閑話 ある『勇者』の事情 その四
「待って!? あなたはさっき襲ってきた人達の仲間なの? それにエリックさんは一体?」
「……あの者達が誰かは知りません。私と同じく『勇者』様を狙っていたようなので、私はこの騒ぎに便乗しただけ。本来でしたらもうしばらく潜入を続けるつもりでしたがね。護衛の居ない今なら多少の無理も必要でしょう。それとさっきの顔の持ち主ですが、殺してしまっても良かったのですがねね、今はまだ生きてますよ。一応……ね」」
エリックさんが殺されていないと聞いて少しほっとする。利用されてはいたけど、それでも知っている人が死ぬのは嫌だったのだ。しかしこの人の言葉が本当なら、少なくとも私達を狙う勢力が二つもあることになる。どうして? 私達は何もしていないのに!?
「どうして狙われるのか分からないという顔ですね。答えは簡単。あなたが『勇者』、強大な力を持っている、或いは
「私には戦う力なんて」
「本人がそう言っても周囲はそうは思わないでしょうね。それが嫌なら私と共に行きましょう。……まあ返事は実のところ要らないのですが。無理やりにでも連れていきますので」
私が動かないのに業を煮やしたのか、ベインは勝手に手を取って引っ張ろうとする。そこに、
「っ!?」
今度は短剣がどこからかベイン目掛けて飛来し、それをベインはギリギリで気付き身を逸らせて回避すると、そのまま私を背にして短剣の飛んできた方を睨みつける。一見すると私を守っているようだけど、これは単に獲物を渡さないという行動に過ぎないのだろう。
「やぁれやれ。今回の任務は本当に邪魔ばかり入ります。牢獄でのダメージが無ければとっくに片が付いていたというのに。全く忌々しい」
「な~に良いではないか。何せ此度の任務の
壁を大きく迂回してきたのだろう。そこに歩いてきたのは黒フードの男二人だった。大男の方は指の骨をぼきぼきと鳴らしながら。もう一人の方はその手に短剣を弄びながら。
ベインは小型の杖を取り出して構える。長さ三十センチ程の短い木の杖で、武器としてではなく魔法の補助のための物だ。ベインはさっきエリックさんの姿で土属性の“土壁”を使っていた。つまりベインの魔法も土属性。
対して黒フード達の属性は分からない。あの空中に穴が開いた様子から考えると、片方は特殊属性の空属性の可能性があるけど。
それぞれは互いに睨み合って動かない。数は黒フード達の方が多いけど、私が狙いなら近くに陣取っているベインの方が距離的に有利だ。周りは悲鳴や何かがぶつかり合うような音で溢れているというのに、この一帯はとても静かだった。
「……ふっ!」
先に動いたのは黒フードの側だった。大男が巨体を揺らしながらベインに突進していく。一足地面に踏み込むごとにドシッ! ドシッ! と聞こえてきそうな力強い脚力。大型の重機のような勢いでベインに襲い掛かる。
「“
対するベインは土属性のゴーレムを作る魔法で応戦。地面からせりだしてきた土塊が、およそ二メートルくらいの無骨な二体の人型となって大男の前に立ちはだかる。
この魔法は使い手によって扱えるゴーレムの強さや大きさが決まる。普通はこの大きさのゴーレムは一体が限度なのだけど、どうやらベインはかなりの土属性の使い手らしい。
「ゴーレム。奴らを倒せ」
「はっはっはっ。面白い!」
大男はゴーレムを見るや、笑い声をあげながらゴーレムの一体に掴みかかった。そのまま互いにギリギリと音を立てて組み合う。体格はゴーレムの方がやや上。ゴーレムを倒すなら遠距離魔法か術者を狙うのがセオリーだけど、
「はっは~。ぬるい。ぬるいぞっ! こんなものかっ!!」
なんと大男は、容易くそのゴーレムの手を握りつぶした。そのままの勢いで強烈な頭突きをゴーレムに叩き込む。陥没するゴーレムの頭部。
グラリと傾いたゴーレムに、更に膝蹴りで追撃をかける。それが胸部に突き刺さり、そのゴーレムは完全に沈黙した。ゴーレムはある程度の損傷を受けると自動で土塊に戻る。
