お姉さんの個人授業と不機嫌女神
「それじゃあよ~く見ててね。水よ。ここに集え。“
「おっ! お~っ!?」
その言葉と共に、何もない所からピンポン玉程の水玉が出現した。水玉はふよふよとイザスタさんの掌から少し上で停止している。
軽く調べたが手品の種は見当たらない。つまりこれは紛れもなく
アンリエッタのやったことはスケールが大きすぎて実感が湧かなかったが、指から火が出るとか水玉が宙に浮くとか、科学でも真似できそうなものの方がロマンがあるのだ。
「フフッ。そんなに眼を輝かされると照れちゃうわねぇ」
顔に出ていたらしく一目で看破される。だけどそれだけの感動だったんだ。そして水玉はそのまま宙を移動し、俺の手の届く所までやってくる。
軽く指先で触れてみると、何の抵抗もなくスッと指が水玉に入っていく。そのまま引き抜いて指先を舐めると確かに水だ。
「じゃあ最初は基本的なことから。まず世界には魔素と呼ばれる物が満ちているの。簡単に言うと魔法の素ね。それを体に一度取り込んで、自分の形に変化させて使うことを魔法と言うの。
イザスタさんは紙に図を描いて説明してくれる。眼鏡とスーツがあったら完璧にどこぞの女教師のような雰囲気だ。水玉を浮かべたままなのが気になるが。
「自分の形というと、同じ魔法でも使う人によって違ったりするんですか?」
「良い質問ね。同じ魔法でも、使い手の力量やイメージによって微妙に違うの。例えばこの水球は水属性の初歩だけど、魔力の込め方を変えることで大きさや形、水質を変化できるわ。生き物の形とかね」
その言葉に従い、水玉は球体から棒状、リング状、最後は動物のような姿になり、吠えるような動きをしてまた水玉の状態に戻る。初歩にしては凄く応用が効くな水属性。
「他の属性も基本はおんなじ。トキヒサちゃんの適性は分からないけど、属性ごとに個性があるの。次はそれを勉強しましょうか」
「はい! よろしくお願いします」
魔法かぁ。異世界に来たからには一度使ってみたいと思っていたけど、俺も遂に使える時が来たのか。顔がにやけるのを必死に我慢しながら、俺はイザスタさんの魔法個人レッスン(座学編)を受けるのであった。
「そろそろか……」
夜の十一時過ぎ。隣のイザスタさんも眠ったらしく、耳を澄ませても物音一つない。周りを確認し、俺は連絡用の鏡を取り出した。
「もしもし。聞こえるかアンリエッタ」
距離があるので大丈夫だろうけど、念の為他の人を起こさないよう囁くように喋る。だってのに、
『おっそい!!! もう今日は連絡はないのかとヒヤヒヤしたんだからっ』
静かな中に突然の怒声。慌てて鏡をしまい、息を殺して周囲を窺う。……大丈夫みたいだ。
「アンリエッタもうちょい声を小さく。誰か来たらマズイ。……連絡が遅くなってゴメン。中々チャンスがなかったんだ」
『……ふぅ。こっちも悪かったわよ。この状況じゃ仕方ないし許してあげる。感謝しなさい」
アンリエッタは軽く胸を反らして言った。寛大さを見せつけたいのだろうが、見た目が子供だからどこか微笑ましい。
「状況は大体分かるよな?」
『えぇ。時々モニターしてたから。アナタには早く課題をこなしてもらわなきゃ。そんな所じゃ碌に金も稼げないわ』
