相容れぬ者
教室に戻ると、そこには誰の姿もなかった。放課後、それぞれ思い思いの時間を過ごしているのだろう。夕食の時間までまだ時間があるし、これからどうしようかとアーニャは鞄に荷物を詰めながら考える。勉強したり鍛錬を積んだりするのもいいが、久しぶりに部活に顔を出そうかな。
(あ、図書室の本、借りたままだった。ヤバイ、また怒られる……)
「アーニャ」
「っ?」
しかし帰り支度を整え、借りたままだった本をパラパラと読んでいた時だった。誰もいないハズの教室に、自分の名を呼ぶ声が聞こえて来たのは。
「ラ、ライアン……?」
思わずビクリと肩を震わせ、勢いよく振り返れば、そこには険しい表情を浮かべたライアンの姿があった。ビックリした。お化けでも出たのかと思った。
「な、何よ、驚かせないでよ……」
お化けではなかった事にホッと胸を撫で下ろしながら、ムッとした目をライアンへと向ける。
するとライアンはゆっくりとアーニャに歩み寄り、その険しい眼差しで彼女を見下ろした。
「インフェルノって何だ?」
「え……?」
ライアンが口にしたその兵器の名に、アーニャは驚愕に目を見開く。何故、ライアンがその名を知っているのだろうか。
「駅前に出来たラーメン屋さんじゃないの? ルーカスがそう言っていたわよ」
「お前が言っているインフェルノは違うんじゃないのか?」
「……」
真っ直ぐに見つめて来るライアンに、アーニャは少し考える仕草を見せる。
確かにアーニャが言っているインフェルノはそれではない。なら、ライアンが言っている『インフェルノ』こそ、何なのだろうか。
「じゃあ、私が言っているインフェルノって、ライアンは何の事だと思っているの?」
「……」
その問いに、今度はライアンが口を噤む。まさかライアンは、兵器であるインフェルノについて、何か知っているのだろうか。
「先にオレの質問に答えろ」
久しぶりに見る威圧的なライアンに、アーニャは不機嫌そうに眉を顰める。前世では、ライアンのこの威圧的な態度は悲しかったし、怖かった。しかし彼に好意を抱いていない現世では、ライアンのこの威圧的な態度には苛立ちしか覚えない。
威圧的に睨み付けて来るライアンに向き直ると、アーニャは毅然とした態度で彼を睨み返した。
「シュラリア国の王家を壊滅させたとされる兵器よ」
はっきりとそう答えてやれば、ライアンの眉間に皺が寄る。やはりライアンが言っているインフェルノも、この兵器の事で間違いないようだ。
「どこで調べた?」
「私が必死に調べて手に入れた情報よ。あんたに教えてやる義理はないわ」
「忠告したハズだぞ。シュラリア国には明かされてはならない史実があり、それは危険だから研究する事自体が禁じられていると」
「ふうん。じゃあライアンは、インフェルノが研究する事自体が禁じられている史実だと思っているの?」
「それは……」
「何でそう思うのか、教えてもらってもいい?」
「……」
そう尋ねれば、ライアンは言葉を詰まらせる。
シュラリア国について研究してはならない史実がある。それは本当の事かもしれない。でもそれが何なのかなんて、誰にも分からないハズだ。
それなのに、ライアンはアーニャが『インフェルノ』について調べている事を知り、こうして物凄い剣幕で追求に来た。では何故、『インフェルノ』について調べているだけで、ライアンはこんなにも怒っているのか。
それはライアンが、何らかの真実を知っているからではないのだろうか。
「ライアン、あんた『明かされてはならない史実』が何だか知っているんじゃないの?」
「知っているわけないだろう」
「じゃあ、何で私がインフェルノを調べている事に、そんなに怒っているわけ? 何も知らないのであれば、それであんたが怒る理由がないわ」
「オレは心配しているんだ。それは兵器なんだろう? だったら明かされてはならない史実に該当する可能性がある。深く調べない方が良いと思うのは当然じゃないか」
「恩着せがましい言い方するのね。それよりも私は、あんたがインフェルノって聞いただけで血相を変えている事の方が疑問だわ。インフェルノは、歴史担当教師のファルシー先生ですら何だか分からなかった代物なのに。それなのにあんた、何でインフェルノが兵器だって知っているのよ?」
「それは、お前が今自分で兵器だと……」
「いいえ、私がそれを言う前に、あんたはそれが兵器である事を知っていた。だからそんなに険しい表情で、私に追求しに来たんじゃないの?」
「……」
「あんたこそ、どこでその情報手に入れたのよ?」
返答に言葉を詰まらせるライアンを、アーニャはギロリと睨み付けてやる。
インフェルノが兵器である事は、後世には伝わってはいない。それは書物にも載っていない事や、専門の教師でも知らない事から確認済みだ。それなのに何故ライアンは、インフェルノが兵器である事を知っているのだろう。
今を生きる人間誰もが知らない史実、それを知っている彼。考えられるのは……。
「ライアン、あんたもしかして……」
「知らないと言っているだろうッ!」
アーニャが全てを言う前に、ライアンはそう怒鳴り付ける事によってそれを遮る。
シンと気味の悪いくらいの静寂が、教室中を包み込んだ。
(結局は何も変わってない。前世でも現世でも、コイツはこうやって私を押さえ付けるんだわ)
はあ、と呆れたように溜め息を吐いてから。アーニャはライアンの体を押し退けた。
「じゃあもう、何も聞かない。その代わり私には関わらないで」
「アーニャ!」
鞄を取り、その場から立ち去ろうとするアーニャを呼び止める。
しかしそれでも立ち止まろうとしないアーニャの腕を掴むと、ライアンは力づくで引き止めた。
「痛いな、放してよ!」
「止めろと言っているだろう!」
「そうやって怒鳴り付ければ、いつまでも私が言う事聞いてると思ってんの? バカにしないで!」
「違う! オレは心配しているだけで……」
「何が心配よ! 私がどうなろうが、あんたには関係ないクセに!」
「っ!」
一瞬、ライアンが怯んだところで、アーニャはライアンの手を振り払う。
そうしてから、アーニャはギロリと鋭く彼を睨み付けた。
「もしもあんたが心配する通り、インフェルノを調べる事が危険な事なら、私はただでは済まないんでしょうね。でもそれが何? 万が一私に何かあったとしても、あんたには一切関係ないじゃない。私がどうなろうが、あんたには一切関係ないし、迷惑も掛からない。それなら、あんたに止められる筋合いなんかないわよ」
「か、関係ないわけないだろう! お前に何かあったら、心配するに決まっている!」
「迷惑よ」
「っ!」
もう一度掴もうとした腕をスルリと抜けて、アーニャはライアンの横をすり抜ける。
そして動揺に揺れるライアンの瞳を冷たく見据えると、アーニャは心無い言葉を彼に投げ付けた。
「あんたの想いは迷惑。二度と私に関わらないで」
「……っ」
今にも泣き出しそうなくらい、悲しげに揺れるライアンの瞳。
どこかで見た事があるようなその瞳を一瞥すると、アーニャは悲しそうなライアンをその場に残し、一人教室を後にした。