第51話 従業員って企業にとっての宝なんだよねそういえば
「見殺しにした?」時中が眉根を寄せて繰り帰した。「つまり、この業務上で命を落とした社員が過去にいた、ということですか」
「――」天津も酒林も、俯いてすぐに返答することができなかった。
「え、でもいつの話?」結城が時中を見て問う。「前にさ、そういうニュースは聞いたことがないから単なるリスクヘッジだろうとかって話、しなかったっけ」
「事件がもみ消されたという可能性もある」時中は低い声で言った。
「社員、ではありませんでした」天津は顔を上げ、ゆっくりと説明しはじめた。「確かに、我々の為に仕事を――今でいう“イベント”を執り行おうとしてくれた者たちが、命を落としたという過去は、ありました」
「まじすか」結城は目を見開いて天津を見た。「いつ?」
「もう、三百年前ぐらいになるのかな」酒林が拳で唇を押えながら答える。
「三百年前?」結城は引き続き目を見開いて酒林を見た。「そんな前からこの仕事ってやってたんすか」
「だけじゃねえだろが」スサノオは肩をすくめる。「千年前も、二千年前も、もっと前にも――てか“人類”に限らず言うなら、四十億年前からずっと見殺しにし続けて来てるだろ」
「え」結城が叫び、
「まあ」本原が溜息混じりに言い、
「四十億」時中が眉根を寄せ繰り返した。
「見殺しっていうな」酒林が怒った声で反論した。「俺らだって何も、最初から結果が予測できてたわけじゃない」
「けど確かに」天津が俯いたままで目を強く閉じる。「多くの命を失ったことは――スサノオの言う通りだ」
「一体、なんで」結城は茫然と天津を見て訊いた。
「――まあ、つまりは」酒林が声を絞り出して言う。「地球との“対話”が、その時点では……うまくいかなかった、ってことだな」
「――」新人たちは数秒の間言葉を失った。「つまり」時中が発言を再開する。「我々が今やっている業務の結果が、その時点でよくなかった為に」
「ぎゃっふー」本原が言った。
皆が本原に注目した。
「衝撃の事実を知ったので言いました」本原は無表情に解説する。
「え、地球との対話に失敗したって事すか」結城が質問を再開する。「それってつまり、地球が怒って俺らの先輩たちを飲み込んだってことすか」
「怒ったのかどうか、はわかりません」天津は首を振った。「言い方を替えるなら、まだ我々に地球の活動システムについての知識が充分でなかったという事ですね」
「では対話の内容が地球の気に入らない事だったわけではないということですか」時中が確認する。「我々の方に非はなかったと」
◇◆◇
――いつまで、そこにいるんだろう。
地球は比喩的にふとそう思った。いつまで、そこに――“そこ”というのは深海底、そのさらに下、海洋地殻の中に設えられた空洞の中だ。
――早く立ち去った方がいいんじゃないのか。
また、比喩的にふとそう思う。何しろその空洞のすぐ近くには、どろどろに融けた岩石、つまりマグマが存在している。
その空洞が今現在、どんな力で――誰の“神力”で存在を維持しているのかわからないが、誰の力にしたってそれを構成している物質は炭素と酸素と水素とケイ素、そんなものに違いはないはずだ。それがマグマの熱で温められたら、周りの地殻に含まれるイオン群と何かしらの化学反応を起こしてしまうだろうことは予測がつく。
その結果、空洞はどうなってしまうのか。それは実は地球自身にもわからなかった。今まで、対話のために設えられた空洞がこれほどまでに長く維持されているのを見たことがないからだ。この四十六億年間、いちども。
――もしかしたら、生命体が発生してしまうんじゃないか。
地球はふとそんなことまで思ってしまった。まさか、とすぐに打ち消す。しかし。
――マヨイガ……
その“出現物”は、一体どうやって“出現”したのか。
――まさかね……
地球にとってそれは想像の及ばぬ領域だった。“神の領域”だ。何しろ物理法則の効かない世界を取り仕切り統べるのは神の役目だ。
――いや……神の“趣味”なのかな?
