5-9 Silent Requiem
クリスマスが終わると、巷は一気に新年の準備に追われる。それも、洋風から和風へと180度変わるから、やはり日本はよく判らない国だ。和洋折衷と云うか、節操無しと云うか。
東京から帰ってきた2日後、流雫はホールセールストアでの年内最後の買い出しを済ませた後で、アウトレットに向かっていた。この居候するペンションを営む親戚、鐘釣夫妻が、2ヶ月近く前にオープンしたアウトレットに行きたいと言って、それに付き合うことになったのだ。
広い駐車場は半分ほどが埋まっていた。しかし、元日からの初売りセール……昨今では年末から売り始めている店も有るらしいが……が控えている。あのオープン直後以上に混雑するだろう。
高校生の流雫にとっては、靴や鞄や時計が安く手に入ることはメリットだが、初売りセールや福袋も見る限りめぼしいものが無く、行く必要は無い。……つまり、あの時の混雑に並ばなくて済む。
親戚夫妻にとっては、事実上年内最後の休息になる。3人で最初にレストランでパスタのランチを済ませた後、流雫は夫妻と離れ、別行動にした。2人の休日の邪魔をするのは悪いと思ったからだ。
黒いショルダーバッグを肩から提げた流雫は、1周動き回ってエントランス付近に戻ってきた。がら空きだったベンチの端に座り、ホットのレモネードが注がれた大きめの紙コップに口を付ける。
小物系でめぼしいものは無かったが、ペンションで使えそうなフライパンや圧力鍋の類は少し気になる。そう思っていたが、1人になると、クリスマスの夜に思ったことが頭を過る。
日本にいる理由、それは流雫の将来を見越した教育のため。それは表向きの理由でしかなく、澪も本当の理由を知らない。いや、澪は知らない方がいいだろう。ネガティブな理由でしかないからだ。
そう思っていると、後ろから
「宇奈月」
と声がした。何度も聞いたその声に振り向くと、ダウンジャケットを着た男がいる。
「黒薙……」
その名を呟く流雫の表情が、無意識に険しくなる。
「意外な場所で会ったな」
と言った同級生から目を背けながら、シルバーヘアの少年は
「……何だよ」
とだけ返す。あの渋谷で会った時の穏やかさを、流雫は忘れていたかのようだ。ただ、今日は何が目的なのか。
「渋谷の1件から、何も話してないからな」
と黒薙は言い、周囲を一瞥して隣に座る。……同級生らしき連中は、今は他にいない。
確かに、あれからもう1ヶ月近くが経つと云うのに、2人はあの日以降、一度も言葉を交わしていない。しかし、あの時と同じような穏やかさを漂わせている。
「……渋谷か……」
と流雫は呟く。逃れられない、と云う諦めの表情を滲ませた。
黒薙には目を合わせず、俯いたままで少年は言った。
「……あの時、一瞬美桜のこと……思い出した。人が死ぬって、あんなに呆気なくて、簡単で、……そう思うと、居たたまれなくて」
「だから、恐怖から逃げ切ろうと……必死だった」
溜め息で一度切って続けたその言葉を、茶化すこと無く聞いていた黒薙は問う。
「……お前、人を撃って怖くないのか?」
百戦錬磨に似た手際で、遠目ながら黒薙が見ている中で3人の犯人を仕留めた。そして、彼が人を撃つのも初めて見た。
その頼り無げな体付きからは想像し難い動きに黒薙は目を見張ったが、しかしそれが大きな疑問でもあった。
「怖い。撃っても撃たれるだろうし、正当防衛とは云え殺しかねない。でも、撃たなければ撃たれる。……死なない、殺されないためなら……、……撃つしかないんだ。何度でも、何度でもそうするしか……」
と流雫は言った。中性的な顔は寂しそうで、悲壮感に満ちていた。
ゆっくりと、しかしまるで、その一言一言を自分に刻み付けるように。既に深く刻まれているハズの言葉を、更に奥深くへと、抉るように。
「宇奈月……お前……」
黒薙は、言葉を切った流雫に、名前を呼ぶことしかできなかった。
悲壮感を強く漂わせる流雫に何か言いたかったが、続けられそうな言葉が出ない。
それが、美桜を失ったことを過ちだと思い、繰り返さないようにと思う流雫が辿り着いた答えなのだ、と黒薙は思った。
同時にあの時、慰霊碑の前で銃声に邪魔された言葉の続きを、笹平にはオフレコだと釘を刺した真実を、やはり流雫には言わなければならない。目を逸らしたままのシルバーヘアの少年を見ながら、同級生はそう覚悟を決める。
どんな表情をするのか、何と言うのか。……それで今彼が泣いたとしても、自分には慰めるだけの術は無い。世間体的には分が悪いが、どっちが大事なのか。
「宇奈……」
黒薙が話を切り出そうとした瞬間、流雫のスマートフォンから通知が鳴った。メッセンジャーアプリでも通話でもなく、トーキョーアタックに関するニュース速報だった。……何か大きな動きでも有ったのか?
