5-11 Always By My Side
突然の告白がもたらした切ないムードから、普段の2人に戻った流雫と澪の前に、結奈と彩花が満面の笑みで戻ってきた。あと1分、澪の瞳が乾くのが遅ければ、また彩花に撃沈されかねない……そう思うと、少女は胸を撫で下ろした。
2人が赤いバックパックを開くと、所謂戦利品が入っている。今回は昨年末に実装された新キャラも含めたセットだったが、澪の最推しキャラ……ルナと名付けた美少女騎士……は含まれていなかった。
だから澪は見送ったが、ルナのグッズのセットなら2人と同じことをしているか、場合によっては年末にジャンボメッセまで行っていたかもしれない。そう思った澪は苦笑いを浮かべた。
秋葉原での用事は終わった。しかし、このまま別れるのも癪だから、と4人は駅前の和風カフェに入ることにした。初めての店だが、値段が手頃なのは有難い。
ランチタイムに差し掛かり、午後の後半戦に向けてエネルギー補給しようとする連中で混雑していたが、ウェイティングリストに名前を書くまでも無かった。
窓側のテーブル席で、抹茶ケーキと抹茶ラテを囲む4人。やはりカップル同士で隣り合わせになった。そして、結奈と彩花の目は流雫に集中した。
2人の中では、流雫に対しては高評価。しかし、如何せん同時にあまりにも会った回数が少な過ぎる、そして交わした言葉も少な過ぎる。それがネックだった。
2人にとって最も仲がよい同級生の恋人として、これからも流雫と会うことになるだろう。だから色々聞き出したかった。
流雫も最初は少し戸惑っていたが、少しずつ話し始めた。澪を通じて会うことが増えた時に、今のままなのも気まずいと思ったのか。それでも、重苦しい話は避けようとしていたし、2人もなるべく避けようとした。
だが、やはり楽しい話だけで遣り過ごすことはできなかった。自分のこと、そして澪とのこと……。経緯が経緯だけに重苦しくなる部分も有ったが、流雫は隠してはいけないと思い、隠さなかった。
それでも、同級生2人は流雫の話を真面目に聞いていた。流雫も、少しずつ2人に馴染もうとしていた。それが澪には、少し微笑ましく思える。
……福岡で夜景を見ながら、父親に話したように、この3人に生かされている……と澪は思っていた。何が有っても、3人は澪を見捨てない。だから澪も、3人を護りたい……そう思うと、澪は微笑みながら3人の様子を眺めていた。
和風カフェを出た4人は、秋葉原にいる用事も特に無いが、しかし何処に行くか迷っていた。
……大体、こう云う時の相場は流雫以外の3人だと池袋、そして流雫と澪は臨海副都心だった。結奈と彩花は、池袋でも秋葉原と似たようなことしかしないから、と臨海副都心まで行くことにした。
流雫は改札にスマートフォンを翳しながら、今日の秋葉原は何も起きなくて助かった、と思った。尤も、澪との間でちょっとした出来事は有ったが。
列車を乗り継ぎ、青海駅まで行くと、アフロディーテキャッスルへはペデストリアンデッキを通ってすぐ。アウトレットや色んなショップが入るこの施設は、流雫と澪の初対面の場所で、互いに誕生日プレゼントを選んだ場所でもある。
そのブレスレットは、2人が会う時は必ず着けていた。そう云う決まりにした覚えは無いが、無いと何だか落ち着かない。
年明け早々に始まった初売りで人出は多く、一部の店では入店制限が出るほどだった。エントランスに入ろうとすると、後ろから
「流雫くん!」
と声がした。名を呼ばれた少年は振り向きながら
「あれ?弥陀ヶ原さん?」
と、その声の主に呼び返す。弥陀ヶ原と呼ばれた男は流雫の左右を一瞥して
「おっと、今日はオールスターかい?」
と澪に言った。
若めの刑事が結奈と彩花に最後に会ったのは、10月の秋葉原でのことだ。そして彼にとってこの4人は、先輩刑事の一人娘を中心に、その恋人と同級生2人と云う感覚でいる。ただ、何故かは知らないが流雫からは兄のように慕われている。
「今年もよろしく……されない方がいいんだけどな、俺の場合」
と弥陀ヶ原は更に言った。
それは自虐でもなく、単に自分が刑事と云う立場だからだ。本来、何度も会うべきものではないし、仲よくなるべきものでもない。流雫は彼に懐いているが、それも本来は好ましいことではないのだ。
「弥陀ヶ原さんも休み?」
と問うた流雫に
「明日までな。それからは、また慌ただしい日々だ。だから明日は羽を伸ばすとして、今日色々買い物をな」
