第65話 お前がストレスに思うのは放置ですか、それとも凝視ですか
「咲ちゃん」茫然と、木之花を呼ぶ。
「――はい」木之花は何かを察知した様子で、慎重に答える。「何か、来ました?」
「うん」恵比寿は相変わらず茫然としている。「納品書」
「納品書?」神たちは異口同音に訊き返した。「どこから――」そして異口同音に問いかけ、異口同音に絶句した。「まさか」
「マヨイガから」恵比寿が答える。「サンプル納品、って」
◇◆◇
「消えちゃったねえ、啓太君」結城が上方を見回しながら残念そうに言う。「まだどっかその辺に漂ってんのかな」
「漂うと言うな」時中が眉根を寄せる。「啓太はクラゲではない」
「幽霊の場合は漂うとは言わないのですか」本原が確認する。「何というのでしょうか」
「なんだろ」結城が考えを巡らせる。「憑依? 出現? 地縛?」
「啓太にはそんな趣味はない」時中が強く首を振る。
「いや、自縛じゃなくてさ、地面の地縛だよ」結城が両手を振り説明する。
「ジメンノジバクって何ですか」本原が確認する。
「わかってるよ」また、か細い糸のような声が聞えた。
「あ、啓太君?」結城が素早く上方に向かって呼びかける。
「いや」答えたのは時中だった。「啓太ではない」
「自分に何の期待もかけられてやしないって事ぐらい」小さな声が言う。
「誰すか」結城がまた問う。
「所詮俺は頭数揃えの役にしか立ってないって事ぐらい」小さな声はさらに言う。
「何か、いじけちゃってるねこの人」結城が視線を下ろして誰にともなくコメントした。
「俺に求められてるのは、ただ無遅刻無欠席で出勤する事だけなんだよな」小さな声はぶつぶつと続ける。
「それは全員に求められていることなのではないでしょうか」本原が質問する。
「あと、辞めない事と」小さな声は呟き続ける。
「それ、かなり大事に思われてるって事じゃない?」結城が質問する。「お前なんか、いつでも辞めてしまえ! って言われるよりは」
「だって辞めたらあれだもんな」声は、本原や結城の質問に答えているのか否か判然とせぬ調子で言葉を続ける。「課長の評価が下がるんだもんな」
「そうだな」時中が同調する。「部下の勤怠の良し悪しは確かに、その上長の責任とされるものだ」
「ああ、まあ」結城が頷き、
「では辞められたら困るというのは、頭数が足りなくなるからという理由でなのですか」本原が確認する。
「俺はどうせ、ネジの一つでしかないんだよな」声の自虐は続く。
「あ、それさっき、磯田源一郎さんが言ってた事じゃん」結城が人差し指を立てて言う。「お前らはネジだ、って」
「まさかこの声の主は」時中が眉根を寄せる。「磯田源一郎の下で働いていた社員か」
「えっ」結城が時中を見、それから上方に向かって「ねえ君、磯田建機さんの社員さん?」と問う。
声は答えない。
◇◆◇
「この声って」伊勢が磯田社長に問う。「さっき社長が仰ってた、お祖父様の声と何か関係があるとかですかね?」
「祖父と?」磯田は茶色く描かれた眉を持ち上げ、そしてそれをしかめた。「さあ、どうだろ……でも祖父の声はあんなにはっきりとは聞えなかったけど」
「ああ」伊勢は頷いた。「じゃあやっぱりまったく別の、関係ないものでしょうかね」
「若い子の声だったわね」磯田は赤い唇に指を当てた。「うちの子かしら……でもあんな声の子、いたかしらね」首を傾げる。
「社長」伊勢は眸を多少彷徨わせながら、磯田に訊いた。「大変お聞きしにくい事で……どうか、お気を悪くなさらないで頂きたいんすけど」
「あら、何?」磯田はまたしても茶色く描かれた眉を持ち上げる。「改まっちゃって」