流雫は立ち上がり、
「……僕は行くよ」
とだけ言い残し、温くなったレモネードを飲み干しながら去って行く。
「おい、宇奈月……!」
と黒薙は止めようとしたが、その声は彼の耳には届かない。
……悉く、運が悪い。そう黒薙は思った。
2人が拗れたのは、経緯はどうあれ黒薙の自業自得で、話す機会を逸しているのはその意味では仕方ない。しかし、流雫も彼の言葉を耳にする機会をこうして逃している。それも自ら。
トーキョーアタックから数日後に新学期が始まったが、その2日後、メッセンジャーアプリの同級生の連絡網から、宇奈月流雫と云う名前が消えた。まるで、欅平美桜の後を追うかのように。
笹平がそれに最初に気付き、何度か登録し直すように彼に迫ったが、結局今までそれに従っていない。
個人的に彼の直接の連絡先を知っているのは、河月創成高校の生徒では誰もいない。だから会う事でしか話をできない。
そして何より、あの連中の目を盗まなければ、黒薙は流雫に今最も言いたい……笹平にオフレコだと釘を刺した……事を言えない。だから学校では無理な話で、こう云う偶然を狙うしかない。
幸いなのは、河月市内で遊びに使えそうな商業施設は3箇所しか無いことだ。駅ビルとショッピングモール、そしてこのアウトレット。後は流雫が住んでいる場所の近く、河月湖。
会う場所は何となく絞れる。しかし、その時何処にいるかも判らなければ、流雫といる最中にあの連中に遭遇しても困る。難易度はあまりにも高い。
……1年以上前の流雫が、教室での存在感を殺してでも孤独を選びたかったことは判らなくもない。ただ、理由が理由とは云え、流雫はあまりにも周囲をシャットアウトし過ぎた。そして、周囲に付け入る隙を与えてしまった。
そして、たった今もスマートフォンの通知を理由に、話から逃れようとした。黒薙にはそう見えたが、強ち間違ってはいないだろう。
……黒薙は因縁を付けながらも何度も思ってきた、そして今この瞬間も。……流雫も自分自身も、たった一つの現実と正しく向き合うには、あまりにも弱過ぎたのだと。
自分が悪役に回ってみたが、結局それも、自分も向き合えていないことを突かれるのが怖かったからだ。自分が流雫に手を出している限り、同級生は手を出さない。それはシルバーの外ハネショートヘアの少年に対してだけでなく、黒いショートヘアの少年に対しても。
宇奈月流雫を一種の隠れ蓑にしようとしている……それが黒薙明生の最大の弱さだった。
……ただ、今となっては、何もかも遅過ぎる。俺は、あいつとどう決着を付けるべきなのか。そして、本当に欅平の死と向き合えるのか。黒薙は、自問自答を繰り返すだけだった。
1人取り残された形の少年は、アウトレットに着いてすぐ、流雫と会った。だから未だ、何処も見ていない。黒薙は人混みに紛れるべく、ベンチから立ち上がろうとする。しかし、
「黒薙くん」
と名前を呼び、近寄るロングヘアの少女がいた。
「笹平」
と名前を呼び返した黒薙に笹平は
「宇奈月くんと一緒だったわね。河月で珍しい」
と言った。
黒薙は、今のところ見られたのが笹平だけであることに胸を撫で下ろす。しかし、これが他の同級生だったとすれば、どう取り繕うべきなのか、正しい答えは出ない。
「偶然だ。呼び出すには術が無い。……ところで、何時からいた?」
の黒薙の問いに
「宇奈月くんが立ち上がったのが遠目に見えた。それだけよ」
と笹平は答え、問い返す。
「オフレコのこと?」
「……ああ。スマートフォンが鳴るなり、人の話を遮って去っていきやがった」
と答えた同級生に、笹平はスマートフォンをミントグリーンのポーチから取り出す。流雫と同じように届いたニュース速報の通知を開き、
「これね……」
と呟いた少女は、目の前の同級生に画面を向けて言った。
