第42話 星の花※隼Side※
あっという間に時は過ぎ、俺達は夏休みを迎え、厳しい練習の毎日を過ごしている。
そして今日は、そんな夏休みの中でも数少ない楽しみの日だ。
そう、俺の住む場所から電車で約30分ほどの場所で行われる花火大会の日。
会場へ向かう電車の中はいつも以上にパンパンで、普段電車通学ではない俺は息ができなくなるあの満員電車に30分も揺られ、降りる頃には少し気分が悪くなっていた。
しかし、駅から出た途端………
いや、待ち合わせ場所で浴衣姿の梨々の姿を見た途端、体調の悪さなど一気に吹き飛んだ。
「隼くんおつかれ!電車混んでて大変だったでしょ?」
涼し気な白地に鮮やかな一斤染の朝顔が大きく描かれた平織りの浴衣。
緩く巻かれた長い髪はハーフアップで纏められ、鴇色をしたダリアの簪が刺さっている。
少しメイクもしているようにも見える梨々の顔は、浴衣のせいもあってかいつもより大人びて見えた。
「ごめんね待たせちゃって……!電車、すごい人だった!やっぱり人気なんだねこのお祭り」
俺の住む地区とは少し離れているから、初めて来たこの祭りの規模に驚いていた。
しかし梨々は地元だからだろうか、慣れた様子で辺りを見渡す。
結局どうやってこの状況にたどり着いたか。
俺と梨々だけでなく、優と清和さんも来ることになったのだ。
俺がなかなか梨々を誘えずにいるのを見兼ねた清和さんがまず梨々に声をかけ、その後優と俺に声をかけた、という流れだ。
結局俺はまた、何もできなかった………
だけど、優も来るなら梨々は喜ぶだろうし、結果これでよかった…のかも……しれない。
「それにしても優たち来ないねー」
梨々はさっきからあからさまに優が来るのを待ってソワソワしている。
きっと、優が来るって分かってたからこんなにオシャレに浴衣を着こなしてきたのだろう。
そんな健気でいじらしい梨々を見ると、少し優が羨ましくなった。
数カ月経ってもやっぱり、ふとした時に優を羨む気持ちには慣れなかった。
「でも、今日この話出してくれてありがとね!結構前から小春と話してたんでしょ?」
梨々が明るい表情で俺に尋ねる。
「う、うん!そうだよ。話は出てたのにもっと早く誘わなくてごめんね」
「ううん!誘ってくれただけで嬉しいよ!」
「そっか、ならよかった…」
「隼くんはこのお祭り初めてだもんね?」
「そうだよ。梨々さんは何回も来てるの?」
「うんっ!毎年来てるよ!だけど今まではお友達っていうよりもお兄ちゃんとかお母さんと来てたから…
だからこういうのは初めてですっごく嬉しい!」
キラキラした大きな目をさらに大きく輝かせて言う。
今日優と会えることが、本当に嬉しいんだろうな…
やっぱり羨ましくはあるけど、梨々の楽しそうな姿を見ると素直に俺も嬉しくなる。
清和さんのおかげでここまで来られて、本当によかった。
「今日は…優もくるからね!楽しみだね」
「も、もう!隼くん!恥ずかしいよー!」
「梨々さん顔真っ赤だよ。」
「えーーもう!隼くんのせいだからねっ!」
「ははは、ごめんね!」
「んもうっ」
小柄な体にキレイな浴衣を着て頬を膨らませている梨々は本当に可愛い。
実際、近くを通る人の多くは梨々を見ている。
ちょっと揶揄ってみると梨々がすごく可愛い反応をしてくれた。
もっと揶揄ってみたいとは思うけど、俺がするべきじゃないと思い直してしまってブレーキがかかった。
梨々と付き合えたら、こういうやり取りもできるんだろうな……
ふと頭に過った妄想を即座に消すよう、頭を振った。
だめだよ何考えてんだよ俺……
目の前にいる相手になんてことを……
「り、梨々さんの今日の浴衣姿すごい似合ってるよ!きっと優もそう言うよ!」
「ほんと!?だったら嬉しいな……!」
「うん!絶対言うよ!」
自分の邪な考えを打ち消すように梨々に話す。
あくまで梨々は、優が好きなんだ。
俺の気持ちに正直に……という清和さんとの約束も、今日は少しだけ抑えなきゃ。
きっと目の前で梨々と優が仲良く話しているのを見れば、どっちにしろ俺の想いは陰に隠れてしまうだろうから。
というか、今ここで二人でこんなに長く一緒にいられるだけで俺は十分嬉しい。
「優くんと小春、遅いなあ………」
梨々が少し悲しそうに呟く。
確かに、集合予定時間から10分も経ってるのに、二人から連絡もない。
「どうしたんだろうね。ちょっと電話かけてみるね」
少し心配になってきたので、優に電話をかけてみた。
すると梨々も携帯を取り出し、清和さんに電話をかけていた。
あれ?
