鉄道中心の都市計画は制度疲労が甚だしい
電車について、小説を一本書いた。
利便性を感じるよりも、朝夕のラッシュの凄まじさをまず考える。
駅まで移動して、電車に乗るまでに長い階段を上り下りする。
駅近の物件が高騰し、デパートやスーパーも自然と駅近が繁盛する。
大都市は駅を中心に発展してきたといってもいい。
だが、自動運転車という、とんでもないものが実用化されようとしている。
もしこれが市場に現れたら、瞬く間に社会のインフラになるであろう。
なぜなら、サラリーマンが周りを気にせず安全に居眠りしながら通勤できるのだ。
スリに遭うことも、朝帰りの酔っ払いに絡まれることも、痴漢に遭うことも、
機嫌が悪い人に怒鳴られることも、人の圧力で骨折することも、
感染症の心配をする必要もないのである。
メリットを挙げればきりがない。
数百万円投資する価値は充分にある。
こんな夢のような話があるだろうか。
可能性として、自動運転車は安全だから車体を小型化できるはずだ。
そうなれば、道路をもっと有効に活用して交通渋滞も減らせる。
時代に合わないインフラは、心の病気を増やし、経済成長の障害になっていると思う。
メンタル不調になった人は、電車に乗れなくなるケースが少なくない。
裏を返せば、そのような人たちは電車に乗らない生活ができれば、メンタル不調にならないのではないだろうか。
少なくとも、鉄道中心の都市計画は制度疲労がはなはだしい。