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4-5 Tokyogate Scandal

 当初の予定より1時間以上遅れて、澪以外の修学旅行が始まった。澪は1人、オレンジ色の真新しいスーツケースを隣に置いて、空港の交番にいる。後処理や鑑識は始まったばかりで、また銃撃や自爆の影響で空港の機能にも多少なり影響を受けていた。
 流雫から届いた
「ミオ!?無事!?」
のメッセージには
「無事よ。夜また送るね」
とだけ返した。
 それは、今は頭の整理が追い付いていない……それ以上に、そのタイミングで警察官が目の前に座ったからだった。
 テロ絡みの事情聴取なんて、澪にとっては何度目だろうか。ただ、父やその後輩と云う2人の刑事がいないのは初めてのことだ。だからか、少し話しにくさは有った。
 東京から来た女子高生は、問われたことに淡々と答えるだけで、ものの30分ほどで終わった。その間、流雫があの日遭遇したトーキョーアタックも、こんな感じだったのか……と思うと、何か居たたまれなくなる。
 そして、一つ思うことが有った。
 警察官は両親に連絡しようとし、澪は父の仕事用の携帯電話の番号を教える。警察官が固定電話の受話器を手にし、その番号を押した。電話が繋がると、警察官は名乗った上で事情を軽く伝えた。その表情が少し変わったが、何となくの理由は判った。
 「澪、無事か」
受話器を受け取った澪に伝えられたその第一声に、彼女は
「誰の娘だと思ってるの?」
と何時もの減らず口で答える。それに安堵した父、常願は
「ならいいが。……そっちの警官には全て話したか?」
と問うた。澪は
「話したわ。ただ……」
と答えつつも、言葉を切った。……言っていいのか。
 「何だ?」
と父が問うと、少女は意を決して言った。
「思い過ごしだといいけど……。……トーキョーゲートとは無関係……とは思えなくて。何となくだけど……」
「……それはそっちの捜査で明らかになる。お前の領域じゃない」
と娘を諭した後で言う。
 「……今からでも間に合う、存分に楽しんでこい。……美雪には?」
「これから。……じゃあ、また連絡するね」
と答えた娘に、父は釘を刺した。
「待て。……その単語は口に出すな。一般的には知られていないからな」
「……判ったわ」
と返事をした澪から受話器を渡された警官は、その相手と少し話して受話器を下ろすと、目を丸くした。
「まさか、警視庁の刑事の娘だったとは……それならそうと」
「父の職業、問われてなかったもので」
澪は淡々と答える。警察官は少し呆れ顔で、今度は室堂家の電話番号を押した。

 トーキョーゲート。それは、トーキョーアタックに関連すると見られる一連のテロ事件の総称。
 警視庁の会見が開かれた先週の金曜日に生まれた言葉で、捜査関係者を中心に警察内部でしか通じていない。恐らく、直接の関係者以外でこの単語を知っているのは、室堂澪だけだ。
 澪は昨日の夜、父親から知らされた。美味い日本酒と妻が手掛けた肴がもたらす上質な酔いにやられたか、思わず口を滑らせたことに娘が反応した。
 1970年代にアメリカで発生し、時の大統領が辞任する事態に至った巨大な政治スキャンダル、ウォーターゲート事件に因む。そのきっかけとなる、大統領選挙絡みの侵入事件が、首都ワシントンのウォーターゲートビルで起きたからウォーターゲート事件なのだが、今ではその名を捩って、特に首脳絡みの政治スキャンダルでゲートと付けられる。
 そして、トーキョーアタックとの関連を疑われるテロ事件は、首脳でこそないものの死亡した元国会議員による政治スキャンダルが引き起こしたものとして、トーキョーゲートと名付けられた。

 澪が交番を後にしたのは、それから更に15分後のことだった。今頃他の生徒は、少し早足で初日の予定を消化していることだろう。
 初日の宿は、百道と言われる海浜地区に建つホテルらしい。一行は市外の神社などを回り、それからホテルに向かうようだが、予定ではホテル到着は3時間後。その間、澪は教師から特に指示を受けていない。つまり、常識の範囲内なら自由だと澪は解釈した。
 ……ホテルで来月以降の遊びの予定を立てるために、手帳を持ってきていた澪は、何処かのファストフード屋に入ろうと思った。空腹を感じるが、体は固形物を拒否しているように思える。だからシェイクでも飲みながら、先刻のことを書き連ねようと思った。
 空港から繁華街まで、地下鉄1本で行ける。それは福岡と云う街の最大の特徴だった。そして澪が降りたのは、博多と云う駅だった。

