下の方までやってきていたのだという。酒場で働いていた母の元にオーランドはやってきたのだ。その頃のオーランドは父に任される仕事が嫌で頻繁に町の酒場に逃げていたらしい。
飲んだくれるオーランドを母は何も言わずに世話をしてくれたのだ。その優しさに惚れてしまったのだとか。
「母から聞かされている。何も言わずに王宮に連れて来られたと」
「あれは仕方ないんだ。フェリシアは人気があったから、ライバルが多くてね……」
「それで連れ去るというのはどうかと思う」
ずばりと息子に指摘されてオーランドは何も言い返せずにうっと声を詰まらせる。その様子に他にもまだやったことがあるのは察せられた。これ以上は父の威厳に関わるからとラルフは話してはくれなかったが、それでもだいぶ印象が変わった。
「まぁ、そのだな……。ラルフはちゃんとした子だ」
「優しいですものね」
「母親似だからね。わたしが見るに君はきっとラルフを支えられる良い妻になる」
オーランドは「わたしが言うのだから信じなさい」と言って笑うとシェリルに頼んだ。
「どうか、息子を幸せにしてやってくれ」
たった一言、それは父が子を想う言葉だった。シェリルはその重みを受け止める。
深い愛情の籠められた想いは強くて優しいもので、それを抱きとめるように胸に手を当てる。
「彼をずっと支えてみせます」
はっきりと告げられるそれはシェリルの誓いの言葉だった。