第7話
結論から言うと、そのサイトの主への連絡先は、見つからなかった。
だがそのサイトが相互リンクしている他のサイトの中に、主が運営(というのか)している浄霊施設(というのか)への連絡先メールアドレスの表記が見つかった。
私はそのアドレスに、相談メールを送った。
文面はこうだ。
「数ヶ月前から私の腰を蹴りつづける足の霊に悩まされています。この霊を浄霊していただけないかと思い相談いたします。よろしくお願いします。連絡をお待ちしております」
送信後も、足は私を蹴りつづけていたが、私は微笑みさえ浮かべて床に就いた。
これで、恐らく解決だ。
専門家の力で、自分は救われるだろう。
また元の、平和な日常に戻れるんだ。
私は、腰を蹴られ始めてから初めて、安堵の眠りといっていいものを味わった。
返事は翌日早速届いた。
文面はこうだ。
「この度は浄霊のご依頼有難う御座います。本来ならば教主自らがお力になるべく馳せ参じたいところでありますが、何分浄霊の需要は大変に高く、すぐに赴く事かなわぬ事情につき、先づは徒弟の者が詳しいお話を伺い、危急の事態でありましょう故可能であればそのまま浄霊を施させて頂きたく、どうぞ宜しくご理解下さいませ」
えらく堅苦しいが、教主とは恐らく高齢の人なのだろうと察して私は「理解」することにした。
返信のメールには、電話番号がしたためられてあった。
私は携帯を握り締め、そこに電話した。
「はい、文殊の里でございます」
電話に出たのは、若い男だった。
私は名を名乗り、メールで浄霊を依頼した者であることを告げた。
「ああ。はい」男はあまり抑揚のない声で、だが私の名前は聞き及んでいるらしき雰囲気で返事をし「今担当と代わりますんで、ちょっとお待ち……」ください、がもごもごとして聞き取れなかったが、とにかく取り次いでくれるようだった。
それから三分、私は『乙女の祈り』を聴きつつ待たされた。
「はい。もしもし」
突如、大音響といっても過言ではない女性の声が『乙女の祈り』を撃ち破って私の鼓膜を攻撃した。私は思わず携帯を耳から離した。
「もしもし? もしもーし」
女性の声は更に高デシベルとなり、私は顔を苦痛に歪めずにいられなかった。
足に蹴られている時でさえ、こんなに顔を歪めることは、最近ではなかった。
「すいません」
私は携帯に口だけ近づけて声を発した。
「浄霊を依頼した者です」
「はーい。こんにちは」
女性の声は素早く機嫌の良いものとなり、元気良く私に挨拶した。
「私がこのたび担当させていただきます、熱田と申します」
「あ、はい。よろしくお願いし」
「足に蹴られてるんだって?」
女性は私の言葉尻を蹴り、そしていきなりタメ口に切り替えて話し始めた。
「あ、はい」
「足だけ?」
「あ」
「つまり体の他の部分、胴体とか頭とか腕とか、そういう他の部位というものは、出てこないのね?」
「ええ、足」
「それは一般的には、動物の霊、それも人間が死んで、動物になって、その霊がこの世に未練を残しているものだって言われているわ」
「ああ、どうぶ」
「けれど動物の霊となると、ちょっと厄介な面もあるのよ。一度あなたご自身の人となりを、実際に見てみないとわからないわ。直接お会いできる日がありますか」
「えと」
私は気圧されつつも、熱田と名乗る女性と面談の約束を取り付けた。
電話を切り、携帯をテーブルに置いた後も、左耳が戦闘体勢を取っているのが判った。
私はため息をつきながら、そっと耳をさすった。
熱田氏の声は、中年層――少なくとも四十代ぐらいのものと察せられた。
約束の場所は、なんとファミリーレストランだった。
土曜日、午前十時。
決して、客が少ないことはないだろう。
いや、仮に少なかったとしても、むしろそっちの方が問題かも知れない。
熱田氏はそこで、そんな場所で、あの声で、あのデシベルレベルで、語るのだろうか。
