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第63話 残業要請拒絶は逆パワハラになるのでしょうか

「田中さんと連絡ついた?」磯田はスマホに向かって叫ぶように訊く。「ええ? もう帰ってる? ああもう」唸る。「他の人じゃ対応できないの? 緊急なんだけど。ああそう。どれ位で来てもらえるの? そんなにかかるの? ああもう」再度唸る。
 伊勢は口では黙っていたが、内心では社の者とコンタクトを取っていた。
「“あの出現物”以外にも新人を引きずり込もうとする奴が出て来てるってことなら、やっぱり対処するには、あれしかないんじゃないすかね」
「あれ?」住吉が訊く。
「うん」酒林が頷く。「あれ、だよな」
「あれとは、つまり」石上が確認する。
「対話」天津が答える。「だね」
「対話すね」伊勢が肯定する。「地球との」
「どうにかして伝えたいなあ」大山がもどかしげに言う。「新人君たちに」
「鯰に行ってもらうか」鹿島が提言する。
「鯰に?」神たちは驚く。
「さっきこいつ、新人たちの傍に行って来たらしい」鹿島は池の中を見下ろしながら言った。
「なんだって」神たちはさらに驚いた。「どうやって?」
「わからん」鹿島はあっさりと首を振る。「出現物に引っ張られたのかもな」
「新人さんたちは無事だったんですか」天津が叫ぶように訊く。
「ああ」鹿島は深く頷く。「会っていたのはごく短い間ではあったようだが、怪我もなく元気そうだったとの事だ」
「よかった」木之花が声を震わせる。
「それをもう一度」住吉が呟く。「頼むわけっすね」
「賭け……だな」大山が考えながら言う。

     ◇◆◇

「引っ張って行かれた時って、どうなったの」地球が鯰に訊ねる。「どんな風に引っ張られたの」
「ぐい、って」鯰は甲高い声で簡単に答えた。「髭を引っ張られたのよ」
「髭を?」地球は比喩的に眼を丸くした。「乱暴だなあ」
「本当よ」鯰はぷんすか怒り始めた。「出現物だか幽霊だか知らないけど、今度やったらただじゃおかないんだから」
「髭を引っ張られて、その後どうなったの」地球はまた訊ねた。「君には意識があったの?」
「うーん」鯰は水面を見上げて考えた。「どうかなあ……そうだ、なんか声が遠くに聞えてた」
「声?」
「そう」鯰は頷く。「声……人間の」
「どんな? 話し声?」
「うん、なんかぺちゃくちゃ喋ってて……笑ったり、怒ったり、なんか叫んだりもあった……けど何言ってんのかは聞き取れなかった」鯰は遠い記憶を探り出すかのようにゆっくりと説明の言葉をつなげた。
「出現物……たち、の声なのかな」地球は比喩的に首を傾げた。
「多分ね」鯰も自信はなさそうだが頷く。

「鯰」出し抜けに池の水面の向こうから、鹿島が大声で呼びかけた。

 地球の声はほぼ同時にすうっと、色も響きも掻き消えた。
「何よ」鯰はいくぶん疲れを帯びた声で面倒くさそうに答えた。「休んでんだけど」
「そうか。そこを悪いんだが、さっきみたいにもう一回洞窟に行って来てもらえないか」
「いやだよ」鯰は即座に断った。「あたしをなんだと思ってんの」
「鯰くん、頼むよ。君しかいないんだよ」鹿島は水面の向こうで頭を下げながら懇願して来た。「新人君たちに、地球との対話を行使してくれるよう伝えて欲しいんだ」
「自分たちでなんとかしなさいよそんなの」鯰は甲高い声をさらに甲高くして拒否した。「どれだけ残業させる気なのよ」
「緊急事態なんだよ」鹿島は容易に諦めない。「危急の事態では協力してもらえるっていう契約だろ」
「じゃあどこがどういう風に危急なのかデータ出して証明しなさいよ」鯰も容易に首肯しない。「あんたらの好き勝手に使われてちゃあたしの身がもたないってのよ。奴隷じゃないんだから」
「鯰くん」鹿島の声は渋いバリトンをますます低く抑えたトーンで発せられた。
「何が鯰くん、よ。こんな時だけ『くん』付けしたって嬉しくもなんともないわ」対して鯰のソプラノの声はますます甲高く高みへ昇ってゆき、その言葉もますます容赦のないものになって行く。
「――」ついに鹿島の声が止む。
「いっとくけど要石(かなめいし)で痛めつけようってんなら、それってパワハラになるからね。あたしも黙っちゃいないよ」鯰は池の中でぷいと向きを変える。
 ――対話か。
 地球がそっと、囁く。
 ――私が言ってみようか。
「え」鯰が目を剥く。「岩っち?」
「どうした?」鹿島がすぐに反応する。「地球が何か?」
「岩っちが」鯰は茫然と答える。「自分が、言ってみる、って」
「え」鹿島も茫然とする。「地球、が?」
 ――うまく伝わるかどうかわからないけど。
 地球は比喩的に苦笑する。
 ――出現物にできるんなら、岩にできてもおかしくはないよね。
「岩、っち」鯰は池の中できょろきょろする。「待って、岩」
「地球は、何て」鹿島が訊く。
「行っちゃった」鯰は茫然と答える。「あたしも、行こ」
「行ってくれるか」鹿島は感動のバリトンを張り上げる。「ありがとう」
「でも」鯰はいまだきょろきょろし続けている。「どうすればいいの」
「――」鹿島は再度声を失った。「さっきは、どうやったんだ」
「さっきはだから、髭をぐいーって」鯰は説明しかけて、ぴたりと止まった。「出現物に」
「出現物」鹿島はそっと復唱した。「スサノオか」
「いや」鯰は首を振る。「なんか、声がいっぱい聞えてた」
「声?」鹿島は眉を寄せる。「どんな?」
「いろいろ」鯰はまた遠い記憶を探った。「よく聞えなかったけど」
「出現物たちが会話していたのか」
「会話……かどうか。皆勝手に喋くり合ってるみたいだった」
「例えば、どんな事を」
「ええ?」鯰の声は裏返った。「知らないよ、そんな事」
「頼む、何かその中にヒントのようなものがあるかも知れん。なんでもいい、ほんの僅かでも、そいつらが何と言っていたのかを教えてくれ」
「――うー」鯰は溜息混じりに唸った。「――」しばらく考える。
 鹿島も黙って待つ。

「常に、切り捨てた方が正解だったんじゃないか」突然、そう話す声が弱々しく聞えた。

「え?」鯰は水面を見上げた。「鹿島っち?」
「ん?」鹿島が訊き返す。「どうした」
「――今」鯰が言いかけた時、

「そんな想いに囚われているんだよ」弱々しい声が続けてそう言い、そして鯰の髭がぐい、と引っ張られた。

 鯰はそれ以上言葉を続けることもできずに、どことも知れぬ深淵のはるか奥へと引きずりこまれて行った。

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