魔王様と旦那様3
ルクセルは、最後の獲物を狙う魔物を斬り捨てた。
そして新《あらた》に駆け寄る。
「!!………こんなになって…」
血が滲み続けている。
片手は折れていないが、もう片方の骨が砕けていた。
傷は深い。もうしゃべる事もできなくなっている新《あらた》の口の中に、ルクセルは小さな宝石のような回復薬を入れる。
奇跡の涙と言われる、魔族でも入手困難の非常に希少な物。
以前デンエン王を助けた時もこっそり使った。
色々な条件がかみ合わないと生成できない。
ルクセルは、それを生成する事ができる唯一の存在であった。
この奇跡の涙の欠点は、ルクセル本人が直接触れて相手の口に入れてやる必要がある。
さらに、大量に一気に飲ませればすぐ回復するわけではない。
一粒一粒治癒効果が出てから次を入れないと、治癒力の強さが暴走し、逆に病が現れるのでやっかいだ。
「新《あらた》、新《あらた》聞こえておるか?」
ルクセルを見ているが、その目の光は失われようとしている。
奇跡の涙をまた一粒口に入れる。
新《あらた》は幻でも、もう一度会えたことに満足してしまった。
後悔はある。だが自分が死ぬことを受け入れてしまった者の回復は難しい。
「新《あらた》!!」
歯がゆさを耐え、奇跡の涙が効果を発揮して消失するのを確認し、また一粒入れる。
(……ルクセル………そんなに……悲しそうな顔を…しないで下さい。笑顔を……見せて下さい)
「…あらた……?」
「だ……駄目だ!駄目だ!駄目だ!!」
新《あらた》が死ぬ。
新《あらた》が死ぬ!?
失う恐怖に震えながら、それでも奇跡の涙を口に入れた。
「新《あらた》!まだ1年ぐらいしか経っていないんだぞ?お前はもう私を置いていくつもりなのか!!」
(……まだ…1年でした…ね……わたしは……しあわせで…し……)
「あらたぁ!!!」
そっと、折れていない方の手を触れた。
「私は幻覚ではないぞ!生きる希望を勝手に手放すな!!」
そのぬくもりに、やっと目の前の妻が実在する事を把握する。
ぽたぽた落ちる涙を感じ取ることができるようになった。
だが、あふれ続ける血で意識を保つのが厳しい。
また次の奇跡の涙を口に入れる。
「私は今、あまり戦う事も、魔力を使う事も出来ん。お前が望んだ暖かい家庭ができるというのに、お前がここで死んだら私は生きていけない!この子を1人で産むのも育てるのもできん!!」
(この子?……子供が………)
瞳孔の開きかけた高橋の目から涙が一滴頬を伝う。
また一粒奇跡の涙を口に入れる。
「あらた!!!そうだ、子供がいるんだ!!生きるのを諦めるな!!!この子を、私と一緒に抱きしめてくれるんだろ!?」
一国の宰相となろうと、魔王を妻にしようと、新《あらた》の願いは突き詰めるとシンプルで難しい物だった。
暖かな家庭。笑顔が絶えない、自分と妻と子供。子供は何人でも良い。自分には注がれなかった愛情を与え、育てたい。
妻を愛し大切にする願いは叶っている。
お互いを愛し、信頼し、大切にしあっている日々に満足している。
だが、異種族間の子供の話しを聞いたことがない。
それでも子供が欲しかった。
それを伝える事で妻が傷つくかもしれない。だから言えなかった。
(死にたくない)
奇跡の涙の力が強まる。
けれど、まだ血が止まっただけで、砕けた体中の骨、千切れた内臓、即死しなかったのが不思議なぐらいの重症のままではある。
また奇跡の涙が口に入れられる。
(生きて、この手で今ルクセルを抱きしめたい。ありがとうと言いたい)
「うん、うん、だから生きる事にしがみつけ!生きろ!!」
奇跡の涙の消失が早くなったのを感じる。
次、次、と奇跡の涙を口に入れていく。
マイナスだった体の機能が、ゆっくりではあるが回復していく。
希望が見えてきた頃を見図ったかのように、絶望が現れる。
「ご妊娠おめでとうございます」
にっこりと、冷たい微笑みを浮かべた魔族が二人に近付く。
「やはり奇跡の涙をお持ちでしたか。我が国の魔王陛下も大変お喜びになるでしょう」
ルクセルが絶望の息を飲んだ。
だがすぐ剣を構える。
「………貴様が……新《あらた》を………」
絶望、怒り、恐怖。
魔障が濃すぎるこの場所にいると、通常の魔物なら毒の霧に入ったように、全身から血を吹き出してすぐ死んでしまう。
強い魔物でも、生きているのが限界だった。
魔王クラスなら生存も生活もできる。
だが今ルクセルは妊娠していた。
死にはしないが、通常よりかなり強さも減り、戦うなど自殺行為に近い。
だからといって、大人しく殺されたり捕まるわけにはいかない。
新《あらた》への回復も休めるわけにはいかない。
