22、おろそか
先に抗議したのはミロスワフだった。
「やっと結婚を承諾してもらえたのに、なんてこと言うんだよ。断られたらどうするんだ」
「あらそんな大変なこと言った?」
「大変っていうか、母上からしたらただの世間話でも、アリツィアには違った意味に聞こえることもあるんだから自重してください」
「あんたって本当、そういうとこ繊細よね」
「そっちが図太いんだって」
ミロスワフとイザが会話している間も、アリツィアは必死で考えていた。必死すぎて、何も耳に入ってこない。焦りながらアリツィアは必死でイザの言葉を理解しようとする。
ーーえーっと、えーっと、社交界式に裏を読みますと……もしかして、牽制されてます? わたくし。今、これ危機?
焦った思考はろくな結論を生まない。
ーーうちの息子と結婚したらお仕事どうされるおつもり、は、もしかして、仕事なんかしてうちの息子の面倒がおろそかになったら困るわ、という意味なのでしょうか。
もしそうだとしたら。
アリツィアはガタガタと震えそうになった。なぜなら。
ーーしそう! めっちゃおろそかにしそう! わたくし!
思い当たることがありまくるからだ。
イヴォナと違い、アリツィアは家政が苦手だ。
ブランカから料理などは教わっていたが、公爵家のような大きな家では自分で家事をすることはほぼない。
公爵家の女主人として人をちゃんと使っていけるのか、とイザがアリツィアの資質について問いかけているとしたら、自信満々に大丈夫ですと、答えることができない。
そう考え始めると、何もかもがそんな符丁に思えてくるから不思議だ。
ーーお仕事やめろなんて言わないとか、優しい言い方だから逆に怖いというか……。
よせばいいのに思考の羽を広げ出すアリツィア。さっきのイザの言葉が、『結婚なんて諦めて仕事一筋で行けば? 相手? 商人でいいんじゃない?』と変換される。
ーーまさかイザ様も40歳年上の大商人と結婚しろなんておっしゃらないわよね?!
なんだかんだ言ってトラウマになっている。
アリツィアは今すぐ逃げ出したい衝動にかられた。
ーーって、ダメダメダメ!
自分に思い切りツッコミを入れることで落ち着こうとした。
ーーここで逃げちゃ完全に取り返しつかないから!
アリツィアは自分を庇ってくれたミロスワフと、アリツィアの答えを待っているイザを見る。二人は突然黙り込んで百面相を始めたアリツィアを心配そうに見ている。
アリツィアは思い切って口を開いた。
「ひゃの!」
緊張のせいか、声が裏返る。頑張ってもう一度挑戦する。
「あの、あの、ですね」
なんとか喋れた。
「イザ様のご心配はもっともです」
あら、という顔をしてイザはアリツィアを見た。
「うちはわたくしとイヴォナの二人しか子どもがおりませんし、どちらかが婿を取るのが当然だと思われるでしょう」
イザはずいっと前に出る。
「でもミロスワフも一人息子なのよ。旦那様もああ見えて真面目でね、他所に子どももいないの」
後継問題を回避するため、愛人を作り、婚外子を持つ貴族も中にはいる。サンミエスク公爵家はそうではなかったのだろう。スワヴォミルも同じだったので、アリツィアは頷く。
「えーっとまず、イザ様のご心配のひとつ、わたくしの仕事のことですが、クリヴァフ商会でのわたくしの業務はすべて他の者に引き継ぎます」
「えっ、そうなの?」
「はい。もともとそのつもりで手伝っていたんです。具体的にはユジェフとロベルトという二人に、わたくしの帳簿知識を託す予定です。もうひとつ、クリヴァフ家に関しては、イヴォナの婚約者がまだ決まっておりませんので、それ次第なのですが、お父様は気にせず好きな相手と結婚しろと申してます」
自分が反対を押し切って結婚したせいか、スワヴォミルは恋愛結婚至上主義なのだ。
「この先イヴォナまで他家に嫁ぐようでしたら、親戚から養子を取るとも言ってますし……」
「なんだか勿体無いわねえ。おうちのことはそれぞれだけど、アリツィアちゃんはお仕事頑張ってたんでしょ」
そう言ってアリツィアの顔を覗き込むイザの瞳が優しい色で、アリツィアは、あれ? と思う。
「帳簿のこととか、わからないんだけど」
イザはカップをソーサーに置いて言う。
「そんなに夢中になれるんなら、結婚しても続けられたらいいのにねって思ったのよ」
アリツィアは、胸がじんわり温かくなるのを感じる。
裏なんて読まなくてもわかった。
イザは本気でアリツィアのことを考えてくれているということを。
ーー考えすぎていましたわ。
アリツィアは素直に感謝を口にした。
「ありがとうございます、イザ様。お仕事ももちろん好きなのですが」
恥ずかしさをこらえて、アリツィアは思い切って言う。
「ミロスワフ様と結婚することも……わたくしの夢でしたので……その、至らないところはあるかと思いますが、頑張ります」
「あらあらあらあら!」
真っ赤になってやっとそれだけ言うアリツィアをイザは包み込むような微笑みを投げかけた。が、自分の息子にはニヤニヤとした視線を送る。
「はっきり言ってうちの息子には勿体無いんじゃない?」
「はっきり言うな!」
「あのね、アリツィアちゃん」
「無視かよ!」
「実は知り合いが、あのとき一部始終を見ていたの。ほら、舞踏会で、ジェリンスキ令嬢とやり合ったあれ」
アリツィアの動きが止まる。
「言いにくいんだけど、結婚披露の舞踏会にはどうしてもジェリンスキ家も呼ばなきゃいけないのよ。貴族の付き合いって融通が利かないわよね」
わかっていないミロスワフが間抜けな声を出す。
「ジェリンスキ? 誰それ」
「あんたが名前を覚えていないあの人よ」
それでも首を捻っているミロスワフを置いて、イザは断言する。
「絶対なんか嫌がらせしてくるわよ」
「ありそうです……」
する。ラウラなら絶対する。
「そこ、気を付けましょうね。なんにもないに越したことないんだけど、一応ね」