「話し相手が私だったとしても、宇奈月くんは同じことをしてるわ。通知がこれじゃね」
黒薙は画面を見つめ、納得した。……正しくは、納得せざるを得なかった。だが、それは今の自分たちの確執を打開する、救いの手になることを期待したかった。
流雫は一度人混みに紛れるが、すぐに脇へと避けてスマートフォンを取り出した。黒薙は何か言いたげだったが、それより通知が気になる。
ニュース速報の通知、ポップアップに表示された見出しは
「トーキョーアタック会見、今夜警視庁にて」
だった。
2ヶ月前の会見で、難民支援団体と政治家がクロだと断定され、粗方の詳細は出ていた。更にその進展が有ったのか。
そして、見出しにこそ書かれていないが、公には非公表となっている呼称を使えばトーキョーゲート……その更なる詳細に関しても、恐らくは。
その会見は、テレビだけでなくネットでも配信されるらしい。テロや凶悪事件だけがニュースではないが、それがあまりにも多い。特にテロは未だ社会を震撼させているだけに、取り上げられる頻度は必然的に高くなる。
語弊を招く言い方をすれば、既に見飽きた感は否めない。しかし、流雫は見逃してはいけないものだと思っていた。
「これで、全て解決してほしいけど……」
と流雫は呟いた。
それで美桜が浮かばれるのなら、今度こそ本当に吹っ切れる、美桜の死に正対できるハズ……そう思いたかった。
アウトレットを満喫した親戚夫婦と合流してペンションに帰った流雫は、すぐに日課の手伝いをこなす。ディナーの準備まで終えると、今日のうちにやるべき事が有ると断りを入れ、自分の部屋に閉じこもる。18時半のことだった。
タブレットPCで動画サイトを開くと、警視庁での会見の生中継が始まったところだった。流雫は、ルーズリーフと細書きサインペンを机に置いて、始まったばかりの会見に目を向ける。
30分ぐらい経って、澪からのメッセージが届いた。
「会見、見てる?」
「見てる」
流雫は打ち返す。澪は少し間を空けて送ってきた。
「……あまりに残酷過ぎて……」
不幸なことに、流雫と澪はその事件のほぼ全てに何故か遭遇し、時には犯人を撃ってきた。しかし、第三者からの報告を聞くと、改めて残酷な事件ばかりだったと思い知らされる。
「……大町も、被害者だったんだよな……」
流雫はルーズリーフに走り書きしながら、左手で打つ。そのメッセージに、澪は手が止まった。
……生前、大町と云う同級生は流雫と云う恋人をネタに澪を揶揄った。日本人らしくない男を選ぶ意味が有るのか、日本人の俺を選べと。
澪は結奈や彩花の眼前で一蹴したが、その後ジャンボメッセのゲームフェスで遭遇し、今度は隣にいた流雫に因縁を付け、再び一触即発の様相を呈した。
しかし、大町はそれから1週間後に父親を殺害され、自分も1ヶ月後自爆テロに遭った挙げ句、流雫の眼前で射殺されると云う不運に見舞われた。いや、不運で片付けられない。
それは、単に伊万里に運命を弄ばれただけだと言えた。尤も、流雫にとって運命と云う言葉は、語彙力の無さ故の不本意なフレーズでしかないが。
ただ、流雫が大町を看取ったあの日から、彼がその名を口に出したのは初めてだった。それだけ、その死も知らないところで抱えていたのだろう……と、澪は思った。
「ただ、これで誰もが報われる……救われると思いたい」
と送られたメッセージに、澪は頷く。そして、その誰もが……が誰のことを指しているのかも、澪には判っていた。
「……救われるよ、きっと」
と送った少女が最後に思い浮かべたのは、オッドアイの瞳を滲ませたままスマートフォンを見つめ、安堵の表情を浮かべているハズの少年だった。