 福岡と云う街は、天神と博多と云う近接する2つの地区がそれぞれ繁華街を形成している。そして、地下鉄が先に着く博多で降りることにした。
 東京から新幹線で西を目指す時、乗換無しで行ける限界が博多駅。福岡アジア国際空港と共に、九州の玄関口としての役割を担う。そして駅舎と一体を成す形で日本有数の規模を誇る駅ビルが建てられ、休日は特に買い物客で賑わう。
 その駅ビルに、博多の街を見下ろせるように整備された屋上が開放されているらしいが、修学旅行ではルートに含まれていない。ファストフード屋で時間を潰すのも勿体ないと思った澪は、折角だから行ってみようと決めた。

 駅ビルの雑貨屋に寄った澪は、掌ほどの大きさのノートを1冊手に入れた。手帳に思うことを書き連ねてみようと思ったが、遊び用の手帳に事件のことを書くのは気が引ける。だからそれ用に、安く小さいのが欲しかった。
 澪はエレベーターで屋上まで上がり、更に上の展望デッキを目指した。
 空港の影響で高さが抑えられた街並みがフラットに広がる。大通りの先には海やタワーが見えるが、反対方向は空港と、遠目には山が見える。低く、海と山が近い街と云うのが、澪から見た福岡市だった。
 相変わらずの曇り空だが、ダークブラウンのセミロングヘアをなびかせる風はやや冷たく、文字通り頭を冷やすにはちょうどよい。
 澪はスマートフォンを手にし、リアカメラを風景に向けた。
 流雫が写真を送ってきた、パリのトゥール・モンパルナス、流雫と2人で行ったシブヤソラ、夢の中で美桜と行った首都タワー……そのどれよりも高さは桁違いに低いが、問題は高さではなく、その景色だ。この低い景色も悪くない。尤も、結奈や彩花、そして流雫となら桁違いに楽しいものになることは間違いないが。
 何枚か写真を撮りながら、澪は漸く自分が落ち着きを取り戻したことに気付く。
「……何やってるんだろ……、あたし……」
そう呟いた少女は、しかしこのデッキにはベンチが無く、奥の少し高くなった段に座った。2段上には、シブヤソラで流雫が立っていたようなジオコンパスが埋まっている。
 ……流雫はトーキョーアタックの日、飛行機が遅れたからテロに遭遇した。そして澪も今日、飛行機が遅れたからテロに遭遇した。しかも、秋葉原のテロは僅か2日前の話だ。
 悉く運に見放されている、としか思えなかった。しかし、本当に見放されているなら、とっくに死んでいたって不思議ではない。生き延びていること自体、未だ見放されていない証左なのか。
 ただ同時に、それは流雫のかつての恋人に護られているからだ、と澪は思った。あの台風に見舞われた空港でも、一昨日の秋葉原でも。……最早偶然とは呼べない。
 空を映す視界が滲みそうになるのを感じた。澪は思わず俯き、数秒だけ目を閉じると腕時計に目線を落とした。
 流雫が学校から帰り始めるのは、約1時間後。その頃に連絡しようと思い、
「……書かなきゃ……」
と呟き、ノートを開いた。

