64 選帝の儀
「アーロン殿下。…先に、仮定の話をするご無礼を、お許し頂けますか」
一般的な貴族の姫君と、次元が違うと言った、
キャロルの話し方は、社交界の女性の話し方ではない。
政務に携わる者の、それだ。
「あ…ああ。もちろん、根拠もあるのだろう?」
「はい。謁見申請と併せてお見せした、書類の写しの話も加わります」
「ならば、是非もない。――聞こう」
キャロルは息を吸い、そして、アーロンやフォーサイスが、予想もしていなかった現実を、いきなり突きつけた。
「恐らく、このままですと――殿下はその晩餐会で、お命を落とされるか、幽閉されるか…いずれにせよ、失脚が避けられない状況に陥ってしまわれます。それと、フォーサイス将軍。同時に将軍も、3名いらっしゃる王子の内、誰に対して膝を折るのかと言う決断を、迫られる事になる筈です。将軍が膝を折った、それ自体が国内向けに、その王子が認められたと言う格好のアピールになりますから、そこが曖昧にやり過ごされる事は、まずないと思って下さい」
「な…⁉」
「アーロン殿下」
声をあげかけたフォーサイスを遮るように、キャロルは、無言で表情を険しくしたアーロンを、正面から見据えた。
「もともと〝選帝の儀〟で――指名された場合に、受けるお気持ちは、おありでしたか」
ディレクトア王国は、長子相続制ではない。
当代国王の即位から10年以内に、直系を中心に10歳以上の継承権所有者の中から、国王によって後継者が指名されるのが、
恐らくは来年あたりなのでは…と言うのが、周辺国もっぱらの噂だった。
「……それを他国の、それもたかだか近衛隊長に答える義務が、どこに?」
わざと、
「今なら、もれなくアデリシア殿下に反映されます」
むしろ市場の買い物のオマケみたいな気軽さで、アーロンの方が面食らった程である。
「……アデリシア殿下に?」
「地位でも
「………アデリシア殿下の地位と、頭脳を、君が、使う?」
一瞬、素の部分が出て、うっかり「君」呼ばわりをしていたアーロンだが、そこもキャロルは黙殺した。
「これから妃となる者の特権だそうです」
真顔で言い切られたアーロンは、キャロルの顔をしばらく注視した後――やがて、哄笑した。
「はははっ!そうか、婚約者の立場を利用して、ドレスや宝石ではなく、私と家族の命を買うか!」
滅多に見ないその姿に、キャロルよりもフォーサイスの方が驚いている。
「ア、アーロン殿下…?」
「買うのはアデリシア殿下ですよ、アーロン殿下。私は
人差し指を唇にあてて、ウインクするキャロルに、アーロンの哄笑は、しばらく続いた。
「な…るほど、レティシアが心酔する訳だ…っ」
目元に涙が滲むほど笑った後で、ようやくアーロンは姿勢を正して、表情を再び引き締めた。
「いいだろう、分かった。――〝選帝の儀〟で指名されたとして、受ける気があったのか
最後、やや踏み込んだ発言で、キャロルの顔を覗きこめば、キャロルは口元に満足そうな笑みを浮かべた。
「アーロン殿下のお気持ちは、確かに承りました。では――こちらのお話を、させて下さい」
キャロルは、写しの書類の内、マルメラーデ分はいったんロータスに預けて、ディレクトア分の書類のみを持って、この部屋を訪れていた。
ヤギ皮の封筒の中から取り出した書類を、アーロンの方へと差し出す。
「先にお見せした書類が、ディレクトアのベストラ侯爵家と、ルフトヴェークのヤルン侯爵家との間で、相場よりも遥かに高いライ麦取引が行なわれているって言う書類で…多分、それは誰かに聞いて、お分かり頂けたかと思うんですけど――その、続きです」
ベストラ侯爵家が、カラパイア公爵家と縁戚関係にある事。ヤルン侯爵家が、ルフトヴェークのルッセ公爵領――第二皇子の領地の庇護下にある事も、さりげなく付け加えておく。
アーロンは、僅かに片眉を動かしたが、まずは書類を読み進める事を、優先させるつもりのようだった。
「……請求書と納品書か。請求書は、全てカラパイア公爵家発行…納品先は……?」
納品先は、一見すると、全てバラバラの宿だ。
だがキャロルは、ゆっくりと首を横に振った。
「それ、全て〝宮廷ルート〟の宿なんです。例外はありません。あ…〝宮廷ルート〟って、正式名称でしたか?街道上の賓客専用の――」
「そもそも、誰も名付けてはいないが、通称が勝手に定着したと聞いている。意味と役割も、もちろん把握している。これは…全て兄上に近い貴族の領地のようだが」
「なるほど。じゃあ、コレとかも役に立ちそうで、良かったです」
キャロルの手にあるヤギ皮封筒から、更に何冊かの冊子が取り出される。
「私、ここに来るまでに、この納品先の宿を狙って立ち寄るようにしてきました。アーロン殿下が今お持ちのその書類、見事に全部、虚偽の取引書類です。それで、その証拠となる裏帳簿が――こちらです」
「⁉」
「元々の書類は、公国側の
もちろん、どこが、
「………承知した」
「その中でも、幾つかの宿で、いつ消されてもおかしくなかった、支配人やら家宰やらがいたので、
何かのついでのように、ポンポンと話が出てくるが、ディレクトア王宮の〝影〟でも、例え命じても、ここまでの事はしないだろう――アーロンは、驚きを通り越して、もはや呆れの境地に達しつつあった。