「その」伊勢は真剣な目を相手に向けた。「御社で過去“労災”で……お亡くなりになった社員さんは、いらっしゃいますか?」
「――」磯田は目を丸くしてすぐには言葉を返せずにいた。「――亡くなる、までは……ないわ」数秒後、言葉を捜しながら答える。「労災自体はなくもない……まあ、正直にいえば割とちょこちょこあるのはあるけれど」
伊勢は言葉を挟まず、磯田の回答が終わるのを待った。
「亡くなるところまでの労災事故というのは、私の代になってからは起きていないわ。父の代の時にも、特に聞いた覚えはないわね……祖父の代では」磯田は眉をぎゅっとしかめて考えた。「どうだったのか、よくわからないけど」
磯田の言葉はそこまでで途切れた。伊勢は、理解したというしるしに大きく頷いた。
◇◆◇
「もしもーし」結城は尚も問う。「あなたはー、磯田ー、源一郎さんのー」
「皆思ってるんだ」小さな声が聞えたが、それもまた別物のようだった。「俺を見てくれよ、と」
「あら」結城は新たな声のする方へ顔を向ける。「また別の」
「でも、俺は問う。『なんで?』」声は続く。
「ふむふむ」結城は腕組みをして数回頷いた。「誰がお前なんか見るかよ、と。そして逆に、俺を見ろ、と」
「何故見たり見られたりが重要な事になるのでしょうか」本原が質問する。
「それは自分に対する自信が持てるようになるかどうかに関わるからではないのか」時中が答える。
「そうかあ」結城が頷く。「誰からも見向きもされないなんて、そりゃあ耐えられないよなあ」
「けれど、あまりじろじろ人を見るのは失礼な事のように思えますけれど」本原が小首を傾げる。
「そうかあ」結城が再度頷く。「見られ過ぎるとまた、俺顔になんかついてんのかなとか、気になるよね」
「何か文句を言われたり怒られたりするのではないか、という事が気になって落ち着かず、ストレスになる」時中が考えを述べる。
「自分を誉めてくれる人だけに自分を見て欲しいという事でしょうか」本原が結論をまとめる。
「まあぶっちゃけていうと、そうだよね」結城が受け止める。「ケチつけるような奴は俺を見るべからず、って」
「しかし会社で仕事をしている時は、文句をつけるために自分を見る人間、つまり上司と、嫌が上にも同じ空間にい続けることになる」時中が考えを述べる。啓太の事を当てはめてでもいるようだった。
「確かに!」結城は膝を打って同意した。「上司ってのは皆、ケチつける気満々だからね」
「そうでしょうか」本原は疑問を挟む。「今の私たちの上司の皆さまは、お優しい方々ばかりです。ケチをつける上司の方はどなたもいらっしゃらないように思いますけれど」
「それはね、本原ちゃん」結城が人差し指を立てる。「うちの会社が、超絶特別なんだよ。だってほら、うちの上司って全員、神じゃん?」
「はい」本原は頷くが「その呼び方はやめて下さい」と拒絶の言を添付した。
◇◆◇
「そうか」大山が、どこか遠くを見つめながら声に出した。「わかった」
「何がっすか」住吉が問う。
「これは」大山が答える。「社員たちの声、だな」
「社員、たち?」神たちが訊き返す。「どこの?」
「わからん」大山は首を振る。「恐らくはどこかの……あちこちの、企業に雇用されていた社員たち」
「――の、幽霊?」恵比寿が訊く。
「わからん」大山は再度首を振る。
「でも、じゃあ……サンプル、って」木之花が言葉を途切れがちに挟む。
「うん」鹿島が後を引き継ぐ。「どういうつもりかは知らんが、マヨイガから我々に提示された、交換条件、といったものだろう」
神たちは、その言葉の意味するところを呑み込むため言葉を出すこともできずにいた。
「つまり」鹿島は続けた。「あの新人三人とトレードしてくれという、取引の提案だ」