62 ディレクトアの瑠璃宮
「キャロル様、宜しかったのですか」
クーディアの街の中では、馬は引いて歩くしかない。
街道の出入口に向かいながら、ロータスがキャロルへと問いかけた。
花屋から手を振るカレルとデュシェルは、キャロルは
結婚がかかっていると思っているカレルは、むしろ早く行けと言わんばかりだし、デュシェルも「姉上には、大事な大事なお仕事があるの」とのカレルの説明に、姉への尊敬度は、むしろ爆上がりだ。
あのまま素直にデュシェルが成長すれば、無難に侯爵領を維持していける筈だ。
「…だって、ほら、もしもこれが最期になるんだとしたら、笑ってる表情を覚えて貰っておく方が良いと思って」
ふふ、と笑うキャロルに、むしろロータスは次の言葉がすぐに出てこない。
「……今の、私に金璽をお預けになられた時のデューイ様に、そっっくりですよ、キャロル様」
「……そんなに『そっくり』を力説しなくても良いと思うんだよね」
デューイ自身は、整った顔立ちに分類されると言って良いのだが、一癖も二癖もありそうに見えてしまう父親に
二、三度
「さて、じゃあ、出口に着いたら、ディレクトアへ向けて、
「承知致しました、キャロル様。ところで、ディレクトア国内での、宿の手配は不要との事でしたが…いったい……」
「あ、うん。この先〝宮廷ルート〟でディレクトア国内、宿の確保はされてる筈だから、治安も費用も心配なしって事で」
ルフトヴェーク、リューゲ、カーヴィアルとそれぞれ国境を接しているディレクトアは、それぞれの国とを結ぶ街道上に、賓客専用の宿をいくつか有している。
実際に他の所を利用するのは個人の自由だが、宿帳の代わりに、名前と謁見予定日が予め通達されているそこでは、他がどんなに満室でも、必ず部屋が確保されているのだ。
良いシステムだとは思うのだが、国土が広すぎるカーヴィアルでは、真似が出来ないと、アデリシアも言っていた事がある。
ロータスも、宿自体の存在は知っているようだった。
「宮廷ルート、ですか?確か、ディレクトアの王族関係者に謁見予定のある者のみが利用出来る、提携宿の事ですね?キャロル様…ディレクトアの王族関係者と謁見のご予定が?」
「―――あ」
そう言えば、と、今更ながらにキャロルは思い出した。
ロータスには、何一つ説明していなかった…と。
キャロル様…?と、低く呟いたロータスの声が、氷点下の空気を感じさせる。
「
「…えーっと…そう、かも…知れません、ね……?」
これまで、事情を聞いた全員が、程度の差はあれど、何をやっているのかと怒っていたのだからロータスが、怒らない筈がない。
「………キャロル様」
「はいっ」
一通り話を聞いた、ロータスのこめかみには、案の定、青筋が浮かんでいた。
「侯爵領に着きましたら、勝手に私に〝遺言〟を持たせたデューイ様共々、
「………ワカリマシタ」
ただの嫌味ではなく、本当にやるのが、ロータスだ。
せいぜい父に矢面に立って貰おうと、密かにキャロルは決意した。
* * *
「――キャロル⁉本当に久しぶりね⁉」
ディレクトア王宮内〝
通常行程で通るであろう宿を、幾つか短縮で駆け抜け、ようやくキャロルは、王宮内第二王子の居住する〝瑠璃宮〟で、第二王子の正妃、かつ、アデリシアの
ロータスは、従者と
「貴女のお母様が作られた、あの、
レティシアとアデリシアは、もちろん実の兄妹ではない。アデリシアは皇妃リネットの子だ。
だが、性格だけを言えば、レティシアこそがリネットの娘であるかのように、明朗快活だ。
穏やかで慎重派とされる、第二夫人(側妃)ディアンヌの方が、アデリシアに近いように、キャロルには思える。
「いえ…。この度は、レーラン殿下のご誕生おめでとうございます。グロリオーサスの花言葉は〝栄光〟や〝勇敢〟。ぜひ、お健やかにお育ち下さいますよう、ご祈念申し上げます」
