第70話 いつ・どこで・誰が・何を・何故・どのようにも程がある
「ふぃー」鯰は甲高い一声を挙げた。「煮魚になるとこだった」
「鯰?」結城が叫び、
「鯰さま」本原が口を抑え、
「啓太」時中が茫然と呼んだ。
「啓太? 誰それ」鯰は訊いた。
「トキ君、啓太君じゃないよこれ、鯰だよ。魚類の」結城が足下の地盤に突如開いた孔から顔を出している鯰を指差し、時中に教える。
「わかっている」時中は嫌悪と憎悪が入り混じったような顔で唾棄するがごとくに言い捨てた。
「鯰さまはどこからいらしたのですか」本原が質問する。
「会社会社」鯰は口早に答える。「神たちも一緒だよ」
「えっ」三人は声を揃えて目を見開いた。「天津さんたち?」結城が続けて叫ぶ。
「いや、鹿島っちと、えーとあの人」鯰は一秒置いて「宗像、さんだってさ」
「鹿島さんと、宗像支社長?」結城が再び叫ぶ。「でも、どこに?」
「聞えないか」鹿島が苦渋に満ちた声で呟く。「まだシステム復旧に時間かかるのかな」
「鹿島さん、すいません」大山の侘びの声が届く。「今、恵比寿さんが大至急でやってくれてますんで」
「なんか量子の状態も安定しなくてブレブレになっちゃうそうなんすよ」住吉も続けて鹿島に伝える。
この二人の伝達内容は、二人が鹿島に伝達する直前にまず恵比寿が鹿島に向けて叫んだ内容ではあった。
「そうか」鹿島は恵比寿からの伝達について反応しなかったが、その後の二人の伝達について頷きを見せた。「エビス君とやらに、頑張れ、とくれぐれも伝えてくれ」鹿島がそれを言うのと時を同じくして、それは恵比寿に確かに伝わった。
「頑張れ、俺」恵比寿は誰もいない室内で独り自分に言葉をかけた。
「頑張って、エビッさん」大山も言葉をかけた。
「頑張って下さい」
「がんばっす」
「きっとできるっすよ」
「御武運を祈念致します」続けて他の神らも言葉をかけた。
「岩っちがさ」鯰は新人たちに伝えた。「あんたらに、イベントやってちょーだいって」
「地球が? さんが?」結城が地球を呼び捨てにした後訂正し、
「まあ」本原が頬を抑え、
「そうすれば我々は助かるのか」時中が確認した。
「地球が?」鹿島は地球を呼び捨てにしたまま訂正せず、
「何を思ってそのような事を」宗像が疑問を口にした。
「岩っち、神たちと対話したいってさ」鯰は新人たちと神たちへ、同時に回答した。
その回答は、新人たちよりも神たちの方に大いなる驚愕と感慨とを呼び起こした。
「何だって」大山が愕然と声を震わせ、
「地球の方から?」住吉が叫び、
「どういう風の吹き回しか」石上が問いかけ、
「何のための?」木之花が呟き、
「へえー」恵比寿がPCから顔を上げた。
「けど、誰と?」伊勢が問いかける。むろんその声は、彼の隣にいる磯田社長の認知機能には届かない周波数のものだった。
「まあこのままいけば、俺と宗像さんが対象になるんじゃないか」鹿島が答える。
「対話か。経験した事とてないが、まあ社運を懸けて臨むより他あるまい」宗像が覚悟を決める。
「タゴリヒメ様」木之花がため息混じりにその名を呼び、それから「天津君たちは?」と問いかけた。
「ええと?」大山が二柱の神たちの気配を探る。「あれ、ほんとだ。彼らどこ行った?」
「あ、あの」遠慮がちに言葉を挟んだのは、恵比寿だった。「海底ケーブルの、中……」
「え」神らは一瞬、凍りついたように絶句した。
「海底ケーブル?」大山が茫然と訊き返す。「なんで?」
「あの」恵比寿はますますもって遠慮がちに説明し始めた。「光に乗って、ホットスポット巡りすれば早いと思って」
「光か。なるほどな」大山が納得した。「神舟が消されちまったからな」
「ははは」恵比寿は気弱げに笑う。「そう」
「光? って?」鹿島が質問する。
「ああ、エビッさんが代替システム構築してくれてるらしいっすよ」住吉が適当にごまかす。「量子が駄目なら光子だつって」
「ほう」鹿島は感心した。「頑張れ」
「はいっ」恵比寿は別人のように声を高く張り上げ、背筋を伸ばして返事した。
そして神らのそんなやり取りは、いまだ新人たちの耳には入って来なかった。
出現物たちの声が喧騒の様相を呈し始めたのは、時中が岩の目に孔を穿ち始めた辺りからだった。もはや対話といえる類のものではなく、銘々が好き勝手に声高に発言し合い、誰が誰に対して返事をしているのかも定かでない状況だった。
「こんなんで、大丈夫なのかな」結城が、発する言葉こそ心配しているようだが顔ではにこにこと楽しげに笑いながら辺りを見回す。
「私たちのワードがかき消されたりはしないのでしょうか」本原が、表情こそ無表情ではあるが発する言葉では懸念する。
「やってみるしかないだろう」時中が、作業を終えたドリルをウエストベルトに差し込みながら眉をひそめる。
「あー、にしてもうるっさいわ」鯰が苛々した甲高い声で文句をいう。「何なのこいつら」
「なんなんすかねえ」結城が孔の中に差し込む木片をウエストベルトから引っ張り出しながら笑い、そして「あれっ」と素っ頓狂な声を挙げた。
「何だ」時中が振り向き、
「何ですか」本原が振り向き、
「何」鯰が振り向いた。
「この木」結城が手に持つ木片を見下ろして言う。「なんか、成長してる」
その言葉通り、ただの木切れだったそれは、鮮やかな黄緑色の柔らかい新芽をまとっていた。
「なぜ葉っぱが生えているのですか」本原が質問した。
「この木は生きているのか」時中が眉をひそめた。
「生きてるんだろうね」結城が頷いた。「へえー」
三人の不思議を訴える声の背後で、出現物たちの私語はますます盛大になった。
「うるっさい」鯰が再度、甲高く文句を言う。
「ああもう、嫌だ」磯田社長はエレベータの中で両耳を塞ぎ、真っ青な顔をしてしゃがみ込んだ。「やめて!」金切り声で叫ぶ。
「――」伊勢は磯田の肩に手を置き、天井を睨み上げた。「早くしろ」呟く声は、エレベータ内に響き渡る数知れない正体不明の声の渦にかき消される。「出て来い」
がやがやがやがや
もはや誰が何を喋っているのかなど聞き取れない。もはやそれは人の話す声、言葉ではないのかも知れない。ただの騒音だ。
がやがやがやがや わははは がやがやがやがや
時折馬鹿笑いの声が混じり、
がやがやがやがや 馬鹿野郎 がやがやがやがや
時折怒声が飛び、
がやがやがやがや もう駄目だ がやがやがやがや
時折絶望を訴える悲壮な声がよぎる。
「早くしろ」伊勢は天井に向かってはっきりと呼びかけた。「スサ!」