 午後の授業は、やはり退屈だった。早く放課後になってほしい、と思いつつ、流雫は満点だった英語の試験の解説を聞き流していた。福岡と云う河月から900キロ近く離れた地で、一体何が起きているのか、気になっていた。
 最後の授業が終わると、そのままホームルームになり、放課後を迎えた。流雫が鞄を手にしたタイミングで、スマートフォンが鳴る。澪からの着信だった。流雫は教室から出ると同時に、通話ボタンを押した。
「澪?」
「……あたしは無事。……だけど……やっぱり怖い……」
スピーカーから聞こえるのは、澪の弱々しい第一声。流雫は彼女が無事であることに一瞬だけ安堵したが、すぐ眉間に皺を寄せる。……怖い?まさか。
「……まさか、澪……」
 「……自爆の現場、見ちゃって……」
流雫の言葉に被せた澪の告白に、流雫は一瞬青ざめる。見た……!?
「見たって……え……?」
「空港で銃撃が起きて、それから……爆発音がして振り向くと……火と血が……」
と言った澪は、しかしあの光景を思い出して一瞬胃酸が逆流するような感覚を覚え、一呼吸置いて続けた。
「……流雫が、あの時空港で何を見たのか……少しだけ判ったような、気がする……」
その声に、何か少しでも話題を変えさせたいと思った流雫は問うた。今の澪には、ダメージが大き過ぎるから。
 「……でも、今修学旅行中じゃ?」
「……あたしだけ事情聴取で外されちゃって。だけどそれも終わって、ホテルで合流する時間まで1人別行動。だから今、博多ってところで休んでる」
流雫の問いにそう答えた澪は、周囲を見回して誰もいないことが判ると、スマートフォンのマイクを口元に押し付け、呟くように言った。
 「……トーキョーゲート」
流雫は初めて耳にする単語に、頭が痺れる感覚がした。思わず、駐輪場へ向かう足を止める。
 「トーキョー……何それ?」
そう問うた流雫に、澪は答える。
「トーキョーアタックに関連してるらしいテロ事件の総称。公には出すなって父からは口止めされてるけど……流雫には言っちゃった」
その語尾に、少しだけ普段の澪が戻ってきたように流雫には思えた。
 「だからTGと略すわね」
と前置きした澪は言った。
「……今日のも、もしかするとTGじゃないか……そう思ってる」
「……ちょっと待って」
と澪に被せた流雫は、スマートフォンを握り締めて階段を駆け下りた。校舎内でこのテの話は都合が悪かった。周囲の目が、と云うよりはトピックがあまりにも生々し過ぎる。
 駐輪場まで出た流雫は
「……どうして?」
と改めて問うた。
「……此処が福岡だから」
その澪の答えに、流雫は
「福岡だから?」
と問い返したが、澪は
「……あの政治家、地元何処だったっけ?」
と更に問い返した。流雫は答えた。
「伊万里は……確か佐賀」

 伊万里雅治。トーキョーアタックに端を発するトーキョーゲートの黒幕で、4月の補欠選挙で国政に進出した。8月の解散総選挙で落選し、その2週間後……東京中央国際空港で澪に撃たれた。
 流雫を威嚇して発砲したが、彼のすぐ脇を狙ったことで正当防衛だと思った少年に腹部を撃たれた。しかし、防弾ベストを着ていて無事だった伊万里は、それへの正当防衛だと言って2人へ銃口を向けた。
 正しくは、体を寄せ合うように構える2人のどっちに、この政治家が銃口を向けていたかは判らない。ただ、大きな銃口が自分に向いたことで、少なからず殺されると思った澪に撃たれた。無防備だった太腿に6発の銃弾を受けた伊万里は、その場で常願と弥陀ヶ原に手錠を掛けられた。
 ……澪はこの時、初めて引き金を引いた。そして流雫に抱かれながら、泣き叫んだ。今まで、彼が銃を撃った後、どんな思いをしていたのか思い知らされた。
 伊万里は撃たれた足の手術で、1ヶ月入院した。そして迎えた退院日、病院の入口で報道陣の面前で背中を5発撃たれ、死亡した。その時の犯人は、その直後に伊万里を撃った銃で自殺したが、一言で言えば伊万里の手下だった。
 あの空港で、澪を殺して自殺した……咄嗟のシナリオを演じた流雫に伊万里が放った
「哀れな結末よな」
が、1ヶ月後に特大ブーメランとなって心臓に突き刺さった形だった。