どちらにしても。
――そろそろ、そこはひとまず引き上げた方がいいんじゃないのかな……
地球はもう一度そう思い、比喩的にふう、と溜息をついた。
◇◆◇
「非は」天津は答えようとしたが、時中の眼に眼を合わせることができなかった。「なかった、と……我々としてはそう思います」
「こっちがどう思っていても、向こうがそれを“非”だと感じたならそれは“非”になる」スサノオが付け足した。
「あー」結城が頷く。「パワハラとかと一緒すね」
「地球さまに対するパワハラですか」本原は結城に確認した。
「神は地球にパワハラをしたというのか」時中がまとめる。
「結果として地球側がそう取るなら、我々に何も言い訳することはできません」天津は敗北を宣言するかのようにうな垂れた。
「神は地球で、何がしたかったのですか」時中は天津に質問した。
その質問を聞いた神たちは、一瞬彫像のように固まった。
神たちだけでなく、その質問を聞いた地球もまた、一瞬比喩的に眼を見開いた。とはいえさすがに、地球のシステム稼動に一ミリたりとも影響を及ぼすことはなかった。
「それ、は」天津は言葉を濁らせ、酒林をちらりと見た。
「ごめん」酒林は新人たちに謝った。「今は、言えねえわ。部外者いるし……それも無神経にぺらぺら喋くりまくる奴が」スサノオを親指で指す。
「ああ?」スサノオが眼を細め酒林を睨む。
酒林はそっぽを向いたままだったが、矢庭にその二人を囲む空間の温度が上昇していくのが新人たちにも感じ取れた。
「うわ、まさかここでバトルモード突入すか」結城が本原の物真似のように口を手で押える。
「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて」天津が慌てて空気を押さえる。
「天津君」その時、木之花が天津を呼んだ。
「ん」天津が視線を上げすぐに答える。
酒林とスサノオもはっとした顔で天井を見、空気の温度は一挙に下がった。
「――何か、来たわ」木之花の声は、どこか茫然とした響きがあった。
「何か?」天津は訊き返し、酒林を見る。
「どした?」酒林も訊く。
「――」木之花はしばし答えられずにいた。
「咲ちゃん?」天津が真剣な表情になり呼び返す。「どうした」
「査定額が」木之花はやはり茫然と答えた。「届いた」
「――」天津と酒林もすぐに答えられなかった。「査定額? 何の――」だがすぐに二柱の神ははっと目を見交わした。
「どしたんすか」結城が天津と酒林を交互に見て訊く。「木之花さんすか」
「ぷっ」スサノオが吹き出し「ははははは」と愉快そうに笑う。
「何だよ」結城が口を尖らせて訊く。
「なるほど」スサノオは笑い続けながら答えた。「査定されたってよ、お前らが」
「え」結城が目を丸くし、
「我々が」時中が眉根を寄せ、
「まあ」本原が口を押える。
「どういうこと?」天津が木之花に訊く。「誰もそんなこと、発注してないよね」
「まさかスサノオ、お前か」酒林がスサノオを睨む。
「してねえよ何も」スサノオは機嫌を損ねた顔でぶすっと答える。
「詳細は?」天津がまた木之花に訊く。「何て言って来てるの、マヨイガ」
しばし間があった。
木之花が“詳細”を報せてくる。
「う」天津が声を詰らせ、
「うわ」酒林が仰天し、
「なにこれこの値段」スサノオが目を見開く。
「え、何すか」結城が首をきょろきょろさせ、
「どうだというんだ」時中が首を振り、
「お幾らなのですか」本原が頬を押える。
「おめでとうございます」スサノオが出し抜けに三人に向かってぺこりと頭を下げる。「君たち三人合わせて、天津の依代のざっと百三十倍の値段がつけられました」