そこにもう一体のゴーレムが大男に殴りかかった。その拳は顔面を狙っていたけれど、拳が当たる直前に同じく拳で受け止められる。同じ拳同士なのに、ゴーレムの方の拳に今の一撃で軽いヒビが入るのが見えた。
「あちらにばかりかまけていて良いのですかぁ?」
そんな声が聞こえるや否や、ベインの真上からもう一人の黒フードの男が出現した。こちらが空属性の使い手らしい。
ベインは素早く反応して前に転がるように回避。今までいた所に男の短剣が突き刺さり、そのまま二人で短剣と土魔法の応酬が始まる。飛び交う短剣と土魔法。その奥では大男とゴーレムの力比べ。私は壁際にうずくまって只々震えていた。
『勇者』とは勇気ある者と書く。私には勇気なんてなく、今もこうやって震えていることしか出来ない。物語に出てくる『勇者』であれば、この悪逆を見逃すことなんてしないのだろう。でも周りがこんなことになっているのに、怖くて動くことができないのだ。
「うわあぁぁん。おかあさん。おかあさぁぁんっ!」
突如聞こえてきた泣き声。震えていた私は思わずその泣き声の方を見る。すると、一人の小さな女の子がこの喧騒の中を一人でとぼとぼ歩いていたのだ。周りに親御さんは見当たらない。はぐれてしまったのかもしれない。
こちらへ来ちゃダメっ! 早く離れてっ! 下手に声に出して注意を引いたらこの戦いに巻き込まれてしまう。そう思って心の中だけで必死に叫ぶのだけど、女の子は私を目に留めるとこちらへ泣きながら歩いてくる。
心細さから近くに人を見つけたら近づいてしまうのは理解できた。だけど、今この状況で言えばそれは最悪のタイミングだった。
「“
戦闘中ベインが牽制の為に放った土属性の初歩魔法。威力もちょっとしたモンスターを倒せる程度で、熟練の騎士や魔法使いにとっては牽制にしかならない。実際回避されるか防御されることが前提の魔法だったのだろう。簡単に黒フードの男に回避されても気にも留めなかった。
もちろん私には当たらない程度の計算はしている。しかし問題は、その気にも留めていない流れ弾が女の子の方に向かっていたことだ。
その時、周囲の動きがとてもゆっくりに感じられた。心臓の鼓動がうるさいほどに大きくなり、飛んでくる“土弾”の動きまではっきり分かる。このまま行けば女の子に直撃するのは明らかだった。
何の防御もしていない状態で“土弾”を受ければ良くても大怪我。悪ければ……。そう思った時、私の身体は勝手に動いていた。
まだ恐怖が収まったわけじゃない。足はガタガタ震え、心臓はバクバクと爆発しそうなほどに音を立てている。息は乱れ、頭が真っ白になる。怖くて怖くてたまらない。
どうせ知らない子じゃないか。傷ついても私に何の問題がある? このままここに居れば良い。このままじっとしていれば、いつも通りその内誰かが助けてくれる。それまで待っていれば良い。
でもっ! それじゃダメなんだっ!!
「伏せてっ!」
私の言葉に女の子はビクッとして、だけど言う通りに身体を伏せる。私は咄嗟に庇うように飛び出した。
「“
ギリギリで直撃コースに割り込み、月属性の防御魔法を発動。白く輝く幕にして膜が私と女の子を包み込む。
本来は纏った対象の姿を見づらくしたり誤認させるための魔法だけど、対象の防御力を上げる効果もある。今は月が出ていないからそこまでの効果は見込めないけれど、それでも少しはダメージを減らせるかもしれない。
迫りくる
正直に言って今からでも逃げ出したい。後ろにいる女の子を見捨てて走り出したい。でもここで明が言っていた言葉を思い出す。『自分はこれからどうするか? ただ流されるんじゃなくて、自分の意思で決めなくちゃいけない。…………後悔しないですむように』という言葉を。
ここで逃げたら私は一生後悔する。ただ流されて『勇者』と呼ばれた私だけど。自分が戦うのが怖いから他の人に戦いを押し付けたような私だけど。
「私は『勇者』なんかじゃないけれど、怖いけど……そんなこと関係ないっ!!」
恐怖を振り払うように叫ぶ。私が目的なら、この一撃さえ耐えればこの子を逃がせるかもしれない。後悔しないように自分で決める。そして目の前に
ヒューーーン…………ズドオォォン。