……捜査は完全には終結していないが、今後は司法に舞台を移し、残る捜査を並行する形になる。その終結までには、更に10年は掛かるだろう。
その回答で締め括られた会見は3時間に及び、更に質疑応答が始まった。その質疑応答は90分で打ち切られたが、終わった頃には23時を回っていた。
トーキョーアタック……東京同時多発テロについては、2ヶ月前の会見で触れられた難民支援団体OFAと元政治家の伊万里雅治の関与を改めて強調した上で、その動機と詳細な手口が改めて公表された。
そして、初めてトーキョーゲートと云うキーワードも公にされた。改めて、トーキョーアタック後に発生した、OFAと伊万里が関与した事件の総称と定義された。
伊万里が、補欠選挙からの成り上がりで数ヶ月だけ、とは云え国会議員を務め、その在任中にも関与していたことで、政治スキャンダルの様相も孕む、と云う説明だった。
事実、この政治家の関与が判明して以降、日本政府への海外からの厳しい意見が増えている。右翼のレイシストを国政に据える国なのか、と。
一部は内政干渉だと反発しているが、一蹴することはできないし、だからと言って鵜呑みにもできない。
外交や契約の成功の本質は、双方がウィンウィンとなるための妥協であって、歩み寄りが見られない以上、収束は当分期待できない。それがこの会見を受けての専門家の意見だった。
そして、トーキョーゲートの定義によれば、具体的には、今年3月のアフロディーテキャッスル襲撃事件と地下鉄爆破テロ事件、5月の東京ジャンボメッセ襲撃事件、6月の秋葉原OFA本部ビル襲撃事件と東京中央国際空港ビジネスジェット機着陸失敗事故、7月の河月ショッピングモール自爆テロ事件、8月の秋葉原駅前青酸ガステロ事件と……東京中央国際空港襲撃事件が該当する。
更には、10月の福岡アジア国際空港自爆テロ事件とその直後の福岡暴動も、トーキョーゲートに組み込まれると言われていた。
福岡の事件は残党によるものとほぼ断定したが、未だ残党と思しき者が何処かに潜伏している可能性は有る。それに関しても早期の身柄確保に尽力する、として会見が終わった。
4時間半、流雫は時折澪からのメッセージを返しながら、会見を食い入るように見ていたことになる。ルーズリーフは4枚、表裏まで文字で埋まった。
……トーキョーアタック、そしてトーキョーゲートの解決。それがSNSのトレンドを支配していた。これで日本が平和になるのでは、と期待する声も有る。銃を持たなくて済むのでは、銃刀法の改正を撤回せよと云う意見も有った。
しかし流雫には、全く別の方向で引っ掛かることが1つだけ有った。
今の今まで、会見で一度も触れられてこなかったテロが1件だけ残っている。そして、それについて質疑応答でさえも触れられなかったし、SNSでもそうだった。
単にトーキョーゲートとは無関係なだけだろう、とは思う。だが、無関係だからこそ引っ掛かる。いっそのこと関係していれば、幾分気は楽だったが。
「……1つだけ引っ掛かる」
流雫は澪にメッセージを打つ。
「何?」
彼女からの返事は、20秒もしないうちに送られてくる。澪も彼の話に付き合う気だ。流雫は打った。
「……僕が初めて銃を撃った日……」
その一言に、澪は息が詰まる気がした。その日のことは澪も、鮮明に覚えている。
流雫……ルナが初めて銃を撃ち、夜中に澪……ミオにそのことを告白した2月のことだ。ミオは、ただ感情が何もかもごちゃ混ぜになって、何と言えばよいのか……それすら判らないルナを心配していた。
それが、ルナがミオを意識し始めた瞬間だった。互いに顔も声も、本当の名前すら知らない頃の話だった。
……流雫が通う高校、河月創成高校の目の前に建つ教会が、その入口に置かれた家具ぐらいの大きさの爆発物で爆破された。その一部始終を、授業中に外を見ていた流雫が気付いた。