 「……福岡は隣の県、でも街の規模や人の流れは桁違い。テロに、社会に対するメッセージ性を持たせるなら、福岡の方が断然効率的……。……もしそうなら……」
と、シルバーのボールペンで色々書いたノートを開いたまま澪は言ったが、自分で言っていて怖ろしくなる。
「ただ、地元の支持者が……と云っても、そのために自爆はやり過ぎだ……」
と流雫は否定する。……否定したかった。
 ……罷りなりにも、一度だけながら当選して国政進出を果たした男だ。地元の支持者は一定数いることになる。それらが支援しているとすれば……。
 ……現実は理想論で語れるほど甘くない事を、流雫は痛いほど思い知らされていた。そして今この場で思いつく限り最悪の展開を、少年は一呼吸置いて語った。
「……だけど、実行犯に仕立て上げた難民が残っているなら、使わないテは無い。……伊万里を今でも支持する連中が、同じような手口を使っているのなら、福岡でテロを起こして難民排斥、偉大なる日本の機運をもう一度……」
「でも、残ってるって……」
と澪は疑問を口にする。それに流雫は
 「OFAが確保した難民は入国記録も無く、何処に住む誰かも判らない、言い方は悪いが正体不明なんだ。……支持者や支援者に金さえ有れば、匿うなんて簡単だと思う」
と言いながら、他の生徒に話を聞かれないよう、駐輪場の端に寄った。その直後、数十人が各々の自転車へ向かって歩いてくる。
 「……未だ終わらないのかよ……」
流雫は思わず、苛立ちの言葉を吐く。それは澪も同じだった。
 ……テロの抑止力として整備された特殊武装隊でも警察官でもなく、単なる高校生の2人は、何度も死と隣り合わせの場面に遭遇してきた。トーキョーゲートと云う呼称で一括りにされたテロ事件で、銃を握った。正義のヒーローやヒロインになりたいワケではなく、ただ自分が死なないために、そして愛する人を殺されないためだけに。
 そうして今まで生き延びてきて、漸くトーキョーアタックやトーキョーゲートの真実が解明される、完全に収束すると期待していた。だが、それが砂の城のように崩れていく感覚に襲われた。
 澪は左腕に着けた腕時計を見る。あと1時間で一行はホテルに着く。それに間に合うようにしなければ。
「……流雫、あたし、そろそろホテルに行かないと」
「あ、……澪。……気を付けてね」
「……うん!」
流雫の言葉に澪は少し微笑みながら、通話を切る。
 スマートフォンを握ったまま、流雫は呟いた。
「またかよ……」
 ……自分で言っていて、今更怖ろしくなる。単なる妄想の域を超えなければよかったが、しかしそれは今まで悉く裏切られてきた。だから、これも妄想で終わるとは思えなかった。
 流雫は、最後に気を付けてとしか言えなかった自分に溜め息をついた。もう少し、何か気が利いたことを言えればよかったが、何故言えなかったのか。
 ……わざわざ、その一言だけをメッセージで送るワケにもいかない。今はただ、4日後に澪が無事東京に帰ってくることを願うだけだ。
 流雫は気を取り直し、自分のロードバイクに向かって歩いた。

 ノートを閉じた澪は、流雫に先刻撮った写真を送るとミルクティーが入ったペットボトルのキャップを開ける。
 あの事件の直前に手に入れたが、あれから3時間以上が経っていて、ホットを選んだのにとっくに常温になっていた。ただ、最後に飲み物を口にしたのは結局、4時間以上前の機内サービスのホットコーヒーだった。
 唇が乾き、飲めれば何でもよくなっていた澪は、空港の惨劇を紛らわせるかのようにミルクティーを一気に飲み干し、駅ビルの屋上を後にした。
 今日の宿泊先が有る百道地区へは、地下鉄よりバスの方が便利らしい。博多駅前からバスに乗った澪は、スマートフォンのニュースを開いていた。
 ……あれから4時間も経っていないから、仕方ないのかもしれないが、やはり犯行声明も無い。それどころか、犯人の身元も特定できていない。
 流雫が言っていたことが全て正しければ、DNA鑑定でも特定は不可能だろう。やはり、彼が苛立ち混じりに
「……未だ終わらないのかよ……」
と吐いたように、トーキョーゲートは終わっていなかったのか……。そして、何時まで続くのか……。
 そう思いながら目を閉じると同時に、車内放送が次のバス停が目的地の最寄りだと知らせる。少しだけでも休息が欲しかった澪は仕方なく目を開け、降車ボタンを押した。

 百道。玄界灘に面し、人工の砂浜と公園が整備されている。その手前には福岡海浜タワーと云う三角柱のようなタワーが建ち、少し離れた場所には大きなドーム球場と商業施設が有る。博多や天神のような、空港に近い故の建物の高さ制限には触れないため、タワーの高さが特に目立つ。とは云え、距離が有るからか博多駅の屋上からは小さく見えただけだった。
 バスを降りて少し歩くと、ホテルに着く。九州ドームと呼ばれるドーム球場とは細い道路で隔てられたビジネスホテルだが、今日は修学旅行のために貸切らしい。
 澪が着いた5分後、ホテルの前に5台のバスが並んで止まる。1号車から最初に降りたのは、結奈と彩花だった。
「澪!」
結奈は真っ先に彼女の名を呼ぶ。彩花もそれに続いた。
「もう普段の澪に戻ったわね」
「どうにかね。……事情聴取もすぐ終わったから、物理的に頭を冷やしてきたわ」
そう言った澪は、博多駅の屋上で撮った写真を見せる。
 「何だかんだで1人でも満喫してるっぽいね」
と言った結奈に澪は
「とは云え、やっぱ3人じゃないと」
と返す。そこに彩花が
「澪が誰よりもいてほしいのは、流雫くんだけどね」
と被せると、澪は頬を真っ赤にした。……間違っていないのだが、だが……この不意打ちは想定していなかった。いや、単にそのテの話で突かれることへの耐性が無いだけだ。
 「彩花、澪、行くよ。今からチェックインだってさ」
と言った結奈は、内心澪の反応を面白がっていた。そして、3人の修学旅行のリスタートが今この瞬間に切られたことを喜んでいた。後は金曜日まで、今日のことを忘れるぐらい楽しむ、それだけだ。