ちなみに俺に与えられた課題は“一億円分を稼ぎ出すこと”。しかも一年以内である。
本来時間制限はないのだが、俺の個人的事情によりそうなっている。何故ならば……元の世界で人を待たせているからだ。
待ち合わせは元の世界で三日後。一年以内というのは、アンリエッタが元の世界に戻す際の誤差が三日以内に収まるのが一年までだから。神様というだけあって誤差の規模がデカい。
「そのためにも先立つものが要る。『万物換金』は
まずはこちらの金を手に入れないと。どのみち今は日本円は使い道がないから手持ちは全替えとして、普段からもっと金を持っていればとつくづく思う。
『勿論可能よ。一度円を貯金状態にして、それから支払い金をデンに変えるだけ』
「助かる。一度換金したらもう戻せないのか?」
『戻せるわよ。ただし査定額の一割を上乗せする必要があるけど。例えば一万円の品を買い戻すなら一万と千円が要るわ』
手数料か。一割は多い気もするが仕方ないか。
『時間がないから一度通信を切るけど、今日の分はまだあるから終わったら連絡して。換金自体は難しくないから』
「あっ! アンリエッタ。腕時計の時間はこっちの時間と同じか? 大体は食事の時間から予想できるけど、細かい時間までは分からないし」
言ったあとですぐにマズイと思った。最初の妨害はアンリエッタも気にしていたし、今の言い方だと傷つけたかも。
『……誤差は特に無いわ。午前と午後も間違ってない』
一瞬の沈黙の後、何事もない風に言うアンリエッタ。礼を言うとそれを最後に映像は途絶える。
あとでちょっと謝っておくか。それにしても一日二回、一回三分までって縛りはもう少しどうにかならないのか?
鏡をしまうと、貯金箱を出して起動用の硬貨を投入する。これは出発直前にアンリエッタに渡されたもので、服のあちこちに仕込んである。ちなみにこの値段も課題に上乗せされるらしい。
「では……『査定開始』」
早速貯金箱を起動。財布を取り出して光を当ててみる。……今思ったが、まとめて査定したらどうなるのだろうか?
貯金箱に浮かんできた文字はこうだった。
財布(内容物有り)
査定額 七千六百十円
内訳
財布 五百円
日本円 円分の紙幣及び硬貨
カード(保険証、会員カード等) 買取不可
まとめて査定すると一つずつの値段と合計査定額が表示されるのか。カードが買取不可なのは何でだ?
触れたら細かく表示されるかと試したが、スクロールや拡大が精々だ。そう上手くはいかないか。
どうやら内訳がある場合は選択した物だけを換金できるようで、日本円だけを選択。すると財布はそのままに中身だけがスッと消えてしまう。貯金箱には、
現在貯金額 七千百二十円
とあった。成功したらしく、アンリエッタの所で試しに使った分に追加されている。そのまま弄っていると、通貨設定という項目があった。
え~と、円にドルにポンド。色々有るな。デンは……あった。変更っと。
現在貯金額 七百十二デン
上手くいった。それにしても一デンは日本円で十円分か。つまり課題の一億円はこちらだと一千万デン。覚えておこう。あとは実際に金を引き出すのだけど……画面の表示に七百十二デンと設定してボタンを押す。さて、どうなる?
