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蘇らない記憶


 つい先ほどコミカライズ版を全てお買い上げしたくせに、また戻って来てラノベ版を全部買ってしまったアンナ。
 一体、何がしたいんだ?
 そんなにまで、俺のサインを独占したいのだろうか。
 わからん。

「タクト。もう小説は全部売れたのよね?」
 不服そうに財布をしまう彼女。
「ああ、お前のおかげで完売だ。今日の仕事はこれで終わりだな」
「そう……なら、この後付き合ってもらえないかしら? 話したいことがあるのだけど」
 と頬を赤らめる。
「構わんが」
「じゃあ、カナルシティの裏にある“博多川”で待ってるから……」
 そう言って足早に去っていく。
 もちろん、大量の小説が入った紙袋を両手に持って。

 なんか、様子がおかしいな。アンナのやつ。
 まるで人が変わったようだ。
 喋り方もえらく上品だし、いつものように積極的なアピールもない。
 どちらかと言うと、ツンツン系な女の子の設定だ。
 うーん……これも小説のためにと考えたヒロインの一人か?

  ※

「あぁ~ すっげぇのが出ましたよ、DOセンセイ。尻から火が吹いちゃうぐらいのが♪ おかげでスッキリしたんですけどねぇ」
 びしょ濡れになったハンカチを持って、ステージに戻ってきた白金。
 誰がそんな汚い表現をしろと言った。
 仮にもお前は女だろ。
「白金……いちいち、お手洗いで何が起きたか言わなくていい」
「え? 男の子ってこういうの好きなんでしょ? スカ●ロでしたっけ」
 俺はあいにく、そんな性癖はないし、あったとしても、お前のは聞きたくない。
「そんな話はやめてくれ……」
「そうですか。ていうか、私がいない間に全部売り切れじゃないですか!? すごい! 大勢のファンの人が買いに来たんですか!?」
「いや……たった一人の客だけだ」
 正確には、二人か? 多重人格ヒロインだからな。
「ひょえ~! DOセンセイには、やはりコアなファンの方がいるんですね! この調子で“気にヤン”を流行らせましょう!」
 流行らないだろう……だって、60冊を一人が独占しただけじゃん。


 その後、俺はようやくサイン会から解放された。
 白金は後片付けがあるから、カナルシティに残るらしい。
「DOセンセイ、今日はお疲れ様でした! また編集部でお会いしましょうね~」
「ああ。じゃあな」
 そう言って背を向けると、後ろから声をかけられる。
「しっかり休養取ってくださいねぇ~ 私もこのあとイッシーとチゲ鍋食べに行くんですよ。ハイボール飲み放題付きで♪」
 こいつ。そんな不摂生ばかりしてるから、腹を壊すんだろ。

 俺はとりあえず、カナルシティを裏口から出て、博多川を目指した。
 もう既に空は、オレンジ色に染まりつつある。
 そう言えば……アンナと例の“契約”を交わしたのもこんな時間だったな。
 あれから、もう半年近く経ったか。
 色々なことがあったな。
 良いことも、悪いことも……。

 数々の取材を思い出しながら、交差点を渡り、階段を昇る。
 河辺には何人かのカップルが肩を並べて座っていた。
 目の前がラブホ街だから、このあとイッちゃうのだろうか。

「タクト……懐かしいわね。約束の場所だもの」
 ベンチに座る一人の少女が、俺に気がついたようで、声をかけてきた。
 背はこちらに向けたまま、顔だけ振り向く。
「ああ、覚えているさ。お前とここで契約したんだものな」
 俺も彼女の隣りに座り込む。
「ええ。早いものね。10年前の出来事だと言うのに……昨日のように思い出すわ。あなたとの契りを」
「そうそう。お前が急に取材のために……って、10年前ぇ!?」
 俺って今、異世界とかに転移してないよね。

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