幽霊について。
もうひとつ、懸念材料があった。
今私はこの電話を、浄霊依頼の電話を、自室からかけた。
夜七時、会社から定時で急ぎ帰り、食事も取らずメール確認し、直後にかけたのだ。
今は、七時半。
その間、足が、まったく姿を見せなかったのだ。
うんともすんとも、ごつともばきとも、私の腰は鳴らなかった。
足は、何処にいるのか。
何処かで、私の電話の内容を、聞いていたのだろうか。
奴には、私の話していたことが、理解できたのだろうか。
それで、姿を見せないのか。
奴は、足は今、何を思っているのか。
嫌な予感が、した。
翌日も、その翌日も、足は現れてこなかった。
だが私は、それを決して「安寧の日々」と称する気にはなれなかった。
そう、私の脳裏によぎる名は、
「嵐の前の静けさ」
というものに他ならなかった。
指定されたファミリーレストランに着くと、私は指定された通り窓際の席を希望した。
電車を乗り継ぎ、徒歩で十五分ほどかかって辿り着いたその店は、海に面した立地で、今日は天気もよく、窓から臨む景色は非常に心地よい、美しいものだった。
海面に踊る光の粒を眺めながら、私は半分うっとりと現実を忘れていた。
こんないい店に来るんなら、どうせなら、恋人と二人で来るのがいいよなあ……
恋人か……
そういや、あの子元気にしてるのかな……
別れたの、いつだっけ……
もう、二年近くなるのかな……
もっとか……
もう、新しい彼氏とか、いるんだろうなあ……
携帯、変えたかなあ……
思い切って、連絡してみるかな……
そう、この店に、誘い出して……
いい店を見つけたから、君にもぜひ教えたくなって、とかさ……
この景色を、君にもぜひ見せたくて、とかさ……
そうだ、ここなら夜景も、きっと素敵だろうな……
月とか、星とか眺めながらさ……
街灯りにはない、素朴な煌きがなんともいえず二人を
「こんにちはあ」
突如として大音響が、私の夢想を瞬時に打ち砕いた。
ハッとして見上げると、恰幅の好い女性がそこにたちはだかっていた。
最初に目に飛び込んできたのは、その女性の唇の、びっくりするほど不透明なピンク色だった。
「大分、お待たせしてしまったかしら?」
ニコニコと満面に笑みを浮かべながら、女性は私の真向かいに座り、名刺を差し出してきた。
私も慌てて、財布から名刺を取り出し、仕事の時よりも遥かにまごつきつつ、女性のものと交換した。
「それで、早速まず訊きたいんだけど」
簡単な自己紹介の後、女性――熱田氏――は急くように切り出した。
挨拶の時と違い、通常の人間の会話レベルの音響だった。
もしかすると、挨拶だけは元気良く、というのがこの浄霊団体の主義であるのかも知れない――
「あなた、身寄りはあるの?」
「はい?」
私は思わず、熱田氏の小さく窪んだ瞳を真正面から見返して訊き返した。
「身寄り、ですか?」
「そう。ご家族」
「あ、はい、故郷に両親が」
「そう」
熱田氏は、ニッコリと笑みを浮かべた。
「ならよかった」
「え?」
「万一の時にね。一応」
「――万一って?」
「つまり、万一あなたが孤独死した時、遺体を引き取る人がいるかどうかっていうのを確認しておきたかったの」
熱田氏は、私の疑問に答えて言った。
「――」
私はただ、熱田氏の小さく窪んだ瞳を見つめ、言葉を失っていた。
そう。
私は、懸念していた。
ここに来る前、電話で面談の予約を取り付けた後、ふと不安に思ったのだ。
それは、熱田氏が、電話で聞いたあの大音響で、周りに客のいる店内において、幽霊の話をぺらぺら喋りまくるのではないかという、不安だった。
そんなことをされては、衆目を集めること間違いない。
だが不安は、的中しなかった。
熱田氏は、彼女は決して超弩級のデシベルレベルで霊のことなど喋ったりはしなかった。