と答えた弥陀ヶ原は
「ところで流雫くん、突然だが君の冬休み中に河月に行きたいのだが、時間は有るかい?」
とシルバーヘアの少年に問い返す。流雫は何らかの事件のことだと思ったが、目を逸らすことはできない。
「まあ、何時でも」
とだけ答えた流雫に、弥陀ヶ原は3日後の昼前を指定する。彼のペンションまで迎えに行くらしい。
「気になることでも?」
と澪が問うと
「直接は無関係だろうが、ちょっとな」
と弥陀ヶ原は答え、流雫と澪に向けて言った。
「今年も、よろしく頼むよ。君たちにとっては不本意だろうが」
と少しだけ同情する口振りを見せた刑事に、彩花が言った。
「不本意に思ってるなら、今からのランチぐらい、奢ってあげてもいいのでは?」
先刻カフェには入ったが、小腹を満たした程度だった。それに、他人の金で飲食……そうなると別腹だ。
この4人で誰より大人しい……と思っていた少女の一言で、今から弥陀ヶ原が4人分の、遅めのランチを奢ると云う流れは避けられなくなった。尤も、そのうち2人は単なる便乗だが。
山梨からの男子高生と、東京の女子高生3人にとっては1年のスタートとしては最高だと思えたが、この刑事にとってはスタートから最悪だと思った。
レストランは生憎満席で、フードコートでランチを済ませた4人は弥陀ヶ原と別れた。本当に全員分を奢った弥陀ヶ原は、こう云うところが甘いと、改めてレシートを見ながら溜め息をつく。
ただ、こう云う形でも面識が有ると云うのは、何か有った時に彼女たちも少しは話しやすくなるから好都合……だと期待したい。しかし、やはり面識が無くなることが、刑事としては何より好ましい。
……フードコートでは、5人は2つのテーブルに分かれて座った。と云っても隣同士だが。弥陀ヶ原は2人掛けの席に、流雫と向かい合う形で座る。元日から仕事の話はなるべく避けたかったが、3日後に流雫に会う話を少しはしなければと思った。
その話の中身は、流雫が予想していた通りだった。昨年末の会見で触れられなかった事件に関することだった。直接は無関係だろうが、気になることが有る……恐らくは宗教的な側面か。
弥陀ヶ原は、面識が無くなる方が好ましいとは思っている反面、流雫の知識に期待していた。そして流雫も、自分の過去がもたらす知識がこんな形で多少なり役立つのなら、吝かではなかった。
立場も直接のベクトルも異なるが、2人が望むものは同じだった。そして、何度か2人きりで取調を受けているうちに、流雫は弥陀ヶ原に少し憧れるようになっていた。
何時だったか、取調の最中に弥陀ヶ原が冗談半分で警察に来ないかと誘った。流雫は弥陀ヶ原の下じゃなければいい、と戯けてみせたが、彼の下で働くのは悪くないと思っていた。それで澪を護れるのなら、平和な世界に手が届くのなら。
アウトレットを色々見て回った4人は、しかし結奈と彩花は別に行きたい場所が有るらしく、夕方前に別れた。流雫と澪は、もう少し遊んで別れることにした。
日本一の高さを誇るアフロディーテキャッスルの観覧車トーキョーホイールに、2人で乗るのは2回目だった。あの時は春の大型連休だったか。
係員がドアを閉めたゴンドラは、徐々に高度を上げていく。最高地点でもシブヤソラの半分ほどの高さしか無いが、都心から離れ東京湾を眼下に望む臨海副都心からの眺めは、やはり山梨に住む少年にとっては新鮮味が有る。特に河月は内陸だから、海が有る景色は格別だった。
そして澪が乗ったのは、流雫とだけではなかった。夢の中でとは云え、美桜と乗った。今目の前の恋人が見ているのと同じ景色に心を奪われていた彼女は、しかし自分の死を受け入れるしかないから笑うしかない……、と光を失った瞳で寂しく笑っていた。それが、澪の心に突き刺さっていた。
ゴンドラが頂上に差し掛かると、流雫は澪に顔を向け、言った。
「何か、澪の前で久々に笑えた気がする」
朝から日本橋に行って、秋葉原に行って、そしてこの臨海副都心にいる。秋葉原で笑えない話をしたことが、今は引っ掛かっていた。ただ、そのことを差し引いても楽しいことが多かった。
今日は、黒いショルダーバッグの底に入れた銃を出すことは無く、平和に帰れるだろうと思っていた。そして、こう云う日々が続いてほしいと何度も願う。
「あたしも、笑えた気がする」
と言った澪は微笑む。
