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32 繋がる糸

 左手に剣を持ち、怯む事なく構えているキャロルを、侵入者の男は記憶の底を掘り起こすように、目を(すが)めて見ていた。

 三度攻撃を交わされれば、それはもはや偶然ではないからだ。
 そして、彼らの目論みを承知している風からすれば、決して一介の大使館職員ではない。

 三手先までを確実に避け切った、()()()の少女――やがて、記憶の底に辿り着いた男が、ハッと目を見開いた。

『ここにいたのか、小娘……!』
『………え?』

『貴様のような小娘が、2人といてたまるか。()()()でさえ、私の部下のほとんどを凌ぐほどの腕がありながら、この数年、国内で一度もその風評を聞かなかった。〝影〟として、どこかに潜り込んでいるのかと思いきや、ここにいたか……なぜ敢えて、落ち延びる連中がこのカーヴィアルを目指すのか、得心したぞ。貴様ならば、どう転んでもヤツらを我々に売り渡す事もないだろうからな』

『……何言って……』

『何故、3日前は大使館にいなかった。そこの男と、宮廷にでも呼ばれていたか?討ち漏らしは――なかった筈だったんだがな』

 男は暗に、自分達が大使館員を斬り捨てたと、(ほの)めかせている。

 その、ゾッとするような低い声と殺気に、今度はキャロルの記憶が揺さぶり起こされた。

 キャロルも思い出したのである。
 別の襲撃者が、この目の前の男を「イルハルト」と、呼んでいたのを。

『…あな…たは……』

 イルハルト――それは確か、かつてエーレ・アルバートと互角に渡り合った、キャロルの知る限りの唯一の男の名ではなかったか。

 何より、危うく首を落とされかけた――自分の、遙か上を行く男。

『…っ、愚かな!』

 だが、その時のキャロルは、過去への恐怖よりも、現在(いま)への怒りが上回った。

 ここに、イルハルトがいる。
 その事で、全ての糸が一本に繋がったのだ。

『狙うは皇妃(こうひ)?国母?冬の近付くこの時期に、国と民を混乱に陥れて奪う玉座に、価値などあると思うか、貴方の(あるじ)は!』

 フレーテ・ミュールディヒという、固有名詞の全てを、キャロルは当時、聞いていた訳ではない。彼女が覚えていたのはただ、目の前のこの男の主が、エーレの父親の側室と言う事だけである。

 だが、本当にエーレがルフトヴェーク公国の第一皇子であると言うのが事実なら、いきおい、エーレの腹違いの弟は、第二皇子――そしてイルハルトがここにいる以上は、全ての糸を引くのは、第二皇子ではなく、その母・フレーテとなるのだ。

 キャロルは二重の確認をした。事の推移(あらまし)と――エーレの、素性と。
 アデリシアならば察したに違いない、キャロルの内心の葛藤は、生憎この場の誰一人、察する事はなかった。

『残念ながら、私自身は、玉座にも、国にも、民にも、興味はないんでな。貴様の言い分は、私には意味をなさない』

 イルハルトの返答は、いっそ淡々としており。ぞっとするほど冷やかだった。

()()()が、ただ一人のご子息を玉座にと望まれる。私には、それが全てだ』

 敢えて個人の名を出さないイルハルトを、苛立たしげにキャロルは睨んだ。
 だが、否定はしない――それは、全て事実だと言わんばかりに。

『囲め、あとはその男だけだ!』

 その時、エルフレードの鋭い叫び声が、二人のやりとりを、中断させた。
 素早く見渡せば、確かに、イルハルトと行動を共にしていた者達は、全て床に沈められている。

『ち…っ!』

 イルハルトは舌打ちした。彼自身が、フレーテ・ミュールディヒ最大の駒であると言う事実は、キャロルに指摘されるまでもなく、国の貴族間では知られた話だ。彼一人でルフトヴェークへ戻り、何らかの証言をしたところで、何の説得力も持たせられないのだ。

『ここは退()くしかない、か……!』
『させない!(あがな)うべき命が、幾つあると思ってる!』

 暗に、大使館員たちの虐殺をちらつかせ、声を荒げたキャロルに、イルハルトは口の端を歪めた。

『今更、この命一つで(あがな)いのつくものでもなかろうよ。それでも私は、己の正義を貫き通すだけだ。貴様に運がある事は認めてやる。だが――それだけだ』

 イルハルトがそこで、突然剣を真横に一閃させた。

「‼」

 剣が届かずとも、その風圧が、エルフレードの服の胸元を切り裂き、キャロルの首筋に、浅く鋭利な切り傷を走らせる。
 僅かに飛び散った血が、後ろに立つクルツの頬を濡らしていた。

 全員が、その光景に怯んだ一瞬の隙を突くように、イルハルトは地を蹴ると、片肘で窓ガラスを砕けさせ、窓の向こうへと身を躍らせた。

『逃がさない…っ!』

 割れた窓ガラスにも、自身の首筋の傷にも目もくれず、キャロルがその後を追うように、窓の外へと飛び出して行く。

「おい待て、一人で(はや)るな、危険だ!」

 あまりの動きの速さに、ルフトヴェーク語も忘れて、エルフレードが、声をあげた。

「…んだよっ、アイツ、俺と互角以上じゃねぇのか⁉何で、近衛なんかにいんだよ!」

「……貴卿(きけい)らは、国の楯となる事を選び、彼女は、殿下の楯となる事を選んだ。そしてその為に必要な知識と強さを、彼女自身が考えて、身につけた。あれでもまだ、彼女が色仕掛けで殿下に取り入ったと思うかね?」

 用心のため発音はずらしたまま、冷ややかにクルツが問いかける。

 エルフレードは一瞬、言葉を呑みこんだ後、口惜しそうに唇を噛んだ。
 自分が言い出した事じゃない――は、言い訳にもならないだろう。

「ちっ…!とりあえずは、アイツを連れ戻してくりゃ良いんだろう⁉こっちは、生きている奴を縛り上げろ、俺はいったん外に出る!まだ残党がいるかも知れないから、警戒は怠るなよ!」

「バレット(きょう)!」

 無言のクルツ、制止しようとするオステルリッツそれぞれの視線と手を振り切るように、エルフレードも、窓から飛び降りた。

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