学校も被爆すると思った彼だけは、机の下に隠れて無事だった。
しかし、彼の
「伏せて!!」
を聞かなかった他の生徒は、割れた窓ガラスなどで怪我を負った。
血を流しながら校舎裏のグラウンドへ避難する同級生の後ろで、銃を隠し持ってその後を追っていた流雫は、校舎の入口で銃を持った男と出会した。一部始終の唯一の目撃者であるシルバーヘアの少年を、口封じに殺そうとしていた……流雫はそう思った。
そして、校則を無視して持ち込んでいた銃を初めて撃ち、撃たれなくて……殺されなくて済んだ。
……あの時からだ。銃の重さやグリップの冷たさ、音や反動が感覚として残るようになったのは。自分の命を守るため、とは云え、犯人と言えど人間を撃ち、場合によっては殺しかねないと云う、一種の矛盾に苛まれた。あの日のことは、或る意味どの事件よりも忘れられない。
「……トーキョーアタック、トーキョーゲートは解明された。ただ、あの2月の教会爆破には何も触れていなかった」
と入力ボックスに入れた流雫は、深い溜め息をついた。
「完全に別の、宗教問題……」
と、流雫はディスプレイを見ながら呟いた。……厄介なことになる、と思った。
流雫からのメッセージに、澪は思わず唇を噛む。
……トーキョーゲートを除けば、渋谷のテロと教会爆破だけが別件として残る。渋谷のテロも、予備の弾を何故持てたのか、その謎は未だ解明されていない時点で不可解だが、教会爆破は一言で言えば不気味だった。
……宗教問題のテロが、日本で、約30年ぶりに勃発した?本当にそうなら、それは新たな脅威だった。だから、やはり銃を持たなくて済むのは当分先の話……。
何か楽しい話題に逃れたい。しかし、既に初詣に流雫を誘う話は昨夜済ませた。例のお祓いもセットで、流雫の予定が元日に1件埋まった。そして今日は、今彼が抱える感情に勝るだけのネタが無い。
昔は、他愛ない話題でも十分楽しめたのに。つまらない、とは思わないが、それだけ色々なことが起き過ぎて、2人揃って感情を少しずつ殺されている……と、澪は思った。
眠気に襲われれば、この重苦しい時間から逃れられる。とは思ったが、如何せん目と頭が冴えている。質疑応答の直前に摂取したカフェイン……それだけが犯人ではないことは判りきっていた。
2人がスマートフォンを机に置いて、ベッドに潜ったのは1時前。流雫は毎日ペンションでモーニングの準備をするから、7時には起きている。流石に眠れないからとメッセージを送って、起こすワケにもいかない。
そう思った澪は目を閉じて、ひたすら元日の楽しみを妄想した。
……恐らく、結奈と彩花は初詣の後、お年玉を握り締めて秋葉原に行く。臨海副都心で開かれる年末の大規模オタク向けイベントで先行販売される、あのパズルRPGゲームの限定グッズの店頭販売分を買い漁る。
最推しキャラに恋人の名前を付ける時点で、澪も或る意味似たようなものだが、その様子に軽く唖然とした後は、正月らしく和風カフェで一息つきたい。
流雫は流石に日帰りだが、夜は遅くても構わないらしい。ダブルデートの様相を呈した初詣は長時間楽しめそう。いや、この靄を抱えている分だけ絶対に楽しむ。
そう思うと、次第に眠気が襲ってきた。後はこのまま飲まれるだけだ。
流雫はベッドに潜ってみたものの、眠れる様子は微塵も無かった。
トーキョーゲートでの実行犯は、その殆どは語弊を招く言い方をすると、秘密裏に輸入した不法難民を使い捨ての駒としてテロに投入したものだった。危険な難民は日本から排除すべきだ、とする機運を高めるために。流雫が以前指摘していた、マッチポンプと云う手口が当たっていた。