いくらカムフラージュのため訪れたとは言え、まさか王族相手に手ぶらと言う訳にもいかないと悩んだキャロルは、宝石類などは見慣れているだろうと、一応、花業界での有名人である母に、特急でブーケの製作を依頼して、一足先にディレクトア王宮宛に発送をしておいた。
2日ほどの先行があった分、かろうじて、到着が間に合ったようだった。
「でもね、今日のメインは、それじゃないのよ!さあさあ、座って!」
キャロルとレティシアは3歳違いだが、レティシアの目には、キャロルは年齢の近い妹ポジションで、元から映っていたようで、レティシアの婚姻前当時から、このような接し方ではあった。
ディアンヌの方が、むしろ苦笑ぎみだ。
「レティシア、少し落ち着きなさい」
「無理です、お母様!私、こうして本当にキャロルが来てくれるまで、お兄様の結婚とか、また
クラッシィ公爵家が
大臣たちが持ち込む身上書を暖炉の燃料にした上、二人目どころか一人目もまだだったレティシアの、
そのアデリシアが、自ら婚姻を望んだとなれば、それはクライバーやリネットでなくとも、騒ぎになる筈である。
「お兄様が結婚!それもご自身で、妃の座にキャロルをと、切望されたとか!大臣たちの横槍が入るようなら、私もアーロン殿下も全力で支援してよ!まだ見ぬレーランの弟妹達の平穏の為にも‼」
「レティシア様、そちらが本音ですね⁉」
「レティシア……」
最後うっかり本音が漏れたらしいレティシアに、片手で額を覆ったディアンヌが、ため息をつく。
「最後の一言はともかく…。大臣たちの横槍云々に関しては、リネット様や陛下は、何かおっしゃらなかった、キャロル?私の実家でも良いのだけれど、リネット様のご実家の方が、より騒音は押さえられると思うし…」
実家?と一瞬小首を傾げたキャロルだったが、すぐにディアンヌの言いたい事には気が付いた。
「ああ…はい。リネット様のご実家の養女に――との話は、確かに頂きました」
「そう。なら、根回しの方も大丈夫ね。私もレティシアも、恐らくはリネット様も、あなたの、皇族の妃としての資質には、今更何の心配も抱いていませんからね?むしろアデリシア殿下が、貴女を目に
「あ…りがとうございます……」
「お母様、ずるい!」
人は、純粋な好意のみを目の前にすると、段々と後ろめたくなってくるものらしい。
やや、
「レティシア様、アーロン殿下への謁見の件、無理を聞いていただき有難うございます」
キャロルがペコリと頭を下げると、レティシアは、問題ないと言う様に、笑った。
「私は、貴女が先触れの手紙に添えてくれていた書類を、一緒に渡しただけだもの。殿下、それを見て、顔色を変えて、貴女に会うとおっしゃったから。あ、でも殿下に、貴女がどんな女性なのかとは聞かれたから、『兄の言う事の九割以上を理解出来る、この世で最も希少貴重な女性です、一般的な貴族の姫とは次元が違います』ってお答えしておいたけど」
「それはハードル上げすぎです、レティシア様……」
「あら。私も『今から教えないといけないのは、社交ダンスくらいで、ディレクトア、ルフトヴェーク、マルメラーデの主要3ヶ国とリューゲ、どこから使者が来ても、初期対応が出来る程に言葉は出来るし、いざとなればアデリシア殿下の政務代理も務められる筈』って、この
「ディアンヌ様まで………」
「アーロン殿下が来られたら、私と母はいったん退出するけれど、終わったら、陛下主催の夜の晩餐の準備よ?貴女、百パーセント、ドレスなんて持って来てないでしょうから、私のドレスで着飾って差し上げてよ!」
「――え」
「あら、そうね。社交ダンス以外にも、貴女の場合、ドレスの問題もあったわね。じゃあとりあえず、夜は武官の略礼服の着用は、禁止にしましょうか」
「ええっ」
ここでも、このパターンなのか――キャロルはがっくりと、項垂れた。