約束と隠し部屋
昼食後、ジューネが使っていたのと同じ薬(有料)を手足に塗り込んで休んでいた時、
「ねぇ。……ちょっといい?」
エプリが急に話しかけてきた。どうやら二人だけで話があるようだ。
俺達はそれぞれ壁にもたれかかって座る。ジューネ達とは少し距離があるので会話は聞こえない筈だ。
「……そろそろ良い頃合いだと思って。ここから出た後の事を話しておきたいの」
エプリはそう切り出した。やっぱりか。ダンジョンから出る目途が立ってきたし、そろそろじゃないかと思ってた。
「ここから出たら、私はクラウンと連絡をとって合流する。アナタとの契約はそこで終わるわ」
「……そっか」
予想より単刀直入な言葉に、俺もついぶっきらぼうに返事をしてしまう。
「半金は貰ったから良いとして残りの半分、ダンジョンで入手した物を売った分の二割だけど……それはいずれ請求するから準備しておいて」
「それを手に入れるまでは一緒に行けないのか?」
何だかんだ頼りになったし、パートナーとしてはとても良い奴だった。第一印象は悪かったけど、これからも一緒に行きたいと思っていたらしい。俺のその言葉に、エプリはゆっくり首を横に振る。
「元々あちらが先だもの。あちらを優先するのが筋よ。……それが片付いたら半金を貰いに来るから」
そうだよなぁ。いくら依頼主が性格悪くて変な笑い方してちょ~っとだけ俺より背が高いからといっても順番は順番だ。そこは妥協してはいけないのだろう。
「でもまずはここを出るまでの話。雇われた以上アナタは必ず脱出させてみせる。……それと、前に私が空属性について言ったことを憶えてる?」
前に言われたこと? ダンジョンでは空属性は使えないってことだったかな? そう答えると、
「正確にはダンジョン内での移動はそれなりに出来るの。私は空属性は使えないけどこれで代用するわ」
そこでエプリは懐から黒い珠のような物を取り出した。この珠なんか見覚えがあるな。……思い出した! 俺がジューネから箱を買った時、エプリがこの珠をタダで貰ってたんだった。
「これは転移珠と言って、空属性の転移を一度だけ使える道具なの。いざと言う時の為に渡しておくわ。……使い方は簡単。これを持って場所かヒトを思い浮かべながら魔力を注ぎ込むだけ。そこに到達出来る魔力が入った時点で自動的に発動するから制御も要らないわ」
なんとお手軽。この珠がそんな力を持っているとは驚きだ。使い方が簡単なのも良い。……だけど、
「使い方は分かったけど、空属性って距離とかで必要な魔力量が違うんだろ? しかもかなり多く必要だって聞いたぞ。俺にも使えるのかな?」
「……その点は多分大丈夫」
エプリが言うには、これまでの脱出行で見立てた所俺の魔力はそこそこ多い方らしい。相手が余程遠くに居ない限り問題なく使えるという。
「問題は他の魔法に回す魔力が残るかという点だけど……金属性はあまり関係はないわね」
金属性は使う魔力が他の属性に比べて大分少ない。それは魔力の代わりに現物である金を消費しているから……決して嬉しくなんかないぞ。俺の場合は“適性昇華”によって使う魔力量は少し増えているかもしれないが、それでも相当少ないと思う。
「でも何でそんな物を俺に? 自分で持っていた方が良いんじゃないか?」
「……ダンジョンでこれを使う事態になるとすれば、襲撃を受けて逃げる時か集団と離れて孤立した時くらいよ。どちらにせよ私よりもアナタがそうなった時の方が危ないから渡しておく。その方が護り切れる可能性が増えるでしょ」
確かにエプリなら大抵の場合一人で生還できそうだ。それを考えると俺に持たせた方が良いというのは納得できる。ただ、
「ちょっと聞いて良いかエプリ。……何でそんなにも俺を護ろうとするんだ?」
「……今更ね。契約だからに決まっているでしょう」
「契約だからってだけにしては、ちょっと度が過ぎている気がするけどな」
素っ気なく返すエプリに、俺は一つずつ推測したことをぶつけていく。と言っても責めるような言い方ではなく、ただ単に何故かという疑問からだった。それが後々にどんな影響を与えるかも考えずに。
「まず気になったのは、バルガスがゴリラ凶魔になって暴れる所に出くわした時だ。あの時エプリは先に部屋に入ったけど、俺に来るなと言ったっきりゴリラ凶魔と対峙していたよな。すぐに逃げても良かったのにそうしなかった。あれは下手に逃げたら
俺の言葉にエプリは何も言わない。
「沈黙は消極的な肯定と受け取るぜ。……次に気になったのはジューネから一緒に行くかって誘われた時だ。俺が契約解除を持ち出した時、エプリは傭兵としての沽券に関わるからって断ったよな? あれも良く考えるとおかしい。この場合俺自身が打ち切ろうとしているんだから、何かあったとしても責任は俺の側。だから沽券も何も考える必要はなかったんだ。
やはりエプリは何も言わず、黙って耳を傾けていた。フードの下の表情は分からない。
「そして今の一件。どう考えてもそれは相当値が張る品だろ? いくら護衛対象とはいえ、そんな貴重な物を普通に渡しはしないって。それももうすぐ契約が切れる相手にだ。……ここまで重なったら俺にも分かるよ。エプリが俺を護ろうとしているのは、単に契約ってだけじゃなさそうだって」
何故エプリがここまで俺を護ろうとするのかは分からない。接点は牢獄が最初の筈だし、初対面の互いの印象はほぼ最悪だった。ダンジョンで起きた時もいきなり俺を殺そうとしたぐらいだ。特に好感度が上がるような事をした記憶もない。