クリスマスの日も4人でいて、それはそれで楽しかった。しかし今日の方が楽しいと思えた。そして次は、今日より更に楽しいと思える1日を過ごしたい。
「……あの2人にも、助けられたな」
と流雫は言う。澪は問うた。
「結奈と彩花のこと?」
「うん。澪に不意打ちする時の、無邪気な表情にね」
流雫は答える。
「っ……バカっ……」
ふと彩花が間接キスと言ったのを思い出した澪は、そう言ってまたも顔を真っ赤にした。そのリアクションに微笑む流雫は
「……ああやって3人が笑い合ってるのを見て、微笑ましかったし、羨ましかった。僕は笹平さんの手も黒薙の手も、振り払ってきたから……笑い合うってこと、澪と逢うまで忘れてたけど」
と言って、少しだけ寂しく微笑んだ。
美桜の死に向き合えないばかりに、その手を拒んで、それが2人との不協和音を生んだ。今更仲を戻す気は無いし、戻せるとは思っていない。
その事実に目を背けて、澪の献身に甘えているだけだ……と言われたとしても、文句は言えない。流雫はそう思っていた。
「だから、澪にもあの2人にも、生きてほしい、笑っていてほしい。……そう思うと、何か……」
「……色んなことが起きてるけど、だからって泣いてばかりいられない……。……そう思ったんだ」
一度言葉を切って、数秒間を空けて続けた流雫の言葉に澪は、
「結奈と彩花も……あたしにとっては大事だから」
と答える。何が有っても澪を見捨てない2人は、彼女にとっての救い、そして誇りだった。結奈と彩花、そして流雫がいる。だから生きていられる。……そして、記憶に宿る美桜も。
「だから2人のためにも、そして流雫のためにもあたしは……」
と言った澪は、胸の前で自分の手を握り締め、少し凜々しい顔付きで流雫を見る。流雫はそれに頷く。そしてその頼もしさに、シルバーヘアの少年は、だから2人も澪を慕うし、自分もそうなのだと思った。
……それに相応しくなければ。流雫はその正解に迷うとしても、そうありたいと願った。
ゴンドラが地上に戻ると、アフロディーテキャッスルを後にした2人は臨海プロムナード公園を通って台場の展望デッキに寄った。レインボーブリッジを中心とした対岸の景色は、最早見飽きた感は有る。しかし、やはり思い入れが強く、流雫は自然とこの場所を求めていた。
日没を迎え、空はオレンジからブルーブラックのグラデーションに染まり、やがて漆黒を纏い始める。
「今日、凄く楽しかった」
流雫は手摺りに背を預け、言った。
「でも、もう夜になると思うと……時間が経つのって早いわ……」
と手摺に腕を乗せて澪は返す。確かに、それだけが残念だった。しかし、だからこそ次が楽しみになる。
「……そうは言っても、夜空や夜景をいっしょに見られるなら、夜も悪くないよ」
と流雫は言った。
1年前までは、年に一度モノレールの車窓と飛行機の窓から見下ろすだけだった東京の夜の景色を、流雫は今、こうして最愛の人と眺めている。
星無き夜でも、星降る夜でも、地上からだろうと、展望台からだろうと、それはどうでもよかった。澪の瞳に映るのと同じ夜空を、同じ場所で見上げていられるなら。
「流雫」
澪は手摺りから離れながら少年の名を呼ぶと、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳に吸い寄せられるように体を預けた。目を閉じながら軽く差し出した唇が、流雫の唇に触れる。
「ん……っ……」
……最後に交わしたキスは、あの台風の日……澪の家を出る直前だった。これが最後にならないように、と少しの悲壮感を漂わせつつ。そして今、それは叶った。
両手の指を絡ませると、澪の左手と流雫の右手を飾る2人のブレスレットが重なり、微かに音を立てた。
「ん……んぅ……」
乾いた唇に伝わる熱が愛しいのは、寒いからではなく、今こうして2人が生きていることを、互いに感じられるからだった。
「っ……、ぁ……」
少し息苦しくなって唇が離れ、互いの息の音が聞こえる。コートのケープに包まれた澪の体が、淡い熱を帯びた。
……あの3月の日、この場所で澪は言った。
「……あたし、流雫の力になりたい」
と。その瞬間から、流雫と澪の今が始まった。
幾度となく生き死にの境界線に立たされて、それでも生き延びてきた。その度に泣き叫んで、2人が生きていることに安堵して。
だから、もう一度願った。このキスを最後にしないようにと。またこの場所で、こうしていられるようにと。