優に電話が繋がらない……
3度目をかけてみる。出る気配はない。
珍しいな、、優は基本的に電話もメールも反応が速いのに………
さっきの小さな心配がだんだん大きくなってきた。
大丈夫かな………
優に何かあったら………
いや、何もないと思いたいけど…
俺が優にメールを打ち込んでる時、梨々は清和さんとの通話が終わったようで、携帯をパタンと閉じて籠巾着の中に入れていた。
「…………………」
「梨々さん?どうしたの?」
清和さんと話したであろう梨々は、今にも泣きそうな顔で俯いていた。
「今日、優くんと小春が来れないって………」
「え!?」
声まで泣きそうに震えさせながら、梨々が言った。
「え、来られなくなったの?2人ともどうしたの?」
「…昨日、部活の帰りに優くんと小春がたまたま電車で一緒になって、その後一緒に歩いてるうちに優くんが携帯を無くしちゃったんだって。
それで、二人で探してたんだけど、昨日は雨が激しかったでしょ? 雨の中探してたから、二人とも風邪引いちゃったって……それで来られないって…」
「そっか…………」
「優くんの携帯は無事に見つかったんだけどね?側溝に落ちてて濡れちゃってたから壊れちゃって、今修理に出してるから使えないみたい。」
「だから電話に出られなかったんだ…」
「小春も昨日の夜から体調崩してたみたいで、昨日は連絡するのも辛いくらいひどかったって。
それで今は昨日よりは回復してるから来ようとしてくれてたんだけど、お母さんに心配されてすごく止められて、喧嘩になってたみたい。
だからギリギリまで梨々たちに連絡もできなかったって」
「なるほどね…残念だけど、2人とも早く体調が治るといいね…」
「うん…そうだね…」
さっきまでとは明らかに気分が変わってしまった梨々は、力なく答えるだけだった。
昨日そんなことがあったなんて。
確かに優と清和さんは帰りの方向も同じだし最寄り駅も1駅違いだ。
だから一緒にどちらかの駅で降りて、そこから1駅分歩いてたのか。その間に携帯落としちゃったのかな…
明日が休みでよかった。
2人とも体調不良の中、部活があれば休まなければいけなかったから…
特に優は無理してでも部活に来そうだし…
とりあえず後で優の家に電話かけてみよう。
そして……
「今日、どうしよっか。………帰る?」
今にも泣きそうなのをずっと堪えてる梨々を見ると、
とてもこのまま二人でいるのは厳しい気がする。
梨々だって、優がいないのに俺と二人きりで遊びたいわけでもないだろうし……
「………ううん!せっかく梨々おしゃれしてきたんだし、今日は今日で隼くんと楽しむ……!」
梨々は俯いていた顔を上げて笑顔を作った。
目には涙が溜まっていたけど、決してそれを零さないように何度も瞬きをしていた。
「ほんと?大丈夫?」
「うんっ!優くんと小春が来られなくなったのは残念だけど、隼くんがいてくれれば梨々は楽しいから!」
「そっか………よし!!そうだね!せっかく来たんだし、今日は思いっきり楽しもう!」
梨々の言葉に胸が熱くなった。
俺は勝手に捻くれて、自分と二人きりでも梨々は楽しめないと思っていた。
だけど、梨々は楽しめるって言ってくれた。
すごく嬉しかったし、捻くれて梨々を信じていなかった自分がとても恥ずかしくなった。
梨々の言う通り、折角オシャレして浴衣着て髪もセットして、あんなにワクワクして来たのに何もせずに帰るのはあまりにも悲しすぎる。
だったら俺は、梨々の言葉通り、梨々を思い切り楽しませたいと思った。
優が来られなくなった悲しみを一瞬でも忘れるくらい、梨々に笑ってほしいと思った。
その方が、梨々が次に優と会ったときに、明るい気持ちでいられるだろうから。
梨々には少しでも楽しい気持ちでいて欲しいから。
「梨々さん!花火まで時間があるから、それまでいっぱい遊んでいっぱい食べるよ!」
「うんっ!梨々お腹空いた!!今なら焼きそば5人前くらい食べちゃうかも!」
「よし!じゃー5人前買いにいこっか!」
「いこういこう!あと金魚5人前!」
「5『人前』って……いくらお腹空いてるからって金魚掬いの金魚は食べちゃだめだよ!?お腹壊しちゃう!」
「確かに!生魚だからね!」
「うんうん、やっぱり火の通ったものがいいよ。お好み焼きとか5人前いっちゃう?」