もしやあれか? どさくさで言った愛の告白にもとれるアレか? いやいやそれはないだろう。あの後エプリ自身が冗談で流していたのだ。しかしそれ以外に何か好感度が上がることなんて……。
「……ふぅ」
エプリは軽くため息を吐いてこちらを見返す。フードからちらりと見えるルビーのような緋色の瞳。視線は空中で交差し、俺達は互いに見つめあう。
先に根負けしたのは俺の方だった。視線を逸らし、どこを見るでもなくぼんやりと虚空を眺めながらエプリに問いかける。
「俺はそこまで護ってもらう事をした覚えはないんだよな。だから……教えてくれないか?」
「……話す必要はないわね。これはただ契約でやっているだけなんだから。……こちらの用は済んだから、ちょっとアシュとこれからの道のりについて確認してくるわ」
エプリはそう言って立ち上がり、フードを被り直すとアシュさんの方へ歩いていく。個人的に何か話したくない事があるのかもしれない。
これ以上は踏み込むのは無理か。そう考えていると、エプリが急に足を止めてそのままポツリと話す。
「……アナタがダンジョンから脱出したら少しだけ話すわ。また同じようなことを聞かれても面倒だしね」
言い終わって歩き出すエプリの背中に、俺は「分かった! 約束だぞ!」と声をかけた。……きっと届いていたのだろう。振り向く事はしなかったけれどそのフードは微かに、だけどハッキリと頷いたように動いていたのだから。
昼食を終え、俺達は再びダンジョンを抜けるべく移動を開始した。
休息を取ったばかりでそれぞれの士気は高く、エプリの探査も好調。敵らしい敵にも遭わず、先にある分かれ道や通路の内容もほぼドンピシャだ。
アシュさんが先頭に立って安全を確認し、ジューネは時折自分の地図に何かを書き加えている。バルガスも少しずつ起きていられる時間が長くなってきたように感じられ、ヌーボ(触手)はいつも通り荷車で後方警戒だ。
状況が動いたのは、夜になったので最後の休息に丁度良い場所を探している時だった。時間は夜八時。急げば今日中にダンジョンを抜けられるという事なので、もう入口の近くまで進んでいると言えた。
「……待って。そこの壁、何かあるようよ」
いつもの探査を終えると、エプリは突如そんなことを言い出した。
「おかしいですね。この通路は以前通ったはずですが?」
「……いや。どうやらエプリの嬢ちゃんの言う通りだぜ。見てみな。ここに小さな取っ手がある。……どうやら特定の方向でないと分からんようだな」
ジューネが首を傾げる中、アシュさんは壁を注意深く調べて声を挙げる。……本当だ。俺も試しに反対の通路から見てみると、壁の継ぎ目にうっすらと取っ手が見える。だまし絵みたいな壁だな。
アシュさんが注意深く取っ手を引っ張ると、壁の一部が横にスライドした。手を離すと壁は自然と戻っていく。
「取っ手を引っ張る間だけ開くようだな。中はそれなりに広い空間のようだが……隠し部屋の一種かね? 入ってみるか?」
「当然です! ダンジョンの隠し部屋と言えば極稀にしか見つからないことで有名。何の為の部屋かは諸説ありますが、私は宝の保管場所説を支持しますよ! それに隠し部屋とあれば情報の価値も一気に上がるというもの。悩む必要はありませんとも」
アシュさんが訊ねると、ジューネは鼻息荒く目をキラキラさせてそう宣った。しかし隠し部屋か。ダンジョンにはお約束だけど、考えてみると何のために有るんだろうな?
「なぁエプリ。ジューネの言ってる説以外って何があるか知ってるか?」
「……詳しくは知らないけど、設計ミスや何かの事情で使われなくなったというもの。宝ではないけど何かの保管場所というもの。後から何かの理由で増設されたというもの。……あと一番厄介なのは」
そこでエプリは言葉を言い淀む。
「……成程。トラップだな?」
「そう。部屋そのものが侵入者をおびき寄せる一種の罠だという説。宝の部屋だと思ったらそのまま……とかね」
俺はアンリエッタとしたダンジョンの話を思い出す。ダンジョンの構築にはエネルギーが必要だという話だった。そしてそのエネルギーを稼ぐためには、生物をダンジョンに誘い込んで死亡させるのが一番だとも。その点でこの隠し部屋は色々役に立つ。
例えば中に宝を置いておけば、それだけで今のジューネみたいな人は誘い込まれる。加えて罠でも仕掛けておけば、労せずして向こうから引っかかってくれるという寸法だ。つまるところ、多分諸説の一つが正しいのではなく、幾つも正しいのだろう。
「だけど逆に考えれば、良いエサがないと誰も入ってこないよな。つまり」
「宝が本物の可能性もある……という事ね。どうする? 一応はアナタの判断に従うわ。もちろん傭兵の立場としては危険なので反対だけどね」
さてどうするか? 中にはほぼ間違いなく罠がある。道中罠が無かったのは、おそらくエネルギーを無駄に使わないためだろう。
この広いダンジョンに適当に仕掛けてはいくら有っても足りない。俺が仮に仕掛けるとすれば、何処か特別な場所に仕掛ける。そう。例えばここのような、罠だと分かっていても入らざるを得ない場所に。
「……ゴメンなエプリ。悪いけど俺も入ってみたい。勿論罠が有るとは思うけど、宝という響きにどうしようもなく心躍るのも事実なんだ」
どのみち金を稼がないといけないしな。宝というのは見逃せない。エプリはふんと軽く鼻を鳴らすと、そうと一言だけ言って押し黙ってしまった。……ゴメンな。ここから出たら別れる前になんか奢るから。