突如影が差したかと思うと、私の目の前に風切り音と共に何かが突き立った。
「一体何が……えっ!?」
それは一本の槍だった。長さが二メートルくらいある長槍で、穂先の下部に左右に刃が突き出したいわゆる十文字槍。縦横の刃の交わる箇所に赤い宝石が埋め込まれており、柄は金属の光沢があるけれど何の金属かまでは分からない。
今まで戦っていたベインと黒フード達も、一旦戦闘を止めてこちらの様子を伺う。槍が急にどこからともなく降ってくれば、驚くのは当然だ。
そこに、私と女の子の背後から小さいけれど確かに響く足音が聞こえてきた。
「あちゃぁ。やっぱりしばらく看守ちゃんに預けっぱなしで使ってなかったから鈍っちゃったかしらねぇ? 今のは
「何者ですかっ!?」
やってきた人物に対して、黒フードの男が鋭く問いかける。それはそうだろう。いきなりやってきて、こんなことを宣う人だ。怪しすぎる。
「何者ってつれないわねぇ。ついさっき会ったばかりじゃないの。あなたが一方的に逃げちゃったから追ってきただけよん」
現れたのは不思議な女性だった。モデルみたいな長身のすごい美人で、ラフなシャツとズボンの上から薄手のコートを羽織り、青と白を基調とした動きやすそうな服装をしている。胸元に下げている赤い砂時計のネックレスだけが暖色系でやけに際立っていた。
この人がさっきの凄まじい勢いで槍を飛ばしたの? 本当に?
「ねぇ。そこのあなた。アタシはイザスタ・フォルス。あなたのお名前は?」
「は、はいっ! ユイです。ユイ・ツキムラ」
「そう。ユイちゃんね! ではユイちゃん。あなたが『勇者』で間違いない?」
「……は、はい」
突然の質問に、つい咄嗟にこちら風の名前を答えてしまう。しかし次の質問でこれはマズイと思った。私は自分のことを『勇者』なんて思っていないけど、この状況で『勇者』の私に近づいてくるってことはこの人達と同じく……。
「……良いわねぇ。結構アタシ好み。もぉトキヒサちゃんといいこの子といい『勇者』はアタシ好みの子ばっかりなのかしらん? だとしたらと~っても嬉しいわ」
イザスタと名乗ったこの人はそう言うと、私達を庇うように立って地面に突き立った槍を軽々と片手で引き抜いた。そのまま二、三度軽く回転させると、今度は両手で持って穂先を下にして構える。
その間黒フード達もベインも動かない。……いや。おそらく
「フフッ。安心して! アタシの仕事は『勇者』の情報を集めることであって、『勇者』を連れてこいなんて言われてないから。それに……」
彼女はそこで一度言葉を区切ると、黒フードの男を鋭い目つきで見据える。その様子から、どうやら二人には因縁があるようだった。
「別件でこの騒動を鎮めることも依頼されてるからね。首謀者であるこの人は敵ってわけ。付け加えると、あなたがさっきその女の子を助けようとしていた所、しっかり見てたわよん。怖いけれど勇気を振り絞って小さな子を守ろうとする。それは
「それは……」
はっきり言ってよく分からない。ここ数日で色んなことがありすぎて、何を信じればいいのか疑えばいいのか。でも一つだけ言えるのは。
「……貴女はさっき私達を魔法から守ってくれました。だから私は貴女のことを信じます」
「ありがとね。それじゃあ、信じてもらえたからにはしっかりとお仕事しないとね!」
イザスタさんはこちらに一瞬軽く微笑むと、そのままベイン達に向き直って声を上げる。
「さあ。可愛らしい『勇者』といたいけな少女をいじめる人達には、アタシがキツ~イお仕置きをしてあげるわん。お姉さんのお仕置きを受けたい人からかかってきなさい!!」
言っていることはどこか緊張感が削がれるけれど、槍を構えて私達を守ろうとする彼女の背中から伝わってくるのは圧倒的な信頼感だった。
私はこの人を信じたのはおそらく間違いないと確信し、背中で涙を流しながら震えている女の子を安心させるように手を握った。
「大丈夫。大丈夫だからね」
私は女の子を落ち着かせるために、何度も何度も繰り返し続けた。……あるいはそれは、
何度も。何度も。大丈夫だからと、言い続けた。