「それもいいですねえ…あそこにあるライフル銃でババーンっと5人前取って来ようじゃーないですか」
「やっぱり最初に射的かな!?ね、射的行こう!」
「やだー!お腹空いた!梨々耐えられない!」
「じゃあライフル銃から目を離して!射的の誘惑に負けないで!」
「うう……腹が減っては戦ができぬ……とりあえず焼き鳥5人前平らげてから戦場に出直すとしようか…」
「焼き鳥5人前ってどんな感じだ!?もし1人前が1本で、5人前は5本とかだったら割と普通にいけちゃう量だよ!?」
「確かにっ!梨々も分かんない!適当に言った」
「このやりとりずっと適当じゃなかったの!?」
梨々がすごく楽しそうに笑ってる。
俺もつられて久しぶりにこんなに笑ったっていうくらい笑ってたと思う。
普段の優や五郎、瑠千亜たちのやりとりでもお腹を抱えて笑っちゃうことがよくあったけど、梨々といる時もすごく心地よくて楽しい。
そして、梨々とこんなに冗談を言い合えるくらい仲良くなれていることが、すごく嬉しかった。
5月にもたまたまくじ引きで2人きりで遊んだが、あの時に比べて確実にお互いが素を見せあえているのが分かる。
好きな人と笑いあえてるという高揚感も相まって、なんだか俺は浮足立ってる感じがした。
自分でもこれが浮足立つってことか、ってハッキリ分かるくらい、今を楽しんでるんだな……
梨々も同じならいいな。
ふと隣で笑う梨々を見る。
目に溜まる涙はさっきまでとは種類の違うもの。
可愛すぎる笑顔はつい時間を忘れて見惚れてしまう。
梨々が楽しそうでよかった。
「隼くん!あと少しで花火が始まるよ!」
歩き回って20分。
出店に向かって歩くとき、人混みに流されるままに歩いていたから、梨々の浴衣が少し崩れてきていた。
そのため、俺らは手前でいくつか食べ物を買い、人混みから少し離れた神社の前の公園に来ていた。
「なんかあっという間だね!」
さすが地元とでもいうのだろうか。梨々は人があまり来なくて花火がしっかり見える場所を把握していた。
「梨々さん、浴衣大丈夫?脚とかも疲れてない?」
「大丈夫だよ!ありがとう。早めに人混みから抜けられたからね。それに結局人混みをかき分けて色々買ってきてくれたのは隼くんでしょ?隼くんこそ疲れてない?」
「普段の部活に比べれば全然平気」
「おーーさすが!でもほんとにありがとね!」
「どういたしまして!こちらこそ、こんなにいい場所を教えてくれてありがとね」
「えへへ、地元特権ですっ!」
嬉しそうに言う梨々曰く、地元の人は家から花火を見るため、わざわざ外に出てこない人が多いそうだ。
だからあの人混みにいるのは少し離れた場所にいる人たちが多いため、こういった穴場は意外と知られていないみたい。
俺らがいる小さな神社は少し小高い所にある。
緩い斜面の丘を登った先にあり、周囲を松の木で囲まれている。
その木の隙間に座ることで、出店などがある会場よりも少し高い位置から花火を見ることができるのだ。
ヒュー
バァァァン
突如大きな音を立てて花火は始まった。
今年初めて見る花火だ。
「きれーい!」
梨々は歓声を上げて空を見上げていた。
ここは都心から少し外れたところにあるため、緑が多くて空気がキレイだ。
だから花火を描く背景の夜空も、澄んでいて所々に星が見える。
星の儚い輝きは、花火の華やかな光によって一瞬にして見えなくなってしまう。
その後に残るのは大きな煙。
少し時間が経つと、またうっすらと星が姿を表す。
するとそれを追いかけるように色鮮やかな花が空に咲く。
その繰り返しを、2人は無言で見つめていた。
花火と共に流れるBGMは、どれも夏の恋を唄うものばかりだった。
どうして夏の恋や花火というものは、どこか儚さを含むのだろう。
大きな音に艶やかな色をした花火。
明るく派手なはずなのに、それを包む背景が静寂だからだろう。僅か数秒の切ない命が一瞬だけ輝いて散ってゆく寂しさを強調しているようだった。
さっきまではしゃいでいた梨々も、花火を見ているうちに哀愁漂う表情になっていた。
梨々は今、遠くを思っているのだろう。
同じ景色を見ていても、その先に見据える人は違う。
それが今の俺と梨々の距離。
今座って離れているこの肩の距離の分。
何となく心憂い空気の中、梨々が口を開いた。
「ねえ隼くん、梨々がどうして優くんを好きなのか、知りたい?」