新《あらた》のいる場所が分かっても、空間移動を使って消費する魔力が多くなりそうだったから、魔石を使った。
できる限り多く持ってきたつもりだったが、魔界の門近くに移動した時と、新《あらた》の元に飛ぶときのたった2回でほぼ無くなってしまった。
しかも既に魔物を1体倒している。
「まぁまぁ。無駄なあがきはおよしなさい。ここから助けてあげるというんですよ?あなたも、ご主人も、あなたのお腹の中にいるお子様も」
「……貴様らの狙いはゴルデン魔王領と私の奇跡の涙であろう」
「もちろんそうです。今の取引として十分お安いと思いますが?まぁ、お二人は我が魔王国で平和に暮らして頂く予定ですよ」
「…白々しい。奇跡の涙を得るために術でもかければ良いと思っているだろう。残念だが精神操作や幻覚など使っていたら涙なぞ出んぞ。そもそも今貴様の相手をしている間にも新《あらた》が死んだら全て終わりだ」
「そうですか、ではまずご主人の回復を手伝う必要がありますね」
「ならば奇跡の涙の効果がでるのを大人しくまっておれ。妙な術を使えば戦う」
「…かしこまりました」
ジグロードの魔族は両手を広げ、邪魔をする意思はないとアピールした。
だが、油断はできない。
陰湿な術を好むジグロードの魔族は信用できない。その分そちらに意識を取られるが、新《あらた》の回復が優先だ。
一時中断していた分、奇跡の涙の効果も落ちる。
慌てて次を口に入れ、涙が新《あらた》の体を回復させて消失するのを感じ取り、次を入れる。
まだ、新《あらた》は死の淵から戻れていない。
魔障も影響を与える。
それから守るバリアを張ってやりたいが、さっきの魔族の登場で使う余裕がなくなった。
ジグロードの魔族、大公アルロートは心を無にしている。
ルクセルを意のままに操れる魔法をかけるには適した状態ではある。だがいかにかけるか、策略を巡らせればすぐ感づくのがルクセルの危険な所だ。
人間への回復魔法も使える。そこで恩を売るのも無理になった。そもそも回復と同時に呪いをかけてゆっくり意のままに操れる道具にする予定だったのも見抜かれているだろう。
だからと言って、このままおとなしく待つ馬鹿ではない。
チャンスはある。それを待てばいい。
「あらた、大丈夫だ。少しずつ回復しているのが分かるだろ?」
奇跡の涙を口に入れる。
ルクセルが回復魔法を使えれば良いのだが、使えるのは堕天した魔族しかいない。
サキュバスも回復させることはできるが、それは自分の生命エネルギーを分け与えるので、今のルクセルは最終手段として残す必要がある。
「人間の生きたいという希望は奇跡を強くする。私たちの為にもがんばってくれ」
奇跡の涙をまた口に入れる。
ごふっ
口から血を吐き出した。
ルクセルは吐きやすいよう、新《あらた》の首の向きをゆっくりと変える。
奇跡の涙も血と一緒に出てしまったが、出てきた血は呼吸や回復を妨げるものなので問題ないと分かっている。
再度奇跡の涙を口に入れる。
血を吐いたおかげで体の中の方に届いて、千切れた内臓が修復されていく。
奇跡の涙はまだまだある。
地道な作業だが、これしかない。
何度も続けながら、新《あらた》の回復具合を確認しながら、魔族の動向を確認する。
神経をすり減らすが、今は新《あらた》を回復させることが第一。
大丈夫、大丈夫
。
新《あらた》に言いながら、自分にも言い聞かせていた。
「危篤状態は脱したようですね」
ルクセルは振り返らない。何かを仕掛けてくるつもりなのは分かっているから。
パチンと指を鳴らして、大公アルロートはルクセル達を球体で包んだ。
「魔障避けですよ。少しでも心象を良くして有利にしたいだけですから」
当然魔障避け以外の効果もある事は言わない。
キィン!!
ルクセルが魔力を使ってそれを斬る。
「魔障避けと、睡魔が入っていたな」
「回復を手助けするわずかな量ですよ」
動じない。
新《あらた》はまだ危険な状態に変わりはない。
全力で戦う事はできない。
危機的状況になると、魔王としての独自の防衛能力が作動してしまう。
その場合子供の安全性が不明になる。
大丈夫、大丈夫…。
自分に強く言い聞かせる。
次、何をしかけてくるか。
普段なら負ける事のない相手だが、今は普段と違う。
新《あらた》に手を出す事はないが、何か余計な攻撃をしてくる可能性はある。
不安が魔王の防衛能力を刺激する。
必死に抑え込むが、放電し始めてしまった。
「くっ」
駄目だ!駄目だ駄目だ駄目だ!!
膝が地面についてしまう。
「限界のようですね」
にんまり、と大公アルロートが笑う。
チャンスがきた。