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第61話 敬語を使え、棒読みでもいいから

「出現物っていうのは」地球が答えた。「要するに、化合物だよ」
「化合物?」鯰が甲高い声で繰り返す。
「そう。水素とか窒素とか酸素とかが、鉱物のイオンとくっついたり離れたり、酸化還元してできたもの」
「それが、あたしをあの洞窟まで引きずり出したっていうわけ?」
「結果として、そういうことなんだろうね」
「なんでそんなことができちゃうの? あいつら、生き物なの?」
「うーん」地球は答えにくそうだった。「生物ではないけど、出現物なんだよね」
「生きてないの?」
「人間と同じようには生きていないんだけど、存在はしてる……今までもずっと、存在してきてた」
「何、幽霊なの?」
 地球はしばらく置いて「そうかも」と自信なさそうに答えた。
「幽霊のくせにあたしを引っ張って行ったの?」
「うん」地球は長引く質疑応答に少し疲労してきたようだった。「そういうこと」
「なんで?」鯰の問いかけは永遠に続きそうだった。
「進化したのかもね」地球は簡単に話をまとめた。「幽霊が」

     ◇◆◇

「開かないわね」磯田社長がきょろきょろとエレベータの中を見回す。「ちょっと、どういう事?」作業上着のポケットからスマホを取り出し操作して耳に当てる。「あ、相葉さん? ちょっとトラブル」電話の相手はすぐに出たようだった。
 ――てことは、俺ら側の座標は変わってないってことか。
 伊勢はそう考え、社の者に伝えた。
「そう。開かないのよドアが。ボタン押しても動かないし」磯田は片手でエレベータのパネルを操作するが、彼女の言葉通りドアの開閉も箱自体の上下動もまったくなかった。「カナヤマホールディングスに連絡して。そう。田中さん」
 ――出現物が、またどこか深海底に引っ張って行きやがったわけか。
 伊勢は苦虫を噛み潰したような顔で――磯田には見られないように注意しながら――エレベータ内を見回した。
 ――お前、何やってやがるんだよ。
 伊勢は心の中でまたそう毒づいた。社の者たちにも、それは伝わった。
 ――まだ起きてないのかよ。

「磯田源一郎さん」結城は姿の見えない出現物に呼びかけた。「俺ら帰りたいんすけど、エレベータってどっちにありますかね?」
「エレベータ?」出現物の磯田は不審げな声で問い返した。「なんじゃそりゃ」
「昇降機の事だ」時中が呟くように答え、
「昇降機のことっす」結城が大声で返答し、
「昇降機というのですか」本原が確認した。
「昇降機?」出現物の磯田は再度問い返し、「昇降機の場所を聞いてどうするんだ」と追加した。
「だからー」結城は首を大きく縦に振ってゆっくりと答えた。「帰りたいんですー。わかりますかー。帰宅っすー。おうちにー、かえりますー」
「貴様儂を馬鹿にしとるのか」出現物の磯田はかんかんになった声で怒鳴った。「ぶん殴るぞこの野郎」
「あーいえいえそんなつもりじゃないですすいません」結城は手をぶんぶんと振り大声で詫びを入れた。「失礼しました」
「失礼にも程がある。無礼千万じゃ」出現物の磯田はまた怒鳴った。「そんな態度で物を訊ねられて、答える者がおるか。馬鹿たれ」
「すいませんでしたあ」結城は頭を深く下げながら叫んだ。
「そんな簡単な言葉で謝ったうちに入るか。馬鹿たれ」出現物の磯田は繰り返し怒鳴った。「正しい日本語で正式に謝罪しろ」
「正しい日本語で」結城が頭を下げたまま復唱し、
「正式に謝罪」時中が復唱し、
「そうすれば昇降機の場所を教えていただけるのでしょうか」本原が確認した。
「おう、いいだろう」出現物の磯田は請け負った。「ちゃんと正しく謝ることができたら、昇降機のある場所を教えてやろう」
「本当すか」結城ががばっと起き上がって叫び、
「本当か」時中が呟き、
「本当なのですか」本原が確認した。
「ああ。嘘は言わん」出現物の磯田は再度請け負った。「だがきちんと謝罪しない限り、お前たちをここから出すことは出来ん。よし、五分待つ。きちんとした言葉、正しい敬語、ぴしっとした姿勢、態度。そういうものが全部完璧に揃った、心のこもった謝罪をせい。わかったな」そして出現物の声はそれきり途絶えた。
「うひー」結城が頭頂に両手を置き嘆いた。「条件厳しいなまた」
「しかし考えてみれば、これで漸くここから出られる事が保証されたという事だ」時中が顎に指を当てる。
「後は正しい言葉ときちんとした態度で謝りさえすればいいだけという事でしょうか」本原が確認する。

「依代、か」ぽつんと呟いたのは、天津だった。
「ん?」酒林が訊き返す。
「はは」天津は、声だけながらも気弱げに笑った。「なくなってみると、不便な感じがするよね」
「ああ……うん」酒林も、苦笑まじりに同調する。「最初は、あれだったのに、な」
「ははは」天津はまた笑う。「抵抗あったよね」
「だな」酒林は声だけながら頷く。「何この、うねうね動く奴! とかね」
「言える」大山が割り込む。「でも今となってはもう、ね」
「なくてはならぬもの、と化しているな」石上も同意を示す。
「慣れって、怖いっすね」住吉も言う。「もしかして俺ら……」
「ん?」酒林が訊く。「俺ら、何」
「人間化、しかけてたりして」住吉が続きを言う。
 神たちは一斉に笑ったが、すぐにそれは止んだ。
「哀しい」呟いたのは、木之花だった。「といえば、哀しいのかも知れないわね」
「咲ちゃん」天津が呼びかける。
「あたし達が最初に目指していたものは、とっくに手に入ったっていうのにね……今この場では、それは何の役にも立たないなんて」
 神たちは、しばし誰も反論できずにいた。この地球において、彼らが手に入れようと最初に目論んだもの――確かにそれは、洞窟の中に持ち込むことすらできないのだった。あれほどまでに、神たちが焦がれ求めた、何よりも心鎮まる依代であるのに。
「俺らは、いつになったら“あの依代”の中に納まって、ゆっくりのんびり寛ぐことができるのかね」大山が言った。
 神たちは皆一斉に、ふう、と溜息をついた。 

「正しい言葉って、何なんだろ」結城が、頭の上に両腕を組み合わせて乗せ、他の二人に目を向け問う。「昔風かな? 何々奉り、とか、何々ゆえ、とか使う感じのかな」
「何々せしむとかも言うのでしょうか」本原が問う。
「そうだね。あと、何々しぬる、とか」結城が答える。
「しぬれども、とかも言うのでしょうか」本原がさらに問う。
「うわー活用形難しいな。申し訳、ござりませぬるん」結城が例を挙げる。
「何だその卑猥な謝り方は」時中が批判的質問をする。
「古式ゆかしい謝り方だよ。申し訳ござりませぬるるん」結城が再度例を挙げる。
「何のローションだ」時中が再度批判的質問をする。

「俺達は、のんびりと過ごしていた」か細い声が聞えた。

 三人ははっと息を呑み、それぞれ周囲を見回した。周囲には誰の姿もなかった。

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