そして、澪の同級生だった大町の父親、大町政挙が経営していた帝都通商が、裏ではOFAと伊万里に乗っ取られ、銃の密輸と関連企業を使った銃の密造を行っていた事実も明るみに出た。
大町の父はOFA本部ビル襲撃事件で殺害されたが、その直後に代表取締役に就任した有田敏生は、自身が操縦するビジネスジェットで着陸失敗事故を起こして死亡した。
そのビジネスジェットは皮肉にも、トーキョーアタックの日に流雫が乗っていたシエルフランス機の着陸をやり直させた……だから流雫はトーキョーアタックに遭遇したのだが……原因だった。
空港上空を襲った、ダウンバーストと云う局地的な下降気流の中で着陸を強行した結果だと思われていた。間違ってはいないが、しかし直接的には墜落直前にドローンがエンジンに衝突したことが原因だったと、7月の時点で明らかになっている。
片方のエンジンを、出力が低く非常に不安定な状態の着陸体勢で失ったことで失速し、ダウンバーストがトドメを刺した。
そのドローンも、OFAが帝都通商を通じて手配し、改造したものだった。そして大町と有田の殺害動機は、この難民支援団体が乗っ取った貿易商社を使ってやりたい放題だったことに対する、苦言への制裁目的だったことが今回、明らかになった。
また、3月のアフロディーテキャッスルや、5月のジャンボメッセでの事件でも、実行犯や警備員に成り済ました共犯者など、その全てがOFAによって入国を果たした連中だった。それは、正規の難民支援団体と云う実績を隠れ蓑とした前代未聞の手口だった。
更に、その黒幕だった伊万里の国政進出は補欠選挙だったが、そのきっかけとなった同選挙区出身の元幹事長殺害も、これもOFAが全面的に関与していた。
テロと云う武力行為に出てでも、己の政治思想の実現を目論み、挙げ句政敵を殺害してまで国政進出を果たしたと云うのは、日本政府にとってWW2以降最大の失態だと、海外メディアから総批判されることになった。
その報道ぶりは、母アスタナからも聞かされるし、流雫自身もフランス発の動画ニュースを見て、知っていた。
元々、銃刀法改正以前にも犯罪は凶悪化の一途を辿り、自衛のためのライフハック的なものが回っていたが、トーキョーアタックを機に銃の所持の必要性が唱えられるようになった。
その元凶が解決した以上、テロ対策のために再編成が進められる特殊武装隊の配備の完了さえ待てば、銃は日本には不要だ。……その風潮も今後は高まる。との意見も、その手の専門家からは聞かれた。
流雫は、積極的に持ちたいと云うワケではない。それは1年前から何も変わっていない。しかし、トーキョーゲート以外にも凶悪事件は起きている。
物理攻撃の弱さを指摘されれば反論できないが、銃を使うことでしか死なない、殺されないことを叶えられないのなら、持つしかない。使わないことに越したことはなく、使わなくて済むことを願いながら。
澪も、思うことは同じだった。刑事の娘として、銃にどう向き合うべきか悩み、苦しんでいた頃にルナと知り合った。そして、今も前ほどではないが、ふとした時に思う。それでも、何度も犯人を撃ったからこそ、生きていられると云う事実から目を背けることはできない。
持たないことに越したことはない、しかし持っていなければ生き延びることができないのなら、持つと云う選択肢が残されている以上は、持つしかない。それが銃でなく刀やSFのようなレーザー銃だったとしても、答えは変わらなかっただろう。
社会悪だが、必要悪。昔のように銃を持てなくなる日まで、持ち続ける。それで、自分が死なないなら、最愛の人を殺されなくて済むのなら。……遺されて、泣かなくて済むのなら。
流雫は薄れる意識の最後に、少しだけ美桜を呼んだ。
「……美桜……」
とだけ囁いた流雫の脳裏で、懐かしい少女がふと笑った気がした。