 ホテルの部屋は、男女をフロアで分けた都合で、女子は基本的に上階の2人部屋が割り当てられたが、澪だけは1人部屋を通された。結奈と彩花の2人部屋は隣だ。
 しかし、今の澪には寧ろ、1人部屋は好都合だったと思った。尤も、夜は寝るまで2人の部屋で遊んでいるに違いないが。
 九州は各県の県庁所在地が散らばっている。それ故、整備された高速道路網を駆使しても、次の街まで早くても1時間半から2時間は掛かる。その間に寝ていても問題無いから、夜更かしもできる。
 ビュッフェ形式のディナータイムまで2時間程度、近くの散策ができる。3人は福岡海浜タワーへ行くことにし、澪はスーツケースを部屋に置くと、3人と廊下で再合流した。

 他の生徒も70人ぐらい行くらしく、図らずも集団で数百メートルの距離を歩くことになった。3人はその最後尾を歩いていたが、澪は隣の天狗平に事情聴取の件を軽く話した。災難だったと言われたが、あれより災難だったことを経験しているだけに、慰めにもならなかったし、その期待もしていなかった。
 30年以上前に建設された福岡のシンボル、福岡海浜タワーは高さ234メートルで海に面しているタワーとしては日本一の高さ。その展望台は約半分の123メートルに位置する。
 時計は17時を示していた。東京より日の出と日の入りが1時間遅いため、この時間でも未だ明るい。東京だと既に日没だ。
 上空の雲は、結局1日中残っていた。それでも、遠景こそあまり楽しめないものの夜景は楽しめそうで、それだけは幸いだった。
 入場券を手に展望フロアまで上がると、東都学園の生徒は散り散りになった。
 海側の真下には都市高速道路が走り、そのオレンジ色のランプが海に沿って続く。その反対側には、福岡の中心部の低い街並みが広がる。
 澪は何枚か、その風景を撮る。結奈が
「流雫くんに見せるの?」
と問うと、
「当然」
と答えた澪は微笑む。……やはり、その表情が澪には何より似合っている。一緒にいる2人はそう思った。
「1ヶ月前に九州に修学旅行だったけど、色々有って行けなかったから、あたしがその代わり……なんてね」
澪は言った。
 彼が空港の……正確にはトーキョーゲート絡みの取調で行けなかったのは事実だが、それが無くても行かないことに決めていた。それは、澪とSNSでだが出逢って1年の節目、その日ばかりは澪に会いたかったからだ。取調は日程が偶然重なっただけだが、彼にはこの上なく好都合だった。
 「流雫くんも色々大変そうだよね、私たちが見てる限り」
彩花は言う。それが一昨日の秋葉原の件を指して言っている、と思った澪は
「あたしだけのヒーローだもん……この前だってそうだった」
と言い、街の中心部を遠い目で眺める。
 ……あの時、流雫の声に反応した後退りが1秒遅ければ、澪はボトル缶から撒かれた燃料を少なからず浴びていた。そして、流雫が犯人の懐に飛び込んで押し倒すのが1秒遅ければ、澪は火達磨になっていた。誰も消火する気は無く、その光景を面白がられていただろう。最愛の恋人がいたから、今澪はこうして生きている。
 ……流雫は臆病者じゃない。悲しい過去を背負い、それ故誰よりも命の重さを知る、あたしだけのヒーローだった。
 「流雫くんがヒーローなら、澪はヒロインだよね」
「そうそう」
彩花の言葉に結奈が相槌を打ち、彩花は更に続けた。
「だから、ヒロインだって時には休まないと……護れるものも護れないよ?護れなくて病むのは、目に見えてるんだから」
「……うん」
澪は頷く。……結局は其処に帰結するようだった。
 「……で、どうする?展望台、1周しちゃったけど」
結奈は話題を変える。彩花は周囲を見ながら
「下りる?みんなもホテルに戻るっぽいし」
と問う。澪は
「じゃあ、戻って少しゆっくりしよっかな」
と答え、今からの行動が決まった。

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