チャリ~ン。
すると側面がスライドして硬貨がこぼれ出した。画面を見ると残高が0になっている。こう出てくるのか。
硬貨を拾うと三種あった。石製の灰色の物が二枚に銅製が一枚。最後に銀製の物が七枚だ。つまり石の硬貨が一枚一デン。銅製が十デン。銀製が百デンか。
と言ってもこれじゃ今の待遇だと二日分。早く出所しないと一文無しだ。他に換金できる物は……スマホくらいか。一応査定してみる。
スマートフォン(やや傷有り)
査定額 五百デン
微妙だが使い道が有るかも知れないので換金は止めとこう。念の為牢を一通り査定するが全て買取不可と出た。これらは俺の物ではないからな。
まだ数分使えるので適当に光を当てていると、壁の一部で妙な反応があった。
ウォールスライム(擬態中)
査定額 買取不可
ウォールスライムって何? というかこの壁生き物なのか? 試しに鉛筆で触れてみると、そこだけ僅かに感触が違う。あくまでこの縦横一メートル部分だけらしい。
「よく見たらここ、イザスタさんが入ってきた所だ」
つまり穴をスライムが塞いでいる形だ。最初からそうだったのかも知れないが今は置いておく。問題はこいつだが、特に害意はなさそうなんだよな。
完全に壁に擬態して、触れても特に反応はない。まあ害意があるならいくらでも襲う機会はあったし、今すぐどうこうというものでもないか。少し楽観的かも知れないが、変な同居人が増えたと思おう。
さて、このことも踏まえてまたアンリエッタに連絡するか。
『換金は終わったようね』
「ああ。と言っても物自体が少ないから貧乏なままだけどな。それと……さっきは悪かった」
『……? 何が?」
ありゃ? 呼び出してはみたけれど、なんか予想より普通だ。
「いやその、責めてるように聞こえたかなって。そうじゃないって言うつもりだったんだけど」
『あぁ…………アレね」
アンリエッタはスゴイ顔をした。何というか不愉快さと怒りと闘志と僅かな申し訳なさをごっちゃにして、更にそれを押し殺しているけど抑え切れていないって感じだ。
『……そうね。
「だから責めてないってのに。そ、そうだっ! 妨害した奴の事は分かったか?」
これはいかんと話題を逸らすが、顔を曇らせたちびっ子女神を見てこれは上手くいっていないと察する。藪蛇だったか?
『正直手詰まりね。女神にちょっかいをかける奴なんて多くないし、わざわざここでってことは関係者の誰かだろうけど。それ以上は絞れないわ』
「そっか。いきなり牢屋スタートで、正体不明の妨害者とは厳しいけど……まあ何とかするさ。あと査定中に壁に変な奴が居たんだけど。というか今も」
さらに話題を逸らす。もう思いっきり違う話になっているが、これ以上この話題で機嫌を損ねると流石にマズイ。
『こっちでも確認したわ。ウォールスライムはその世界に存在するモンスターの一種。だけど基本的におとなしいから下手に刺激しなければ問題ないわ』
「さっきちょっと触ったんだけど……これってヤバイか?」
『牢屋の近くで暴れでもしない限りは平気でしょ。問題は何故ここに居るかだけど』
う~む。こんな所に居たら普通気付くよな。それを敢えて放置してる。……まさか城のペットとか?
「ちなみに肉食だったりする?」
『種類にもよるけど、スライムは基本消化できるなら何でもパクリ。ただウォールスライムは飢餓状態でもない限り、人や他のモンスターを食べることは滅多にないわ』
「それを聞いて安心した。じゃあこいつは放っておくとして……そうだ! アンリエッタ!! 俺の魔法適正って何か分かるか?」
座学で魔法の基礎知識は教わったのだが、結局俺の適性は不明なままだ。調べるには準備が必要らしく、ここには道具がないから難しいという。
『残念だけど、何の魔法が使えるかまでは不明。ただ異世界補正で魔力量自体は恵まれてるんじゃない?』
「別に大層なものじゃなくて良いんだ。正直な話、指先からライター位の火が出るとかでも良い。自分の力で魔法が使えるってだけでロマンだろ?」
『ロマンねぇ。ワタシにはイマイチ理解できないわね』
アンリエッタはどこか呆れ顔だ。ロマンは大事だぞ。
「じっくり話し合いたいけどそろそろ時間だ。今日はここまでにしとくよ。これからも基本的にはこの時間で。急な用件の時の為に一回分は残す感じだ」
『分かったわ。それじゃあお休みなさい。ワタシの手駒。明日は何か進展があると良いわね』
「ああ。お休み」
挨拶が終わるとそのまま映像は消える。明日か。どうしたもんか。
金は少ないから何とかディラン看守に値段交渉をして、あとスライムのことも気になるし、イザスタさんとこにも居るかも知れないな。それとまた魔法について聞いてみるとして……。
こうして明日に備えて考え事をしつつ、二日目の夜は更けていった。